人魚姫6
「おはよ」
「おはようなのだ」
「………」
彼女は困惑気に頭を下げた。そりゃそうだろう朝っぱらからこんな爽やかな笑みを向けられたのだから。
イチルはオケアが目覚める前に部屋から取り合えずノアールを閉め出して身支度を整えたオケアに大雑把に説明をした。曰く、保護者と昨日会えて今外にいるから呼ぶねと。
「えと、俺なんか警戒されてる?」
「オケアは声が出ないのだ」
オケアの反応に困って助けの眼を向けてきたノアールに説明をすると納得がいったのか頷かれた。オケアも愛らしい顔を傾けてすぐさまこくこくと同意するように頷く。
「この人がわたしのほごしゃなのだぞオケア。ノアールなのだ」
「俺はノアール、今までイチルの面倒みてくれてありがと。心配だったんだけど元気そうでほんと助かったよ」
「(ふるふる)」
ノアールの言葉にとんでもないと首をふったかと思うと、オケアが私の前にしゃがみ込んで視線がかみあった。
海みたいな、色。ふわりと浮かんだ笑みと頭に添えられた優しい手の平。
「ありがとうオケア」
良かったね、と言外に示す彼女にイチルは感謝の意を告げた。 へにゃりと笑うとオケアもふんわりと優しく笑う。
そんな様子をノアールは一見微笑ましく見守っているように孤を描いて唇を閉じていたが、その空色の双眼は隙なくオケアを観察していた。
声が出ず、侍女をし。さらに昨日イチルが口走ったリオンという人物ー王子に目をかけられた女。
かちりと、ノアールの頭の隅にあった情報と目の前の彼女が合致した。
ノアールと合流しても、わたしはわたしの仕事があるし、オケアもオケアの仕事があったため、ノアールには取り敢えず部屋に待機しているように言った。
お花を摘んだり、伝言を伝えたりとちょろちょろ動き回ったお昼、ようやくお昼ご飯にありつけたわたしは、ノアールのご飯に考えが至り背景に雷がピシャーンと落ちた。
朝も食べてないし、もしかすると昨日もロクなものを食べていないのかもしれないのだ…!
からん、と手に持ってたスプーンを落とすと向かいに座っていたメイドさんが小首を傾げてきたが、返事をする余裕なんてないのだ。ノアールが腹ペコで死んだらどうしよう!
バッと残っている自分の昼食を見下ろすともはや皿の上は空っぽ。むしろ、皿についた汁を舐めるしか他ない状況だった。
美味しいデザートも食べてしまったし、残るのはポッケにある飴玉しかない。よし、これをやろう。カロリーくらいとれる、はずだ!
うんうん、と頷いて手を合わせた時、入り口にオケアを発見した。相変わらず、白と紺のメイド服が似合う。むしろ、もっと、お姫様が着るようなドレスの方が似合うけれど。
イチルが席を立って大きく手をふると、気づいたオケアが昼食を取って寄ってきた。ふんわりとした髪がゆれる。お姫様だ…!
きれいかわいい!そう騒ぐわたしにオケアは少し恥ずかしそうにはにかんだ。もういっそのことリオンとくっつけばいい。いいじゃん、お似合いなのだ。
それから、少しして日が沈んで、城に噂が駆け巡った。
海に溺れたサーシャリオン殿下をお救い下さった姫君が現れ。
王の勅令で二人の間に婚約が結ばれた、と。
その噂を耳にした時、一番にイチルはサーシャリオンのもとへと突撃した。ノアールのことも報告しなければならなかったし、何より噂について聞きたかったからだ。
イチルは、オケアを応援していたが、サーシャリオンから海が荒れたあの日に彼女が助けてくれたんだ。僕も婚約に異議はない。と困ったように言われては二の句を告げることは躊躇われた。
その日イチルはオケアと顔を合わせずらく、仕事が終わると一目散にノアールに貸し与えられた部屋に潜り込んだ。オケアには言ってない。でも、だって、これは失恋だ。それに、婚約式をすぐにあげるだなんて!
淡い恋を告げることもなく終わることを強制されたその気持ちは何処へいくのだ。
一人寂しく行く当てもなかったわたしを、オケアは、自分の部屋に泊めてくれ尚且つ生きる術を与えてくれた。彼女がいたから、ノアールがいなかったときも挫けずにやれてこれたし、暖かい場所にいられたのに。
なんて思っただろうか。どうやって、傷ついたんだろうか。それとも、案外気にしていないんだろうか。優しい海の色を持つ彼女になんて声をかければいいかイチルには全く見当がつかなかった。
「イチル?」
わたしを抱き締めて寝ていたノアールが名を呼ぶ。オケアと彼女を呼ぶその名ですら、本当の彼女の名前ではない。それすらひどく悲しく思えてきて。泣きたいのは、わたしじゃない。熱くなる瞼をギュッと閉じて寝てるふりをした。
(その日から、オケアを避けるように、なった。)