偽薬7錠目 体が溶けてしまったなら
「真龍の肉を吸収し、その力を我が物とすれば、里ババ、ヴィルマ・ドラフォルクよ、もはやきさまごときに負けはせんわ!」
黒いローブの老人の体はゼリーのように透明だった。その中に、取り込まれた龍さんの指が透けて見えた。
「我のものじゃ、返せ!」里ババが、黒いローブの老人の中にある龍さんの指に手を伸ばした。
黒いローブの老人の杖から緑光の縄が放たれた。至近距離から放たれた縄を里ババはよけることができず、縄は里ババの全身に巻き付いた。
「ぐあぁぁぁぁぁ」
里ババは断末魔の叫びをあげ、緑色のゼリーとなって溶けてしまった。
「里ババ様!」
「ばーちゃん!」
キーリアとアーシャが叫んだ。そして杖と短剣を老人に向けた。
「真龍の力を取り込んだ儂の力を見たか!あっけないものよのお!」黒いローブの老人が勝ち誇った声をあげた。「さらに消化を進め、あの本体も取り込んでやろうぞ。さすればこの世に儂に敵うものなどいなくなるわ!」
龍さんの指が、黒いローブの老人の中で少しずつ溶けていった。
「迅速だな、フロドガイル。こやつらを圧倒せよ」
白い鎧の女性が言った。
黒いローブの老人は、ちらっと女性を見ると、杖から緑光の縄を発した。女性はすんでのところでその縄をよけた。
「何をする!血迷ったか、フロドガイル!」
「ひぇひぇひぇ、この力を得た今、なぜきさまに従う必要がある?ウィトブリシア嬢、いや、没落貴族の小娘よ」
「貴様……」
「殺されたくなければ、そこで大人しく見ておれ。儂が神となる瞬間を、この世の支配者となる瞬間を!」
黒いローブの老人の液体状の体が広がり、龍さんを飲み込んでいった。ウロコが溶け、肉が溶け、今までまったく動かなかった龍さんが、目を開け、口を開け、その口から「グガァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!」という声が漏れた。
「龍神様!」キーリアが杖を老人に向けたが、老人の放った緑光の縄に阻まれた。
「ひぇひぇひぇ、いいぞ、これぞ力だ。みなぎっていくぞ!」
液状化した老人の体がどんどん膨らんでいった。
「あのような者だけには、龍神様の力を渡してはなりませんのに」とキーリアが言った。
そして──
「うっ」
急に黒いローブの老人が苦しみ始めた。
「なんだこれは!体が熱い、焼ける!」
ゼリー状の体が膨張し。
破裂した。
「ぐあぁぁぁぁぁ!」という、黒いローブの老人の断末魔の叫びとともに、爆散したゼリーが、私たちに降り注いだ。
「防御魔法!」
キーリアの杖から光が放たれ、私たちの体を包んだ。
しかし、防御魔法は効かず、ゼリーの当たった部分の肉は溶けていった。キーリアも、アーシャも、四肢はどろどろに溶けてしまった。私は二人が守っていてくれたおかげでそこまでひどくなかったが、左手と左脚が溶けていた。痛みがひどすぎて、もはや何も感じなかった。私はただ、「業務時間中でもないし、通勤途中でもないから、ひどい怪我だが労災はおりないだろう」と考えていた。
「うわぁぁぁぁぁぁ!」溶けてしまった自分の手や足を見て、アーシャが叫んだ。猫耳の片方が溶けていた。
「ふんっ!」女騎士は、溶解が広がるのを防ぐため、溶けてしまった左腕を剣で切り落とした。
ゼリーの散らばった地面が溶け、蒸気をあげていた。
(ははは、あいつバカだな。あんなスライムの体でボクの力を食べようとするからだよ)と龍さんの声がした。その声は弱々しかった。そして、
(守れなくて、ごめんよ)
(キミが元の世界に戻る手伝いをしてあげられなくてごめんよ)
(戦争を止められなくてごめんよ)
(キミの友人であるキーリアちゃんとアーシャちゃんが死んでいくのを止められなくてごめんよ)
(世界を救えなくてごめんよ)
と言った。
そうか。世界は救われず、仲間たちも失い、私は元の世界にも戻れないのか。すまん、妻よ。無断外泊どころの話ではなくなってしまった。
(何もかもおしまいだ。ほんとうにごめんよ)
「龍さんが責任を感じることはないでしょう」私は、さっき龍さんがかけてくれた言葉を龍さんに返した。
(ははは、ヤーマダくん、キミはなかなかやさしいやつだな)と龍さんは言った。(でもボクの責任だ)
「全てを一人で背負おうとしない方がいいですよ」と私は言った。
(ボクはもう自我を維持できない。龍の魔力が暴走を始めるだろう。そうすればこの大陸くらいは簡単に吹き飛ぶ。それでもボクに責任がないと言えるのかい?)
私は身体を引きずって龍さんに近づき、その鼻先に手を触れた。龍さんの想いが流れ込んできた。それは、申し訳なさと、後悔と、悲しみと、そして。
白い少女との、温かな記憶だった。
(せめて、最後に彼女の名前を思い出したかったよ。ぼくの生きてきた長い長い時間の中で出会った、唯一の友だちの)と龍さんは言った。
(彼女に名前を聞いたら、名前を教えてくれた。「思わせぶりで、薬効があるように見せかけているだけで、ほんとうは、何の効き目もないただの白い錠剤のこと。空っぽのボクにぴったり」って、彼女はそう言ったんだ。でもぼくはどうしてもその名を思い出すことができない)
「偽薬」と私はつぶやいた。
(え?)
「プラシーボ。薬効のない錠剤のことです」
(ああ……)半ば溶けてしまった龍さんの身体が、白い光を発した。
(プラシーボ!)
龍さんの身体が真っ白に輝き、そして──
そこに一人の白い少女が立っていた。
否。
それは白と黒の少女だった。
その少女の腕先と足先は、黒い爪とウロコのついた龍のものだった。そしてウロコの付いた黒い尻尾があった。
少女は私に手を触れた。私の体が白い光で包まれ、溶かされて失った手と足が生えてきた。
「ヤーマダくん、ありがとう」そう言って、少女は私をそっと抱きしめた。「ボクの名前を取り戻してくれて」
それは念話ではなく、音声だった。
「あなたは龍さんなのですか?」と私は言った。
「ボクの名前はプラシーボ。あ、これまでどおり龍さんと呼んでくれても構わないよ。今や同一人物だからね」とその少女は言った。
プラシーボさん=龍さんから光があふれ、キーリア、アーシャ、そして白い鎧の女性を包み込んだ。
溶けてしまった手や足が再生していった。
「うわっ、すげっ、キモっ」手足が生えてくる様子を見ながら、アーシャが叫んでいた。キーリアは茫然としながら、里ババと老魔導士が戦ったあたりの地面を見ていた。
女騎士の左腕も再生していた。
「これは、一体……。失った四肢が再生する等、そんな迅速な魔法は聞いたことがない」
女騎士は、へなへなと地面に座り込んだ。
プラシーボさん=龍さんは「返してもらうよ、ボクの力」と言って、両手を広げた。地面に飛び散っていた緑色の粘液がその手に吸い込まれていった。
「龍神様」とキーリアが言った。「里ババ様はどうなったのでしょうか?」とキーリアが言った。
「死んでしまったものは生き返らない」とプラシーボさん=龍さんは言った。
「里ババ様……」キーリアはぐっと目を閉じた。その肩が震えていた。
「じゃあさ」とアーシャが言った。「キーリア姉ちゃんが新しい里長じゃん」
「アーシャ……」キーリアが顔をあげた。その目には涙がにじんでいた。「里ババ様が亡くなったばかりなのに、何を言うのですか」
「ばーちゃんが死んだからこそ、キーリア姉ちゃんがしっかりしないといけないんだろ」
それを聞いてキーリアはショックを受けた顔をした。が、すぐに気を取り直し、
「……そのとおりですね、アーシャ。あなたのいうとおりです。私がもっと確り者だったなら、もっとしっかりできていたでしょうに。去年、百歳になったばかりの若輩者の私ですが、覚悟を決めねばなりません」と言った。
え?百歳?!キーリアって年上だったの?高校生くらいにしか見えないのに?知らぬこととは言え、失礼な態度で接してしまっていたじゃないか。「キーリアさん」と呼ぶべきだった。
サラリーマン心得その十一:年下でも「さん付け」で呼ぼう
年功序列の世界を生きてきた私には、なかなか難しいことだが。
キーリアさんは、杖で地面を突き、胸を張って言った。
「私は竜の里の新しい里長、キーリア・ドラフォルクです」
そう、自分に言い聞かせるように。
白い鎧の女性は、疲れ果てた表情をして、キーリアさんを見上げていた。
「フロドガイルは……。聞くまでもないな」と白い鎧の女性が言った。「龍よ、お前の肉は毒なのか。帝国随一の魔導士があのようになってしまうとは」
「毒ではないさ。ただの栄養たっぷりのお肉だよ」とプラシーボさん=龍さんは言った。「あの老人は、一度にたくさん食べすぎたんだろうね。爆散してしまうほどに」
「ははは……。笑えないな」女性騎士は力なく笑った。「これが、力を求めた者の末路か」そして剣を放り出して言った。
「殺すがいい」
「え、なんでそうなるの?」とプラシーボさん=龍さんが言った。
「私の判断はいつだって迅速だ。地上ではまだ我が兵たちが戦っている。竜の里を落とすことも可能だろう」と女性騎士は言った。「しかし、龍の力を持つ少女よ、貴殿の力なら、我が兵たちを蹴散らすなど、造作もないことなのだろう」
「まあね。でもそんなことしないし」
「それどころか、帝国全土を焦土と化すことも可能なのではないか」
「今のボクならやろうと思えばね。でもそういうことするキャラじゃないよ。ボクは寝たきりではなくなったけど、引きこもりなのはそのままだから」
「私は帝国軍第3部隊長ウィトブリシア・アルドランだ。龍の力を持つ少女よ、私の命など、貴殿にとってはゴミクズ同然だろうが、この命と引き換えに、せめて我が兵たちの命だけでも見逃してもらえると迅速なんだが」
「うん。その覚悟はすばらしい。でも、実はね」と龍さんは言った。「戦いはもう終わってるんだ」
「何だと?決着は?勝敗は?」
「両軍とも眠ってもらった。残念ながら数名の犠牲は出てしまったけどね」
「何?」
「ボクだって全知全能じゃない。特におしゃべりしている時は、監視が甘くなるんだ。ごめんね」
「いや、逆だ。あれだけの戦いで、犠牲者が数名だと?ありえない!」
「龍神様」キーリアさんが口を開いた。「質問してもよろしいでしょうか?」
「なんでも聞いて!」
「なぜこのようなことをなさるのでしょうか」
「このようなことって?」
「敵軍の接近を許し、竜の里を守っていた結界が壊されるのを許し、里ババ様が目の前で殺されるのをお許しになった。その真意はどこにあるのですか」とキーリアさんは言った。
「許すも何も、ボクはもはやこの世界にとっては傍観者に過ぎない。友だちと作ったシステムを管理するだけの存在だ」
「……理解できません。龍神様は、竜人族の守り神ではないのですか?私がもっと確り者だったなら、理解できたのでしょうが」
「理解できないか。そうだろうね。……じゃあ、ボクの記憶を見せてあげる。君の疑問への答えになるかわからないけど、ボクの考えを理解する一助にはなるだろう」
目を閉じたプラシーボさん=龍さんの指から白い糸が出て、キーリアさん、アーシャさん、女騎士、そして私の額に刺さった。
頭に何かが流れ込む感覚があり──
私たちはその場に崩れ落ちた。




