人魚姫3
とまあなんだかんだで王子様の御厚意によって城勤めを許された私は海で生き倒れていた仲間のオケアの仕事を手伝うようになった。
とかいいつつもイチルはその身の小ささも合間ってオケアの摘んだ花を持ったり、頼まれるお使いくらいしかできなかった。
カートを押したくとも重たくて腕がつるし、なにしろ背が低くて前が見えない。大量のシーツを運びたくとも許容量は流石に大人の半分以下だ。
「小さいっていやだなあ」
そう言って見下ろした手は、記憶よりもずっと小さい。
イチルは星屑の街で奪われたとはいえ歴とした大人だった。
身の回りのことも己自身で事足りたし、余った手を他者に差し伸べることだってした。それなのに今となっては自分のことすらままならない。
なんでもできた自分を知っているから、今の状況がどうしてもイチルにとって歯がゆかった。
記憶と違って小さい手をぎゅ、と握り締める。
「??」
「なんでもないのだぞ」
足手まといでしょうがない自分を嘲笑しそうになったが、休憩中食堂の隅っこで隣に座っていたオケアを見上げる前に。押し殺すように、隠すようにして息を整えてから顔を上げて笑った。
覗き込んでくる青色の瞳はそれでも不安そうに翳っているのが心苦しい。こんな美人に心配をかけてはならぬのだ!
海みたいな綺麗な青色の瞳を曇らせまいと息巻いて目の前のクッキーを口に放り込む。
途端に、さくっとふわっとバターの風味が口一杯に広まってへらっと笑ったイチルにようやくオケアも心配そうな面持ちを引っ込めた。
さくさくさくさくと軽やかな音を立てながら食べるイチルと、それを微笑ましげに見つ
めるオケア。どこからともなく花畑がみえる。
二人を隠れて見ていた人々はぽわんと頬を緩ませた。
クッキーを出してくれたシェフもお玉を片手にぽわんとしている。
実は今イチルとオケアのペアは城勤めの人々の隠れたアイドルなのだ。
声が出ないがそれでも美しく心配りに事欠かず柔らかく笑うオケアに、その後ろをとたとたとついて行き、いじらしくも小さな頑張りをみせるイチルが微笑ましくて愛しかった。
子どもがいない男ですらそう思ったのだからいわんや他をやである。こうやってひっそりと、だが確実に広まった二人の話はとうとう王族の耳にも届くこととなった。
「二人ともいま大人気らしいね」
にこ、と笑ったきんきらのこの人は、イチルを拾ってくれた恩人であると同時にこの国の第二王子であるサーシャリオンである。本当はもっと長い名前だったけど忘れた。
奇しくもサーシャリオンにオケアも海で生き倒れていたところ救われたらしい。ティルトが犬猫云々とぼやいていた理由がようやくイチルは分かり「一国の王子なのに・・・」と呆れかえったが、サーシャリオンのそのお人好しさに救われたイチルは何も言えなかった。
「二人を独り占めしてしまってなんだか臣下に申し訳ないね」
悪戯気に笑って紅茶に手をつけたサーシャリオンを見てイチルは期待に満ちた目で注視する。
そうそう、オケア手製の紅茶を飲むと良い!そして褒めてあげるのだ。ぐっと手に汗握りつつそう祈る。
この度重なる御茶会は実はこの城に来てから一度や二度ではなくほぼ毎日開かれていたが、その中でイチルは気がついたことがあった。本人にも確かめた。伊達に歳は喰っていない。
「オケアが淹れてくれた紅茶はいつも美味しいね」
きらりと笑んだサーシャリオン殿下に、オケアの頬に朱が走る。そして、ちょっと俯いて恥ずかしそうに微笑む。 小さくて愛らしい花がふわっと綻ぶような笑み。
正直言おう、くらっとする。女の私でもくらっとする。美人はなにをしても特だ。だが、くらくらしてる場合ではないのだ。私はキューピットになるのだぞ。
そう、イチルが気づいたことというのはオケアの恋心というやつだった。
「おいしかろう!このまひんもオケアとわたしとシェフの三人で今日つくったのだ!」
「まひん?」
「・・・ま、まひいん」
「まひいん・・・?」
「まふいん、まひ、まひぃん。・・・うっとうしいのだ!まひんなのだぞリオン!見ればわかるだろう!!」
「うん、まひんだね」
「まひぃんを食べるがよい」
胸を張ってお皿を、ん!と差し出すイチルをサーシャリオンはまひぃんねと笑いながら手
を伸ばした。嬉しそうに破顔するイチルに思わず気が緩む。
サーシャリオンは王族であるが、対等に渡り合うイチルを気にいっていたし、物言えぬオケアもまた信頼していた。
いつからかこの茶会が常に気を張り巡らせる自分が唯一肩を下ろせれる空間になっていたのに気がついたのは最近のことだ。この空間が心地よくて普段は「王族の義務」として咎めなくてはならないイチルの言動もあっさりと流してしまうようになってしまった。
とはいえ、サーシャリオンは王族としての自分の地位など気に止めぬ性格であったのだが。
「まひん!まっひん、ま、ままふいん・・・・・・どうぞ」
未だに、「まひまふ」言うイチルに差し出された皿の上には大小さまざまなマフィンが飾られていたが、サーシャリオンは特段形が悪く歪なのを手に取る。きっとこれはこの目の前にいる幼子が作ったのだろうと思いつつ。
「これが、イチルが作ったやつかな」
その瞬間、ぱちくりと大きな濡れ烏の瞳を瞬かせたイチルにサーシャリオンは笑ってもう一つ摘み上げた。
「それでこれは、オケアだね」
「ななななんで分かるのだ!?」
かだんと椅子から立ち上がって身を乗り出すイチルにサーシャリオンはひとつ笑顔を向けてから、新たな紅茶を淹れてくれていたオケアを見上げてそうだよね、と尋ねた。
尋ねるというにはその声には確信で溢れていたが。
オケアもやはり吃驚したのか少しの停止のあとこくこくと頷いた。
イチルが誰がどのマフィンを作ったのか分かるように並べようと提案してきていたため、配置をオケアは覚えていたがそうでなければどのマフィンも同じにしか見えない筈だ。
なぜサーシャリオン殿下は分かるのだろうと小首を傾げると彼はくすりと笑うだけで教えてくれなかった。
だけど。
夜空に輝く星のように美しく零されたその笑顔だけで、オケアは泣きたくなるくらいに胸が一杯になった。教えてくれない理不尽さや理由が分からない悔しさじゃない。
(―――だって)
今は最早失った声でそっとささやく。鈴の鳴るような声と姉様たちに褒められた自分の声をなぞって。唇が柔らかく弧を描いた。
サーシャリオンの視界に入ることさえままならなかった『人魚姫』であった自分が、今こうやって彼の前に立っていられることが、気を抜いてしまえば泣いてしまいそうになるくらいに、ただただ幸せで、愛おしくて、嬉しくて。
ずっとこういう毎日が続けばよいと、一つ小さな祈りとともに柔らかい微笑みがオケアの顔に浮かんだ。
執務に戻ったサーシャリオンの背を見送ったイチルは、にやあと口角を吊り上げたままオケアを見上げると、それはもう嬉しそうな瞳を向けられた。
暖かさと愛しさの中にほんの少しの切なさの色。ああ、もう本当にあれだなあ。
むふふふ。
「こいする乙女のかおなのだ」
「っ!」
笑みを浮かべ、したり顔をしたイチルにオケアはパッと隠すように両手で顔を覆った。
うふふ、初々しい奴め、なに恥ずかしがらなくてもよいのだぞ!私が手ずから支援してやろうと笑みを深め胸を張ったが、オケアに恨まし気な眼でみられた。なぜなのだ。
さんざんからかい倒していたが途中でオケアが別の仕事に行ってしまった為にイチルはこの後はもうお役御免だ。仕方なく医務室にとぼとぼ向かっていたが途中、見覚えのある背中に飛びついた。
文字通り、飛びついた。
「う゛おっ!?」
「ティルトー!!」
「ちょ、おいこら絞めるなぐるじいィィイ!!」
「・・・おお、これはすまぬ。だがはなさんっ」
「なに悟り開いたような顔して言ってんだよ!」
勢いを緩めることなく飛びつかれたティルトは転げそうになるのを必死に踏ん張りぐるりと身体を回した。超動悸すんだけどと睨まれたが、うへへと笑ったイチルは背中にまわしていた手を放しティルトに話しかけた。
大きな皮袋のショルダーバッグを肩からかけている。普段は白い看護服を着ているのに。
「どこに行くのだ?」
「ったく。海だよ海。イチルこそ仕事はどうしたんだよ?」
申し訳なさをまるっきり出さず、けろりとしたイチルにティルトは何だか悟りを開いた気がしてショルダーバッグを掛け直し肩を竦めた。
そしてこう言うと絶対この小さな彼女も付いて来るだろうことも何となく予想もついていた。
「どうせお前も行くだろ。ほら来いよ」
「いく!」
予想どおりの元気の良い返事に苦笑を零すが気にした様子はイチルにはない。神経が図太いのかとズレだ思考に飛ぶ。が、イチル用にタオルを増やしたほうが良いだろうとの考えに至りすぐそこにある頭に手を乗せた。
「タオルとってくるからお前は先に第三庭園のとこで待っとけな」
「だ!」
「だ!ってなんだ、だ!って」
ぽすぽすと頭を撫でて軽口を叩いたあと医務室の方に走って行ったティルトの背を見送ると近くにいた人々は気がつくとぽわんと和んでいた。ぽわんぽわん。
そして言われた通りに第三庭園に足を向けたイチルの側にわらわらと侍女が集まり結局ずらずらと集団で第三庭園に向かうこととなった。
「ティルトくんもとうとうお兄ちゃんねえ」
「うふふ、兄妹みたいだったわね。」
にこにこと笑顔を浮かべる侍女から貰った飴玉をころころと口の中で転がしてイチルはきょとんと首を傾げた。
実は、ティルトとイチルのペアも城中のアイドルだったのである。
小さい頃から知っているティルトがより小さい子を甲斐甲斐しくお世話をしているのが大層ショタコ・・・、ならぬ年下の男の子に胸きゅんしてしまうお姉様方を虜にしているらしい。きゅんきゅんきゅん。と胸がなる音がした。