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MARS☆IDOL ☆赤い星のシンフォニー☆  作者: 南蛇井


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35/61

沈黙を破る“風の拍”

 ――音が、消えた。

 最後の一音が空気に溶け、配管の奥で低くうなる風がそれを呑み込んでいく。

 涼子の指は弦の上に止まったまま、かすかに震えていた。錆びた金属の感触が、皮膚の奥にまで残響している。



 玲美。ノートを膝に、俯いたまま動かない。ペン先が紙の上に置かれたまま、まるで呼吸すら止めたよう。

 香菜。録音機の赤いランプを見つめている。点滅が、静かな心拍のように明滅していた。

 そして――涼子。

 彼女の左手はコードを押さえたまま固まり、右手の指先には“もう一度鳴らしたい”衝動が宿っている。だが、その音はまだ、沈黙の向こう側にある。


 その沈黙は、痛みでも、恐怖でもなかった。

 むしろ、世界が「息を潜めている」ような静けさ。

 風がやみ、埃が宙に漂う。

 配管の灯が赤く瞬き、時間そのものが止まったように見えた。


 ――音の消えた場所。

 けれど、その無音の奥で、確かに何かが「待っている」。



沈黙を破ったのは、ほんの偶然の“音”だった。


 ――ヒュウ……チリ……。


 どこか遠くの配管の隙間から、風が吹き抜けた。

 細い金属の管が共鳴し、錆の粒が小さく跳ねる。

 その音は脆く、頼りなく、それでいて――確かに「ここにある」と告げていた。


 静止していた空気が、わずかに動く。

 まるでこの場所そのものが、ゆっくりと“呼吸”を始めたかのようだった。


 香菜が顔を上げる。

 その瞳は風の方向を捉え、無意識に録音機へ手を伸ばしていた。

 指が慣れた動作でスイッチを押す。

 ――カチリ。

 赤いランプが“REC”から“PLAY”へと切り替わる。


 スピーカーから、さっき録ったばかりの風音が再び流れ出す。

 「ヒュウ……チリ……」

 かすかなノイズの合間に、不規則なリズム。

 けれど、その間合いが妙に心地よく――心の奥の鼓動と、重なった。


 涼子が息を吸う。

 玲美が顔を上げる。

 沈黙の中に、確かな“はく”が生まれていた。


 火星の風が刻む、誰のものでもないリズム。

 それはまるで、彼女たちの再生を告げる合図のように――。


香菜は、再生された風音に耳を澄ませた。

 その顔は静かで、けれど何かを見つけようとするように、わずかに目を細めている。

 録音機のスピーカーから流れる「ヒュウ……チリ……」という音が、彼女の呼吸と重なった。


 ――一定ではない。

 だが、不思議と「生きている」と感じられる。


 風が管を抜けるたび、赤い粉塵が光の中を舞う。

 その粒ひとつひとつが、まるで拍動の断片のように揺れていた。


 香菜の唇が、かすかに動く。

 「……これが、この星の“はく”だよ。」


 小さな声だった。

 けれど、その言葉は確かに空気を変えた。


 涼子が弦に触れる手を止め、玲美がノートから顔を上げる。

 二人の視線が、香菜に向かう。


 ――その瞬間、誰も口にしなかったけれど、皆が同じことを理解していた。


 ここはもう“廃墟”じゃない。

 風が音を刻み、人がそれを聴く場所――つまり、心臓。


 火星の静寂が、ゆっくりと鼓動を始める。

 音が、生まれたのだ。


香菜の録音機から、風の音が繰り返し流れていた。

 「ヒュウ……チリ……」――金属が擦れ、砂がこすれる、不規則な呼吸のような音。


 涼子は、そのリズムに導かれるようにギターを抱え直す。

 錆びた弦に指を置き、ゆっくりと弾いた。

 「ポロン……」

 その音が空気を割り、風のリズムと重なる。


 不安定な共鳴が起こった。

 風の“拍”と、ギターの“音”が、互いに揺さぶり合う。

 まるで、この惑星そのものが弾かれているようだった。


 玲美が顔を上げる。

 涼子の音、香菜の風、そして自分の心臓の鼓動――それらが、ひとつの線でつながっていく。

 彼女の手が、ノートの上で小さく動いた。


 ペン先が、震える紙をなぞる。

 “――聞こえる。まだ、生きてる。”


 掠れた文字。だがその言葉は、確かに世界を動かした。


 その瞬間、三人の間にあった“沈黙”がほどける。

 ギターの音が、風の拍に呼応し、ノートの言葉がその上に重なる。


 ――音が、彼女たちの間を巡り始めた。

 錆びた配管の奥で、火星の空気が、まるで喜ぶように鳴った。


香菜の録音機のメーターが、微かに光を刻んでいた。

 「ヒュウ……チリ……」――風の拍が鳴り、

 そこに涼子のギターの響きが重なる。

 ノイズ、共鳴、呼吸、弦の余韻。

 それらが絡まり、ひとつの“線”を描く。


 機械のノイズが、心拍のように点滅する。

 赤いランプが「ピッ、チリ」と明滅しながら、音の軌跡を記録していく。

 ――まるで、この瞬間、火星という星そのものが録音されているかのようだった。


 涼子はギターを抱えたまま、小さく息を吐く。

 指先に残る弦の痛みと、胸の奥の熱を確かめるように。

 「……始まったね。」


 玲美は言葉を失ったまま、ただ頷いた。

 香菜は録音機を見つめ、再生ボタンのランプが点滅するのを見守っている。


 

 赤く錆びた配管が幾重にも重なり、そこに灯る小さな照明の光。

 それは、薄暗い火星の路地裏で生まれた、最初の“音の息吹”だった。


 画面下に、静かに文字が浮かぶ。


 【Red Line / prototype_01】

 “beat detected…”


 ――風と音と人の鼓動が、ひとつの線でつながった瞬間だった。


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