案内人との関係について1
ぱたぱたと短い足で廊下を走り、ようやく辿り着いた部屋の前で柔らかでぷにぷにした手を伸ばす。紅葉の手とはまさしくこのような手なのだろうと思いつつも必死にドアノブに伸ばすが掠ることさえもできなくてム、と口をへの字に結んだ。こうなったら。
「・・・よし!」
ぐ、と気合いを入れてドアノブを睨み上げつつ背伸びをした。が、それでも届かなかった。小さい足がぷるぷるさせて諦め悪く必死に扉に手をついて背伸びをしたりぴょんぴょん飛び跳ねたりしたが遙か遠くにある回転式のドアノブは微動だにしなかった。
それでも諦めず幼子が必死になっている姿はそりゃあ微笑ましい光景だろうよと私の後ろを通りながら笑った他の案内人やトラベラーたちに内心舌打ちしつつ振り返って「べーっ!」と舌を突き出すがそれすらも微笑ましいのか飴を押しつけられた。最初は投げつけ返すぞと息巻いていたが、掌の美味しそうな飴に罪はない。
じいと飴を見下ろして次いでぱあっと笑った私に彼女たちは眉尻を下げて頭を撫でて颯爽と去って行った。ふむ、きっと仕事なのだろう。昼から大変なことだ。ってこんなことをしてる場合じゃなくて!ポッケに飴を突っ込んでさっきの不動の扉を小さな手でぽすぽすと叩いた。
「あーんなーいにーんーあーけーてー!・・・つかあけろ」
「はいはーい・・・、っと、おはよイチル」
「おはよじゃないよ、もうお昼だぞ」
がちゃりと扉が開いて私はすぐにその小さな扉に身を滑り込ませた。「イチル、挟まれたら危ないでしょ」と咎めてくるのは私ことイチルの案内人のノアールだ。名前はないのか、と以前聞いたら案内人だから決まった名前はないよと言われたから勝手につけた。
よいしょ、とノアールにふわっと持ち上げられた私は習慣のように咄嗟にノアールの首に腕を回してバランスを保ち肩口に頬をあててノアールを見上げる。と、ノアールはいつも眼をあわせて柔らかく笑ってくれるのだ。
抱っこされることも勿論だがノアールの破壊力がある笑顔の間近さに慣れるのには大分時間がかかったがもう慣れた。なぜいっぱしの二十歳の女がこうなったのかというのはもう説明してもしたりないくらいだ。
そんなボンキュッボンだったワンダフォーな私の姿はいま端から見て5歳くらいの子どもだ。かつての栄光はどこに、と短い手足と寸胴な身体を見下ろして泣き崩れていたらノアールが「前と別に変わらないけどね」と意地悪をいってきたのはもう昔のことだ。今思い出しても腹が立つ。私はねちっこいのだ。
ふつふつとわき上がった怒りに目の前の茶色の髪の毛を引っ張ると欠伸を漏らしていたノアールはぎょっとしてイテテテテと慌てて私の小さな手を追い払った。
ノアールの青い色の眼に涙が浮かんでる。ふふん、いいざまなのだ!とこっそりほくそ笑んだイチルを目敏いノアールが見過ごすことはなく仕返しとイチルの黒髪をぐしゃぐしゃに撫ぜ回した。
「ぐわぐわするから止めるのだノアール!」
「あはははは、細い髪だからよく絡まるねー」
首がぐにゃんぐにゃんと撫ぜる手に振り回されて眼がくるくるする。
最初は盛大に反発していたイチルを楽しんでいたノアールだったがぐったりと凭れてきた子どもに慌てて手を止めて顔を覗き込むと顔を青くしたイチルと瞳があった。
「ごめんごめん」
「うっぷ、ふざけるのも良いかげんにしろこのヤロー。お昼ごはんを食べたあとだったらあやうくリバースするところだったぞ」
「そっか、うん。心からリバースしてくれなくてよかった」
「しね」
「ふげっ」
俺の服汚れちゃうからと爽やかな笑みを浮かべたノアールの顎下に頭突きを食らわせ、ばたばたと足をばたつかせ離せアピールをするとパッと離された手のおかげで地面に足をつけれたイチルは腕をくんでぷいとそっぽを向いた。
一瞬『ヤバイ!』と思ったが今のは別に私は悪くない。だけど、やっぱりちょっと不安で顎を押さえて唸ってるノアールをちらりと見上げた。彼は私の恩人なのにと。だけどそれでもわざわざノアールのためにここまで来たのに。小さな手を握ってそっぽを向いたまま口を開いた。
「お、おこられても今のはわたしはわるくないもん!」
ぺいっと戦きつつ吐き出すとノアールはようやく顎から手を放し私と同じ視線になるようにしゃがみ込んだ。けれどそっぽを向き続けるイチルとノアールの視線は交錯しない。
理由もなく一つ零した嘆息に小さくイチルが震えたのに気がついたノアールは仕方ないというように苦笑いを浮かべてそっと、ぼさついた黒髪に手を伸ばし撫でつけると、頑なにそっぽを向いていた視線がそろそろと下に向けられて次いで懲りたように交錯した。すぐさまノアールは優しく笑ってみせる。
「今のは俺が全面的に悪かったし怒ってないから大丈夫。それよりもう昼ならさっさと食べに行こうよ、ね?」
お昼もすっぽかさないように、わざわざ俺をお越しに来てくれたんでしょ?
続けたノアールにイチルがその通りなのだと、こくんと頷くとノアールは柔らかく笑った。その青の瞳に怒りの色はない。私はほっと安堵の息をついた。
試しにこのねぼすけさんめと嫌味を言ってみたが、ノアールは気にもとめない様子でそうだねとやっぱり笑ったまま頷いて立ち上がった。影が翳る。でも、この影は怖くない。だって、
「食いっぱぐれないようにしなきゃね、ほら行くよイチル」
「うん!」
星屑の街で差し出された掌がまたイチルに伸びたから。
思わず破顔してその温かい掌を握りかえしした。星屑の街で独りでいた私を攫ってくれたこの温かい掌がどうしたって大好きでしょうがないのだ。掌から伝わる温もりにふにゃりと頬を緩めると足が地面を離れて。ぎゅうっと抱きしめられた。
「ノアールわたしべつにつかれてないから歩いていけるよ?」
「俺が抱っこしたくなっただけ。だからイチルさんは大人しく運ばれてくださーい。分かったかなー?」
「はーいせんせー!」
一瞬、きょとんとしてしまった私を覗き込んだノアールの瞳が悪戯っ子のように煌めいていて。私も元気の良い声で返事をして、そしてまた二人で弾かれるようにけらけらと笑って廊下に出た。
心地よい揺れと、服を伝わる温かさ。そしてほのぼのとした雰囲気のままイチルとノアールは食堂へ向かっていった。
案内人とトラベラーの一日、朝から昼までをご説明致しました。