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MARS☆IDOL ☆赤い星のシンフォニー☆  作者: 南蛇井


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火星発の“夢の舞台”

――火星政府広報局・第3通信ドーム。


名ばかりの“文化交流スタジオ”は、思っていたよりずっと狭かった。

壁は断熱材がむき出しで、銀色のパネルの隙間からは赤い砂が入り込み、

ライトは時折ちらついて、まるで呼吸をしているように明滅していた。


「シュー……」という酸素循環音が絶え間なく耳の奥に響く。

それは鼓動と重なり、まるでこの部屋自体が必死に“生きている”かのようだった。


三人は、無骨な配信用カメラの前に並んで座っていた。

冷たい金属製の椅子。後ろの壁には《F.M.A.R.S. 文化交流プログラム》と印字された剥がれかけのステッカー。

この場所が“夢の舞台”だと言われても、実感はあまりにも遠い。


香菜は手元の台本をめくりながら、小さく笑みを作ろうとした。

だが、ライトの白が強すぎて、その笑みは影に溶けていく。

緊張と酸素の薄さのせいで、頬がわずかに引きつった。


「“火星から地球へ、希望のメッセージを――”って、ここから始めるのね。」

玲美が原稿を読み上げながら、わずかに眉を上げた。

その声には、プロとしての整った抑揚があったが、どこかに迷いが混じっている。


涼子はマイクの音量メーターを見つめ、短く息をついた。

「……希望、か。」


その言葉は、金属と酸素の音に溶け、無機質な空気の中へと消えていった。

彼女の指先が机の上を叩く。テンポは、まるでステージのリズムを探すようだった。


だが――この星の音響は、地球とは違う。

反響もなく、ただ吸い込まれていく。

“声”を出しても、どこか遠くの空に吸われてしまうような虚ろな空間。


それでも三人は、マイクの前に座り続ける。

誰に届くかわからない“希望”を、今からこの赤い星で発信するために。



香菜が震える指で〈START〉の赤いボタンを押す。

ランプが小さく光り、録画マークが点滅を始めた。


――火星発、地球行きの映像通信。

この瞬間、彼女たちの声は、青い星へと届く……はずだった。


だが、室内の空気は何も変わらない。

ただ、機材のファンが低く唸り、酸素循環の「シュー」という音が一定のリズムで響いている。

誰も、その始まりを祝う拍手をしない。


香菜は深呼吸し、マイクに向かって微笑む。

「はじめまして、地球のみなさん。私たちは、ミネルヴァ・コロニーから――」

言葉が白い照明の中に溶けていく。


玲美が横で続けた。

「――火星文化交流プログラムの代表、玲美です。

 今日は、“新しい星の日常”をお届けします。」


涼子も小さくうなずき、静かな声で言う。

「ここは、夢と現実が、同じ色をしている場所です。」


三人の自己紹介が終わっても、モニターの隅にあるコメント欄は真っ白だった。

本来なら、地球の観測局を経由して反応が返ってくるはず――

だが、時間が経っても画面は沈黙したまま。


香菜が不安げにモニターを覗き込み、笑いながらつぶやく。

「え、誰も……見てない?」


玲美は眉を寄せ、端末を確認する。

「通信データは送ってる。だけど……応答がないの。」


そのとき、モニターの隅に薄く文字が浮かんだ。

《通信遅延:地球―火星間 約14分》


……14分。


その数字の冷たさが、まるで“距離”そのものを突きつけてくる。

彼女たちの声は、真空の闇を漂いながら、14分後に届く。

返事があるとしても、それはさらに14分後――

すなわち、「いま」は、永遠に返ってこない。


香菜の笑顔が、少しだけ揺れた。

「ねぇ、音って……届くまで、こんなに遠いんだね。」


涼子は黙ってマイクを見つめる。

その小さな赤いランプの点滅が、まるで心臓の鼓動のように見えた。

――けれど、その鼓動に、応える音はどこにもない。


涼子は、白い照明に照らされたモニターの光をじっと見つめていた。

そこに映るのは、自分たち三人の姿――

けれど、その向こう側にいるはずの“誰か”の気配は、どこにもない。


数分前まで、彼女たちは「地球とつながる」という希望だけを頼りに話していた。

だが、返ってくるのは沈黙。

音のない世界で、機材の送風音と呼吸音だけが重なっていた。


涼子はふと、モニター越しに自分の唇の動きを見つめ、

ゆっくりと呟いた。


「“音”が届くには、時間がかかるんだよ。」


玲美と香菜が、反射的に顔を上げる。

その声には、焦りも落胆もなく――

ただ、どこか“祈り”のような静けさがあった。


涼子は続けた。

「でも……誰かに届くって、信じてないと、声って出せないんだね。」


モニターの赤い録画ランプが、彼女の瞳に反射する。

光の瞬きが、まるで“まだ消えていない鼓動”のように揺れていた。


その瞬間――


スタジオの外から、「ピー……」という低い警報音が流れ込んできた。

壁の酸素計がわずかに赤く点滅する。

《警告:外部区画 酸素漏れ検知》


三人は思わず顔を見合わせた。

だが、誰も立ち上がらない。


――音が、ようやく届いたのかもしれない。

そんな錯覚の中で、涼子は目を閉じ、かすかに息を吐いた。


その呼吸は、火星の薄い空気に溶け、

まるで歌の“前奏”のように、静かに空間を満たしていった。


香菜は、外からの警報音に思わず体を強張らせた。

酸素残量警告――赤い文字がモニターの隅に一瞬だけ点滅する。

彼女は反射的に、腰の緊急マスクへと手を伸ばした。


「ちょ、ちょっと待って……!」

透明のバイザーを引き上げかけたその瞬間、

玲美がすっと腕を伸ばして止めた。


「大丈夫、内圧はまだ安定してる。」

冷静な声。

それでも、その瞳の奥には、わずかな不安が揺れていた。


マスクの金具が“カチリ”と鳴った音が、マイクに拾われる。

酸素の循環音、シューという警報の残響、

そして――張り付いた笑顔のまま、沈黙する三人。


地球へ送信される映像は、

“希望の配信”のはずだった。


けれどそこに映るのは、

笑顔と警報音が同居する、不自然なコントラスト。

まるで夢の中に割り込んだ現実そのものだった。


香菜は小さく息を吐き、モニターの光を見つめながら呟く。

「……なんか、雑音ばっかりだね。」


涼子は、マイクの前でゆっくりと顔を上げた。

その表情は穏やかで、どこか懐かしいものを見ているようだった。


「雑音でも……音は音だよ。」

彼女は一拍置いて、

「無音より、ずっといい。」


その言葉に、玲美がわずかに頷く。


スタジオの照明が一瞬だけ明滅し、

その光の揺らぎの中で、三人の影が壁に重なる。


――それは、火星の静寂の中に生まれた、

確かに“生きている”音だった。


カメラの赤いインジケーターが、まだ微かに点滅していた。

“REC”――録画中。

けれど、その映像を見ている者は、誰もいない。


視聴者カウンターの数字は“0”のまま、

無機質なモニターの隅で、静止したまま時を止めている。


香菜は、それでも笑おうとした。

「……もう一回、挨拶からやり直す?」

その声は少しかすれて、乾いた空気に溶けた。


玲美は返事をしなかった。

ただ、指先でマイクのノイズを確かめるように触れ、

その小さな“ザザ……”という音を、まるで心音のように聴いていた。


外から再び、警報の低い電子音が響く。

ピ――……ピ――……

酸素循環の乱れを知らせる、息のように弱々しい音。


ライトが一度、明滅した。

スタジオ全体がわずかに暗く沈み、三人の輪郭が揺らぐ。

それでも、涼子だけはモニターをまっすぐに見つめ続けていた。


――彼女は、唇を動かす。

音にはならない。けれど、確かに“呼吸”のリズムがあった。


“声を出すことは、呼吸と同じ。

届かなくても――息をする理由になる。”


その言葉が、静寂の底でこだました。


誰にも届かない配信。

けれど、確かに“生きた”声がそこにあった。


モニターの映像が、ゆっくりとノイズに飲み込まれていく。

赤と白の粒子が画面を覆い、輪郭が滲む。


そして――完全な無音。


火星の静寂が、彼女たちの“声”を呑み込んだ。

だが、その沈黙の奥で、まだどこかに、

かすかな息の音が続いていた。


最後の瞬間――。


スタジオの照明が不安定に明滅する中、

モニターには三人の顔が並んで映っていた。


酸素の薄い空気の中でも、彼女たちはまだ笑っていた。

震える唇で、それでも笑おうとしていた。


玲美がそっと涼子の肩に触れる。

香菜は視線をカメラに向け、

ほんの少しだけ、胸を張るように息を吸った。


そのとき――背後の壁に取り付けられた「通信中」の赤いランプが、

かすかに、ほんの一瞬、強く瞬いた。


ピッ――


その光は、まるで鼓動のように。

そして、希望のように。


ノイズが画面を覆い始める。

色が崩れ、映像が歪み、三人の姿がゆっくりと溶けていく。


だが最後まで、赤いランプだけは残った。

暗転した画面の中央で、小さく、静かに――瞬き続ける。


まるでこの星のどこかで、

まだ“息”が続いていると伝えるように。





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