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MARS☆IDOL ☆赤い星のシンフォニー☆  作者: 南蛇井


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試験室 ― ドクター・ハリムの面接

第4審査室。

――新宿軌道センターの上層階、無重力訓練区画のさらに奥。


午後三時。

白い壁、白い天井、そして白い床。

すべてが曖昧に光を反射し、境界が溶けている。

まるで“どこにも属さない部屋”。


空気は乾いていて、ほんのわずかにオゾンの匂いが漂う。

人工的な冷気が肌を撫で、電子機器の低い駆動音が遠くで響いていた。


部屋の中央、金属製の椅子が三脚。

その配置には、妙な整然さがあった。

三人が座れば、どこにも逃げ場がない。

ただ、観測されるための位置。


正面の透明スクリーンが静かに点滅し、薄い青の文字が浮かび上がる。


【MINERVA INTERFACE 02】


その瞬間、室内の照明がわずかに落ちた。

光の粒がスクリーンの中で凝集し、

人の形を作り出していく――。


涼子は息を呑んだ。

玲美は腕を組み、香菜は膝の上で両手を握る。


彼女たちを見つめ返すように、淡い光の中から“誰か”が現れる。

その存在は、人間のようでいて――どこか違っていた。

三人が金属の椅子に腰を下ろした瞬間、

室内の空気がわずかに震えた。


正面のスクリーンが淡く発光し、

無数の光子がゆっくりと形を結んでいく。

まるで霧の中から“誰か”が現れるように――。


輪郭が整い、色が流れ込み、そして一人の男性が立っていた。

しかし、それは映像でもなく、実体でもない。

光で造られた“存在”だった。


肌は深い褐色、瞳は琥珀色に鈍く光る。

口元には穏やかな微笑み――だが、胸は動かない。

呼吸のリズムも、鼓動の気配もない。


男はただ、観測者のように三人を見渡した。

その眼差しには温度がないのに、不思議と拒絶も感じない。


「――初めまして、被験者A-01、A-02、A-03。

私はドクター・アリ・ハリム。Minerva計画主任、そして審査官です。」


声は、電子的な残響を帯びながらも滑らかに響いた。

まるで人間の“模倣”を極めた機械が、完璧に会話を再現しているようだった。


彼は名刺を出すことも、挨拶のために頭を下げることもなかった。

ただ淡々と、事実を読み上げる。


「あなた方の目的は“夢”。

我々Minervaは、その夢を宇宙で検証する機関です。」


玲美がわずかに眉をひそめ、香菜が不安げに涼子を見た。

その視線の交錯さえも、ハリムの瞳が静かに追っていた。


ハリムの声が、無機質な空間に淡く響いた。


「あなた方の参加目的は、“夢”と記録されています。

ですが、私たちMinervaは、“夢”を宇宙で検証するための機関です。」


その声音は、まるで正確に温度を制御された人工音声のようだった。

滑らかで、柔らかい。

それなのに、どこにも“人間の呼気”がない。


三人の間に沈黙が生まれる。

玲美は足を組み、視線を逸らさずに彼を見返した。

挑発と警戒を半分ずつ混ぜた、十六歳の大人びたまなざし。


「……つまり、スポンサーってこと? 芸能プロとか、そんな感じ?」


ハリムの微笑は微動だにしなかった。


「スポンサーではありません。」


一拍の間。

彼の声が、低く静かに続く。


「――あなたたちは、被験者でもあります。」


空気がわずかに震えた。

蛍光の照明がかすかに明滅し、壁の白が冷たく見える。


香菜が小さく息を呑み、両手をぎゅっと膝の上で握る。

涼子は声を出そうとして、言葉が喉の奥で止まった。


室内の空気が密度を増し、

“夢”という言葉が、まるで呪文のように重く沈む。


三人の鼓動だけが、静かな機械音の中で微かに聴こえていた。


スクリーンの光が一瞬、脈打つように明滅した。

白い空間が赤に染まる。


そこに映し出されたのは――果てしない砂の海。

赤錆びた地表、薄く漂う青白い空。

遠くには半透明のドームが見え、その内部で光が点滅している。

まるで、呼吸する都市の心臓のように。


ハリムの声が、淡々とその情景をなぞった。


「これは“第二拠点:アルシオーネ”。

火星赤道域、標高マイナス二百メートル地点。

あなたたちが――活動する予定の、舞台です。」


その言葉に、香菜が小さく息を呑む。

目を輝かせ、スクリーンの光を反射するように見入っていた。


「……ほんとに、火星……?」


玲美は眉間に皺を寄せ、乾いた声で呟く。


「冗談でしょ。こんなの、SF映画のセットじゃない。」


しかし、彼女の声に反応するかのように映像が拡大され、

ガラスドームの内部――そこに人影が動くのがはっきりと見えた。

スーツを着た技術者たち、赤い砂を掃くロボット、

そして空に浮かぶ青いホログラムの都市名《MINERVA》。


涼子は言葉を失い、ただその光景を見つめていた。

画面の奥、遠い空。

赤と青が交わるその境界に――

どこか、かつてステージで見た照明の残像が重なって見えた。


“これが……新しいステージ?”


胸の奥で、鼓動がひとつ強く跳ねた。



沈黙が、部屋全体を包み込んだ。


白い壁、無機質な空間。

ただ、スクリーンの中の男だけが、そこに確かに存在していた。


ドクター・アリ・ハリムは、ゆっくりと姿勢を正す。

その動作に、機械的な間のなさがある。

まるでプログラムが「問いの順序」を切り替えたようだった。


「――質問を変えましょう。」


声は柔らかい。だが、どこまでも冷たい。

彼の琥珀色の瞳が、ひとりひとりを順に射抜いていく。


「あなたは、“地球”を捨てる覚悟がありますか?」


空気が止まった。


スクリーンの映像が一瞬ノイズを走らせ、

微かに、心臓の鼓動のような電子音が響く。


玲美が先に顔を上げた。

彼女の唇はかすかに震えているが、目は逸らさない。


「……冗談でしょ。

夢のために、地球を捨てるなんて。そんな話、聞いてない。」


香菜は小さく肩をすくめ、視線を落とした。

だが、やがて震える声で呟く。


「……でも……

もし本当に行けるなら……火星、見てみたいです。」


涼子は、二人のやりとりをただ黙って聞いていた。

喉が渇く。

胸の奥が、遠いステージの照明に照らされたように疼く。


ゆっくりと、言葉を紡ぐ。


「……どんな場所でも……歌えるなら。

私は……それでいいと思います。」


その瞬間、ハリムの瞳に一瞬だけ――“感情”のような揺らぎが宿った。


「――承認します。」


淡々とした声。だが、その一言で、空気が変わった。


「あなたたちは、“選ばれた”のです。

次の星の、最初の記録者として。」


スクリーンの光が静かに明滅する。

赤い火星の映像が、彼女たちの瞳に焼き付いた。


そして――この瞬間、三人はまだ知らなかった。

その「選抜」が、地球での最後の試験であることを。

沈黙が、ガラスのように張りつめていた。

ドクター・ハリムの問い――

「あなたは、“地球”を捨てる覚悟がありますか?」

その一文が、まるで重力を失った刃のように、空気を切り裂いていた。


最初に応じたのは、玲美だった。

彼女は腕を組んだまま、即座に顔を上げる。

声には怒りよりも、明確な拒絶の意志があった。


「冗談じゃない。

夢のために地球を捨てるなんて、意味がわからない。」


眉間に刻まれた皺。

だがその瞳は、恐怖ではなく理性の光を宿していた。

彼女は怯えない。ただ、自分の足で立つために怒る。


次に、香菜。

小さな肩が震え、両手が膝の上で強く握られている。

けれど、彼女は逃げなかった。


「……でも、見てみたいです。」

「火星って、どんな匂いなんだろうって。」


その声は細いのに、どこか透き通っていた。

未知への恐怖よりも、好奇心が勝っていた。

まるで、夜空の星を初めて見上げた子どものように。


そして、涼子。

彼女は黙っていた。

言葉を探しているのではない。

ただ、胸の奥で何かを確かめていた。


数秒の沈黙ののち、ゆっくりと口を開く。


「……どんな場所でも……歌えるなら、それでいいです。」


その声音には、諦めでも虚勢でもなかった。

失った舞台の残響を、もう一度取り戻したいという――

微かな祈りのような響きがあった。


三人の答えが揃った瞬間、

ハリムの瞳にかすかな光が宿る。


「――承認します。」


スクリーンの向こうで、赤い砂嵐が静かに巻き上がった。

まるで、彼女たちの運命を歓迎するかのように。


ハリムは、しばし沈黙した。

空気の振動さえ止まったような静寂の中で、

彼の輪郭だけがわずかにノイズを帯び、

その口元が、ゆっくりと――不自然に、上がった。


それは喜びでも慈愛でもない。

まるで、観測データの整合性を確認したプログラムが、

「正常」と表示する時の反応。


「――承認します。」


淡々とした声が、部屋の無機質な壁に反射する。

スクリーンの中のハリムの瞳に、琥珀の光が宿った。


「風海涼子。宝崎玲美。長澤香菜。

Minerva火星拠点計画・第一陣、選抜合格です。」


言葉が終わると同時に、背後のスクリーンが明滅した。

白から赤へ――そして、血のような朱に染まっていく。

その中心に浮かび上がる文字列。


《MARS TRANSIT AUTHORIZED/PHASE-01》


赤い印章のような光が、三人の顔を順に照らした。


玲美は息を呑み、

香菜は口元を覆い、

涼子はただ、目を見開いたまま立ち尽くす。


驚き。恐れ。

そして、ほんの僅かな――興奮。


彼女たちはそのとき、

自分たちが「選ばれた」ことの意味を、

まだ誰一人として知らなかった。


ハリムの姿が、光の粒となって崩れ始めた。

輪郭が滲み、声だけが残響のように部屋を漂う。


「“夢”は観測されるために存在する。

ようこそ――Minervaの空へ。」


スクリーンが静かに消え、

無機質な白の空間に、暗闇がゆっくりと戻ってくる。


一瞬の沈黙。

次の瞬間、天井のラインライトがぱちりと落ち、

代わりに壁面の非常灯が赤く脈打った。


ピ――……ピ――……


それはまるで、

この場所そのものが呼吸を始めたかのような、

生々しい鼓動のリズム。


玲美は無意識に拳を握りしめ、

香菜は隣を見ようとして、言葉を失う。

涼子の頬に、赤い光が淡く反射する。


――まだ誰も、理解していなかった。


この“オーディション”が、

地球を離れるための通行証であり、

そしてもう二度と、

帰り道を持たない“選抜”であることを。


赤い光だけが、

静かな祝福のように彼女たちを照らしていた。




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