二章:少女の傷、青年の音
変な女。
いや、正確には少女…つーか、ガキ。
まあ、とにかく、見知らぬ奴が目の前にいるこの状況。
なんで俺は、見知らぬガキと喫茶店にいるんだろう。
「瀬野田、維世……仰仰しい名前ですね」
これが、さっきまで泣いていた奴の言葉か。しかも、初対面の相手に向かって…。
一体なんなんだ…意味が分からない。
いつものように、深夜のコンビニでのバイトの後、公園で練習をしていただけだ。
祖父から譲り受けた、ヴァイオリン。
俺は、祖父に聞かせるため、弾き続けている。
いつか、自分の納得できる音が弾けるようになったら、祖父の墓前で聞かせたい。
俺だけの、自分だけの音が弾けたら…。
「イセさん。人の話、きいてる?」
突然、ガキの顔がアップになった。
「あ?なんか言ったか?」
「んもー、ちゃんと聞いてて下さいよ。常識のない人だなぁ」
おい、どっちがだ。
ガキは近くにいた店員にチョコパフェをなぜか二つ注文し、やけに嬉しそうな笑顔を俺に向けた。
な、なんなんだ…?
「瀧口奏。それが私の名前。普通の女子高生です」
「それは面白い。普通の女子高生が、こんな時間にあんな場所にいるかよ。しかも、ヴァイオリン弾いてるようなちょっとイタイ男の前で泣いて…」
「イタイって自覚してるんだ」
このガキ…いちいち気に食わない。
俺の繰り出した軽いジャブなんて、まったく効いてない。近頃の若い奴は、鈍くて困る。
「あ、パフェきた〜」
「二個も食うのか、太るぞ」
今度は真っ正面へストレート。
しかし…
「違いますよ、イセさんのです。引き留めたお詫びに奢ります。さあ、遠慮なくどうぞ」
「ウッ…!」
完全な敗北、完膚なき敗北。
「…分かった、俺の敗けだ。話を聞こう」
「はぁ?ん、じゃ、聴いてもらいましょうか。
イセさんの音に惚れました。だから、私に曲を提供させて下さい」
そういえば、さっき公園でも、そんなこと言ってたな。
でも、曲を提供って…簡単にそんなこと、できるのか?自称『普通の女子高生』が。
「提供って、どうするつもりだよ。パパかママにでも作ってもらうつもりか?」
俺の軽い一言で、今まで輝いていたガキの表情が一変した。
血の気が引いた真っ青な顔で、目は見開き、唇は小刻に震えている。さらに、爪で自分の手の甲を傷つけ始めた。
さすがにおかしい。カナの手を掴んで制止させた。
「やめろよ!何やってんだ、カナ!」
名前に反応したのか、カナの意識が戻ってきた。
息は荒く、額にはびっしりと汗をかいている。
カナは辺りをキョロキョロと見回し、俺を捉えた。
ホッとしたように、ゆっくりと息をはく。
「……曲は、私が作ります。イセさんのためだけに」
「アンタが?」
「はい。大丈夫、まかせて下さい。作らせてください、お願いします」
なぜか、必死だった。
自分の音を持てない俺のために、曲を作りたいと言う。
頭を下げてまで。あんな、拒否反応を示してまで。
『維世。お前はまだ、必死に何かをやったことがないだろう。だから、そんな所で停滞しているのだ』
祖父の言葉が蘇る。必死に、何かを…
「俺は…自分の音が嫌いだ。コピーなんだ、まるっきり。だから、アンタが惹かれたのは、俺の音じゃなくて…」
「瀬野田維那さん、ね」
「!?な、なんで…」
祖父の名前だった。
だが、なぜ、知っているのだろう。
祖父が現役として舞台に立っていたのは、もう30年も前だというのに…。
「なんで、爺さんの名前を…」
「業界じゃ、バイオリニスト・イナを知らない人はいません。私も生で聞いてみたかったなあ…」
「ぎょ、業界…?」
「……私の、父、プロデューサーなんです。一年前、亡くなりました…けど」
一年前に亡くなったプロデューサーって…まさか…
「瀧口、勇夫?」
「はい」
「マジで?」
「はい」
「…俺、爺さんの音以外は全部クズだと思ってた。模倣品の俺だって、もちろん敵わない。
でも、サヤの歌う音を初めて聞いたとき、俺の中の確固とした“爺さんの音”が崩れそうだった。そのくらい、惹かれた」
勇夫氏の作った曲を完璧に歌いあげるサヤ。
一瞬でハマった。抜け出せないほど、心酔しそうになった。
しかし、僅かな差ながらも爺さんの音に勝ることはなかったが。
「サヤは、もう歌わないな」
「そ、そんなことない、絶対。サヤは誰の曲でも、きちんと完璧に歌う」
やけに必死になって、俺の言葉を否定する。ファンなのだろうか。
「まあ、そうだろうな。完璧な曲も、そうでない曲も、完璧に歌える。だからこそ、歌わない。サヤ本人が拒否するだろう」
サヤの声だから勇夫氏の曲が成立し、勇夫氏の曲だからサヤの声が成立する。
恐ろしいほどの共鳴、依存。だから俺は爺さんの音をとったのかもしれない。
「サヤは…歌うべきです。父の曲になんて、こだわるべきじゃない」
「なんか、勇夫氏の曲が嫌いなように聞こえるけど…?」
「嫌い?嫌いなわけない。大好きな音です。それこそイセさんみたいに、父以外の音はクズだって言い切れるくらい。
すごい才能を持っている人なんです。私が唯一、尊敬して、いた人…」
歯切れが悪い。
今までのハツラツとした表情から一変して、さっき自分を傷付けたときのような虚ろな表情になっていく。
…もしかして、原因は父親なのか?そういえばさっきは、俺が『パパかママ』と言ったから…。
関わらない方がいい。
普通に考えたら、こんな危なげなガキに付き合わない方が賢明だ。
でも、俺は、爺さんの音を知っている、サヤと勇夫氏の近くにいた、瀧口奏の音を聴いてみたい、弾いてみたいと思った。
もしかしたら、俺だけの音を見つけられるかもしれない。
「…よし。じゃあ、作ってもらおうじゃないか」
「え、い、いいの!?」
「ああ。誰かの創作意欲を止める権利は、誰にもないからな」
「創作するだけじゃ、嫌です。イセさんに弾いてもらえなきゃ、意味ない」
真っ直ぐな言葉、真っ直ぐな瞳。
なぁ、爺さん。
必死に何かをしている人って、カナみたいなことを言うんだな。
あの時、『俺だって必死に頑張ってる』って言ったけど、全然だ。
俺も、必死にヴァイオリンを弾こう。カナと共に必死になるのも、良いかもしれない。
「もちろんだ。アンタが必死に創った曲を、俺が必死になって弾いてやる」
空の向こうから、見てるか爺さん。俺はいつか、アンタ以上の音を弾く。確信できるんだ、カナの創る音は最高だって。
「カナ」
「ん?」
「最高の音を創ろう、一緒に」
「…もちろんです」
俺たちは、ガッチリと堅く握手を交した。
カナがどんな傷を抱えているのか、俺は知らない。
けれど、音楽を語るカナはいい表情をする。
曲作りを通して、傷が癒えていけば良い。
俺の中のわだかまりも、カナの傷も、全て消しさる程の音を、一緒に創っていこう。
底抜けに明るく、底抜けに暗く!
イセくんと出会ったカナちゃん。
ちょこっと、前向きな話になってきました…多分。
(でも、この話を恋愛にカテゴリしてないという時点で、二人は恋愛しないってモロバレですね)
長々と長い話を最後まで読んでくださり、感謝感激雨霰です!