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MARS☆IDOL ☆赤い星のシンフォニー☆  作者: 南蛇井


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32/61

絶望 ― 夢の崩壊

通信室は、夜の静寂に沈んでいた。

壁一面を覆うモニター群はすでに半数がブラックアウトし、残された数枚だけが青白い光を投げかけている。

その光は、まるで水底のように冷たく、室内の金属壁をぼんやりと照らしていた。


天井の酸素灯は不安定に点滅し、光が消えるたび、誰かの息づかいだけが際立つ。

帰還直後の湿った空気――火星の赤い塵が、彼女たちの衣服にまだ薄く残っている。


涼子は通信卓の前に座り、無言でモニターを見つめていた。

指先には、酸素塔の外で感じたあの風の名残が、まだ微かに残っているような気がした。


玲美は奥で機材を整えながら、ちらりと涼子の背中を見る。

沈黙が、何かの前触れのように重くのしかかる。


ただひとつ、機器のパネルだけが規則的に明滅していた。

その青白いリズムは、生命維持装置の鼓動にも似て――

この場所が、まだ“かろうじて生きている”ことを示していた。


通信モニターが、不意に低い電子音を鳴らした。

青白い光が瞬き、画面に企業ロゴがゆっくりと浮かび上がる。


 《MARS CULTURE LINK PROJECT - STATUS: TERMINATED》


その文字は、どこか無感情な冷たさを帯びて、通信室の壁に反射する。


「――うそ……」

玲美は息を呑み、椅子を蹴るように立ち上がった。

足音が金属の床に乾いた音を響かせる。


彼女は端末に駆け寄り、震える指で操作盤を叩く。

「待ってください! どういうことですか!? 私たちはまだ、正式な発信テストも――」


画面の奥から、静かな電子音声が応答した。

冷徹で、人の温度を感じさせない合成声。


 《プロジェクト評価基準に基づき、文化波及指数は閾値未満。継続価値なしと判断しました。》


玲美の顔から血の気が引く。

モニターに映る文字列は淡々と流れ続け、どんな懇願も遮るように、規定文を反復していた。


涼子はその光景を見つめながら、何も言えずに立ち尽くす。

画面に映る「TERMINATED」という単語だけが、火星の夜に鋭く突き刺さっていた。


モニターの青白い光が、涼子の頬を淡く照らしていた。

その光の中で、彼女は立ったまま動かない。


唇が、わずかに震えた。

けれど、声は出ない。

言葉が、胸の奥で形を失っていく。


酸素塔の稼働音が遠くで唸り、通信室の空気は重く沈む。

玲美は操作盤の前で拳を握りしめたまま、視線を落とす。


その傍らで、香菜が静かにしゃがみ込んでいた。

彼女の膝の上には、小さな録音機。

両手でそれを抱くように持ち、そっと再生ボタンを押す。


「……ヒュウ……ヒュウ……」


ノイズ混じりの風の音が、室内に広がった。

無機質な機械音の中で、それだけが確かに“生きている”音だった。


涼子の視線がゆっくりとその方向を向く。

耳を傾ける。

それは、あの少女と聴いた風――火星の息。


けれど、今はもう何も続かない。

風の音が、虚空に吸い込まれていくように薄れていく。


涼子の唇が、再び震えた。

今度は、かすかに声が漏れる。


「……ここには、もうステージもないの……?」


その言葉は、自分自身に向けた問いのように、静かに消えていった。





天井の酸素灯が、ひとつ――またひとつと、ゆっくりと落ちていった。

「ピ……」という短い電子音を残して、光が息絶えるたびに、部屋の輪郭が崩れていく。


白い照明が失われ、通信室はじわじわと赤い闇に沈み始めた。

壁に反射する酸素塔の外光が、血のような色を帯びて揺れる。


玲美が顔を上げたとき、その光が彼女の瞳の中で小さく滲んだ。

香菜は録音機を抱いたまま、微動だにしない。

誰も、次の言葉を持たなかった。


――ただ、呼吸だけがあった。


薄い空気を肺に取り込むたび、喉が痛む。

その音さえも、この部屋で唯一の“生”の証。

だがそれすら、徐々に遠のいていくように感じられた。


モニターの電源が落ち、最後の光が消える。

静寂が、重い布のように降りかかる。


その暗闇の中で――

机の端に置かれた古びたラジオが、かすかに赤く点滅した。


「チ……チリ……」


ランプが弱々しく明滅を繰り返す。

それはかつて、希望を告げる鼓動のように見えた光。

けれど今、涼子にはそれがまるで“終焉のサイン”のように映った。


赤い光が、最後にひときわ強く瞬き――

そして、闇に溶けて消えた。


――音が、止んだ。


BGMは途切れ、通信室に残るのは“風のざわめき”と“ノイズ”だけ。

金属壁をすり抜ける気流が、細く、長く、悲鳴のように鳴る。

その音がやがてラジオのノイズと混ざり合い、

「チリ……ヒュウ……チリ……」――まるで、この場所が息をしているようだった。


酸素灯の光がゆっくりと弱まり、

青白かった通信機のパネルも次々に沈黙する。

照明が一段ずつ落ちていくたび、三人の姿は影の中に溶けていった。


玲美は端末の前に座り込んだまま、

香菜は録音機を胸に抱き、

涼子は立ったまま――その目に、もはや光を映さない。


ラジオのランプだけが、赤く残る。

薄暗い空間の中で、その一点が脈打つように瞬く。


カメラがゆっくりと引いていく。

三人のシルエットが遠ざかり、やがて輪郭を失う。

残されたのは、通信モニターの画面だけ。


そこには、無機質な白い文字が静かに浮かんでいる。


《STATUS: TERMINATED》


数秒後、その文字も赤い光の中に滲み――

フェードアウト。


風とノイズが重なり、

最後に、「チリ……チリ……」というかすかな音だけが残った。


通信室に残るのは、赤い光と静かな呼吸だけ。


数字がすべてを決める時代。

夢も、努力も、視聴率のグラフの上で“価値”として測られる。

冷たいデータが、文化を終わらせ、希望を消す。


それでも――

火星の風だけは、まだ彼女たちの“息”を覚えていた。


金属の壁をかすめるように流れる風が、

録音機のマイクを震わせる。


「……ヒュウ……」


その音は、どこかで誰かがまだ“生きている”ことの証。

AIが切り捨てた無駄なノイズこそ、彼女たちが追い求めてきた“生命の響き”だった。


涼子は静かに目を閉じる。

視聴率も、評価も、報告書も――何もいらない。

彼女の胸の奥で、ひとつだけ確かなものがある。


それは、“息”の音。


火星の空気が彼女たちの記憶を包み込み、

ラジオの赤いランプが、まだ脈を打つように光っている。


――文化は終わらない。

数字では測れない“音”が、ここで確かに生きている。


通信モニターが沈黙し、画面にはノイズだけが残る。

そのざらついた音の中から、ふと――小さな声が混じった。


「……あはは……ねぇ、もっと風の近くで録ろうよ……!」


香菜の録音機が自動再生を始めていた。

それは、火星の子供たちの笑い声。

風に混じる無邪気な声が、冷えきった通信室に柔らかく広がっていく。


涼子はゆっくりと顔を上げた。

その目に、微かな光が戻る。


「音は……まだ、生きてる。」


玲美が息を呑み、香菜が泣き笑いのように頷く。

三人は何も言わずに見つめ合う。

スポンサーの通信も、AIの通達も、もはや関係ない。


彼女たちの中で、確かに“音”は生きている。

呼吸のように、心臓の鼓動のように。


涼子は録音機の赤いランプを見つめ、静かに呟く。

「……届けよう。この星の“息”を。」


その瞬間、ノイズの奥で風が鳴った。

――まるで、火星そのものが応えるように。


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