涼子の言葉――火星の空へ
曲の余韻がまだ空気の中に漂っていた。
数百の足音と心臓の鼓動が、ひとつの波のように揺れている。
歓声は途切れず、しかしどこか優しい――
まるでこの星そのものが、喜びの息を吐いているかのようだった。
涼子はギターの弦をそっと押さえ、
マイクの前へ一歩だけ進む。
その動きだけで、広場のざわめきが静まる。
赤茶けた大気。
赤い空。
人工的な薄い大気越しに見える、微かに揺れる星々。
彼女はその空を一度見上げてから、
ゆっくりと、観衆に視線を戻した。
そして――
誰もが息を呑むほど静かな声で、言った。
涼子の言葉
「地球の空は青いっていうけど――
火星の空も、夢を映せるんだ。」
その瞬間、
広場の空気がひと筋の光に変わったようだった。
子どもが嬉しそうに両手を上げ、
医療スタッフが互いに頷き、
鉱山労働者たちの固い表情が初めて緩む。
ステージライトの反射が、
少年の瞳に小さな星のようにきらめいた。
誰もが“火星に生きている”その意味を、
ほんの一瞬だけ、理解した気がした。
■管制室の博士
遠く離れた管制室。
アリ・ハリム博士は、
ライブ映像を映すホロモニターを前に静かに息をつく。
彼の目元はわずかに緩み、
深い皺の間に小さな微笑が宿る。
これが火星の文化だ。
これが、私たちが目指した未来だ――。
博士の胸に去来したのは、
かつて自分が掲げた“文化的自立”という理想。
今、その瞬間が確かに実現していた。
■宇宙を渡る光
広場の音は、
火星衛星軌道の中継装置を通り、
宇宙空間へと解き放たれる。
光のパケットが宇宙を渡り、
地球のネットワークへ落ちていく。
地球の夜。
窓際で端末を見つめる少女が息を呑む。
深海ステーションの研究員が、思わず手を止める。
通信遅延の向こうで、誰かが微笑む。
そのすべてを繋いでいるのは――
火星の空へ放たれた、たったひと言。
“夢を映せるんだ。”
火星の夜が、静かに光を帯びていく。




