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星屑の街  作者: fuki
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人魚姫5

丸い月が雲に陰ったそんな夜中のことだった。侍女として部屋を一つ持っているオケアの寝室でイチルは妙な物音に気がついて目が覚めた。


薄い板を叩くような乾いた音がする。


「な、なんなのだ?」


ベッド代わりにしている、ゆったりとしたソファーの上で身震いをして、地面に垂れていたシーツをひっぱりあげた。


ぎょろぎょろと周囲を伺う。ソファーに隣接している簡易ベッドの中のオケアはぐっすり夢の中である。


一瞬怖くて起こしてしまおうかと思ったが、そんな気すら失われるくらいに穏やかな寝顔だったからイチルは伸ばした手を引っ込めた。



こん、こん、という乾いた音が相変わらず響く。


これがポルターガイストっていうやつなのか!と二十歳を過ぎた今でもホラー映画やお化け屋敷が大嫌いなイチルの瞳にじわりと涙が浮かんだ。

気のせいか、こんこんという音ががんがんがんと荒くなったような気すらする。


恐怖に身を縮めたそんな時だ。聞きなれた声が鼓膜を揺らしたのは。



「ようやく会えた」


疲れ切ったような、心底安堵したような、絞り出すように囁かれた掠れた声。



シーツごと抱きしめたこの腕を、この温もりをイチルは知っていた。忘れるはずがない。


『星屑の街』で音光の濁流の中で狂いそうになってた私をそこから助けてくれた彼を、どうして忘れることができるだろうか。


ぎゅっと回された腕に力が込められたが、それでも苦しくないようにと加減してくれる、そうこの腕はー



「の、あーる?」


思いのほか、小さい声になってしまって相手に伝わる前に溶けて消えてしまうんじゃないかと思ったけれど、彼は聞き零すことなく拾いあげた。


ふわっと零れるこの音は。間違いない。


「うん。そうだよイチル」


「のあ、のあーる!」


ノアールだと確信して、ぽすぽすと胸板を叩いて少し離れてもらうと、青い色の瞳とかち合った。久し振りに見るけれど、暗闇の中でもはっきり分かる晴れ渡る空の色。


ノアールだ。けど、本当に?夢をみてるの?だってノアールいままでいなかった!


緊張か安堵か不安か、自分でも分からない感情を持て余しながら舌たらずにただノアールの名前を繰り返すイチルにノアールが青い瞳を優し気に細めて手を伸ばした。



「ぁっ、ノア、ル」


震える手で、その手を両手で掴むと、もう片方の手で包みこまれる。優しくて柔らかくて温かい手。イチルの大好きなノアールの掌に、ほっとして雪のように何かが溶けた。


ぼろっと急に流れ落ちる涙にイチルは構う余裕などなかった。シーツを蹴っ飛ばしノアールの腰元にこれでもかというくらいに抱きつくことしか考えてなかったからだ。



「ゔああんっ、のあっのあーる、っひぐ、バ、バカたれっ!ふえ、っ、えぐ、ひっ」


いままでどこに居たのだとつっかえながら尋ねた瞬間、だあだあと涙を流しながら大泣きし始めたイチルにノアールはギョッと顔を強張らせたがすぐに引っ込めた。


見知らぬ世界に一人で急に放り出されたのだ、怖くて寂しくて不安で仕方がないに決まっている。

たとえ元の年齢が二十歳過ぎだろうが心細さを感じるのは誰だって同じだ。


ノアールは小さな体でしがみついてくるイチルをそっと抱き上げると、ぐしゃぐしゃになった顔をあげて不安気に手を必死に伸ばすイチルの額に一つ口付けを落とした。


ふにゃと柔らかい感触にイチルは吃驚してぱちぱちと瞬くと、淵に溜まっていた涙が落ちた。


「ごめんねイチル」


ああ、もうなのだ。吃驚して止まっていた涙が、ノアールの一言でまた寂しさと安堵を伴ってぶり返す。泣かせるんじゃないやい。


ぐっ、と眉間に皺を寄せてこらえようと四苦八苦するけど、ぽろぽろ頬を伝う涙はもうどうにもこうにもイチルの気持ち一つじゃ止められない。


「ごめんね」


落ちる涙を指で拭っていたノアールは、謝りながらソファーに座るイチルを膝の上に置いて震える小さな背中を優しく宥めるようにさする。


「ほんっとごめんイチル、もう大丈夫」


柔らかい声音に混ざる後悔の色に気がついたが、しゃくりあげる声帯は嗚咽しか零すことができないし、甘く宥めてくれるノアールが悪い。


離ればなれになってしまったのには偶然かもしれないしノアールにも、のっぴきならぬ事情があったのかもしれないと重々に承知はしていたし、咎めることなんてナンセンスだと覚悟もしていたけど、こんな風に「俺が悪かったごめん」と謝られたら糾弾することしかイチルにはできなかった。


あらそうなの、だなんて涼やかに流せる程イチルは大人ではないからだ。(こんなにも鬱憤たまってたんだ)泣き喚きながら自分の中に仕舞い込んだストレスは予想外に大きかったことに気がつくと同時に自ら責めを進んで受けてくれたノアールに盛大に甘えつつも甘えるだけじゃあ申し訳ないと思ったのもまた事実。





手足から力を抜いてノアールの胸板にもたれかかり、ちーんと鼻をかんだ。あんだけ、わんわん泣いてようやく落ち着いたときにイチルは一つのことに気がついた。


あんだけうっさかったのにオケアが起きない。ぽかぽかしたノアールの膝の上からぴょんと飛び降りてベットの中のオケアを覗き込んだが、相変らずすやすやと寝息をたてていた。


「誰?」


ほっと胸を撫で下ろしたイチルの横からノアールが同じように覗き込む。瞳に浮かぶ興味深そうな光。


オケアの寝顔を見ていいのはリオンだけ!!むむっと口を尖らせて、ノアールの腰を叩いて窓際へと押し返す。



「ちょ、なにどうしたの?」


「オケアにちかづいたらダメなのだ!ちかづいていいのはリオンだけ!」


慌しくも不思議そうに見下ろしてきたノアールに噛み付くようにそう言うと、はいはいとノアールは肩を竦めさせた。


「で、この人だれ?イチルを今まで預かっててくれた人?」


「しごとなかまなのだ」


ノアールが居なかった間、金食い虫になってた訳じゃなくてちゃんと自分の両足で立って過ごしてたんだ!と誇らし気に胸をはるイチルに「そっかー、偉いね」と撫でなでしてぼそっと彼は呟いた。


「誰だよ俺がいない間にイチル扱き使った奴」


む、と不機嫌そうなそれ。腰からイチルの手が離れる。


「なに?」


「なんでもないよ」


俺がさっき呟いたのが聞き取れなかったのか小首を傾げて見上げてくるイチルに、にこっと爽やかに笑って撫でる手に少しだけ力を入れると、まあるい瞳が閉じられてうりうりと掌に頭を擦り付けてくる。可愛い。まじ可愛い。ほんっと可愛い。なんだこの生き物。もっと撫でて!と言うようなそれに胸きゅんしている俺に気がつかないイチルが可愛い。




そんなこんなで至福の一時を過ごしていたノアールだっがイチルの目元の腫れに彼女が見てないことを良いことに眉根を潜めた。

先ほどあれだけ泣いていたのだ。仕方ないことだとは分かっていたけど、自分が『星屑の道』でミスをしたのが原因だったことは解りきっている。


「ごめんねイチル。案内人なのに俺失敗しちゃって」


俺は馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返す。だってほんと、眼の周りの赤い腫れが痛々しいんだよ。イチルにとっての初仕事が俺にとっての初失敗とか普通ないでしょ。


がっくりと肩を落としたノアールをイチルが上目遣いに見やる。

俺いま凄い情けない顔してるんだろうなあとイチルの真っ黒な瞳を見下ろすと、弱い力でずぼんを引っ張られた。


「ん?」


くいくいと引っ張る力に自然に屈んだ自分に苦笑を禁じ得ない。秘密ごとでも言うように口元に手を当てて耳朶に触れる吐息がくすぐったく思ってもノアールはじっと耳を済ませてイチルの言葉を漏らさないようにした。


小さくひそめられた声。なにを言うんだろうと耳を傾けて、次いで予想外の言葉に瞠目する。失敗をしたのは己で、イチルにはなんの非もないのに。


「わたしを、見つけてくれて、ありがとうなのだよ」


今回のことだけじゃなくて。

『星屑の街』で見つけてくれたことも。そっと囁かれたそれは、存外に柔かくあまくノアールの心にふわりと落ちて。


「ありがとう、ノアール」


恥ずかしそうに、だけども穏やかに感謝を告げられて、俺はなんだか泣きそうになった。といっても今まで泣いたことなんかないけど。


「こっちこそ、ありがとねイチル」


へにゃりとした笑みに、俺も似たような笑みを浮かべた。




あのあと侍女の仕事で疲れているオケアを起こすことはせずにノアールはそのままイチルのベッドと化しているソファーに寝転がって一夜を過ごした。


いつからかこてんと重みが腕に加わったかと思ったら泣き疲れたのかイチルはもはや夢の中だった。あーああ、涙のあと。


「『星屑』蒸しタオル」


手を出してノアールがそう呟くと手の平にほかほかな蒸しタオルが現れた。温度を確かめてイチルの顔を拭う。

起こさないように優しくやってるつもりだけど、むずかるイチルに微笑ましくなった。よし、消えたっと。涙のあとが消えたことに満足する。


「『流れ星』蒸しタオル」


呟いた瞬間、蒸しタオルの輪郭が次第にぼやけて霧のようになったかと思うとそのまま宙に溶けた。

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