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MARS☆IDOL ☆赤い星のシンフォニー☆  作者: 南蛇井


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サビ ― 火星の鼓動

 ミネルヴァ下層。旧配管区のスタジオ跡は、いまやほとんど廃墟に近い。

 壁を這う配線は酸化に焼け、天井のパネルの隙間から、火星の冷たい風が微かに吹き込んでくる。

 時刻は深夜、火星標準時で二時を回っていた。


 赤い非常灯がひとつ、ゆらりと点滅している。

 それは呼吸のようなリズムで明滅を繰り返し、まるでこの空間そのものが息をしているかのようだった。

 光が弱まるたびに三人の影――涼子、玲美、香菜――が壁に伸び、また縮む。


 空気は薄く、冷たい。

 だが、その冷たさの中に、音が芽吹こうとしていた。

 赤い光が脈打つたび、古びた金属管がかすかに唸り、遠くの酸素塔の灯りがリズムに合わせて瞬く。


 火星の夜。

 沈黙の中で、音が生まれる準備を始めていた。



涼子のギター、香菜の端末、そして玲美のマイク。

 それぞれの小さな動きが、赤い光の明滅に照らされて輪郭を帯びていく。


 非常灯の光は呼吸のように強弱を繰り返し、まるで彼女たちの音に呼応しているかのようだった。

 そのたびに配管の壁が低く唸り、鉄の骨格が共鳴する。

 響きは天井を伝い、床を震わせ、音が空間全体に“命”を吹き込んでいく。


 錆びついた金属面が赤く染まり、そこに浮かぶ微細な粉塵が光を受けて舞う。

 ひとつひとつが、音の粒子のように空中で震え、ゆっくりと漂っていた。

 音が光を呼び、光が空気を震わせる。

 その循環の中心で、三人はただ――火星の“心臓”のように息づいていた。


サビの入り。

 玲美は一瞬、息を飲む。喉の奥でためらいが生まれ――そして、解き放たれる。


 次の瞬間、彼女の声が空気を切り裂いた。

 細く、しかし確信を宿した響き。

 火星の薄い大気を突き抜け、赤い光の中に真っすぐ伸びていく。


♪ 息がある限り 夢は死なない

この赤い星が まだ歌うから


 涼子のギターが、その声を包み込むように波紋を描く。

 音が広がり、壁を叩き、鉄骨の隙間を通り抜けていく。

 香菜の手元では、リズムトラックが地を支え、ノイズの拍が一定の鼓動を刻む。


 〈カン……チリ……カン……チリ……〉

 規則正しく響く拍が、酸素塔の明滅と完全に同期する。

 赤い光が音の波に合わせて脈打ち――まるで、火星そのものが“呼吸”しているようだった。


 その瞬間、音と光と風が完全に一体化する。

 世界が音楽になり、惑星がひとつの“心臓”として鼓動を始めていた。


 玲美の喉の奥で、何かが目を覚ます。

 ひとつの音を放つたびに、胸の奥で長い眠りから解き放たれるような感覚が広がっていく。

 かつて――マイクの前で声を失った少女。

 だが今、その声は震えを脱ぎ捨て、確かな力を帯びていた。

 それは空気を震わせ、赤い光を微かに揺らす。

 彼女の声が、この空間のすべてを“生かしている”ように。


 涼子の指が弦を叩く。

 火星の薄い空気の中でさえ、その音は力強く響き、鉄の壁を伝って遠くまで届いていく。

 彼女の瞳には涙ではなく、燃えるような光。

 “この音は生きている”――その確信が、指先の動きを止めさせない。

 リズムが風と混じり、呼吸のように世界へと広がっていく。


 香菜の視線は、録音機のモニターに釘付けだった。

 跳ね上がる数値、揺れる波形。

 その意味を理解した瞬間、息を呑む。


「……伝送、開始。外部回線に流れてる!」


 驚きと歓喜が同時に込み上げ、手が震える。

 涼子が顔を上げ、かすかに笑う。


「本当に……?」


 赤い非常灯の明滅が三人を包む。

 その瞬間、彼女たちは悟った。

 ――この音は、もはや彼女たちだけのものではない。

 配管の奥を抜け、風に乗り、星を越えて“誰か”へと届いている。

 音が、世界を繋ぎ始めていた。


 玲美は歌いながら、胸の奥で何かが“目覚めていく”のをはっきり感じていた。

 失われたと思っていた声――あの日、マイクの前で何も出せなくなった自分が、いま確かに息づいている。

 震えはもうない。

 吐き出すたびに音が空気を押し出し、赤い灯りを震わせ、火星の静寂そのものを動かしていた。


 涼子は弦を強く掻き鳴らした。

 薄い大気の抵抗を、音が突き抜けていく。

 どこか遠く、届かない場所にすらこの音が触れていると、彼女は信じていた。

 その瞳は熱を帯び、燃えるような光を放っている。

 ギターのボディが胸に共鳴し、彼女自身が楽器になったようだった。


 香菜は端末に張り付くようにモニターを見ていた。

 波形が暴れ、数値が跳ね上がる。

 息を呑み、唇が震える。


「……伝送、開始。外部回線に流れてる!」


 涼子が弾く手を止めずに顔を上げる。


「本当に……?」


 瞬間、三人の視線がぶつかる。

 音はもう、彼女たちだけのものではなかった。

 壁を超え、風に乗り、この赤い星のどこかで誰かが聴いている。

 その確信が、次の一拍をより強く、より深く鳴らした。

赤いランプが、足元で静かに点滅していた。

 〈トン、トン〉――そのテンポは、今奏でられている音と完全に一致している。

 まるで光が音を理解し、共に呼吸しているかのようだった。


 カメラの視点が、ゆっくりと上昇する。

 壁に走る配管、錆びた鉄骨、天井の支柱――そのすべてが赤い光を受けて脈動を始める。

 光が波紋のように広がり、金属の表面を這い、やがて空間全体に“生命の脈”を描き出していく。


 視点がさらに引いていく。

 旧配管区の狭いスタジオ跡から、赤い線が地下を伝い、外へ、都市の縁へと伸びていく。

 酸素塔の灯が点滅を始め、居住ブロックの窓が連鎖するように光る。

 まるで、火星の都市そのものが――呼吸を取り戻しているようだった。


 画面がわずかに揺れる。

 リズムと同調するように、低い重音が響き、胸の奥を震わせる。

 それは音楽であり、心臓の鼓動であり――

 この赤い星の“鼓動”そのものだった。


息が、音に変わる。

 音が、生命を呼び戻す。


 かつて「死の星」と呼ばれた火星の空気が、いま微かに震えていた。

 風の流れがリズムを刻み、赤い光が拍を打つ。

 そのすべてが、まるでひとつの心臓となって鼓動している。


 玲美の声が空気を震わせ、涼子のギターが地を伝い、香菜のリズムが大気の隅々まで拡散していく。

 音は配管を抜け、岩壁を這い、街の灯へ――

 やがて、薄い大気の果てまで届こうとしていた。


 息=音=生命。

 それはこの瞬間、完全に重なり合っていた。

 誰かの吐いた息が、誰かの鼓動となり、誰かの生を支える。


 サビのメロディが、赤い明滅と共に世界を包み込む。

 まるでこの星そのものが、音楽によって再び呼吸を始めたかのように。


 ――火星が、生きている。


香菜の指先が震える。

 端末のモニターに、波形が跳ね上がった。

 そして――黒い画面の中央に、白い文字が浮かぶ。


 「TRANSMISSION ACTIVE」


 瞬間、電子の光が走った。

 細く、鋭く、赤い配管を伝うようにして伸びていく。

 まるで音そのものが“線”となって、どこか遠い空へと放たれていくようだった。


 涼子は弦を押さえたまま、息を詰める。

 玲美の唇が、次の言葉を探すようにわずかに動いた。

 香菜は目を見開き、呟く。


 > 「……伝送、開始。外部回線に流れてる!」


 画面の隅で、赤い光が脈打つ。

 そのリズムは、先ほどまで彼女たちが奏でていたテンポとまったく同じだった。


 ノイズと風、ギターと声。

 それらがデータとして変換され、無数の信号の中を流れていく。

 どこへ届くのか、誰がそれを受け取るのか――誰も知らない。


 だが、その瞬間、三人は確かに感じていた。

 音が、自分たちの外へ出た。

 火星の赤い大地を越え、まだ見ぬ誰かの心へ届くかもしれない。


 赤いランプがひときわ強く明滅する。

 その光の向こうで、世界が少しだけ、息を吸い込んだ気がした。



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