管制室――アリ博士の決断
管制室は、赤い光に沈んでいた。
壁一面のホロパネルが警告を連続表示し、
空調の振動音すら、緊迫した鼓動のように聞こえる。
《未承認配信:復旧兆候》
《通信フィルタに不明な解除信号》
《情報流出リスク:レベル3》
赤く点滅する文字が、室内の全員の顔色を硬く染めていた。
職員A「博士、再接続です! すぐに停止を!」
職員B「広場が混乱しています。規制を強化しないと――!」
職員C「決断を! このままでは――!」
声が飛び交う中、アリ・ハリム博士だけが動かない。
指揮卓の前で椅子に沈み、片手で眉間を押さえ、深く沈黙していた。
――その沈黙に、誰もが焦りを募らせていく。
■記憶の底から立ち上がる“理想”
ふと、博士の脳裏に若い日の映像がよみがえる。
火星移住計画の研究室、赤い砂嵐を見つめながら語った、あの日の自分。
「火星に文化的自立を。
地球のコピーで終わらせない。
この星には、この星の“呼吸”がある。」
その理念は熱を帯び、他の研究者たちも胸を震わせていた。
しかし今の自分はどうだ?
規制、統制、抑圧――
博士自身が、その文化を“閉じ込める側”に立ってしまっている。
拳が膝の上でゆっくり強く握られた。
■玲美の“声”が戻ってくる
次に浮かんだのは――白い診療所の廊下。
事故で声を失いかけていた玲美が、
震える喉で、それでも一息だけ歌った、あの夜。
心の深部を直接掴まれるような、儚く、それでいて確かな声。
あの声が、博士の中の何かを救った。
あの夜以来、博士はずっと信じている。
音は、誰かを救う。
少なくとも……あの時の私は救われた。
広場で一瞬だけ流れた三人の歌声は、
その記憶の残響を再び強く呼び起こしていた。
■せめぎ合う職務と信念
職員たちは博士の沈黙に耐えきれず、さらに詰め寄る。
職員A「博士、早く! 停止命令を!」
職員B「民衆を煽動します、危険です!」
職員C「通信制御は博士の承認がないと――!」
赤いアラートが、まるで博士を裁くように照らす。
官職としての責任。
科学者としての信念。
そして――この星の未来をどちらへ導くのかという問い。
アリ博士はゆっくり、しかし確固とした意志で立ち上がった。
白衣の裾が静かに揺れ、管制室の全員が息を呑む。
■決断
アリ博士「……回線制御レイヤーを――すべて開放しなさい。」
一瞬、室内の空気が完全に止まった。
職員A「は……博士!? 本気ですか!?」
職員B「そんなことをしたら――」
アリ博士は振り返らない。
ただ前のスクリーンを見据え、静かに続けた。
アリ博士「市民が“息”をしようとしている。」
「それを止める理由は、もう……どこにもない。」
■解放
その言葉と同時に、操作員が震える指で承認キーを押す。
一瞬、赤い警告表示が白光に包まれ――消えた。
【通信規制:解除】
【火星全域・パブリック回線:完全開放】
管制室の空気が、別の世界へ変わった。
火星全土へ、その瞬間、歌の“息”が戻っていく。




