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硝子の時

作者: かしわ

挫折してしまった長編もののプロローグ。

短編風味で仕上げました。




あたしは、硝子の時を持っている。

それは、手をのばしても抱きしめることのできない、透明で空虚なもの。

けれど、不意にそれは、生々しい息づかいで、ここにいるよ、と存在を知らせてくる。


そう。

はじまりは、雨だった。


がたん、ごとん、と大きな音を立てて揺れる箱のなか、同じく、ぐらんぐらん、と揺れながら流れる景色を空虚な瞳が見ていた。

ビル

ビル

ビル

景色の流れが穏やかに変わる。

一際強い揺れを感じたあと、ぷしゅうと炭酸の缶を開けるような音を鳴らし扉が開いた。


おはよ〜。

おはよう、さっちゃん。


流れ入った沢山の人のなかから友人が現れる。気を利かせて横へずれてくれた人に小さく会釈し、できた隙間に身を寄せる。

笑顔を向け挨拶を交わし、いつものおしゃべりが始まる。ひとりの物思いに蓋をし、なんでもない普通の少女の会話を紡げば、先ほどまでの行方の知れない喪失感はすっかり隠れてしまう。


英語の訳できた?

うん、なんとかね。

まじ!見せてー!今日25日だからあたし当たるんだよう。

いいよ。そんかわり、数Ⅱのプリント見せてくれる?

え!?そんなのあったっけ?

さっちゃん……あったよ。激ムズのやつがあったよ。

うっそ〜。


ふにゃりと脱力し、つり革に体をあずけきった彼女の左腕にぶら下がった赤が目に映る。

あか。


友人が視線に気付いた。


今日雨予報だよ。

え。

昼から下りだって。忘れちゃった?

ああ。


そんなことよりも。

りん、と硝子の時が小さく鳴る。

あか。

あかい、かさ。

目に映るソレが頭に張り付き離れない。


ひらひらと動くものにようやく意識を引き戻された。


おーい、帰ってこーい。


さっちゃんの手のひらだ。

一拍の間のあと、ふにゃりと笑う。


ごめん、寝ぼけちゃった。

もー。澪はたまぁにトリップするからぁ。

ごめんごめん。

うんにゃ、おかえり。あ、傘なら学校に折りたたみがあるから貸すよ。

ありがとー。助かるー。


すぐに、また、日常のありふれた会話がはじまる。

ドラマ見た?

見たよー。空汰ちょうカッコいいよ!

ねー。


なぁんて。

普通のどこにでもある17歳の女子高生の日常。

そのなかで、硝子の時は無常にその存在を主張する。


そっと見た視線の先の小さな空は泣き出しそうな仄暗い色をしていた。


今日も、雨が降るのだろうか。


あかい、かさ、はあたしのキーワードだ。

ちぐはぐの行方知れずの記憶の欠片を呼び集めるのが、あかい、かさ。


突然の突風。

手から飛びたったかさの色は、あか。

小雨降る青灰色の空に映えた鮮やかな、あか。

それは、とても美しく、見惚れてしまう。


あとは、まるで、床一面に散りばめられたパズルのピースを俯瞰するよう。


あか。かさ。川。水。流れて。雨が、降る。

降る。

降る。


そして、次の記憶をつなぐ糸は、透明の雫だ。

しん、とした闇にひとつ、音が落ちて、視界が広がる。

りん。

波紋が水面に広がりゆくのと同じ、世界が満ちゆく。


そうして、気付けば川縁の一本道でひとり、かさもささず、雨に濡れていた。


途切れた、一瞬の記憶に、歯痒さを覚えながら、ようやく辿り着いた我が家で、すべてを知った。


澪もうすぐ誕生日だね。

あ、うん。

結婚できる歳だよー。ヤバっ!要カレシじゃん!

……ほんとだー。ヤバっ!


けたけた笑いは心に貼り付けた仮面。


いちねん、遅れたあたし。

途切れた一瞬の記憶は、残酷に一年の時を奪い、空虚な喪失感をもたらした。


友を奪い。

家族の団欒を奪い。

ありふれた日常はどこにもなく、あったのは日常という仮面をかぶった紛い物。


だから、逃げた。

持っていた全てを捨てて、今このときがある。

一から作り上げた日常は、ありふれている。


あたしからありふれた日常を奪った硝子の時を憎むのに、空虚な喪失感はあたしを責める。


もう、なにも奪わせない。

なのに、硝子の時はあたしに、温かな涙を流させるのだ。


ハヤク、オモイダシナサイ。


帰り道、なんとかもった天気にひとり川縁の道をゆく。


ほとり、と頬を柔らかな温もりが触れた。


ふっと過った誰かの影。


きゅうっと胸が傷むのに、あたしはその理由を知らない。


硝子の時は、憎むべきか、愛おしむべきか。


土の香りが湧き上がり、しっとりと雨が身を包んでいた。


そのこたえをくれるのは



かもしれない。




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