合格通知と真実
午後四時を少し過ぎた、白く冷たい廊下。
新宿軌道センターの帰路用コンコースを、三人は無言で歩く。
壁に取り付けられたスクリーンには、淡く点滅する文字が映る。
――「NEXT LAUNCH:T-48:00」
金属製の床に、足音が規則正しく反響する。
その音は、廊下の無機質さを際立たせ、どこまでも冷たく伸びていった。
三人の影が、白い光の中で細く揺れる。
言葉はない。心臓の鼓動だけが、かすかに自分たちの存在を告げていた。
廊下の静寂を破ったのは、涼子の端末だった。
小さく振動し、淡い青いホログラムが彼女の手元に浮かぶ。
画面には一行だけ。
件名:「合格通知/火星渡航プログラム」
差出人:Minerva Enterprises
本文:
『あなたのステージは、赤い星です。』
たった一文。
それだけで、地球上のどんな“合格通知”よりも重く、胸にのしかかる。
涼子は立ち止まり、画面を見つめた。
指先がわずかに震み、息を呑む。
「……火星? 本当に?」
思わず漏れた声に、玲美と香菜も慌てて端末を取り出す。
ほぼ同時に、二人の画面にも同じ通知が表示されていた。
玲美は即座に顔をしかめ、端末を乱暴に閉じた。
「ふざけてる。こんなSFじみた話、信じろっての?」
舌打ち混じりの声が、冷たい金属の廊下に響く。
一方で、香菜は一歩遅れて画面を覗き込み、
まるで宝箱を開けた子どものように瞳を輝かせた。
「でも……本当に行けるのかもしれませんよ? 火星。
ね、見てください。“渡航日程:48時間後”って……!」
玲美は冷ややかに笑う。
「行ける? いや、“帰ってこれる”とは書いてないでしょ。」
香菜は一瞬、言葉を詰まらせたが、
それでも笑みを崩さずに小さく呟いた。
「……でも、ちょっとワクワクしますね……!」
玲美は呆れたように息を吐き、視線を逸らす。
その横で、涼子だけが黙って立ち尽くしていた。
ホログラムに浮かぶ赤い文字。
――「あなたのステージは、赤い星です。」
その光が、まるで未来の火種のように、
涼子の瞳の奥で静かに揺れていた。
――“夢を追うって、こういうことだったんだ。
足元の現実を離れて、文字通り“星”へ行くなんて。”
涼子の胸の奥で、何かが静かに震えた。
恐怖とも、興奮ともつかない感情が、
冷たい空気の中で脈を打つ。
それは理屈でも勇気でもない。
ただ、心の奥で“赤い光”が灯るような感覚だった。
ふと顔を上げる。
白い廊下の先、天井のガラス越しに、
昼間の空にひとつ――
淡く、しかし確かに赤い星が浮かんでいた。
その瞬間、彼女の中で何かが動き出した。
それは“希望”でも“覚悟”でもない。
――ただ、もう一度“歌いたい”という衝動だった。
三人の端末が、ほぼ同時に淡い光を放った。
青白い廊下の空気が、赤い文字に染まる。
ディスプレイの下部に、新たな通知が浮かび上がる。
《MARS TRANSIT AUTHORIZATION — BOARDING INSTRUCTION SOON》
玲美が眉をひそめ、香菜が息を呑む。
涼子は、ただその光を見つめていた。
赤い文字が、まるで血潮のように彼女たちの瞳を照らす。
その瞬間――廊下の照明が、ふっと赤へと切り替わった。
床に伸びた三人の影が、ゆっくりと揺れる。
そして、まるで何かに導かれるように――
その影は、静かに“地球”から離れ始めた。




