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See Naples and then love

作者: 族長


「……え?」

 俺は思わず訊き返した。

 赤々と燃える夕陽に染められた放課後の教室。そこに年頃の男女二人だけ、というのは男としてはどことなく妙な期待をしてしまうものである。

 しかし今、目の前の幼馴染みから放たれた告白は、そんな男児の淡い、ちょっぴりピンクな妄想を見事に打ち砕くものだった。

「だから、遠くに引っ越すの。明日」

 そんな話聞いてない! と口をついて出そうになったが、彼女自身今日まで隠してきたのだからそんなの当たり前だ。

 結局、俺は逃げるように目線を窓の外に向けるしかなかった。

「遠くって……どこに?」

「ナポリ」

 これには驚きを隠せなかった。海外! 俺には想像もつかない。

「ナポリ……ってどこだっけ?」

 わざとおどけて、冗談半分、悲しいかな半分本気で訊ねる。場違いなのは承知の上だ。証拠に俺の視線は窓の外へ放り出されたまま、彼女に向けられずにいた。

 けれども、返事はない。俺は横目でちらりと幼馴染みの顔を伺う。窓の桟が作る影に隠され、表情は見えない。が、少なくとも笑ってはいないだろう。それくらい俺にだってわかる。

「……だから皆に嫌われるような態度とったのか?」

「………………」

 足下に落ちる彼女の視線。まぁ、意地っ張りなコイツの性格から考えれば大体見当はつく。後腐れを残さぬよう、彼女なりに気を遣ったのだろう。

 でも、それだと変だ。

「俺にはそんな態度、とらなかったのにな?」

 するとやっぱり、見慣れた顔は上目使いで俺のことを睨みつけてくる。

 さばさばしたショートヘアに、小動物を思わせるクリッとした目。後ろで手を組んでいるせいか、女としての身体のラインが若干強調されている。

 いつものアイツが、なんだか急に大人びて見えて。

 俺の心臓が跳ねた。

「……何も……言わないんだ?」

 幼馴染みが小さく言う。

 伝えたいことは、ある。ガキの頃から一緒にいたのに、まだまだ喋り足りない。伝えきれてない。話したいことは山のようにあって、それはこれからもどんどん膨らんでいくだろう。

 でも、今の状況はあまりにも急すぎる。たった十分ほど前、一体誰がこの状況を想像できただろうか。

 沈黙が怖かった。静けさに紛れて、彼女はそのまま消えてしまうんじゃないかと――俺の知らないどこかへ飛んでいってしまうんじゃないかと思った。黙ってはいけないという一心で、俺は口を開く。

「引き止めて欲しいのか?」

 言ってから、しまったと思った。

 アイツが一瞬、悲しみと落胆の入り乱れた表情をしたような気がした。

 俺がそれを確認する間もなく、彼女はくるりと踵を返す。

「……私、もう行くね。……さよなら」

 そう言って、さっさと歩き出してしまう。

 俺たちの距離が開く。一メートル、二メートル……。明日には、飛行機を使わないと届かない距離。けれども、たとえどんな移動手段を使ったとしても、彼女には届かないだろう。今じゃなきゃ、きっと彼女には届かない。

「ま、待てよ!」

 俺ははっきりとした口実もなしに、慌てて引き止めた。

 いや、口実は……ある。

 アイツの足がピタリと止まる。でも、顔は反対を向いたままだ。

「俺、お前にまだ伝えてないことがある」

 閑散とした教室に自分の声がよく響く。

「……何よ?」

 背中を向けたまま、促すように彼女は言う。不満そうな声だった。

「その……ガキの頃からずっとお前と一緒だったけど……俺、その……あの……ぉ、お前のこと、す……す……」

 ダメだ。やっぱり言えない。いくら何でも急すぎる。いや、それも言い訳か。結局、俺はチキンなんだ。こんな時でさえ、想いの一つもロクに伝えられない。

 アイツも、いつものノリで笑い飛ばしてくれればいいのに……。そんなことを考えていたら、幼馴染みがこちらに向き直った。口元に呆れたような笑みを浮かべながら。

「言うならちゃんと言いなさいよ。じゃないとフれないじゃない」

 一瞬、呆気にとられた。言葉の意味が理解できると同時に、一気に全身の力が抜けていく。さっきまでガチガチに緊張していた自分が滑稽だった。

「ハハ……なんだよ、それ」

 俺の口からこぼれたのは、乾いた笑い。哀れなピエロにはふさわしいだろう。

「いいから。けじめよ、けじめ。アンタをフって、それでやっと、綺麗さっぱり思い残すことなく向こうへ行けるわ」

 大げさに肩を竦める幼馴染み。最後まで可愛くないやつだ。

 もっとも、その可愛くないやつに惚れちまったのが俺なわけだけど。

「さ、早く」

「はぁ……あーぁ! なんか吹っ切れた! うん。やっぱり俺、お前のことが好きだ」



「うん、私も。好きだよ」



「……え?」

 瞬間、アイツが俺の胸に飛び込んできた。危うく倒れるところだった。

「……ずるいぞ」

 体勢を立て直し、そっと肩に手を回す。彼女の体は思っていたよりも華奢だった。

「こうでもしないと、アンタ言ってくれないでしょ?」

 ごもっとも。俺のチキンっぷりをよくわかってる。

 しかし、いつまでもこうしているわけにはいかない。ゆっくりと引き離そうとした時だった。

「……ちょ、ちょっと待って! 待ってってば!」

 幼馴染みが急に喚いた。

 しかし時すでに遅し。俺の方から身を退いて離れてしまった。

 不思議に思ってアイツの顔を覗き込んで、理解した。

 俺は夕陽色に光る涙を指ですくってやった。

「泣くなよ……柄でもない」

「ぅ……うるさい……」

 そう言いつつも幼馴染みの涙は止まらない。俺は耐えかねて、もう一度きつく抱き寄せた。

 腕の中で、アイツは遂に声を上げて泣き出してしまった。


 夕陽を飲み込んでいく地平線。ナポリが彼女のことを待っている。



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