存在認識され辛いトラベラー女の話1
シャロンから渡された一冊の本を、胸にだいてパタパタと廊下を走る。その後ろをのんびりとついて来ているのはノアールだ。
こちらは短い足をちまちまと動かしているというのに、すぐに追いつかれてしまう。むむむ。
だが今はそれよりもこの本なのだ!とノアールを背後に一緒に過ごしてる部屋に急いで戻る。平凡なクリーム色の扉。
「早くかぎをあけてほしいのだぞ」
ぴょんぴょんと扉の前でノアールを急かすと、ぽん、と頭を撫でられて
から、空いた扉に飛び込む。
「楽しそうだね」
笑いを含む声音に大きく頷いてから真ん中に置いてある柔らかいソファーにいそいそと登り、ぺしぺしと隣を叩く。ここが定位置なのだぞ。
「だってよしゅうしたほうが、良いのだ」
「予習ねえ?ま、いいけど」
上着を脱いだノアールの手元に古びた香りのする本を渡してニッコリ笑うと、「にゅ?」ノアールの手が伸びる。脇の下を通って持ち上げられると、そこは彼の膝の上だ。
まあ、文句はない。暖かいし。抱きしめられてる感じで安心するのだ。
「じゃあ、読もうか」
「だ!」
ノアールのお腹を背もたれに。閉じられた本を開き手を翳すと、光が浮かび上がって、誰かの知られざる物語が息を吹き返した。
「存在認識され辛いトラベラー女の話1」
忘れてしまったんですね。
黒い人はそう言った。
ここにきてから覚えているのは驚愕と混乱、痛みと餓え。
ここにきてから覚えたのは感情を喰らう理性と切る感触。
そして、たくさんのことを忘れた。