Scene “Red Line”の生成
旧配管区の薄暗いブースに、静かな電子の唸りが満ちていた。
香菜は腰をかがめ、古びた通信端末の背面にケーブルを差し込む。
指先に伝わる金属の冷たさと、ほのかな振動――この機械がまだ“生きている”ことを確かめるように、彼女は慎重にスイッチを押した。
古びたモニターが一瞬だけ白く点滅し、ノイズが走る。
ザザッ、と砂嵐のような映像が揺らぎ、その奥に小さな文字が浮かんだ。
【INPUT CHANNEL-1】
香菜の喉が、わずかに鳴った。
画面の隅で波形が脈打つ――まるで、眠っていた心臓が再び鼓動を始めたかのように。
「……風、拾えるかも。」
彼女は息を潜め、モニターを見つめながら小さく呟く。
指先でノブをゆっくり回すと、音が生まれた。
〈ヒュウ……チリ……カン……〉
それは単なる雑音ではなかった。
錆びた金属を通って吹き抜ける風の音が、かすかな律動を伴って空気を震わせる。
配管の奥から届くその響きは、まるで火星という惑星自体が深く呼吸を整えているように感じられた。
香菜は思わず息を止める。
電子音と風音の間に、確かに“拍”がある。
機械と星の呼吸が重なり合い、そこにまだ言葉にならない音楽の胎動が宿り始めていた。
香菜の指が、録音機のフェーダーを静かに滑る。
モニターに走る波形が揺らぎ、不規則だったノイズが少しずつ形を帯びていく。
最初はただの風の唸りだった。
だが、周波数を調整するたび――音が呼吸を始めた。
〈チリ……カン……チリ……カン……〉
配管の奥から響く金属音が、一定の拍を刻む。
まるでこの星の地下に眠る何かが、ゆっくりと目を覚ましたかのように。
香菜は息を呑んだ。
ノイズがリズムへと変わる。
混沌から秩序が立ち上がる瞬間。
“音楽”が、人工物でも自然でもない場所から生まれつつあった。
その拍に導かれるように、涼子がギターを手に取る。
光沢の消えた弦が、赤い非常灯の下で微かに光る。
彼女は指先で一度、軽く空を払うようにしてから――静かにコードを押さえた。
C。
柔らかい響きが、冷たい空気の中に広がる。
指が少し震えたが、音は濁らない。
Am、F、そしてG。
それは、かつて迷いと共に鳴らされた未完成の進行。
だが今は違う。
一つひとつの音が、確信を持ってこの空間に刻まれていく。
(涼子・心の声)
「この音が、火星の空気に届くように――」
弦の響きが配管の金属壁に跳ね返り、
香菜の作り出したリズムと溶け合う。
赤い非常灯の光が脈打つように明滅し、
そのたびに音が生き物のように息づいた。
その瞬間、風と鉄と人の手が――
ひとつの“鼓動”を共有していた。
玲美は、そっとマイクに手を伸ばした。
その指先が触れる瞬間、微かな震えが伝わる。
彼女の顔には緊張が浮かんでいた――けれど、その奥に、確かな光が宿っている。
一度、深く息を吸い込む。
胸の奥に冷たい火星の空気を満たし、それを“声”へと変える。
♪ 風の中に息を残して
まだ見ぬ明日を繋ぐ――
最初の一音は、かすかに掠れていた。
それでも、その掠れがかえって“生きている”ことの証のようだった。
涼子のギターが優しくコードを支え、香菜のリズムが穏やかに脈を刻む。
音が重なっていくごとに、玲美の声は強さを増していく。
空気が震え、錆びた配管が共鳴する。
その響きは単なる反射ではなかった――まるで金属そのものが、彼女の歌に呼応して鳴っているようだった。
音は壁を伝い、天井を這い、風と混じり合う。
やがて、それらは区別のつかない一つの“ハーモニー”となって空間を満たした。
玲美は目を閉じていた。
彼女の声は、もはや緊張の震えではなく、確信の鼓動となっていた。
それは火星の赤い大地が放つ“心拍”――
無機質な空間が、音によって“生命”へと変わる瞬間だった。
音は続く。
壁が、風が、そして人が――ひとつの歌となって。
香菜の指が録音機のレベルノブを押し上げる。
瞬間、モニターの波形が跳ね上がり、音が――ひとつになった。
風のリズム、金属の打音、ギターのコード、そして玲美の声。
それぞれが個別の存在だったものが、今この瞬間、境界を失い、
まるで同じ血流を通うように、赤い光の中で溶け合っていく。
非常灯の赤が明滅し、三人の影を壁いっぱいに映し出す。
光が呼吸のように強まり、弱まり、音に合わせて脈打っていた。
カメラが三人の手元をなぞり、指、弦、波形、息――
それぞれの動きが一つの円を描き、やがて全景へと広がる。
涼子:「……これだ。」
玲美(微笑みながら):「“Red Line”。」
その言葉を合図に、音が赤い空気を震わせる。
もう誰の音でもない。誰かが奏で、誰かが聴くのではない。
――音そのものが、生きている。
風が低く唸り、金属が鳴る。
ギターの弦がそれに応え、玲美の声がその隙間を埋める。
ノイズがベースとなり、音は有機的な呼吸を始めた。
赤い非常灯が、まるで鼓動のように点滅する。
それは、惑星の鼓動。
それは、火星の“血流”――
そして、人類がこの星に刻んだ最初の“生命のリズム”。
「Red Line」。
その名のとおり、希望が音として形を取り始めていた。
風も、壁も、息も――すべてが、ひとつの生命として鳴っている。
それは演奏ではなく、誕生。
火星が、今、初めて“音楽”という名の息をした瞬間だった。
サビが始まった瞬間、空気そのものが変わった。
赤い光が強く脈打ち、酸素灯が明滅を繰り返す。
その光が壁の錆を照らし、鉄の肌がまるで生きているように輝いた。
玲美の声が、空間の中心を突き抜ける。
♪ 息がある限り 夢は死なない
この赤い星が まだ歌うから
歌とともに、火星が震えた。
低音が床を打ち、リズムが配管を伝って遠くまで走る。
それはただの反響ではない――まるで惑星そのものが“心臓”を持ったようだった。
涼子のギターが火花のように跳ね、香菜のミキサーがそれを包み込む。
ノイズはもはや雑音ではなく、鼓動の一部として響いていた。
風が呼吸のように吹き抜け、すべての音が一つの拍動に溶けていく。
香菜の視線が端末のモニターに釘づけになる。
波形が跳ね上がり、数値が上昇を続けていた。
「……伝送




