案内人たちの過去
ネタバレ大。読んでも読まなくても本編には影響はありません。
『ここは、「神の坐す街」だったのよ』
外へ繋がる扉の前に立った俺の背に向けて神官が言葉を投げかけてきたけど、俺にとっちゃどうでもいいことだった。そういえばあれは何代目だったかな。
もぞりと腕の中で動く気配がして視線を降ろすと、イチルがすやすやと眠っていた。口を少しだけ開いてもにゃもにゃと小さな唇を動かす様子に自然に笑みが浮かんで、ずり落ちないようにと抱きしめ直して俺は壁をぼんやりと眺めた。
腕の中の小さな柔らかい温もりにつられるようにして、瞼が下りる。
真っ暗な目蓋の裏に蘇るのは、ずっと昔のこと。俺が、『案内人』にも『ノアール』にもなる前の。
――ぱしゃりと音がして、星が昊を流れる。
「『星屑の街――、一刀両断』」
大きな光輝く大きな川は相変わらずで。果てしない闇空も相変わらずだった。
黄の光、赤の光、緑の光が気儘に混ざり合ってシャボン玉のように滑らかに溶け合っては色鮮やかに尾を引いて光芒を描いていき、光輝な川の中、金の魚が悠然と水紋を揺らし俺の足下を抜けていった。
どこまでも深い深い光の淵。
闇は底なく、光も底ない。ただそこに広がるのは。深淵なる光と闇。
「―死ねぇええええ!!」
「・・・これで何人目?」
遠くに見えるのはなんだろうか。光の雫がぽつぽつと落ちて、俺は昊を見上げた。魚を誘う篝火。精霊に備える灯火。光雨。どこかで音色が聞こえる。ひたひたと。突如手に現れた刀身が霧のように消える。
(嗤う匂う泣く蔑む瞑る笑む啜る嬉し惑う祈る包む怒り紡ぐ啼く誇し唄う叫ぶ快く、ひどい、濁音。)
見上げたさきの『敵』の向こう側、捻れた朱い月に鳳凰が嗤った。ガラクタばかりの宝箱が如く不思議な世界。チクタクと時計を持った兎が忙しそうに横切って、足下を泳ぐ蛙がぷくぷくと泡を吐き出した。いまだにふる雫の向こう。歪んだ浮船に降り立った三叉鴉が光を啜り、黒猫がはんなりと舞う蝶を追って光の川を駆けた。
ふりつづく光の雫がぽつぽつぼつりと。
「てめえ何ぼさっとしてやがンだ!」
――降り注ぐ光のまにまに。玉響に、音が絶えて。
殴り倒された『敵』が消えた。昊にまた、一つ流れ星。
「・・・うっさいな。手を勝手に出さないでよ」
「ンだとオラ!てめえがヤられそうになってんのが悪いんだろうがよ!!」
流れ星から視線を外して煩そうにそう言うと紺色のスウェットを着たヤンキーがこっちに近づいてきる。眉がないことと眩しい煌々とした金髪がこいつの特徴だった。
こいつを指す記号は知らない。知らないというよりもその時の俺たちはそれに対して必要性というのが分からなかったし、興味も執着もなかったっていうのが正しい。
もう一度昊を見上げた俺に続くように、眉なしも昊を見上げた。たくさんの流れ星が群れをなして消えていく。ち、と横で舌打つ音を耳が拾い上げた。
「機嫌悪そうじゃん」
「また一人こっち側の連中が死んだンだよめんどくせー」
「弱いくせに出しゃばるからでしょ自業自得だね。で?君がこっちに来た理由は?」
「シャロンからの作戦変更の指示だ。こっちからぶっ殺しに行くってな」
「へえ?・・・あ、『星屑の街――、切り裂く』」
俺がそう呟くと眉無しの背後で『敵』がばらばらになって光の川へ崩れ落ちて、ぼちゃぼちゃと水が跳ねる。
美しく見えてもそれは全ての終わり、絶えた望み、諦めの雫。ここは、そんなモノの辿り着く終着点。ごみのように打ち捨てられたモノがただ鈍く光る『星屑の街』。
『「神の坐す街」を覆う「星屑」の元を一掃していらっしゃいな』
――あのシャロンは『神の坐す街』を元に戻そうと躍起になってたけど、俺はやっぱりどうでも良かった。
流れ星が一つ流れるのを見ることも無く『星屑の街』を通り抜けた先にある異世界への道へ足を踏み入れるとぐにゃりと空間が捻れて俺は瞳を閉じて、開いた。
冷たい風が吹く荒野の頂。喧噪の中、二つの色の旗がはためく。
剣戟と爆音、慟哭、怒号。走り回る者と逃げ惑う者。ここは、戦場―。
振り上げられた戟が届く前に掌から滑り落ち、地に伏せる。
たくさんの人間が彼方此方に倒れてもう動かない。
空から降り注ぐのは鋭い鏃の切先で。敵も味方もなく双方の頭上を駆け抜け、身体へと傷をつけ命を奪う。
たくさんの人間が生きる為に転がる人間を踏みしめて槍を握る。
そして、そして―――
風にのって届いた錆と鼻をつく臭気と音に眉根に皺を寄せる。
ノアールはその音を知っていたからだ。その音を聞いたことがあったから。
そしてこれからまさに、その淀む濁音を汚染し穢し響かせることをノアールは分かっていた。
――嗤い匂い泣き蔑み瞑り笑み啜り嬉しく惑い祈り包み怒る紡ぐ啼く誇しき唄う叫ぶ、快く、ひどい、濁音を―
シャロンは聞いたことがあるのだろうか。鳴り響く音に。耳を傾けたことはあるのだろうか。彼らの奏でる感情に。
『星屑』をうみだす人間をいくら殺したって、一人の人間を殺した結果に生まれる沢山の『星屑』たちが『神の坐す街』を覆いつかさんとするのに、シャロンは気がつかないのだろうか。
それとも、『星屑の街』に一番近い俺だからこそ気がつくのだろうか。
「・・・あンの雌豚また戦場かよ!」
ぼんやりと命のやりとりを眼下で繰り広げる様子を眺めて、苛ついた様子でシャロンに暴言を吐く眉無しに俺はちょっと笑った。
この隣の男も馬鹿なくせにこの矛盾に野生の勘というやつで気がついてるんだろう。そして、きっと、それを本人に指摘する気もないのだろう。
それを俺は責めることはしない。だって俺にとってどうでも良かったことだったから。・・・いや、違うな。
今となってようやく言えるようになったけど、あの当時はそう思わなきゃあんなにも簡単に『星屑の街』の力を振るうことができなかったんだ。
「『星屑の街――、消滅』」
(本当は、殺したくなんか、なかったのに――)
その日の『星屑の街』の昊には眩いばかりの流星群が駆け抜けたと、満足そうにシャロンに告げられた。
――そして、いつのまにかあのシャロンが消えて、新しいシャロンが現れた。
透き通るような肌と、白い髪。そして一見すると毒々しいまでの赤瞳を持つ、今のシャロンが。
「『星屑の街』に現れた人間を『トラベラー』として保護する。見つけ次第『案内人』として此処へ連れてこい」
その言葉に酷く驚愕したのを今でも忘れることはない。今までの常識を根本から引っ繰り返すものだったからだ。人間を見たら『神の坐す街』を取り戻すために粛清するのが通例だったのに。
呆然とした俺たちを会議室に置き去りにして身を翻した麗人を俺は慌てて追いかけた。
――殺しておしまいなさい。それが『神の坐す街』、神をお救いする唯一ですわ――
――殺す必要はない。それは『星屑の街』にとって合理的ではない――
同じ神官のくせに。言ってることあべこべ過ぎるでしょ!?
(じゃあ、今までのはなんだったわけ――)
そう思った瞬間、ぶわりと全身から怒りが沸き上がって無機質な石造りの廊下を行くシャロンに俺は狂ったように叫んだ。
「ちょっと待てよ!殺せ殺せと言われて今度は殺すなって?ふざけるなよ!!!じゃあ今までのは何だったんだ!?今までなんの為に俺は人間を殺してきた!?俺はこれからどうやって生きれば良いんだよっ!!」
(殺すことが正義だと思い込まされていたからこそ、見て見ぬふりができたのに。)
足を止めたシャロンに俺は直ぐに駆け寄り力任せに肩を掴んだ。存外に細い肩に怯える必要もないのに、掴む手は震えてどうしようもなかった。毒々しいまでの赤に溶けるようにして澄んだ瞳が静かに苦々しい顔をしているだろう俺を射抜き、そしてふっと注意深く見ねば分からぬ位に、薄い笑みを浮かべて。
「悩みは忘れ去れ。目の前は困難だらけだ。振り返って過ぎ去った困難まで顧みる必要はない」
「かつてあったものであれ、まだ見ぬ先に想うものであれ、今を生きる上では障害になる」
「過去に生きるな、未来を夢見るな、・・・今を生きろ」
(そうそう、そうだった。)
体中を雁字搦めに絡みつく人間を殺した呵責に、泣き出しそうになった俺にシャロンは――
「『――そうしたら案外なんとかなるもんさ』」
「なにがなんとかなるのだ?」
「うわああッ!!」
ぱちんと意識が甦って瞳を見開くとイチルのドアップが現れてノアールは思わずソファーから滑り落ちそうになった。腕の中で見上げていたイチルは慌ててノアールにしがみついて衝撃を和らげようとしたが、結局ソファーからノアールは滑り落ちて尻餅をついた。
「ッてー」
「ノアールだいじょうぶ!?」
「ん、大丈夫。イチルは大丈夫?」
「だいじょうぶなのだ!」
自分は大丈夫!と元気に返答してくれるがそれでも心配そうに膝の上から見上げてくるイチルにノアールはへらっと笑ってみせる。するとほっとしたように胸をなで下ろし、へにゃりと笑みを向けてくれるイチルの頭上を一撫でして、はたりと首を傾けた。
「俺まさか寝ちゃってた?」
「うむ。わたしがおきたときは、ねてたのだぞ」
「うっわー、本当?だからかなあ・・・、何か懐かしい夢みてた気がするんだよね」
「ゆめ?」
「うん。まあ忘れちゃったんだけど」
「あ!」
「ん?」
「ノアールそういえばねごとで、『あんがい、なんとかなるもんさ』って言ってたのだ!」
胸をはって教えてくれるイチルには悪いけど、俺寝言いってたのね・・・。なんだかそれはそれで恥ずかしいから知りたくなかったよ。とほほと肩を落としつつ、ふと時計に目をやるともう夕食の時間を回っていたのに気がついた。
昼寝をしたのが16時頃だとしても二時間以上寝こけてた自分に若干呆れて膝の上に座ってるイチルの両脇に手を入れて抱き上げた。
反射的に俺の首に腕を伸ばすイチルに笑って俺は扉を開け放った。
「夜ご飯食べにいくよー!」
「おお!夜ごはんへととつげきなのだ!」
その一言でぴょん、と腕の中から飛び降りて元気よく食堂へ走るイチルの後ろ姿を見て、にんまりと悪戯を思いついたようにノアールが笑った。
「よし、食堂まで競争だー!がおおー!!」
「きゃー!!ノアールライオンがでたー!!」
ライオンの真似をして俺がイチルを追いかけると、きゃらきゃらとした笑い声が石造りの廊下に響いて。近くの扉が乱暴に蹴破られた。そこから出てきたのは般若の顔をしたガンドックで。眉毛が無いくせに眉根に皺を寄せる。
「うっせえぞ、てめえら!聞こえンだよ少しは静かにしてろ!!!」
「ぎゃーーーー!!ヤンキーのガンドックがでたのだぁああああ!!!!」
「ほらイチル!こっちに逃げろー!!」
四方八方に散り散りに逃げるイチルとノアールをガンドックが追いかけ回す、そんな楽しげな喧噪が響いて、響いて。図らずしも彼のもとにも届いて。
「・・・ほらな、なんとかなったじゃないか」
書物が散らばる部屋の中、本へと視線を向けていたシャロンが一人、小さく微笑みを零した。