藤原茉莉 12裏話 黒白
ゼノ介入戦争。
アウローラ国で傭兵部隊「リベロ・レガトゥス」のによるクーデターを切っ掛けに隣のアマデウス国がアウローラ国に侵攻した戦争のことを指す。
二つの国を巻き込んだその戦争のキッカケとなったのは、「ゼノ」の存在であり、火蓋を落とす引き金をひいたのもまた「ゼノ」であった。
戦争をくぐり抜けた吟遊詩人は語り部となって、戦いの渦中で類稀なる才能を発揮した人物たちを色で表現した。
青髪のアッズッロ。
赤髪のルージュ。
緑髪のヴェルデ。
黄髪のジャッロ。
黒髪のシュバルツ。
白髪のヴァイス。
虹色の英雄と。
✳︎
気づかないように少しずつあの日泣いた記憶さえ忘れて。
堰き止めていた隙間から水が漏れてしまうように世界の記憶を一つまた一つと忘れて行きながら、心の奥に彷徨う痛みと共に生きていたあの日。
馬の嘶に複数の足音。
知った気配。思い返すのは今は最早遥か昔のこと。
『ルージュ!いい加減シュバルツにたかるのを止めろ』
『あ?気にするこたァねえじゃねえか』
『気にするなと言う方が変だろうが。戦争おっぱじめて碌に飯も回ってこないんだぞ』
『…かまいませんよヴァイス。僕は身体もルージュに比べて小さいですし余り食事をとらなくてもなんとかなります』
『ンじゃ、もーっらい』
『あ』
『なに俺の奪ってんだ!』
『シュバルツの論理に立ちゃァ、俺よりちっせーおめえもそんな飯いらねえってことだろ?』
確かにそこにはあった。
目に見えないけれど築き上げた絆は確かにそこに存在していた。
『特攻はやってやるよ』
『俺は横から奇襲だな』
『背中は任せて下さい』
少ない兵力で大勢の敵兵を倒すことができたのは、個々人の力は勿論。絆という信頼があったからこそだと、信じていたのに。
(いつから、道を違えたのだろう)
「あいつをあそこまで戻したのはお前だろ、ふざけんな。最後まで世話すんのが道理だろうが」
「僕にも色々考えがあるんです。だからそれまでは、どうか。あの子を」
「世界の嫌われ者を助けろって?冗談だろ。悪いが俺はあいつよりもお前を選ぶぞ」
近づく音。間違いなくこちらに近づいてくる。普通に暮らしていては聞くことのできない音。否、それは音ではなく凍てついた気配だ。
しかしシュバルツの身体はそこら中から漂う気配を、音として捉える。
テラ・メエリアの祝福だとジャッロの羨望の眼差しが甦る。懐かしい記憶にシュバルツはその唇に薄っすらと笑みを浮かべた。
遠いようで近い思い出。それは美しいだけではないもの。シュバルツはギルドのホールを静かに見渡してそっと息を吸った。
ゼノ介入戦争終結から数年見てきた光景がどこか異質にみえた。胸に抱くもの一つでこうも違ってみえるものなのかと一度瞳を瞬く。
カウンターにある傷と褪せた紙の色。隅にたまる埃や砂。そんな意識の外にあるものが酷く鮮やかさを孕んで、世界が輝く色に溢れ返った。眩しくて眩しくて、どうしようもなく美しく見えた。
けれど。
「テラ・メエリアにいようと僕の。…この魂はどこまで行っても『にほんじん』で在り続けます。そして、彼女もそうだ」
世界を渡っても血に宿る魂は変わらない。日本人には日本人だとその魂が告げるのだ。この感覚はゼノであり同じ人種であるもの以外分からぬものだろう。
二度と会うことはないと思ってた同胞。人々に認識されずテラ・メエリアの隅の崩れ落ちそうな所に立ちすくんでる彼女。
月を花を太陽を水を森をキラキラと表現した彼女。先に、ここを抜け出すように送り出した女の子。扉は、しまったけれど。それは終わりを指すものでなく、閉じたからこそ始まるものだとシュバルツはヴァイスにゆっくりと瞳を合わせた。
吼えようとしたヴァイスの瞳に、穏やかな微笑みを浮かべたシュヴァルツが映る。それは、三人で陽だまり降り注ぐあの柔らかい庭で抜けるような空を見上げたとき見せるような、そんな笑みで。
何者にも染まらず、何者も拒絶しない黒色が。淡く揺らいですっと凪ぐ。シュバルツは、あの日と同じ目をしていて。ああ、と意味をなさない音がヴァイスの口から零れた。
「お前は、昔からそうだ」
「そうかもしれません」
こうなったシュバルツを引き止めるのは不可能だということを共にいた時の中でヴァイスは重々承知していた。音が、大きくなる。
「昔から、一人で決めちまう」
「そんなことを言っても、あなたはいつも付き合ってくれました」
「俺はっ、それでもお前を選びたいんだ!」
「…すみませんヴァイス、けれど…ー」
言葉を続けようと息を吸った先に、くしゃりと歪められる顔に気がついていた。戦友、仲間、心友。白を纏うこの人は、酷く真っ直ぐな心根の持ち主だと知った上で、それを今、自分の為に利用した。じりじりと引っ掻くような痛みにシュバルツの胸の奥が疼いた。
「人間って考えれば考えるほど臆病になるんです。テラ・メエリアは美しかった。その目を持っていれば。だけど、僕の世界も美しかったんです。間違いなく」
音がホールに響く。
脳内で響くものじゃない、バタバタと忙しない地を蹴るリアルの音だ。その音にシュバルツは静かに耳を傾けた。
あの世界は、確かに輝いていて。彼女もあの輝きに満ちていた世界で大空を仰いで、太陽に顔を向けて生きていたのだろう。だけど、シュバルツはもう二度とあの世界に足を踏み入れることはできないと知っている。それなら、記憶に残る温もりが消える前に。
ーー揺り籠となるべきのテラ・メエリアが愛さないと言うのなら、独り、
記憶に残るあの優しい世界に、戻れるかもしれない希望があるあの子と。その時が来るまでーー
「もしも。…もしも剣を取らざるを得なくなってしまったら」
ぎぃと軋む音を立てて開かれそうになった大扉にシュバルツはヴァイスを振り返り、過去をなぞるように笑った。
「背中は任せて下さい」
離れゆくヴァイスの気配に、馬が嘶く。どうも、僕の人生っていうのは難儀で、上手くいかないことばっかだったですけど。
恨んでいましたよ。もちろん、この世界を。だけど、ここで時間を経る度、大事なものが増えてしまって。
先駆者は言っていた。十字架の像を握って。テラ・メエリアは愛するものを、引き込むのだと。
「さあ、テラ・メエリア。今からそれを、証明してみせてください」
あなたが捨てた彼女を、ただただ愛そうとした僕を、あなたは世界から追い出しますか?
(二人ぼっちになりましょう)