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MARS☆IDOL ☆赤い星のシンフォニー☆  作者: 南蛇井


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31/61

情景

路地裏には、夕陽が沈みかけていた。

酸素塔の影がゆっくりと伸び、赤い粉塵の中で揺れている。

壁際には、風に錆びた金属片が積み重なり、かすかに「カラ……」と鳴いた。


涼子は膝をつき、胸ポケットに手を伸ばした。

指先が、そこに仕舞っていた小さなマイクの冷たい感触に触れる。

取り出した瞬間、光を反射して淡くきらめいた。


彼女の手がわずかに震える。

それは恐れでも緊張でもない――“祈り”のような震えだった。

何かを呼び戻そうとするように、彼女は静かにマイクを見つめる。


少女は向かいで、息を止めるようにその動作を見ていた。

その小さな肩が、夕風の中でほんの少しだけ揺れる。

沈黙の路地に、二人の呼吸音だけが溶けていった。


涼子はマイクを両手で包み込むようにして、壊れたラジオのそばへとそっと置いた。

金属の床に触れた瞬間、かすかな音が響く。――まるで、何かが目を覚ます前の息づかいのよう。

彼女は息を整え、指先でスイッチを押し込む。

「カチッ」と小さな音。

その直後、ほんの一拍の沈黙が流れた。

風さえも息を止めたような、張り詰めた静けさ。

そして――。

「……ピッ……チリ……チリ……」

ラジオの奥から、微かなノイズが滲み出す。

電子のざわめきと、外の風の音が溶け合い、やがて一つの“呼吸”のように重なっていく。

それは、誰かが遠くで目を覚ましたかのような、かすかに暖かい音だった。

少女の瞳がゆっくりと見開かれる。

反射する光の中に、小さな驚きと、信じられないような希望が宿る。

唇が微かに震え、何かを言おうとして――けれど、言葉にはならなかった。

ただ、静かに、二人はその音を聴いていた。

“息”を持たない星の片隅で、生まれたばかりの“呼吸”を。


少女は、そっとラジオの前に身を乗り出した。

両腕で抱えるようにして、耳を近づける。

壊れかけた金属の表面が、体温でわずかに曇る。


「……ピッ……チリ……チリ……」


ノイズが、風の流れに合わせて揺れた。

風が吹くたびに、電子のざわめきが微かに高まり、止むとまた静まる。

それはまるで、何かがこの薄い空気の中で“息をしている”ようだった。


少女の表情には、喜びよりも深い“祈り”の色が宿っていた。

目を閉じ、音を逃すまいとするように全神経を傾けている。

その姿に、涼子は息を飲んだ。


やがて、少女が唇をわずかに動かす。

囁くような声が、ノイズの隙間に溶けていった。


「……生きてる。」


その一言が、涼子の胸の奥に深く響く。

音の震えよりも確かに――

彼女は、今、ひとつの“命の証”を聴いた気がした。


涼子は、少女の小さな横顔を見つめながら、胸の奥で何かがゆっくりと形になるのを感じていた。

風が再び吹き抜け、ラジオの中のノイズがさざ波のように揺れる。


「この星の子は、“音”を欲しがっている。

息をするように、生きる証を求めている。

その声を――私は、地球へ届けなきゃ。」


心の中でその言葉が浮かぶと、涼子はラジオから視線を上げた。


空は、赤い砂塵の彼方でゆっくりと色を変えつつある。

夕焼けの朱が、酸素塔の影を長く伸ばし、その向こうに淡い青が滲む。

それは、かつて彼女が見上げた地球の空の色――

もう二度と見られないと思っていた“帰る場所”の記憶。


薄い空気を透かして、遠くに小さな青い光が瞬いている。

涼子は目を細め、深く息を吸い込んだ。


ノイズがまだ、かすかに鳴っている。

それは風でも、機械でもない――この星の“息”そのものだった。



涼子と少女は、路地裏の片隅に並んで腰を下ろしていた。

壊れたラジオのランプが、夕暮れの薄闇の中でかすかに赤く瞬いている。

それは灯火のようであり、鼓動のようでもあった。


風が吹くたびに、赤い粉塵が舞い上がり、二人の髪をやさしく撫でていく。

遠くで酸素塔が低くうなり、空気の振動が地面を伝って足もとに届いた。


ラジオのスピーカーから、静かなノイズが漏れ出す。


「チリ……チリ……ヒュウ……」


電子のざらつきと風の息が、やがて一つに溶け合っていく。

それはまるで、この惑星そのものが“息をしている”ような音だった。


涼子は目を閉じ、その音に耳を傾けた。

呼吸と、風と、ノイズ。――すべてが、生きている。


やがてカメラはゆっくりと引いていく。

夕陽が完全に沈む寸前、赤い空の下に二つの小さな影。

火星の薄い大気の中で、微かな“生命の音”が静かに鳴り続けていた。


ラジオの小さなランプが、赤く――そしてゆっくりと、点滅を繰り返していた。

「ピッ……ピッ……」

その明滅は、まるで心臓の鼓動のよう。

まるで、この壊れかけた機械の中にも“命”が宿っているかのようだった。


涼子はその光をじっと見つめる。

頬を伝う一筋の涙が、粉塵の中でわずかに光る。

だが彼女は拭おうとはしなかった。


風が頬を撫で、涙の跡を乾かしていく。

涼子は静かに、微笑んだ。

それは悲しみではなく――確かな希望の微笑み。


ラジオのランプが、最後にもう一度だけ強く灯る。

そして、その赤い光が二人の顔を照らし出す。


火星の空は深く沈み、風が歌う。

“生きている”という音が、確かにそこにあった。



赤い砂の舞う路地裏。

その片隅で、涼子と少女が並んで座る姿が、次第に小さくなっていく。


背後には、巨大な酸素塔のシルエット。

その影が、火星の薄い大気を貫いて空へと伸びていた。

塔の上部で、わずかに光が瞬く。まるでこの星が、かすかな呼吸を続けているかのように。


画面全体に、赤い光がじわりと滲み広がる。

その赤は、血のようでもあり――生命の灯のようでもある。


そして、ゆっくりと暗転。


静寂。


ただ、ラジオのノイズだけが、最後にかすかに響く。


 「……チリ……チリ……」


その音が、闇の中へ溶けていく。


暗転した画面の奥――

しばしの沈黙ののち、

ラジオの内部で、ひときわ鋭い“チリ”という音が走る。


回路の奥で、小さな赤いランプが再び灯る。

それは、かすかに規則的な点滅。

まるで、何か――遠い場所からの呼吸に応えるように。


静寂の中、微弱な電波の波形が揺らぐ。

「……ザ……ピ……」

それはノイズのようでいて、どこか“意志”を帯びていた。


少女のラジオが、確かに“何か”を受け取ろうとしている。

――まだ見ぬ地球からの、最初の呼び声。


画面がゆっくりとフェードアウト。

最後に、微かな波形が赤く瞬く。




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