偽薬4錠め 迷宮の罠に落ちたなら
落下しながら、キーリアの杖の光に照らされて、罠の底が見えた。無数の槍が天に向いて突き立っていた。あの上に落ちれば確実に死ぬ。
「ふん!」
アーシャが尻尾で壁の突起を掴み、両手で私とキーリアの襟首を掴んだ。
「ぐえっ」首が締まったが、窒息するほどではなかった。
「おーい、だいじょうぶか?」逆さになったアーシャが叫んだ。
私の足のすぐ先に槍の穂先があった。「ひぃ!」私は足をひっこめた。
「まったくあなたはいつも!」とキーリアが叫んだ。
「お小言は後で聞くからさ、ちょっと俺の尻尾のあたりを照らしてくれよ。風の流れがおかしいんだ」
キーリアが杖の下の方を持って、先端の光でアーシャの尻尾のあたりを照らした。アーシャが首を曲げてそちらを見た。
「やっぱそうだ。横穴があるぜ。どうする?」
「穴の上に戻れるかい?」と私は聞いた。
「そりゃ無理だ」
「なら、横穴に進んでみるしかあるまいね」
アーシャが私とキーリアを引っ張り上げて横穴の中に押し込んだ。アーシャは尻尾を使ってくるりと回り、横穴に飛び込んだ。
「なんだ、こりゃ」
キーリアが照らした横穴の壁には、絵が描かれていた。
「これは、この国の歴史のようですね。文字が書いてあります」
キーリアは壁に近づき文字を照らした。
「古代文字なので細かいことはわかりませんが、どうやら前回の勇者一行の迷宮攻略について書かれているようです」
「なんと書かれているんだい?」
「……勇者は3つの試練を受け、最奥部に達した。そう書かれています」
「ふむ」私はキーリアとアーシャの顔を見た。「私はこの道が当たりだと思うが、君たちはどう思うかね?」
「壁画があるということは、この道が次につながるルートなのでしょう」
「俺が罠を踏んだおかげってことか」
「それはそれ。もっと慎重に行動しなさいといつも言ってるではありませんか、アーシャ」
「はーい」
「私がもっと確り者だったなら、アーシャがこのような粗忽者にならずに済んだでしょうに」
「罠に落ちないと道が見つからないとは、なかなか歯ごたえのある迷宮だね」
私たちは横穴の中を進んでいった。
途中で魔物が出てきた。羽の生えたイタチのような魔物だった。5匹くらいの群れになって飛んでいた。
「飛土竜だ」とアーシャが言った。「撃ち漏らした分は頼むぜ、キーリア姉ちゃん」
「言われなくても承知しています」
飛土竜が牙を剥いて襲いかかってきた。凶悪な顔をしていた。
「うわっ」私は思わず顔を隠した。
アーシャが投石器を使い、石礫を飛土竜に放った。先頭にいた個体の額に命中し、墜落した。アーシャは短剣を抜き、とどめを刺し、他の個体が襲ってくる前に戻ってきた。非常に俊敏だった。
「キーリア姉ちゃん、一匹そっちに行ったぞ!」
「重投網!」
キーリアの杖から光の網が出て、飛んできた飛土竜に絡みつき、地面に落ちた。アーシャがすかさずとどめを刺した。
「重みを付与する魔法の網です」とキーリアが言った。「飛ぶ魔物に対して有効です」
アーシャが石を当て、キーリアが網で絡めとり、あっという間に5匹の飛土竜を退治した。
「すごいな、君たちは!」
拍手をしながら私は言った。
「まあな!」とアーシャがドヤ顔になった。
「この程度の弱い魔物に手こずるようでは迷宮の攻略など夢のまた夢」とキーリアが言った。
「なんと頼もしい」
戦闘能力のない私は応援役に徹するしかない。
私たちは横穴の中を進んでいった。
「この先に広い場所があるぜ」とアーシャが言った。キーリアの杖が照らす道の先は真っ暗だった。
「わかるのか」
「ああ、空気の流れがある」
先に進んでいくと、アーシャの言うとおり、大きな円形の部屋があった。天井が高く、中央に土俵のような円形の台があった。その台の後ろには大きな扉があり、手前には石碑のようなものがあった。
「ここにくぼみがあります」石碑の前に立ち、キーリアが言った。「第1の試練、力の試練に挑みたき者は、ここに供物を置くべし、と書かれています」
「供物ってなんだ?」とアーシャが言った。「さっきの飛土竜の死体か?」
「これだろう」と言って、私はさっき拾った魔石をそのくぼみに載せた。
ゴゴゴゴゴ、と音がして、土俵の表面が割れ、下から巨大な像がせりあがってきた。
像は、上半身が人間、下半身が獅子の形をしており、「伏せ」の姿勢で肘を立てていた。腕相撲の姿勢だ。
「これが第1の試練か」
ゲームセンターにあるアームレスリングのゲームと同じ仕組みなのだろう。
「あの腕を倒せば勝利ということらしいな」と私は言った。
「力比べなら俺に任せろ!」とアーシャが言った。
手すりの位置と足場を確認し、アーシャが腕まくりをした。そして像の右手を掴んだ。
「3、2、1、レディ、ゴー!」という音声がして、像の目が光り、ぶおーん、という動作音が響いた。
「うおりゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
アーシャの右腕の上腕二頭筋が膨れ上がった。
額に青筋が立った。
猫耳少女は渾身の力をその右腕に込めていた。しかし、像の手は動かなかった。それどころか、じりじりとアーシャの手が押し返されていた。
「ぬ゛おぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
「負けてはなりません!」
「がんばれ!」
アーシャの全身から汗が噴き出していた。じりじり、じりじり、とアーシャの手が押し返されていく。このままでは負けてしまう。
そう思った時。
「龍の神よ、彼の者に力を与えたまえ。獣神化!」
キーリアの杖から発せられた光がアーシャを包み、アーシャの体が膨れ、虎の姿になった。着ていた服はびりびりになり、腰に付けていた革ベルトが外れた。
「グウォ!」
大きなトラとなったアーシャの背筋が膨れ、大腿が膨れ、上半身が膨れた。
「グアウォォォォォ!」
アーシャの右腕の上腕二頭筋が膨れ上がり、像の腕を一気に押し返した。
像の右拳が台座のスイッチに当たり、スイッチが押し込まれた。
巨像から「ナイスファイっ!」という声がして、土俵の後ろにあった扉が開かれた。
「ふー……」アーシャが元の姿に戻った。
「すごいぞ、アーシャ」
「やりましたね」
アーシャがよろけ、キーリアがその体を受け止めた。元の姿に戻ったアーシャは裸だった。私は仏像的微笑を浮かべ、目を逸らした。
「だいじょうぶですか」キーリアがアーシャに回復魔法をかけた。
「回復魔法はいらない。迷宮はまだ続くんだ。魔力は取っといてくれ、キーリア姉ちゃん」と言ってアーシャは立ち上がった。「ちょっと待ってて」そう言ってアーシャは元来た道を駆けていった。
ほどなくして、アーシャは戻ってきた。口の周りが血まみれだった。
「あー、食った食った」アーシャは口の周りを手でぬぐった。「飛土竜の肉はまじぃけど、魔力の回復にはもってこいだ」
「生肉はほどほどになさい。お腹を壊しますよ」
「だいじょうぶだよ、5匹くらい」
私はパジャマの上着を脱いでキーリアに渡した。キーリアはそれをアーシャに着せた。アーシャは革ベルトを腰につけた。
「寒くないですか、勇者様」ランニング姿になった私を見てキーリアが言った。
「だいじょうぶ。空調がいいね、この迷宮は」
アーシャが歩き始めた。私たちは開かれた大きな扉を越え、そこにあった階段を下っていった。
第2階層は迷路だった。
通路の上に文字が書かれていた。「『第2の試練 知恵の試練 入り口』と書かれています」とキーリアが言った。
しばらく進むと迷路の分かれ道があった。キーリアは杖を構えた。
「探求糸!」
キーリアの杖の先から細く白い糸が出てきた。
「こちらです」
キーリアは、白い糸の指し示す方向に進んだ。
角を曲がったら突然、魔物が現れた。犬くらいの大きさの蜘蛛の魔物だった。キーリアの杖の光が照らす限り、通路にひしめいていた。さいわい、襲ってくる気配はなかった。
「倒せるかい」と私は聞いた。
「地蜘蛛だ」アーシャが言った。「奴らは大きな音に反応して襲ってくる。単体なら何ということはないが、この数じゃ無理だ」
「迂回するしかありません」
私たちは、探求糸の指し示す方角とは反対向きに進んでいった。ある曲がり角で、糸の向きが急に変わった。
「どういうことだろうか」と私は言った。
「答えは一つではない、ということなのでしょう」
私たちは糸が新たに示した方に歩いた。その先にあったのは行き止まりだった。
「これを突破せよ、ということか」
「仕掛けがあるみたいだぜ」アーシャが横の壁の石を押すと、パネルが現れた。
脱出パズルだった。
1つだけある大きな正方形には姫が描かれていた。8個ある長方形には檻の絵が描かれていた。4つの小さな正方形には牛の絵が描かれていた。それぞれの図形は動かせるようになった。
「これだったら私に解けそうだ」私はパズルの駒を動かした。「檻と牛を動かして姫を脱出させるパズルだ」
私は駒を動かした。あと一手で姫を外に出せる。そう思った時、パネルが光に包まれ、別のパターンが現れた。
「壁に変化はないかい?」
「いや、さっきと同じだ」
「考えられるとすると、時間制限か、最小の手数で解くかのどちらかということか」
「勇者様、次は私にやらせていただけますか?やり方はわかりましたので」
「頼む」
「どちらにせよ、最小の手数で、最速で解けばいいだけのこと」
キーリアがパネルの前に立ち、パズルを凝視した。そして目にも留まらぬ速さで駒を動かした。
姫の駒が無事に脱出できた。壁の穴から魔石が転がり出てきた。私はそれをパジャマのポケットにしまった。
目の前を塞いでいた壁が縦に割れ、ドアのように開いた。
「進もう」
進んでいくと、また行き止まりがあり、違う種類のパズルがあった。今度はハノイの塔だった。三本の杭と大きさの異なる円盤を使ったパズルだ。左端の杭にある円盤を「一度に一枚だけ」「小さい円盤の上に大きい円盤を置かない」というルールを守りながら、別の杭に全て移動させればいい。
キーリアにやり方を説明すると、一発で解いて、壁が開いた。壁の穴から魔石が転がり出てきた。私はそれをパジャマのポケットにしまった。
地蜘蛛の巣を避け、キーリアがパズルを解き、魔石を得て壁の先に進み、それを繰り返した。私のポケットには左右4つずつ、合計8つの魔石が入っていて、パジャマの生地が伸びそうだった。もはや終わりがないのではないか、と思った時、キーリアが通路の上にある文字を読んだ。
「出口、と書かれています」
その先には下に降りる階段があった。
ゴール前に試練があった第1階層とは違い、この迷路自体が試練になっていたようだ。
私たちは階段を降りていった。
* * * * *
3頭の炎角鹿の死体が片付けられた。
「してやったぞ、里ババ、ヴィルマ・ドラフォルクよ」老魔導士フロドガイルは血管の浮き出た額に汗を浮かせ、魔力ポーションを飲んでいた。「あれしきの術で魔力切れか。儂も老いたの。しかし、あやつの首を取るまでは倒れるわけにはいかん」
血の染みた地面の上に、帝国軍第3部隊長、女騎士ウィトブリシア・アルドランは兵を整列させた。
「我が騎士たち、我が兵士たちよ。魔導士フロドガイルの迅速な働きにより、敵の本拠地を守っていた結界は消滅した。我が部隊の任務は、厳密に言えば、敵本拠地の発見である。しかし、帝国軍人たる者のうち、この機会をみすみす逃す者があろうか?」
「「「「「「「「「「否!」」」」」」」」」」
兵たちは声を揃えて応じた。
「敵本拠地を殲滅すれば、大きな栄誉となる。貴族である者は爵位が上がり、庶民である者は男爵位を得るであろう」
「「「「「「「「「「応!」」」」」」」」」」
兵たちの士気が上がった。
その時、竜の里の見張り台から狼煙が上がった。
「勘づかれたか。敵も迅速だな」
女騎士は剣を高く掲げた。
「我が騎士たち、我が兵士たちよ、進軍せよ。軟弱なる竜人や、それに与する獣人どもを薙ぎ払え!進め!」
雄たけびを上げながら、兵たちは駆けだした。




