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MARS☆IDOL ☆赤い星のシンフォニー☆  作者: 南蛇井


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27/61

“雑音”の向こうに

涼子は細い路地の入口に立ち、足を踏み入れた。

 赤い砂がうっすらと積もり、ブーツの底がそれを押しつぶすたび、

 「ザリ……ザリ……」と乾いた音を立てた。


 奥へ進むほどに、光が薄れ、空気が冷えていく。

 さっきまで背後にあった人の声や、機械の唸り――

 それらが少しずつ遠のき、やがて完全に消えた。


 残るのは、自分の呼吸と足音だけ。

 そのどちらも、この惑星の空気に吸い込まれていくようだった。


 涼子は立ち止まり、耳を澄ませる。

 風もない。振動もない。

 ただ、沈黙だけが生きている。


 > 「……音が、ない。」


 呟いた声が、自分の中に沈んでいった。

 胸の奥で、何かが軋むように鳴る。

 ――音を、探している。

 そう気づいたとき、涼子の瞳にかすかな焦りが灯った。

 ――チリ……チリ……。


 静寂の底で、かすかな音が生まれた。

 最初は耳鳴りかと思った。

 だがそれは確かに、空気の中で震えている。電子ノイズのようで、火花のようでもある。


 涼子は息を止め、音の方向へと顔を向けた。

 乾いた砂の上を踏みしめながら、ゆっくりと歩を進める。

 一歩、また一歩――。

 無音の世界に、そのわずかな「チリ……チリ……」が導くように響いた。


 通路の奥は崩れかけていて、壁のひびから冷たい風が漏れていた。

 光の届かないその影に、小さな人影が見えた。


 少女がいた。

 膝を抱え、古びたラジオを胸に抱きしめている。

 表面は割れ、アンテナは折れ曲がっていたが、ダイヤルの隙間からは不思議と微弱な音が漏れていた。


 ――チリ、チリ……。


 少女の指がラジオのつまみをなぞるたび、ノイズが一瞬だけ息を吹き返す。

 その様子は、まるで死にかけた音を必死に繋ぎとめているようだった。


 涼子は、無意識に立ち止まっていた。

 胸の奥で、何かが小さく脈打つ。

 “音”が、まだここにある――そう思った。



少女の髪は、火星の砂に溶けるような淡い砂色をしていた。

 風が吹くたび、細い髪がふわりと舞い、赤い光を受けてきらりと揺れる。

 頬はやせ細り、唇はひび割れて白く乾いている。

 それでも――その瞳だけは、驚くほど透き通っていた。

 まるでこの荒れた世界とは無縁の、水の底のような静けさをたたえて。


 少女の腕の中には、古びたラジオ。

 割れたスピーカーの隙間から、かすかに音が漏れていた。


 ――チリ……チリ……。


 ノイズが空気をかすめ、薄い風の中に溶けていく。

 砂の舞う音、塔の遠い唸り、そのすべてが掻き消えても――

 その“雑音”だけは、確かにここで生きていた。


 涼子は、息を呑む。

 それは壊れかけの機械が発する音ではなく、

 まるでこの星そのものが、かすかに心臓を動かしているような――そんな“息づかい”だった。



涼子は、足を止めたまま動けなかった。

 壊れたラジオから漏れる微かな“チリ……チリ……”という音が、

 胸の奥を掴むようにして離さない。


 ――地球では、音は溢れていた。

 街の喧噪、拍手の渦、ライトの下で響く自分の歌声。

 音に包まれて、音に生かされて、音にすがっていた。


 けれど、今――この火星の片隅で、

 涼子が惹かれているのは、旋律でも言葉でもない。

 ただの“雑音”。

 誰も気にも留めない、壊れかけの機械の息。


 ――どうして、こんな音が、こんなにも温かいんだろう。


 胸の奥が、じんわりと痛む。

 自分が求めていた“音”は、

 いつの間にか形を変えていたことに、気づいてしまう。


 > (モノローグ/涼子)

 「……ここにも、音がある。」


少女がふと、顔を上げた。

 その動きは、壊れたラジオの針がわずかに跳ねた瞬間のように、

 小さく、しかし確かに世界の“沈黙”を破った。


 涼子と視線が合う。

 互いに言葉はなかった。

 ただ、火星の薄い夕光が二人の間をゆっくりと流れ、

 舞い上がる粉塵が、赤い粒子のように光を散らしていた。


 風が――ほとんど感じられないほどの微かな風が――

 二人の髪を揺らす。


 ラジオの「チリ……チリ……」という音が、

 その静寂の中でかすかに脈打つ。


 まるで、この星が二人の呼吸を記録しているかのように。


 涼子は、ゆっくりと一歩、少女のほうへ踏み出した。

 それは――終わりへ向かう一歩であり、

 同時に、新しい“音”へと続く最初の一歩だった。



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