表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
MARS☆IDOL ☆赤い星のシンフォニー☆  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

46/61

心理的クライマックス ― 玲美の再生

ミネルヴァ下層――旧配管区のスタジオ跡。

火星標準時、03:00。


外の風は、まるで眠らぬ獣の呼吸のように、金属壁の隙間を這いながら唸っていた。

配管は低く軋み、天井のリベットが微かに鳴る。

その音が重なり、静寂の底で“リズム”を刻んでいる。


非常灯だけが灯る空間。

赤い光が規則的に点滅し、壁と床を染め上げる。

その明滅はまるで、何か巨大な存在の“鼓動”のようだった。

ひとつ、ふたつ――光が瞬くたびに、空気が震え、金属の骨格がわずかに共鳴する。


かつては音楽のために作られたこの場所も、今は老朽化した設備と錆に覆われている。

だが、その朽ちた静寂の中で、確かに“命”が脈打ちはじめていた。


――火星が、息をしようとしている。


その鼓動を聞くように、玲美たちは立っていた。



カメラは玲美の横顔を捉えていた。

照明などない。赤い非常灯の脈動だけが、彼女の汗と涙を照らし出す。

光が揺れるたびに、その雫は小さな星のように瞬き、頬を伝って落ちていく。


涼子のギターが、静かに、しかし確かな力でストロークされる。

その一音ごとに映像はわずかにスローモーションとなり、

空間そのものが呼吸を止めたかのような静止の瞬間を生む。


カメラがパンする。

赤いレンズフレアが画面を横切り、

玲美、涼子、香菜――三人の姿を一本の光の“ライン”として結びつける。


ギターの余韻が溶ける。

風のノイズがうねる。

玲美の息が、静寂を切り裂く。


その瞬間――

音と映像が完全に重なった。


ノイズ、ギター、そして声。

三つの波が一点に集まり、赤い光が爆ぜる。


それはもう演奏ではなかった。

“Red Line”――火星の鼓動そのものが、いま鳴り始めていた。


玲美は歌いながら、ふいに胸の奥で過去が疼くのを感じた。

――事故の夜。

マイクが倒れ、轟音と共に途切れた“音の世界”。

沈黙。

その後に訪れた、息を呑むほどの静寂。

耳鳴りだけが、かろうじて彼女が“生きている”証だった。


あのとき、音は恐怖だった。

自分を壊す刃のように思えた。

それから彼女は長い間、声を閉ざしていた。


だが今、涼子のギターが隣で鳴っている。

香菜のリズムが、確かに息を刻んでいる。

音はもう敵ではない。

それは――彼女の中で、再び脈打つ生命だった。


(私は、もう逃げない。音と一緒に、生きていく。)


心の中でそう呟くと同時に、玲美の声は変わった。

震えが消え、透き通るような響きが空間を満たす。

その声はもはや言葉ではなかった。

意味ではなく、存在そのもの――

祈りにも似た波動が、赤い非常灯の明滅と共に空気を震わせ、

火星という無音の星に“呼吸”を与えていった。

音の海が、突然、爆ぜた。


イントロもなく――ただ、玲美の息がサビを導いた。

香菜がフェーダーを一気に上げる。

ベースノイズが唸りを上げ、低く重いリズムが床を震わせる。

鉄骨が鳴り、配管が呼吸するように震動した。


その上で、涼子のギターが火花を散らす。

力強く、しかし確信に満ちたストローク。

C、Am、F、G――

幾度も繰り返してきた進行が、今は“祈り”の形を取る。


そして、玲美が目を閉じた。

肺の奥から、全身の熱を吐き出すように、声が放たれる。


♪ ここで、生きてる――

 まだ、終わってない。


その一節が空間を切り裂いた。

音は天井にぶつかり、壁に反射し、何度も重なっていく。

リバーブが波紋のように広がり、彼女の声はひとつの“大気”となってスタジオ全体を満たした。


赤い非常灯が脈打ち、光と音が完全に同調する。

配管の中を通った残響は、まるで火星の空へと抜け出していくように響いた。

それはもう“演奏”ではない――

惑星の息吹そのものだった。

赤い非常灯が、一度だけ強く明滅した。

その瞬間――三人の影が壁に長く伸び、交わり、一本の線を描く。


それは偶然ではなかった。

涼子のギターを握る腕の動き、香菜の端末に反射する光、

そして玲美の身体を包む息の揺らぎ――

それらが重なり、壁面にひとつの“赤い軌跡”を刻み出していた。


細く、しかし確かに脈打つ光の線。

それは“Red Line”。

音の道であり、命の流れ。


カメラはその線を追う。

ゆっくりと天井へ、そしてスタジオの外へ。

古い配管を越え、都市の壁面をなぞりながら、

赤い光がやがて街の灯と混ざり合っていく。


居住区の窓、酸素塔の警告灯、整備通路の誘導ランプ――

それらが次々と同じテンポで点滅を始める。


まるで玲美の歌が、都市の血管を流れる血潮のように、

火星全体へと広がっていく。


赤い光が夜の空を駆け上がり、

低く響く残響が惑星の薄い大気を震わせる。


それは、確かに――この星の“心臓の鼓動”だった。


玲美の声が、最後の一音を残して空気に溶けた。

リバーブが薄れ、音はやがて静寂に吸い込まれていく。


だが、その静寂は“無”ではなかった。

――空気が、まだ震えている。

――壁が、微かに共鳴している。

――風が、答えている。


玲美はゆっくりと目を開けた。

唇がかすかに震え、そして微笑みに変わる。


「……聞こえる。火星の声が。」


その声は、もはや歌ではなかった。

祈りと呼吸のあいだに生まれた、ひとつの生命の響き。


涼子がギターの弦を押さえたまま、静かに頷く。

香菜もまた、録音機に手を置き、玲美へと視線を向けた。


言葉はもういらなかった。

三人の間にあった沈黙が、確かに消えていた。


そこにあるのは――音と、息と、希望だけ。


音が止んだ。

スタジオの空気が、まるで深呼吸を終えた後のように静まり返る。


しかし――完全な沈黙ではなかった。

香菜の録音機、その小さなモニターには、まだ光が残っている。

波形がゆっくりと上下し、脈打つように赤く瞬く。


まるで、そこに“生命反応”が宿っているかのようだった。

音は消えても、確かに“生きている”。

風がわずかに吹き抜け、赤い非常灯の光が再び三人の影を壁に落とす。


玲美は息を吸い、涼子はギターに手を添えたまま目を閉じる。

香菜は録音機を見つめ、その光が消えないことを確かめる。


――静寂の中に、呼吸がある。

――呼吸の中に、音がある。


画面がゆっくりと暗転していく。

最後に、赤い文字が浮かぶ。


『Red Line』

――ここで、生きてる。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ