はやみこのとき、とくかえれ
家を出れば、そこは駅だった。なに、驚くまい。幻覚でもあるまいし、なにより僕は正気だ。時間に厳格、電車は正確にホームに舞い戻る。驚きのあまりどもるのは君だけでかれこれオウムのように僕の言葉を繰り返す。振り返る人々は、迷惑そうな表情で君をみる。ただの駅だ。ワクワクする旅へ、君を連れて行ってくれるのではないのか。幸いなこと、祝い事、門出を祝福する、嫌なこと、居合切り、禍福を召喚する。君に云わねばならぬことが多々あるが、国をでねばならねばならぬ君へ。とくときけよ、この言葉。まっこと得することはないけれど、きっと貴ばざること、軽んじることなかれ。君の目の前の駅は君のためにあるのではない。それは確かである。可視化できるのは僕だけの能力であって、果たして皆に見えているのだろうか。いや、見えてはいない。君のためだけに、可視化しているのは確かであるが、それが現実か、うつつかは僕には分からない。囲まない牧場では牛が逃げてしまう。認知が認知として働かない、つまり本来の働き、役割をなさないのはそれとほぼ同格のものとして扱われよう。逃げろ、その近くから。駆けろ、僕の歓声。働け、君の知覚。それでも君はホームから動けないでいる。なぜ動かない。なぜ響かない。電車の警告音。過酷な現状を破棄した君は、未来に何を献上する?過去の苦労か?今の労働か?それは違うのか?間違い、過ち?朽ちたその執念は終始君を圧倒するだろう。主人は君の全知全能を、無き過護、くずかご、神の加護。祈ること無下なり。この上なき愚行である。君の、君自身の、君によるアイデンティティの浪費はそのように扱われるのだ。では、その旅で何を手に入れられる?君はたずねるかもしれない。なにを、だれを、どのことを?見つからないのならば、帰るがよし。この国ではないどこかへ。それを探せばよい。君の国はここではない。小泥の中を(きみにはそれが大きな泥の塊だとかんじるかもしれないが)歩めば見つかるだろう。ここはそういう駅なのである。