第78話 南帆の奇行
合宿二日目。
朝起きるのがちょっと辛かったけど、なんとかみんなと同じ時間に起きることが出来た。
一階に下りて、朝食の時に恵の方を見てみると、何事もなかったようにパクパクと朝食を食べていた。
昨日のことがあったからちょっと内心、気にしつつ朝食を食べた。姉ちゃんが作ってくれた朝食はすごく美味しかった。
朝食を食べたあとはしばらく自由時間で、少ししたらまた海に行く予定だ。
そんなわけで、俺は朝食の後片付けをはじめた。まずは皿洗いだ。
隣では加奈も一緒に皿を洗っている。しばらく一緒に皿を洗っていると、唐突に加奈が話しかけてきた。
「海斗くん」
「なんだ」
「恵と何かありましたか?」
「……なんで?」
「いえ。なんとなく。海斗くんの様子が少しおかしかったのと、恵がどこか……平静を保とうとしているような感じがしたので」
やだ何この子怖い。勘が良すぎるだろ。
「別に何もないけど」
「そうですか……。どうやら私の考え過ぎだったみたいですね」
「そうだそうだ」
こいつも一人暮らしをしているおかげか、割と手際は良い。
俺と二人で手際よく終わらせると、あとはすることが無くなる。俺たちが食器を洗っている間に他の皆は掃除などをやっていた。
それが終わったらしく、他の皆はもうそれぞれの準備などを行っていた。
俺は準備はもう終わっているし、することがないな。
「加奈は準備とかしなくてもいいのか?」
「はい。もう終わってるので」
加奈はソファに座って、窓の外の景色を眺めはじめた。そのどこか愁いを帯びた表情は、過去に思いを馳せているような、そんなイメージを抱かせた。
そういえば加奈って、お嬢様なんだよなぁ。普段からはまったく想像できないけれど。
こんな別荘だって持っているし。本来は、俺なんかとは住む世界が違うような人間なのかもしれないけれど、こいつの場合は……中身がアレだからな。
なんだかんだ自然体で接することが出来る。普通の友達として。
でもこうして、恵と同じように……俺の知らない、知らなかった加奈の一面を見ると、何故だか思わず見惚れてしまう。
今まで知らなかった魅力を知った、みたいな。
そんな感じだ。
「どうかしましたか? 海斗くん」
「え、あ、いや。なんでもない」
「ふふっ。もしかして、私に見惚れてたとか?」
加奈が小悪魔のような、キュートな笑みを浮かべて、そんなことをきいてくる。
そこで素直に答えるのはちょっとなんだか負けた気がしたので、はぐらかしておく。
もし本当に見惚れてたとか言ってしまえばきっとからかわれるだろうし。
「そんなわけにゃいだろ」
「……にゃい?」
「そんなわけないだろ」
さっきのは何かの間違いだ。
「も、もしかして海斗くんって……その、猫キャラが好きだとか?」
いや、幼女なら何キャラだろうが好きだけど……。いやまて想像してみよう。
小夏さん(合法ロリ)の猫キャラモードを。
…………猫耳メイド姿の小夏さん。にゃんにゃん言ってくれる小夏さん。猫な仕草をする小夏さ、おっと鼻血が滝のように溢れてきたぞ?
人体の神秘ってやつですな。HAHAHA!
「や、やっぱり、海斗くんは猫キャラが好きなんですか?」
「い゛、い゛や゛、ぞん゛な゛ごどばな゛い゛(※訳:い、いや、そんなことはない)」
「その割に鼻血が止まらないのですけども……」
説得力がないとはこのことである。
以前、小夏さんの家に訪問した際に鼻血が滝のように流れ落ちたその時の経験をきっかけに自力で鼻血を止める技術を習得済みである。
幼女の為ならばどのような努力も惜しまない。
それが俺のポリシーだ。
もう俺の鼻血で彼女の家のカーペットに殺人現場を作り出させはしない。
「や、やっぱり海斗くんは猫キャラが好きなんですね!?」
「いや、違うからな!?」
「えっ、猫キャラな女の子とにゃんにゃんしたいのでは……」
「こらこらこら! 女の子がそんなこと言うんじゃありません! あとそれも違うから!」
ダメだ。こうやっていると色々と精神的なゲージを削られていく。
俺は肩を落としながらとりあえず部屋に戻ろうとすると、後ろから加奈がぎゅっと俺の服を小さく掴んできた。
なんだろうと思って振り返ってみると、上目遣いの加奈がそこにいて。
「えっと……にゃんにゃん」
「は?」
「か、海斗くんはこうしたいのでしょうにゃん?」
「バカじゃねーのお前」
「………………………………にゃん」
なに顔を赤らめているんだ。そんなに恥ずかしいなら止めときゃよかったのに。
ていうかこれいつもの加奈だからなー。逆に安心したわ。
とりあえず改めて部屋に戻ることにした。
「…………でも鼻血は出ていましたし、やっぱり海斗くんは……帰ったらまた猫耳セットを……」
聞かなかったことにしよう。
部屋に戻る途中で、正人と葉山とすれ違う。
どうやらスーパーまで買い物に行くらしい。
俺は二人を見送って、部屋に戻った。
それと同時にベッドに倒れこむ。
なんだか疲れたなぁ……。なんでだろう。きっとさっきのやり取りのせいだ。うん。
自由時間が終わるまで寝ようと瞼を閉じる。
昨日はあんまり眠れなかったから寝坊しそうだなぁ。なんて思っていると、部屋の扉が開いて、誰かが入ってくるような音が聞こえてきた。
誰だろう。正人と葉山が戻ってきたのだろうか。
なんて考えていると、ベッドが軋む音が聞こえてきた。
それと何故か体に重みが。
目を、開けてみる。
「……にゃん」
「ごめんなさいよくわかりません」
何故か……何故か南帆が、ベッドで寝ている俺の体の上に跨っていた。
「……にゃんにゃん」
「おいコラ質問に答えろや」
「…………にゃん」
どうしよう。人語が通じないぞ。
「……にゃぁん」
南帆は相変わらずの無表情……じゃない。表情はやや柔らかい。
いつもの南帆とは違う、どこか妖艶で、艶めかしい雰囲気。
跨ってきた上に、俺に覆いかぶさるようにしているのだから逃げられない。
かといって無理に引きはがすわけにはいかないし。
どうしようかと迷っているうちに、南帆が更なる行動を開始した。
すんすん、と香りをかぐように俺の首筋に顔を近づけてくる。
しかもそれだけでなく、今度は俺の顔に、南帆の顔を近づけてきて、その小さな口を
「……にゃんにゃん」
「ちょっ、え!?」
ぺろっ。
「!?」
南帆の舌先が、俺の頬を優しく撫でる。舌独特の感触が、頬から伝わってくる。
な、舐めてきたぞこいつ!? え、なんで、いきなりなんでこんなことになってるんだ!?
そんなことを考える暇もなく、南帆が今度は俺の胸に抱きついてくる。
甘い香りとぷにぷにとした柔らかい感触がデュエットを組んで俺の五感を刺激する。
南帆の顔が近い。心臓がバクバクと大きな音を立てている。
しかも、南帆のいつもとは違う誘惑するような、そんな魅惑的な表情をした顔が……かなり、近い。
こんなにも近いと、そりゃあもう当然ながら南帆の柔らかそうな(いや、実際にやわらかいのだろう)唇が嫌でも目に入ってしまって、同時に昨日の恵とのやり取りを思い出す。
南帆の綺麗で柔らかそうな唇が滑らかに動き、言葉を紡ぎだす。
「……私と、にゃんにゃんする?」
「しねーよ!? ていうかお前、意味わかって言ってんのか!?」
「……わかってるよ?……にゃん」
「キャラぐらい統一しろよ」
なんて、ツッコミを入れれたのはこの間だけだった。
南帆は頷くや否や、上半身を起こして(しかし跨ったまま)、自分が着ていたワンピースを脱ぎ始め……!?
「まてまてまてまてまてぇえええええええええええ!」
俺は仮想世界でも最高の反応速度を持つ某黒の剣士の如く、ワンピースを脱ごうとする南帆の手を止めた。白くてすべすべしてそうな肩と、そこから覗くブラの紐に思わず顔が赤くなるも、なんとかわけのわからない南帆の奇行を阻止。
「……どうしてとめるの?」
「そりゃとめるだろ!」
「……前の海斗ならとめなかった。どーでもいいような顔してたと思う」
「う……」
確かにそうだ。ぶっちゃけBBAの体なんか見ても何も感じないと思ったけど……。そうなんだけど、でもなんでか……今は、違うというか。なんというか。なんでだろう。あー、くそっ。またあのもやもやだ。
「だ、ダメなもんはダメだろっ」
「……だめ……ざんねん」
南帆はしゅんとした表情で奇行を止める。ああ、よかった。
「て、ていうか、どうしてこんなこと急にしだしたんだよ」
「……さっき、海斗と加奈の会話を聞いてた。海斗、猫キャラが好きだって言うから」
「だから誤解だって言ってただろうがぁああああああああああああああああ!」
どうやらこいつも勘違いしていただけらしい。
なんて考えていたら、まるで不意打ちのように南帆は。
「……海斗は、昔の事は覚えてる?」
唐突に、そんな質問をしてきた。
「昔の、こと?」
「……ずっと昔……幼稚園ぐらいの、頃のこと」
「……あんまり覚えてないけど」
ていうか、今は目の前でいろいろと衝撃的なことが起こりすぎて昔の事を思い出す余裕がない。
そんなわけだから、俺が素直にあまり覚えていないと言うと、南帆はどこか悲しそうな、それでいてちょっと嬉しそうな。
そんな顔を、した。
「……そう」
……どうやら、用は済んだらしい。そう思って安心する。
ホッとしていた俺のそんな心の油断に滑り込むように。
南帆はそれこそまたまた不意打ちで、顔を俺の頬に近づけて。
「……でもね、私は覚えているよ?」
頬に唇の感触。やっぱり南帆の唇は見かけ通り……いや、見かけ以上に柔らかかった。
「それって、どういう……」
「……ないしょ」
南帆は、いたずらが成功したような顔をして、そのままベッドから降りて、部屋から出て行ってしまった。
取り残された俺は、わけのわからないまま時計を見る。
どうやらまだ状況が呑み込めていないらしい俺は、時間が思ったよりも経っていたことだけは理解していて。
頬にはまだ、南帆の体温が残っていた。