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MARS☆IDOL ☆赤い星のシンフォニー☆  作者: 南蛇井


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12/16

出会い ― 火星生まれの技師ルーク

整備区画――「M-Deck」。

銀色の配線が床を這い、壁面には工具が整然と並ぶ。

空調の低い唸りが響き、油の焦げたような匂いが空間を満たしていた。


通信訓練用スピーカーの故障により、三人はここへ呼び出されていた。

白い整備灯がまぶしく、機材の影が歪む。


香菜が目を輝かせながら、興味津々にスピーカーのパネルを覗き込む。

「わぁ……中、意外と複雑なんだね。これ、全部音を出すための部品?」


玲美は腕を組み、ため息をついた。

「また訓練が遅れるわね。整備スケジュール、ずれるじゃない。」

その声には苛立ちよりも、秩序を崩されることへの不安が滲んでいた。


涼子は何も言わず、ただ故障したスピーカーの前に立っていた。

金属の外装に映る自分の顔は、どこかぼやけて見える。

音が失われた機械を前にすると、胸の奥が妙にざらついた。


そのとき――背後から低い声が響いた。


「触るな。感電したら、今度は俺の仕事が増える。」


三人が振り返る。

そこには、作業服の袖をまくり上げた青年が立っていた。

赤みがかった短髪に、少し煤けた整備服。

目の奥にわずかな眠気と、乾いた光。


整備士――ルーク=アードライト。

その名を呼ぶ前に、彼の声がもう一度響いた。


「見学なら勝手にしろ。でも、機械は生き物みたいなもんだ。

 素人が触ると、すぐ拗ねる。」


香菜がきょとんと首を傾げる。

「拗ねる……? 機械が?」


「そうだ。音が出なくなる。まるで、言いたいことがあるみたいにな。」


玲美が呆れたように眉を上げる。

「あなた、詩人なの? 整備士でしょ。」


ルークは鼻で笑い、スピーカーの蓋を開けた。

中から焦げたような電子の匂いが立ち上る。


その匂いを嗅いだ瞬間、涼子の心がざわついた。

――かつて、舞台袖で壊れたモニターの前に立っていた夜を思い出す。

あのときも、音が消えて、世界が無音になった。


彼女は無意識に一歩、装置へと近づいていた。


整備区画の光が、金属の床に反射して冷たく揺れていた。

ルーク=アードライトは、スピーカーの配線に視線を落としたまま、

工具を指で軽く回し、作業の合間に三人を一瞥する。


赤みのある短髪、頬に薄く伸びた無精ひげ。

火星の低重力で育った体は、わずかに頼りなげに見える。

だが、指先の動きだけは異様に正確だった。


「お前ら、例の“ミッション・アイドル候補”か。」

低く、乾いた声。

ルークは半ば冗談のように言いながら、焦げたコイルを取り外す。


「……重力に負けんなよ。」


香菜がきょとんとした表情で首を傾げた。

「重力って、そんなに重いんですか?」


ルークは短く息を吐いて笑った。

「……火星のよりはな。こっちは、夢も引っ張られて落ちていく。」


その言葉に、玲美が眉をひそめる。

「じゃあ、あなたはどうやって立ってるんですか?」


ルークは工具を止めずに、わずかに肩をすくめた。

「慣れないだけさ。俺たち火星生まれは――“地球”の方が息苦しいんだ。」


その瞬間、涼子の呼吸が止まった。

“息苦しい”という響きが、胸の奥にひっかかる。


――ここでの生活も、同じだ。

酸素は足りているはずなのに、胸が締めつけられる。

夢を追うほど、空気が薄くなる。


ルークはふと顔を上げ、彼女の視線に気づいた。

一瞬だけ、火星の砂を思わせるような赤茶の瞳が交わる。


「……ま、機械でも人でも同じさ。

 動かそうと思うなら、ちゃんと呼吸してやらないとな。」


そう言って彼は、壊れたスピーカーの中に指を滑り込ませた。

火花が弾け、青白い光が一瞬だけ三人の顔を照らす。


静かな音の中で、涼子は知らず息を呑んでいた。


整備区画に漂うのは、金属とオゾンの匂い。

ルークは作業台に広げたスピーカーの基盤を覗き込み、

指先で焦げたパーツを軽くつまむ。


「……くそ、在庫がないな。」

短く舌打ちして、彼は工具を放り出した。

「手、貸してくれ。」


その声に、涼子が小さく息を呑む。

隣で見守っていた玲美と香菜が視線を交わしたが、

涼子は迷わず前に出た。


「……配線、これ逆にしてみてもいい?」


ルークが顔を上げる。

「……あんた、機械わかるのか?」


「ステージで、何度も壊したから。慣れてる。」


一瞬、ルークの唇がわずかに緩む。

その笑みは、皮肉でも嘲りでもなかった。

――まるで「よくわかるよ」と言っているような、柔らかな光。


二人の手が並び、焦げた配線を慎重に組み替えていく。

工具の金属音と、呼吸のリズムだけが部屋に響く。

香菜は息を詰め、玲美は腕を組んで見守っていた。


最後の端子を接続。

ルークがスイッチを入れると、

ノイズの向こうで――かすかな電子音が震えた。


「鳴った!」香菜が声を上げる。

「ほら、ちゃんと生きてる!」


涼子の瞳に、微かな光が戻った。

その音の揺らぎが、胸の奥の深い場所まで届く。


(モノローグ)

“音がある。

 それだけで、世界が少しだけ優しくなる。”


ルークは工具を片づけながら、ぼそりと呟いた。

「機械は壊れる。でも、音は消えない。

 誰かが、また鳴らせばいいだけだ。」


その言葉を、涼子は心の中で静かに反芻する。

――壊れても、終わりじゃない。

まだ、鳴らせる。まだ、歌える。


遠くで、再起動した通信端末のライトが灯った。

それは、まるで新しいリズムが生まれる合図のように――。



作業が終わると、整備区画に静けさが戻った。

ルークは手に残った油を布でぬぐい、

ふと視線を上げて、厚い防爆ガラス越しの宇宙を見つめた。


外には、かすかに赤く滲む光。

火星。

黒い虚空の中で、ほんの小さな“ふるさと”が呼吸していた。


「……俺が生まれたのは、あの星の地下区画さ。」

ルークの声は、独り言のように低く響く。

「空はないけど、地平線だけは夢に出る。

 あの暗闇の中で、どこかへ続く線を信じるんだ。」


香菜が目を丸くして笑った。

「うわ、なんかロマンチック!

 “地平線の夢”って、詩みたいじゃないですか。」


玲美は腕を組み、窓に映る自分の影を見つめる。

「地平線のない夢、ね……。不思議。」

その声には、ほんの少しだけ羨望が混じっていた。


涼子は、何も言わずに火星を見つめた。

遠く、赤い光。

そこに、自分の“終わったと思っていた未来”の色を見た気がした。


やがて、かすかな声で呟く。

「……見てみたいな、その景色。」


その声は微かに震えていた。

けれど、その奥には確かに――

“再び夢を見る力”が、静かに芽吹いていた。


ルークがちらりと涼子を見て、口の端をわずかに上げる。

窓の向こうで、火星が一瞬だけ光を返した。

まるで、その言葉に応えるように。


三人が整備区画を後にする。

香菜はスキップするような足取りで、

玲美は腕を組み、無言のまま二人の後ろを歩く。

そして涼子は、最後に一度だけ振り返った。


整備台の上には、まだ温もりを残すスピーカー。

彼女は小さく息を吐き、

その“音の箱”に、目に見えない何かを置いていったようだった。


自動扉が閉まり、

区画の中に再び静寂が戻る。


ルークはしばらく、扉の向こうを見つめていた。

無骨な手が自然と動き、修理したばかりのスピーカーの表面をなぞる。

指先が止まり、軽くスイッチを押す。


――淡いノイズ。

それに続いて、どこからともなく“歌のようなハミング音”が流れ出した。

低い振動が空気を震わせ、

金属の壁がわずかに共鳴する。


その音は、先ほどまでこの部屋にいた少女の残響のようだった。


ルークは小さく笑い、

そのままスピーカーに背を向けて窓辺に立つ。


「……火星でも、音は届くさ。」


呟いた声が、無重力の空気に溶けていく。


カメラはゆっくりと外へ引き――

無数の星の中で、ひときわ赤く光る一点を映す。


赤い星、火星。

そこに、彼らの“新しい風”が生まれようとしていた。


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