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MARS☆IDOL ☆赤い星のシンフォニー☆  作者: 南蛇井


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少女の願い

夕刻。

 火星の太陽が沈みかけ、空は淡い橙から鈍い紅へと変わりつつあった。

 下層区画の外れ――酸素塔の巨大な影が、崩れかけた建物の壁面を静かに覆っている。

 その影の中に、一本の細い路地があった。


 薄い空気が流れ、足もとの粉塵がかすかに舞う。

 風はほとんどなく、酸素塔の低い唸りだけが、遠くから途切れ途切れに響いている。

 灯りはない。

 ただ、赤い反射光が壁の鉄錆を鈍く照らし、路地全体がどこか血のような色を帯びていた。


 その静寂の中に、二つの影がある。

 ひとつは――地球から来た取材者、涼子。

 もうひとつは――この惑星で生まれ、ここで生きる小さな少女。


 呼吸音すら響くほどの静けさの中、二人の存在だけがかろうじて“生”を感じさせていた。

 そのわずかな気配が、夕暮れの赤に溶け込みながら、火星の空気を震わせている。



涼子は、壊れたラジオの外装に指を滑らせた。

 指先に伝わるのは、錆びついた金属のざらつきと、長く冷たくなった感触。

 かつて音を宿していたはずの機械は、今ではただの“殻”のようだった。


 少女はその様子を、黙って見つめている。

 膝を抱えたまま、細い肩を少し震わせながら――。

 その瞳の奥には、ふたつの光が同居していた。

 “期待”と、“諦め”。

 希望を持つことの痛みを知っている瞳。


 沈黙の中で、少女が小さな声を落とす。


少女:「ねぇ、お姉ちゃん。地球のラジオって……どんな音なの?」


 その声は、風よりも静かだった。

 だが、言葉のひとつひとつが涼子の胸に沈んでいく。

 ――それは、単なる質問ではない。

 この惑星では届かない、“知らない世界への憧れ”そのものだった。


 涼子は答えを探すように、ラジオをそっと見つめ返す。

 赤く沈む空の下で、その小さな沈黙だけが、ふたりの間に息づいていた。



涼子は、少女の問いにすぐには答えられなかった。

 胸の奥で、何かが小さく疼いていた。

 それは――音の記憶。

 かつて満ちていた世界の、温かな残響。


 少し間を置き、彼女は静かに口を開く。


涼子:「……あたたかい音。人の息が混ざった音。

 ニュースとか、歌とか、笑い声とか……いろんな“生きてる音”が流れてた。」


 その言葉を紡ぐたびに、遠い地球の空気が脳裏をよぎる。

 マイクの前で息を吸い、声を放つ瞬間。

 観客のざわめき、拍手、そして自分の心臓の鼓動――。

 あのとき確かに、音は“生きていた”。


 少女は小さく息を呑み、手の中のラジオを見下ろす。

 ひび割れた金属面に、彼女の顔がかすかに映る。


少女:「じゃあ、この子も、いつか“息”を出せるかな。」


 涼子はその言葉に胸を詰まらせた。

 少女が抱くそのラジオは、単なる壊れた機械ではない。

 彼女にとっては、“声を失った友だち”――沈黙の中で、ずっと待ち続けている存在なのだ。


 風が吹き、ラジオのアンテナがかすかに鳴った。

 その微かな音さえ、ふたりには“鼓動”のように聞こえた。



涼子の胸の奥に、少女の言葉が深く沈んでいった。

 ――“息を出せるかな”。

 その一言は、まるで細い針のように静かに突き刺さり、心の奥でじわりと痛みを広げる。


 彼女は、知らずラジオを見つめていた。

 ひび割れた金属面の向こうに、かつての自分の姿がぼんやりと重なる。

 音を失い、声を出せず、ただ沈黙の中で呼吸を忘れていった日々。

 ――あのとき、自分もまた、“息を止めかけていた”。


 指先が震え、涼子はそっとラジオのネジを撫でた。

 壊れた部分を見つけるように、自分の過去の欠片を確かめるように。


モノローグ(涼子):

「音は、息。

 歌は、生きる証。

 この子を直すことは……あの時の私を、もう一度“生かす”ことなんだ。」


 その瞬間、涼子の瞳の奥で、わずかに光が灯る。

 それは決意の光――かつての“沈黙”を越え、再び息を取り戻すための小さな灯火だった。


涼子はゆっくりと胸ポケットに手を伸ばした。

 指先が触れたのは、銀色にくすんだ小さなマイク。

 取材用にいつも持ち歩いていた、旧式の簡易型。

 だが今は、それがまるで“心臓”のように思えた。


 彼女はそれをそっと取り出し、少女の前に差し出す。

 赤い光がマイクの金属面に反射して、淡く揺れた。


「この子に――地球の“息”を聞かせてあげる。」


 涼子の言葉に、少女は目を丸くする。

 そして、ためらいがちに、それでも確かな笑みを浮かべた。


「ほんとに……そんなこと、できるの?」


 涼子は微笑んでうなずく。

 言葉よりも先に、手が動いた。

 慎重に、壊れたラジオの端子へとマイクのプラグを差し込む。


 ――「ピッ……チリ……」


 空気が震えた。

 乾いたノイズが、まるで誰かの最初の呼吸のように路地裏に流れる。

 その微かな音の粒が、赤い夕光の中で揺らめきながら、

 確かに“生まれよう”としていた。


 少女は息を止め、涼子はそっと耳を澄ます。

 二人の間に流れたそのノイズは、

 まるで地球と火星をつなぐ“ひとつの息”のように、やさしく震えていた。

夕暮れの風が、静かに二人を包み込む。

 酸素塔の影が長く伸び、赤い粉塵がゆっくりと舞い上がる。

 その中で――壊れたはずのラジオのランプが、

 かすかに、ひとつ、赤く瞬いた。


 まるで、眠っていた心臓が初めて鼓動を打つように。


 涼子はその光を見つめながら、そっと息を吸う。

 薄い空気が肺に触れるたび、

 遠い地球の空気と重なって、胸の奥がじんわりと熱くなる。


 モノローグ(涼子):

 「火星の空気の中にも、“息”はある。

  きっと――音はまだ、生きてる。」


 少女はラジオを抱きしめたまま、小さく笑った。

 その頬を撫でる風が、ノイズとともにかすかな旋律を運ぶ。


 “チリ……チリ……”


 それは、音の始まりのようでもあり、

 再生の予感のようでもあった。


 ――この瞬間から、二人の物語が動き出す。

 沈黙を越えて、“星を超えて繋がる音”を探す旅が。


涼子はマイクをラジオのそばにそっと置いた。

 手のひらほどの小さな機械が、夕暮れの光を反射して微かに光る。

 スイッチを入れると、スピーカーの奥から「……チリ……チリ……」と、かすかなノイズが立ち上がった。

 混じり合う電子の震えの中に、風が通り抜ける音が――確かにあった。


 少女はその音に耳を澄ませる。

 目を閉じ、息を止め、まるで“空気そのもの”を聴こうとするかのように。

 頬に吹きつける赤い風が、彼女の髪を揺らした。


 モノローグ(涼子):

 「この星の子は、“音”を欲しがっている。

  息をするように、生きる証を求めている。

  その声を――私は、地球へ届けなきゃ。」


 涼子は静かに空を見上げた。

 薄い大気の向こう、遠い地平の彼方に、淡い光点がまたたく。

 それは――かつての故郷、青い星。


 少女が微かに笑う。

 ラジオの中では、まだノイズが鳴っていた。

 「……チリ……チリ……」

 まるで、この世界の心臓が、確かに鼓動しているかのように。


 カメラがゆっくりと引いていく。

 酸素塔の影が長く伸び、赤い砂が舞い上がる。

 風とノイズが重なり、沈黙の惑星に“音の残響”が染み込んでいく。


 ――その小さな音が、やがて星を超え、誰かの耳に届くことを信じて。


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