存在認識され辛いトラベラー女の話4
人々が寝静まっているだろう漆黒の中、ベッドの上でぼうっとしていたわたしを黒い人は連れ出した。
暗い中に浮かぶ丸いものがあたりを照らしている。白い人はこの丸いのが嫌いだと言っていた。見つかりやすくなるから。
満月なんです。
ふうん。
太陽もいいんですけど、柔らかい月も好きです。
ふうん。
皮膚をじりじり焼いたあれを太陽だと知った。
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依頼で数日留守にしますと頭を撫でて出て行ってから黒い人をみなくなった。
だから庭へ行った。何人かとすれ違ったけどおばさんは何も言わずにそのまま横を通っていった。
ずっと続いていた皮膚を焼く痛みが消えて、蜜柑色の花が萎びて落ちた。太陽が消えて月が出た。
隣に黒い人はいなかった。
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なんどか同じことを繰り返していたらガタンと蝶番がぶつかる大きな音がした。扉をぶちあけて白い人が大股で近寄ってきて手を伸ばした。
から、触れた。
お前昨日部屋にいなかっただろう。
こくり。
勝手に出ていくな、ここにいろ。わかったな。
それだけいうと白い人は出て行った。
膝を抱えてぐるり。窓のない部屋。はなもない。太陽もない。月もない。少し残念に思ったけれど、わたしはこくりと頷いた。
外は、どうでしたか。
いまならなにか言えただろうか。
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白い人が言う。出ろ。
だから出て、わたしは知らない外を歩いた。庭をみつけた。はながあった。
人間じゃない生き物が唸る。ぴしゃりと赤が飛んだ。避けた。
倒れ伏した生き物を見て甲高い声をあげた女。生き物の横に立つわたしには気づかない。
だから、刺した。
そしてまた歩み寄ってきた別の女を刺した。
目を覚ましかけた屋敷はまた、微睡みの中へと沈んだ。
白い人が言った。
もどっぞ。
こくんと頷いた。
上を見たら丸かった月が欠けていた。柔らかな、光がみえた。
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黒い人が来た。懐かしく思った。
黒い人はわたしを視て庭へ行こうと手を引いた。白い人が言った。勝手にでてくなと。
そういうと、きょとんと眼を瞬かせてから黒い人は笑った。
僕がいるので大丈夫です。
じい、と手をを眺めるわたしを黒い人もじい、と眺めて。
庭?
はい。
黒い人と庭。こくりと頷いた。
隣に黒い人が座った。紫色の花が咲いていた。太陽は今日も皮膚を焼く。ひりひり。
ゆらゆらと葉っぱが揺れて光が踊る。踊るだけならいいものを時折跳ね返ってわたしの眼に飛びかかる。
黒い人が笑った。
眩しいですね
うん
ここも、外です
うん
少しずつ、いきましょう
ふうん
おざなりに返事をして膝に顔をうずめると、くしゃりと頭を撫でられた。
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黒い人が庭の手入れをしているのをぼうっと見ていると背中に衝撃が走って反射的に階段の手すりを掴んだ。
お前いたのかよ。
知った声に振り返ると、白い人が怪訝そうな顔でわたしを見下ろしていた。
黒い人はこちらに背を向けていて気づいてないようだったから白い人をのろりと見上げた。
はい。
ぼそり。答えると一瞬目を見開いてから、ふんっと鼻で笑う白い人。なぜ笑われたのかわからない。
そうして頭に手を乗せたかと思うと乱暴に掻き回してきた。頭が揺れて、視界のフレームいっぱいを髪の毛が占拠。
細くて黒い髪のカーテン越しに黒い人が笑っていた。止まった手に少し振り返ってみると白い人もわたしを見て笑っていた。よく、わからない。陽だまりが降り注ぐ庭で、二人とも笑っていた。
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それから白い人も庭へよく来るようになった。水が降り注いでいた日は雨といったのを教わった。晴れ、曇り、雨、花、朝日、暮れ、月、太陽、おやつを知った。
白い人が言った。生きる術を教える
黒い人が言った。言葉を教えます
月が満ちて、欠けて、満ちてを繰り返すたびわたしは外を教わった。
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ほれ食え。
むにりと閉じた唇にぐりぐりと変なものが押し付けられる。白い人を見上げたけれど、きらりとした光が瞳に迸っただけで。よくわからないから、口を開くとそれは歯列を割り舌を押し付け口内を侵した。
むぐっ、と喉の奥にあたって胃がじくりと疼いた。震える喉になにかがあたる。きもちわるい。
吐瀉感にかすかに震えると押してくる力が弱まった。ひき抜いた。そこでようやくなんだったかわかった。甘いもの。
やるよ。
うん。
ま、お前のためじゃねえけど。
棒つきキャンディをころころと口の中で転がして、二人で庭に行った。
廊下の窓から差し込む光があたって、きらきら輝く白い髪。わたしの髪は黒い人と同じ黒。きらきら。
どうしたんですかそれ。
もらった。
しばらくたつと、溶けて消えた。
黒い人が庭の手入れをしてる横で白い人が地面に寝っ転がってイビキをかく。
わたしはぼんやりと視線を彷徨わせてから意味もなく二人をみた。
黒い人が水をまく。夕暮れ時の、淡い光がとろりと混じって落ちていく。
きらきらきらきら。
輝くそこに、黒い人。
舌にこびりついていた鉄の味は、もうなかった。
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あいつが戻ってくる。
珈琲のような飲み物を啜りながら白い人が言った。ぱちん、ぱちんとした音が止む。わたしは机に向かい合って紙に知らなかった文字を書き進める。左手に添えられていた手が外された。
「彼ですか」
「ああ」
「そうですか」
ぱちん、と音がした。
部屋に、草のにおい。枝を挿す。花がある。窓のない部屋に庭のにおい。きらきら。
「そうですか」
黒い人はもう一度そう言った。
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部屋に飾った花が萎びれた。抜いて捨てた。部屋を見渡した。黒い人も白い人も来なかった。きらきらがなかった。
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行くぞ、と白い人について行った。暗かった。空を見たら月はなかった。だけど、白い人はそばにいる。きらきらしてる。ねえ、きらきらは、
「なに?」
「は?」
白い人の服に赤が跳ねた。じわり、と服に染み込んでいく。白い人はそこを摘まんだけど次の瞬間には背後にいたのを切った。
べちゃりとかかる赤。白い人の髪が赤くなる。汚い。
けど、それでも、きらきらしたままなの。
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白い人は言った。それは輝きだと。
「…輝き、なに?」
変に舌を巻くここの言語に四苦八苦して黒い人に聞いた。花を切る手を止めて黒い人はわたしを振り返った。
きょとんと瞬いて、上を見て下をみて、また上を見てわたしをみる。よく、わからなかった。
「輝き、なに?」
もう一度繰り返すと黒い人はゆっくり笑んだ。小さな花壇に鋏を置いて摘んだ花を籠にいれる。そうしてわたしの顔を覗き込み頬に両手を添えてほんの少しわたしの顔を挙げさせた。
綺麗だと思うもの、好きだと思うもの。美しいと思うもの。木漏れ日降り注ぐ暖かな庭で、黒い瞳が柔らかく細まって。
黒い人は言った。『あなたが忘れてしまったもの』だと。
それは呆気ないほどすとん、と腑に落ちた。
だって、そうだ。
わたしはかつて、それらを喰わせたのだから。