存在認識され辛いトラベラー女の話12
白い馬と橙の馬が並走して夜道を駆ける。馬たちは一度ぴくりと鼻を蠢かせたけれど。大人しく駆けた。
「こっちの道の方が安全っす」
「わかった」
あんなにも、大立ち回りをしたあとなのに白い人の服にあまり赤い染みはない。
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駆けた先にあった街外れの建物の裏口の戸を叩くと中から桃色の人が目をこすりながら出迎えた。けれど、鉄の臭いと染まった服の有様に小さな叫び声をあげて。震え上がったその姿に、わたしは自分を見下ろした。赤い色が服に染み込んでいる、ただそれだけ。そんなにも怯える必要はあるのだろうか。よく、わからない。
「っとりあえず怪我はないわね?お風呂に入ってらっしゃい。全くもう明日帰ってくる予定じゃなかったの?夜中に何かと思ったわよ」
ぶつぶつと文句を橙の人にむける桃色の人に問答無用で風呂場へ押し込まれて、それからベッドにしずみこまされた。きょとんと転がったわたしに白い人が「明日説明するから、今日はもう寝とけ」と、わたしの瞼をその手で覆ったから。わたしは、瞳を閉じた。
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赤い海。そこにわたしが、独り立ち尽くす。どこかの、屋敷だ。よくわからなくて一歩踏み出すと赤い水溜りが静かに波を打った。じっと赤を眺めて。眺めて、ながめて。
興味はない、もう遅い。
わたしは、その赤が示すものを、知っていた気がした。
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朝、目が覚めて。ベッドの中で暫くぼうっとしてた。(変な夢を、見た)日差しが寝起きの目には酷く眩しくて手で眼を覆う。最近、色んなことが周りで起きていて、それについていくのが大変だった。
からからからと脳みそがミキサーで掻き回されてるみたい。気だるさと吐き気。カーテンから差し込む陽射しがまろやかに部屋を照らして。熱い。少し空いた窓から、風が頬を撫ぜる。寒い。唾を、飲み込む。からから渇く。
わたしを置いて進む遠い世界のことだったのに。最近は殊更、外部からもたされる情報量に頭の処理能力が追いつかない。空っぽだと思っていた両手の中は実は色んなものにあふれていて。それが溢れてあふれて、水のように消えてしまいそうになるのが、怖かった。
うっすらと開いた目で天井を見上げると、ランプがぶら下がっていた。赤黒白そんな単純な色で最早顕せない、色んないろの絵の具をぶちまけた世界。次第にランプがぼやけて。身体中から流れる汗が、止まらない。
(あたまが、われる)
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様子を見に来た桃の人に額を触られたことは覚えてる。けど、それ以降のこと覚えてない。おぼえる気すらなかったのかもしれないけれど。
わたしがいた所はどうやら教会の奥にあるプライベートスペースだったらしい。教会の中なら出歩いても良いと桃の人に聞いたから、わたしは未だ重い体を引きずって、身廊の奥、見上げる。両端にいくつか木目の祭壇。その上には燃え尽きた蝋燭がひっそりととけていて。がらんどうとしたその空間で遥か上にあるその白い像は、わたしを静かに見下ろす。ステンドグラスが淡く輝いて、わたしはそこに座り込んでただ見上げた。静かな空間に、微笑む像。自分の息遣いが反響してるような錯覚さえ、した。なんで、この像は微笑んでるのだろう。見上げる人々に、分け隔てなく向けられる白い像の笑み。白々しい、そう言いそうになったとき。
「あれ、もう起きて大丈夫なんすか?」
ふいに静寂を破った声にちらりと視線をずらすと、右手奥の古びた扉から橙の人。目があったけど視線を外した。気味が悪かった。橙の人が、わたしを認識している事実が。あの日からだ。窓のない部屋を追い出されてから。(ずっと頭が痛くて)
「んー、なんていうか周りなんでどうでもいいって思ってる顔っすね」
覗き込んできた橙色の瞳にそう言われてわたしはそうなんだろう、と思った。独りは、嫌。死ぬのはイヤ。嫌々ばかり。だけど、テラ・メエリアがわたしを見て見ぬ振りをするなら、わたしだって、同じことを仕返してもいいとは思わない?
座り込む地面が、冷たくて。ふわりとかけられる金色のローブ。橙の人が纏っていたそれは酷く暖かくて。体が存外、冷えていたことを知った。
「病み上がりなんすからダメっすよそんな薄着でいたら」
にかりと笑う橙の人。わたしは像を見上げたまま、こくん、と頷いてみせたら。きょとん、目を瞬かせて。橙の人は、わたしの横によっこいしょと座り込んだ。
空気が震えて。鼓膜を通ってわたしの細胞を揺らすのは透き通った声。見上げたまま相槌も返さないわたしに、橙の人は喋り続けた。
テラ・メエリアでは死んだら、それまでの記憶を刻んだ魂がまた別の依り代を見つけて転生するらしい。話を聞き流していたけど、途中で実は橙の人が神父なのだと知った。わたしの目の前で赤を散らしていたのに神父なのだ。そう、テラ・メエリアに、仕える神父。
「まー、まだまだひよっこなんすけどね」
そういって橙の人は、見下ろす白い像を仰いで笑った。
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地下室に篭る。白い人が言った。
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暗くてじめついた石で覆われた地下室で時間をぼんやりと過ごす。ひやりと冷たい風が吹くけれど事前に桃の人が準備していたらしい毛布を羽織るとだいぶ寒さが和らぐ。時折聞こえる何か硬いものを叩く音は桃の人と橙の人からの合図だと白い人が言っていた。
毛布にくるまりながら、カップに口をつけたわたしに、ランプの灯火を光源に読んでいた本を閉じて白い人がじい、と見てきた。本で暇を潰すのをやめたらしい。だからわたしもコップの淵に唇をつけたまま見返す。
薄暗い灰色を帯びる石造りの地下室をランプの灯火が照らして。くすんだ毛布を茶色の硬いベッドへ放る彼。
ちらりちらりと舞いあがる埃が見える。ひやりとした。喉に通した冷え切った茶色いココアの甘い味が舌にこびりついていて。カップを支える指先が、震える。伸びた白い髪がまろやかに柔らかな赤を帯びて。さらりと肩口を擽る。月の下、銀に輝くその髪。彼の鋭い瞳に浮かんだその色にわたしは身を固めた。
見たことがある。この色を。
「お前さ、なんも聞かないよな」
赤い海。そこにわたしが、独り立ち尽くす。どこかの、屋敷。一歩踏み出すと赤い水溜りが静かに波を打った。じっと赤を眺めて。眺めて、ながめて。振り返った先にいた、赤い目。
冷たいものを、浮かべたその眼で、彼は告げた。
ーおいおい、飽きさせんなっつったよなァ?
「つうか、普通急に逃げろとか言われてなんでか気にならねえのか?生きる覚悟決めろとか俺も偉そうなこと言ったけどな、今のお前はまるで」
ー今のてめえは
(ただ生きているマリオネットだ)