「便所掃除」と嗤われギルドを追放された概念錬金術師、氷の宰相に超ホワイト待遇でヘッドハントされる
王都の中心にそびえ立つ、豪奢な王立錬金術ギルド。
その地下三階にある、窓一つなく換気もろくにされていない薄暗い「特別処理室」。
私、レリア・アーツは、今日も作業着を謎の粘液でドロドロに汚しながら、壁にへばりついた灰色のスライム状の物体を、専用の金属ヘラでガリガリと削り落としていた。
「レリア!まだそんな泥臭くて貧乏くさい便所掃除みたいなことをやっているのか!」
カツン、カツンと無駄に足音を響かせて部屋に入ってきたのは、ギルドマスターであり私の幼馴染でもあるダリウスだった。
彼は無駄に金糸の刺繍が施された真っ赤なローブを着崩し、十本の指すべてにギラギラした魔石の指輪をはめている。そして何より、すれ違うだけで鼻が曲がりそうなくらい、安物の甘ったるい香水をこれでもかと浴びていた。
「便所掃除ではありません、ダリウス。現在、月曜の朝特有の『ギルド員三百人分の強烈な労働意欲の低下と気怠さ』を物理的に抽出・剥離しているところです。これを放置すると、ギルド内に深刻な抜け毛と、足の裏の激しい悪臭が蔓延しますから」
私が灰色のスライムをガラス瓶に詰めながら淡々と答えると、ダリウスは勝ち誇ったように鼻で笑った。
「フン! そんなチマチマした手作業はもう不要だ! この俺が、画期的な『全自動・エレガント・オーラ・ディスペンサー』を開発したからな! これを使えば、ギルド内の不快な空気など、爽やかな微風と共にすべて外へ吹き飛ばしてくれる!」
ダリウスは胸を張り、隣に侍らせた派手なドレスの新人錬金術師、エミリアの腰を抱き寄せた。
「そうですよぉ〜。レリア先輩のやってることって、ネチャネチャしててマジ不潔ですぅ。これからはダリウス様の天才的な発明で、ギルドは常にキラキラお花畑空間になりますからぁ!」
「その通りだ! 俺たちのような選ばれた天才錬金術師の完璧な職場に、お前のような泥水すするだけの凡人は目障りなんだよ。今日限りでクビだ! さっさとその汚い荷物をまとめて出て行け!」
私はヘラを持つ手を止め、静かに息を吐いた。
この男は、根本的な物理と魔法の法則をまったく理解していない。
人間の感情や疲労といった『概念』は、見えないだけで確かな質量とエネルギーを持っている。ディスペンサーで風に乗せて吹き飛ばしたところで、それは消滅するわけではない。換気口を通ってギルドの一階の大広間に蓄積し、やがて恐ろしい濃度のヘドロとなって実体化するだけだ。
私が毎日徹夜で、ギルド員たちの無能さから生じる「ストレス」「嫉帯」「疲労」を抽出し、安全な瓶に封じ込めて廃棄処理していたからこそ、このギルドはまともに機能していたというのに。
他人の誠実な労働という名のインフラにただ乗りし、その恩恵を「最初からある自分の才能」と勘違いしている典型的な搾取者。
これ以上、この男の尻拭いをしてやる義理は一ミリもなかった。
「承知いたしました」
私は作業着を脱ぎ、私物の工具箱と、いくつかのアタッシュケースを手にした。
「では、これまでの未払い残業代と、あなたが先日やらかした実験失敗の『強烈な隠蔽工作と自己弁護の念』を抽出した際の危険手当の請求書です。期日までに現金一括でお支払いください。あのスライム、信じられないほどネバネバしてて、オヤジの枕みたいな酷い匂いましたからね」
「なっ……! 負け惜しみを言うな! さっさと消えろ!」
私はダリウスが投げつけてきた小銭の入った袋をキャッチすると、未練など欠片もなく、足取りも軽くギルドを後にした。
* * *
「ああ、外の空気ってこんなに美味しかったのね。あの香水と加齢臭の混ざった悪臭から解放されるなんて最高」
王都の大通りを歩きながら、私は大きく伸びをした。
さて、失業保険の手続きにでも行こうかと思ったその時。
私の目の前に、漆黒の塗装が施された、王家専用の最高級馬車が急停車した。
「探したぞ、レリア・アーツ」
馬車の扉が開き、降りてきたのは一人の長身の男だった。
銀色の髪を隙なく撫でつけ、氷のように冷たく美しい青い瞳を持った、この国の内政を冷徹に牛耳る「氷の宰相」ギルバート閣下その人だった。
「宰相閣下? なぜ私のようなしがない概念錬金術師を?」
「錬金術ギルドの異常な生産性の高さを不審に思い、監査を入れた。結果、ダリウスという男の報告書はすべて偽造であり、実際にはお前一人がギルド全体の『負の概念』を抽出し、物理的に無力化していたことが判明した」
ギルバート閣下は、周囲の目を気にするように声を潜めた。
「お前のその類稀なる技術が、至急必要なのだ。我が宰相府の専属錬金術師として雇いたい。給料は今の五倍出す。完全週休二日制、残業代は一分単位で支給、ボーナスは年三回だ」
「五倍!? 行きます! 今すぐ馬車に乗ります!」
即答だった。労働環境の良さには絶対に抗えない。
私は馬車に乗り込み、王宮の奥深くにある宰相府の、さらに奥の厳重な防音結界が張られた閣下の私室へと案内された。
「さて、閣下。私に抽出してほしい危険な概念とはなんでしょうか。他国からの呪いですか? それとも暗殺者の殺意ですか?」
私が工具箱を開けると、ギルバート閣下は美しい顔を苦渋に歪め、部屋の隅にある厳重な金庫のダイヤルを回した。
「……これだ」
金庫の中からうやうやしく取り出されたのは。
毛玉だらけで、片目が取れかかっていて、全体的に薄汚れ、クタッと耳の垂れた「手作りのウサギのぬいぐるみ」だった。
「……呪物ですか?」
「違う! これは『ウサポン』だ!」
氷の宰相が、必死の形相でウサギを抱きしめた。
「私は国家運営の極度のストレスから、重度の不眠症を患っている。毎晩、このウサポンのぽっこりしたお腹に顔を埋め、その匂いを深く吸い込まなければ、一睡もできない体質になってしまったのだ!」
「はあ」
「だが……長年の使用により、ウサポンから『安心感と天日干しコットンの匂い』が消えかかっている! かといって丸洗いすれば、私が幼い頃から蓄積してきた『至高の安らぎの概念』まで洗い流されてしまう。洗うに洗えず、最近では私の寝汗と中年特有のストレス臭が混ざり合い、ウサポンから微かに『酸っぱい銀杏』のような匂いがし始めているのだ! 私はもう限界だ!」
冷徹で完璧な宰相の、あまりにも情けなく、そして下世話な秘密。
私は無表情のまま、白手袋をはめた。
「なるほど。つまり、ウサポンから『酸っぱい銀杏の匂いとオッサンの寝汗の概念』だけを物理的に抽出し、残った『安らぎの概念』を濃縮・定着させればいいのですね」
「可能か!?」
「お安い御用です。特別ドライクリーニング料金として、銀貨十枚上乗せしておきますね」
私は専用のスポイトと吸引器を取り出し、ウサポンに顔を近づけた。
「ふむ。確かにこれは……閣下のよだれの成分も深く染み込んで発酵していますね。少し強めの『酵素スライム』で分解抽出します」
「よ、よだれ……ッ! 頼む、他言は無用で……!」
閣下は耳の先まで真っ赤にして崩れ落ちた。
五分後。
「作業完了です。嗅いでみてください」
私がウサポンを差し出すと、閣下は恐る恐る顔を埋め、そして信じられないものを見るように目を見開いた。
「おお……! 完璧だ! あの頃の、最高に落ち着く日向の匂いがする……! 素晴らしい! レリア、お前は神か!」
「ただの誠実な仕事です」
こうして私は、宰相府という最高にホワイトな職場で、非常にやりがいのある日々を送り始めた。
文官たちの肩に溜まった「帰りたいという絶望」を抽出してエナジードリンクに加工したり、閣下のウサポンの定期メンテナンスを行ったり。
私の仕事のおかげで、宰相府の生産性は爆発的に向上し、閣下自身もツヤツヤの肌でバリバリと政務をこなすようになった。
* * *
その頃、ダリウスの錬金術ギルドはまさに阿鼻叫喚の地獄と化していた。
「う、うわあああっ! なんだこの匂いはぁぁ!」
「助けてぇぇ! 髪の毛が、髪の毛がごっそり抜けるぅぅ!」
私が警告した通りだった。
ダリウスの「全自動・エレガント・オーラ・ディスペンサー」によって換気口に押し込まれた三百人分の「疲労」「ストレス」「嫉妬」の概念は、ギルドの天井裏で極限まで圧縮・発酵し、ついに限界を迎えてホール全体に降り注いだのだ。
それは「一ヶ月洗っていない剣士のブーツ」と「腐った牛乳」を混ぜたような強烈な悪臭を放つ茶色いヘドロとなって、ギルド員たちに降りかかった。
ヘドロを浴びた者は極度の無気力状態に陥り、床を這いずり回り、ストレスで次々と頭髪を失っていく。エミリアは「臭い! ハゲは無理!」と真っ先に逃亡していた。
「くそっ! なんでこんなことに! 俺は天才のはずだ!」
ヘドロまみれになりながら、ダリウスはパニックに陥っていた。
その時、彼は自分の机の引き出しの奥に、私が以前置いていった小さなガラス小瓶があるのを見つけた。
ラベルには『取扱注意:極濃縮・廃棄用』と書かれている。
「これだ! あの泥水女が隠し持っていた、究極の『スタミナ回復ポーション』に違いない! 独り占めしようとして隠していたんだな! これを飲めば、俺の魔力が爆発してこのヘドロを吹き飛ばせる!」
彼は迷うことなく、その小瓶の蓋を開け、中身のどす黒い液体を一気に飲み干した。
「おおお! 力が……力が湧いて……こない!?」
ダリウスが飲んだのは、スタミナポーションなどではない。
それは、私がギルドにいた頃に抽出して圧縮しておいた、ダリウス自身の『肥大化した自己顕示欲』『他者への見栄』そして『誤魔化しきれない足の臭い』の概念を液化した、特級呪物レベルの劇薬だったのだ。
他人の成果を盗んで虚勢を張っていただけの男の、最も醜い本性の結晶。
「ボフンッ!!」
という間抜けな音とともに、ダリウスの身体に異変が起きた。
濃縮された概念が、物理的な肉体を乗っ取ったのだ。
まず、彼の無駄にセットされた金髪が、自己顕示欲の重みに耐えきれずに毛根から弾け飛び、見事なまでにツルンツルンのハゲ頭になった。
さらに、隠していた見栄が表面化した結果、彼の全身の肌が、発光するような毒々しいネオンピンク色に染まり上がったのだ。
「な、なんだこれはぁぁ!? 俺の美しい髪がぁぁ!」
極めつけは、彼の両足だった。
承認欲求が暴走し、勝手に足が動き出したのだ。
「タァップ! タップ! タップ!」
ダリウスは、ネオンピンクのハゲ頭を輝かせながら、超高速で陽気なタップダンスを踊り始めた。
自分の意思とは無関係に、足が床をリズミカルに叩き続ける。
「助けてくれ! 止まらない! 俺は本当は、分数の計算もできないんだぁぁ! いつもシークレットブーツで身長をごまかしてるんだぁぁ! タップ! タップ! ママぁぁ!」
抑圧されていた情けない本音が、タップのステップに合わせて勝手に口から飛び出していく。
ダリウスは、ピンクのハゲ頭で泣き叫び、自身の足の悪臭を撒き散らしながら、猛烈なスピードでタップダンスを踊ったままギルドを飛び出した。
向かう先はただ一つ。私に助けを求めるため、宰相府への道を爆走していった。
* * *
宰相府の執務室。
私はギルバート閣下の隣で、来年度の概念処理予算の書類を確認していた。
「レリア、お前が抽出した『眠気』を固形化した魔石、軍の夜間警備で大好評だ。お前には本当に……」
閣下が穏やかに微笑みかけたその時。
バンッ!! と扉が乱暴に開かれた。
「レリアァァァ! 助けてくれぇぇ! タップ! タップ! タップ!」
部屋に乱入してきたのは、強烈な足の臭いを撒き散らし、全身ネオンピンクに発光するツルッパゲの男が、凄まじい足捌きでタップダンスを踊っているという、地獄のような光景だった。
宰相府の護衛騎士たちが、あまりの光景に剣を抜くことすら忘れてポカンとしている。
「レリア! お前のポーションを飲んだらこんな姿に! タップ! 早く俺を元のイケメンに戻せ! 戻したら俺の部下にしてやるから! タップ! 本当は毎晩おねしょしてるんだぁぁ! タップ!」
私は無表情のまま、手元の書類をトントンと揃えた。
ギルバート閣下が、スッと私の前に立ち塞がった。
その全身から、室温が急激に下がるほどの絶対零度の殺気が放たれる。
「……どこの汚物だ。我が宰相府の最高技術責任者の執務室に、このような強烈な異臭を放つピンクの肉ダルマを侵入させるとは」
閣下の声の低さと冷たさに、ダリウスは「ヒィッ! タップ!」と悲鳴を上げた。
「レリア、あいつをどうにかしてくれ! 命令だ! タップ!」
「ダリウス。あなたが飲んだのは、あなた自身の『見栄と承認欲求と足の臭い』を濃縮した劇薬です。『廃棄用』とラベルを貼っておいたはずですが、文字も読めなかったのですか」
「そ、そんな! タップ! 嘘だ! 早く抽出してくれ! タップ!」
「お断りします」
私は冷たく見下ろした。
「私は、誠実に働く顧客の依頼しか受けません。それに、その概念はすでにあなたの魂と強固に結びついています。今から抽出するには、あなたを丸ごと巨大な『魔導サトウキビ搾り機』に突っ込んで、物理的にミンチ状になるまで圧搾するしかありませんが、やりますか?」
「いやだあああああ! 痛いのはいやだぁぁ! タップ! タップ!」
ダリウスが泣き喚きながら激しくタップを踏む。
ギルバート閣下が、冷酷に響く声で近衛騎士たちに命じた。
「騎士団。この騒音を撒き散らすピンクのハゲを、王都地下の下水処理施設へ連行しろ。あそこの魔力浄化用巨大水車は、現在人手不足でな。こいつを水車に縛り付けろ。その無駄なタップダンスの運動エネルギーで、一生涯、王都の下水浄化の動力源として社会に貢献させよ」
「はっ!」
騎士たちが我に返り、ダリウスの両腕をガッチリと掴んだ。
「や、やめろぉぉ! 俺は天才錬金術師だぞ! エリートなんだぞぉぉ! タップ! タップ! ママ助けてぇぇぇ!!」
ダリウスは泣き叫び、無様に足をバタバタとタップさせながら、地下深くへと引きずられていった。
他人の労働を搾取し、自己顕示欲の塊だった男の末路は、誰にも見られない地下の暗闇で、自らの体をすり減らして歯車の一部となること。
実に無駄がなく、エコで妥当な結末である。
* * *
騒ぎが去り、執務室には再び静寂が戻った。
私は『森林浴の概念』のスプレーを空間に吹きかけ、足の臭いを完全に消し去った。
ギルバート閣下がゆっくりと私に向き直り、その美しく冷徹な瞳に、深い熱と絶対的な信頼の色を浮かべて私を見つめた。
彼は机の引き出しを開け、重厚な銀色の鍵を取り出した。
「レリア。これは、国家の機密概念を保管する地下大金庫のマスターキーだ。お前に、これを預けたい」
「閣下、これは……」
「お前のその容赦のない決断力、そして何より、誠実で完璧な仕事ぶり. 私はお前に、私の背中と、この国の根幹を預ける」
それは、甘い言葉よりもずっと重く、確かな賞賛だった。
「謹んでお受けいたします」
私が鍵を受け取ると、閣下は少しだけ表情を和らげ、私との距離を一歩詰めた。
窓から差し込む夕日が一際美しく二人を照らし、ロマンチックで甘い空気が、静かに部屋を満たし始める。
「レリア……お前が来てから、私の世界は変わった。お前にはこれからも、ずっと私の側で……私のすべてを支えてほしい。今夜、私の寝室で……」
閣下の甘く低い囁き。
私は、一切の表情を変えずに口を開いた。
「あ、今夜の件ですが」
現実的で、一切の容赦がない事務的なトーンが、甘い空気を一刀両断する。
「閣下。昨晩、ウサポンの左耳付近に、閣下が寝ぼけて垂らした『極めて濃度の高いヨダレのシミ』が発見されました。あれはただのヨダレではありません。夕食にお召し上がりになった『激辛ガーリックステーキ』の成分が濃厚に混ざり合っており、放置すればウサポンから強烈なニンニク臭が発生します」
「……えっ」
閣下の動きがピタリと止まった。
「早急に『強力消臭・除菌スライム』での漬け置き洗いが必要です。ロマンチックな雰囲気を出している場合ではありませんよ。さあ、今すぐウサポンを提出してください。あと、今回のニンニク臭除去は特殊工程になりますので、追加で銀貨五枚いただきます」
ピシリ、と。
閣下の威厳とロマンチックな空気が、音を立てて崩れ去った。
「よ、ヨダレ……ニンニク……ッ!」
氷の宰相は、顔面を耳の先まで真っ赤に染め上げ、両手で顔を覆って執務机に突っ伏した。
「……払う……追加料金は払うから……頼む、その詳細を口に出すのはやめてくれ……!」
「毎度ありがとうございます!」
私は工具箱を片手に、満面の笑みでウサポンの回収へと向かった。
どんなに権力者であろうと、物理的な汚れと匂いからは逃れられない。
私の誠実で泥臭い労働は、今日もこのホワイトな職場で、確かな報酬を生み出し続けるのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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