番外編 占米野メイの冬休み②
海音の宣言した通り、占米野メイは十何年ぶりかの自由な冬休みを手に入れた。
家……というか屋敷の中にはメイ以外に誰もいなかったし、自由に屋敷の中を動き回るメイのことをとがめる存在などいなかった。いや、いなくなっていた。
屋敷のそうした状態を確かめるかのように探検をして、それが済んでふとメイは思う。
これからどうしよう。
確かに自由になった。が、そこからどうすればいいのだろう。自分はどうしたいのだろう。
そうした疑問が浮かんでは消える。休みの日に逆に何をしたらいいのか解らない。海音はすでに姿を消しており、屋敷には正真正銘、メイ一人だけ。
ずっと部活漬けだった学生が急な休みに戸惑うかのような。そんな状況がおとずれるとはメイ自身にも思ってもみなかった。
しかし、まさか自分が『解らない』と思うなんて。
望めば何でも知ることができるメイにとって『解らない』という感情はとても珍しく、とても興味深いものでもあった。
ふと窓の外を見てみれば冬の風が枯れ葉をもてあそんでいた。ひんやりとした外の空気に触れてみたくなったメイは……探検している間、無意識に避けていた玄関へとゆっくりとした足取りで向かう。
その途中で自室からコートとマフラーと手袋をと帽子を手に取り、眼鏡をかけて再び玄関へと向かう。
しっかりと防寒をしたあと、メイはおそるおそるといった様子で屋敷の敷地の外へと足を踏み入れた。普段の学校の登下校は監視付きとはいえ行われているが、その時に今ほどの緊張感は感じなかった。
だがいまは別。本来外出を許されるはずもない時間、時期に外に出るという行為はなかなかに勇気が必要なものだった。
外はやっぱり寒くて、頬に冷気がはりつく。帽子を周囲から顔が認識できない程度に深く被ってゆっくりと、一歩ずつ外の世界へと歩みだした。
なぜ自分がこうして外の世界へと歩みだしているのかは解らない。解らないからこそ、そこに飛び込んでいく。好奇心ゆえの行動。だがメイは好奇心以上に、心のどこかでは「こうしたい」と言っている自分がいることも解っていた。
しばらく歩いていると、いつもの道を通っていることに気が付いた。ようは通学路だ。
体が勝手にこの道を覚えて歩いていることに気が付いたメイは苦笑したが、『冬休みの学校』というものを知らないメイはなんとなく学校に行ってみようと思った。
学校に到着する。休みの期間に入っている学校は部活動をしている生徒たちこそいるものの、やっぱり普段と比べると静かだ。一歩、また一歩とメイはそんな学校の校舎に向かって歩を進める。
校舎の中に入ると静けさは増して、普段通っているところと同じ場所であるはずなのにまるで別世界のように感じる。
屋敷の中を探検した時のような好奇心に突き動かされて、メイは人けのあまりない校舎の中を歩きだした。校舎の中は外ほどではないがやや寒い。どこかの教室に入って温まろうと思ったメイは空いている教室を探して校舎の中を歩きだした。
できるだけ人けのないところが望ましい。その条件に当てはまりそうな、普段は人の立ち入らないような場所……。第二校舎の四階。このあたりなら人はいないだろうし、ここは空き教室ばかりだったはず。何より普段は第二校舎の四階なんて行かないので探検してみたかったというのもある。
あとはここからしらみつぶしに空いていそうな教室を探すだけだ。
と、メイはすぐにその異変に気付く。異変というか、この階の隅っこの教室のドアが一つ開いていた。おそるおそるその教室をのぞいてみると、明らかに空き教室として使われていないであろう教室が見つかった。
円卓のテーブルにそれを囲むように配置された椅子。壁には何やら美少女アニメ(小学生ぐらいの年頃の女の子)やロボットアニメ、ゲームのポスターに特撮ヒーローのカレンダー。棚には漫画やライトノベルがギッシリと詰まっており、また別の棚にはフィギュアやアニメのブルーレイボックスが入っていた。
さらに大型テレビまでもがあって、その前に幾つものゲーム機やゲームソフトが並んでいる。
また別のところに視線を向ければロボットのプラモデルが大量に積まれていたり、特撮ヒーローの玩具の箱が積まれていたりする。
明らかに学校の物とは思えない。ということは何らかの部活? しかしメイの知識では何もわからない。メイはアニメや漫画というものに疎い。そういったものに触れてこなかったのだから当たり前だ。そもそも両親がそういったジャンルを嫌っていた。
この部屋はどうやら設備が充実しているようで暖房が効いている。ぽかぽかとした空気がメイの体を包みこんでほっと一息つきつつ――――この謎空間をじっと観察していた。
メイは人生で初めてこんな空間を見た。自分の知らない未知の世界が目の前には広がっている。
(なんだか、不思議の国に迷い込んだアリスみたいね)
目の前に広がる謎空間を観察していると、いきなりメイの背後で教室の扉が開いた。
観察するのに夢中で人の気配にまったく気付かなかったメイはびくっと肩を一瞬はねながら帽子を深く被って背後を振り返る。
「誰だお前?」
そこにいたのは、一人の男子生徒だ。制服を着ているということはもちろんこの教室を普段からよく利用しているということだろう。茶髪に悪そうな目つき。身長は百八十センチ程度で割とガッシリとした体格の持ち主。ぶっちゃけた話、ただの不良にしか見えない。
メイは迷った。ここで名乗るべきかそうでないか……。だがメイが解答を迷っているうちに、目の前の男子生徒はメイを見ながら、
「つーか……見ちゃったか……見ちゃったよな……」
ため息をついて「ああどうしよう」と言いながら頭をかく。
「あー、その、なんだ。お前はだれか知らないけれど、ここで見たことは他言無用にしてくれると俺はとても助かるんだけど……こんなもん、先生たちにはあんまり見せないほうがいいだろうし」
確かに、改めて考えてみればこの空間は教師にはあまり見られないほうがいいだろう。いろいろなことに寛容なこの学園の教師とてどういった反応に出るか解らない。
「あ、そうだ。ここでくつろいでいってくれてもいいからさ。どうせ他の奴らは実家に帰ったりだとか家族でどっかに出かけたりとかで一週間ぐらいは帰ってこないしで広いしな。最近は正人とか葉山とかが遊びに来たりしてたけど」
「……わかったわ」
ただし、とメイは目の前の男子生徒に条件を突きつける。
「そっちも私のことを他の人に喋らないこと。そうすれば、私もここのことは誰にも話さない」
「おお、そっか。わかった。お前のことは他の誰にも話さないよ」
にっこりと笑った目の前の男子生徒は、安堵したようにほっと溜息をついた。
☆
せっかくだからくつろいでいってくれよ、と男子生徒は言って、教室にあった冷蔵庫からジュースを出してきた。さすがに水道の設備まではないからだろう。それに暖房も効いているのでジュースでもさして問題はない。
「俺、一年四組の黒野っていうんだけど……お前は?」
海斗はメイの様子を窺うようにして名乗った。
その名前でメイも記憶の中から情報を引っ張り出すことができた。
あの有名な、喧嘩では負け知らずで残忍で凶悪で鬼とまで称されたあの黒野海斗のことだ。この学校では有名人であるのだが、最近は丸くなったというか心変わりをした、なんて噂がチラホラとメイの耳にすら届いている。
「私は……」
ここで名乗るのをためらうメイ。自分のことは話さないと約束はしたが所詮は口約束。あとで変な噂を流されても困るし、何より長年いた環境のせいか名乗るのをためらった。帽子をかぶって顔が見えないようにしているのもそのためらいをおこすのに一役買っているだろう。
「あ、名乗りたくないなら別にいいぞ」
そうして迷っているうちにメイの名乗りづらい、という空気を感じ取ったのか海斗は自分からメイに退路を作ってくれた。
「いいの?」
「なんか言いづらそうにしてたし。なんとなくだけど」
「意外と察しがいいのね」
「そりゃどうも。でも、名前がないと呼びづらいから……」
海斗はメイの黒髪にちらっと視線を移し、
「綺麗な黒髪だし……じゃあクロでいいや」
「……私はペットじゃないのだけれど」
「や、別にペット扱いしているわけじゃないんだけどな。そりゃなんだか黒猫とかにつけられそうな名前だが……ただなんとなくでテキトーにつけただけだ。気にするな、クロ」
どうやらクロという名前は確定らしい。
メイはため息をついた。
もうこの際、名前はどうでもいい。せっかくなのでこの時間を利用してこの部屋のことについてたずねてみることにした。
普段のメイならばこうして人と話すことなんてあまりないのだが、今回ばかりはいつもとは事情が違う。一時的にとはいえあの環境から抜け出せて、心が少しばかり軽かった。その軽さがこうしたメイを饒舌にさせているのかもしれない(あくまでもいつもと比べて饒舌に、というレベルだが)。
「ところで、ここはどういった部屋なのかしら?」
「部室だよ、部室。日本文化研究部っていうんだけどな」
「……とても文化を研究しているようには思えないのだけど」
むしろ娯楽スペースといった方がしっくりくる。
「そりゃしてねぇもん。日本文化の研究なんて個々の部活を作る建前でしかないし。この部を作ったやつは、『オタク文化も日本が誇る立派な文化』だと言い張ってるけど、それだって屁理屈だし」
「よくそんな屁理屈で部活動の申請が通ったわね」
「あー……それは……あれだ。裏技というか反則技というか……」
海斗からすればあまり思い出したくないことだ。ぶっちゃけただ威圧して無理やり申請を許可させただけなのだから。
どういっていいのか迷っている海斗を見ながらメイはくすっと笑い、
「言いたくないなら別にいいわよ。なんだか言いづらそうにしているし」
「……そりゃどうも」
海斗は複雑そうにしながらもほっと溜息をついた。
「それで、あなたは冬休みにこの部室で何をしていたのかしら」
「何も。強いて言うならお気に入りのアニメを見ながらテキトーにくつろごうとしただけだ。家で見ようと思ってたんだけど部室に置き忘れているのに気が付いてな」
と、ここで海斗は自分の失態に気づく。
(そういえば……いくら知らないやつとはいえ俺がこういうアニメを見ていることを話してしまったがよかったんだろうか……)
海斗は文化祭の日を境にしてクラスメイトをはじめとして周囲の人間に対しての偽装をやめた。
周りから自分を遠ざけようとするように変に不良の真似事をするのをやめて、普通に接するように心がけた。とはいえ、だからといってオタク趣味があるということは黙っている。
いくら見ず知らずとはいえ無防備に話しすぎた。部室という場所にいることによる安心感からつい心が緩んでしまったのだろう。
(や、やべぇ。普段、部室にいるときはいつもアニメの話とか普通にしてたから……)
しかも自分が手に取っていたのはバリバリの萌えアニメである。かわいい幼女たちがフリフリの衣装を着ているようなイラストで、いかにもザ・オタクとでもいうかのような作品だ。
(で、ででででででででも『まじかる☆るな』は萌えも燃えもこなす王道バトル物としても見れるし! いやでもイラストがなぁ……はぁはぁ。るなちゃんはぁはぁ)
ちなみにるなちゃんとはこのアニメの主人公(幼女)である。
「……………………」
(や、やっぱり引かれたか?)
引かれるだけならまだいい。しかし一番の懸念は学校中に言いふらされることだ。
せっかくクラスメイトたちとも馴染んできそうになってきたのにオタク趣味がバレると気持ち悪がられてしまう可能性も、
「ねぇ。これがアニメ?」
「? そうだけど……」
が、海斗が懸念した反応とは裏腹にメイはじーっと興味深そうな目で机の上に置かれていたブルーレイのパッケージのイラストに視線を向けていた。
海斗は知る由もなかったが、メイにとってアニメというものはほとんど触れたことのないものであり、彼女の両親が毛嫌いしているものだからこそ前々からどういったモノなのか興味があったのだ。
「おもしろいのかしら。私、一度も見たことがないのだけれど」
「面白いぞ! この『まじかる☆るな』はシリーズ化が決定している大ヒット作なんだが出てくる幼女たちがみんなかわいいんだ。それにただの萌えアニメじゃなくて戦闘シーンの作画も個人的には当時の春アニメの中ではトップクラスだし、ストーリー性も申し分ない。週刊少年漫画顔負けの王道展開に燃える場面も盛りだくさん! さらに出てくる幼女がみんなかわいいしな! みんなかわいいしな!」
「…………すごい情熱ね」
キラキラとした目で語りかけてくる海斗に若干引いたが、こうも真剣に語られると興味がわいてきた。それにあの両親が毛嫌いしているアニメというものを見たいというちょっとした反抗期の子供のような感情もあったことは確かだ。
メイは改めてブルーレイのパッケージを手に取り、様々な角度から眺めてみる。
この薄い箱の中にこうも一人の人間を真剣にさせるもの。
それがどんなものかこの目で確かめたくなってきた。
「これ、私も見ていいかしら」
「おっ。いいぞ! むしろ大歓迎だ。ていうか、どうせまた一巻から見直すつもりだったしな」
海斗はいそいそとパッケージの中からディスクを取り出して、それを部室のテレビのプレーヤーの中にいれた。画面が切り替わり、部室の中で二人だけのアニメ鑑賞会がはじまった。