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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「三枚起請」

作者: 霧夜シオン
掲載日:2025/03/13


落語声劇「三枚起請(さんまいきしょう)」


台本化:霧夜(きりや)シオン@吟囁亭喃咄(ぎんじょうていなんとつ)


所要時間:約40分


必要演者数:4名

      (0:0:4)

      (4:0:0)

      (3:1:0)【性別準拠人数比率】

      (2:2:0)

      (1:3:0)

      (0:4:0)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


●登場人物


亥(い)の:唐物屋(とうぶつや)の若旦那(わかだんな)。

   喜瀬川(きせがわ)から起請文(きしょうもん)をもらって浮かれていたが、棟梁(とうりゅう)も同じのを

   持っていると知り、騙(だま)されていた事に気づく。

   喜瀬川(きせがわ)起請文(きしょうもん)被害者の会その1。


棟梁(とうりゅう):大工の棟梁(とうりゅう)。【ここでは江戸弁読みで全て通します】

   名前はない。

   同じく喜瀬川(きせがわ)からこの中では一番最初に起請文(きしょうもん)をもらっていたので

   あろうがそのぶん長く、来年三月来年三月と騙(だま)されていた。

   喜瀬川(きせがわ)起請文(きしょうもん)被害者の会その2。


清公(せいこう):通称、お喋(しゃべ)りの清公(せいこう)の異名(いみょう)を持つ。

   経師屋(きょうじや)の職人さん。

   三人の中では最も多くの金銭的被害にあっている。

   その額20円以上。

   アレです、江戸が東京になって以降の噺(はなし)だと思ってもらえれば。

   喜瀬川(きせがわ)起請文(きしょうもん)被害者の会その3。


喜瀬川(きせがわ):仲見世(なかみせ)の遊女。元は品川にいたらしいが、住み替えてきた。

    非常にしたたかな性格で、複数人の男に起請文(きしょうもん)は書くわ、清公(せいこう)を

    騙(だま)してお金を詐取(さしゅ)するわとやりたい放題。


女将(おかみ):茶屋、井筒屋(いづつや)の女将(おかみ)。

   棟梁(とうりゅう)から話を聞き、自分も喜瀬川(きせがわ)に騙(だま)されていたと知って、

   三人を二階へ通す。



●配役

亥の:

棟梁:

清公:

喜瀬川・女将・枕:



枕:「痣(あざ)の付く程(ほど)つねっておくれ、それを惚気(のろけ)のタネにする」という

  都都逸(どどいつ)がありまして。

  ぎゅーっとつねるってぇと、そこへずっと痣(あざ)ができる。

  それを、あたしはあの人にこんな乱暴な事されてる、

  だけどそういう事を許してる、どうですか?

  ってなことを惚気(のろけ)ようってんですね。

  男と女が互いに好き合ったりすると愛を確かめ合うもんですが、

  しかし口約束(くちやくそく)と言うのはどうも信用ならないてんで、

  それを確かな証拠(しょうこ)として残そう、神に誓(ちか)おうという形でもって、

  起請文(きしょうもん)と言うのを互(たが)いに書き、血判(けっぱん)を捺(お)して取り交(か)わしたわけです。

  この起請文(きしょうもん)に登場するのが熊野権現(くまのごんげん)様でございまして、

  昔はそこのお社(やしろ)でもって起請文(きしょうもん)の用紙を売っていたんですな。

  ちなみに起請文(きしょうもん)一枚を書くと、熊野権現(くまのごんげん)様の所のカラスが三羽(さんば)死ぬと

  言われてます。なぜ死ぬかはよく分かってないです。

  ですがそう言い伝えられてきている。だから大変に霊験(れいけん)あらたかであ

  るのでむやみに破ってはいけないと、そう言われるもんですから、

  書く方もかなり厳粛(げんしゅく)な心持(こころも)ちでもって起請文(きしょうもん)に書いた約束を守ってい

  たそうです。

  この風習(ふうしゅう)は明治のころまで残りまして、主に遊郭(ゆうかく)で盛(さか)んに行われてい

  たんだとか。

  またその頃の東京には、カラスがずいぶん多かったそうです。

  右を向いても左を向いても、視界のどっかにはカラスがいたとか。

  とにかくそこらじゅうにいるもんだから、朝なんかうるさくて寝てら

  れない。

  「三千世界(さんぜんせかい)の烏(からす)を殺し、ぬしと朝寝(あさね)がしてみたい」

  という都都逸(どどいつ)がありますが、そこらの事情を端的(たんてき)に表(あらわ)してると、

  そう言えるでしょうな。 

  同時に若い連中の廓通(くるわかよ)いも盛(さか)んだったそうで。


棟梁:おうい、そこへ行くのは亥(い)のじゃねえかい!

   亥(い)のなんだろ!?


亥の:あぁ棟梁(とうりゅう)、しばらくご無沙汰(ぶさた)して。


棟梁:ちいと寄ってかないか?


亥の:いや、あのね、行くところがあるんだよ。


棟梁:まあいいからさ、寄ってきなよ。

   いいじゃねえか。

   ちょいと話があるんだからよ。


亥の:えぇ…急いでるんだよ。

   また来るからさ。


棟梁:いいからこっち上がりなって。

   そんなとこで突っ立ってねえでさ。

   話があるんだよ。


亥の:話ぃ…?

   手短(てみじか)に頼むよ。

   で、何の話だい?


棟梁:なんの話じゃねえよ。

   こないだおっ母(か)さんが来てこぼしてったぜ?

   おめえ、近ごろ夜遊びしてるってんじゃねえか。

   しょうがねえな。


亥の:あたしが?冗談言っちゃいけないよ棟梁(とうりゅう)。

   あたしが夜遊び火遊びなんてね、そんな事はしないよ。


棟梁:そうかい?


亥の:あたしのはね、棟梁(とうりゅう)の前ですけど、昼間はうちで遊んでるんですよ。

   で、夜になると表(おもて)へ出るんです。


棟梁:それが夜遊び火遊びてんだよ、ええ?

   夜遅くなかなか帰って来ねえって言うじゃねえか。

   何してるんだ?なんか悪い事でもしてるんじゃねえのかい?


亥の:悪い事って言うと?


棟梁:色々あるよ。

   座布団(ざぶとん)なんぞこう置いてさ、みんなで丸く輪になって座って、

   札(ふだ)をこう、ちゃっちゃっちゃっちゃっやって、

   よっ、とこうめくったりとかさ、してるんじゃねえのかい?


亥の:そりゃあ棟梁(とうりゅう)、博打(ばくち)じゃないかい。


棟梁:そうだよ。


亥の:えぇ、博打(ばくち)なんかーー、


棟梁:嫌いかい?


亥の:好きだよ。


棟梁:なんだよおい。

   場(ば)で朽(く)ちるというくらいだ。

   あんなもんに夢中になってるってえと、ろくなことは無いよ。

   せっかくの信頼つぶしちまうぞ。


亥の:大丈夫だよ棟梁(とうりゅう)。

   ホントの事言っちゃうとね、実はここんところずーっと、

   色っぽい事になってんだよ。


棟梁:へええ、女かい?なるほどね。

   まぁおめえの年頃じゃしょうがねえな。

   女ができるのも無理はねえけどもな、あんまり深みにハマっちゃ

   いけねえよ。

   なんでも夢中になるのがいけねえからな。

   で、その相手の女ってのはシロかい?それともクロかい?


亥の:ブチなんだよ。


棟梁:犬だよそりゃ。


亥の:だって、白か黒かって言うから。


棟梁:そうじゃねえよ!

   俺の言ってんのはな、素人(しろうと)か玄人(くろうと)かってんだよ。


亥の:あぁ~そうかそうか!

   えぇとね、吉原(よしわら)の女なんだよ。


棟梁:じゃぁクロじゃねえか。


亥の:そうなんだよ。

   真っ黒なんだよ。


棟梁:何だよ真っ黒って。

   で、その女はお前にトンときてんのかい?


亥の:むふふ、トーンとね、きてるから弱っちゃうんだよぅ。

   トントーンと来てるんだ。

   スッと合わせるとぶるぶるって上がってくるんだ。


棟梁:ハゼだなまるで。

   しかし、そんなにかい。


亥の:そんなにかって言ったってね…、

   とにかくね…もう、たまんないんだよ。

   棟梁(とうりゅう)の前だけどもさ、亥(い)のはん、亥(い)のはんてんで

   大変な騒ぎだよ。

   もうどうもね、顔を見せるってえと攻めるんだよこれがまた。

   弱っちゃってね。


喜瀬川:来年三月、年季が明けたらどうしたっておまはんのとこ行くよ。

    おまはんと夫婦になるんだよ。


亥の:ってね、あんまり言う事が可愛いもんだからさ、

   毎晩のように通(かよ)ってると、こういうわけなんだよ。


棟梁:ほお、なるほど。

   年(ねん)が明けたら夫婦になると、そう言われたから通(かよ)ってんのかい。

   いいねぇ若いもんは、ほんと。

   でもね、ああいうとこの女の言う事は、あんまり真(ま)に受けちゃいけ

   ねぇよ。

   「年(ねん)が明けたらお前のそばに、きっと行きます断りに」

   ていう都都逸(どどいつ)があるんだ。

   そん時になって断わられたってな、ケンカにならねえよ?


亥の:大丈夫、大丈夫だよォ!

   また棟梁(とうりゅう)は心配性だね、そんなことはないよ。

   ちゃんとその女からね、確かなものもらってんだよ。

   サラサラっと書いたものなんかをね。


棟梁:書いたもの?

   あぁ、起請(きしょう)かい?


亥の:嬉しいね、やっぱり棟梁(とうりゅう)は遊び人だよ。

   そうなんだ、起請(きしょう)もらっちゃってんの。

   だからさ、大丈夫だよ。


棟梁:そうかい、ああいう所の女にもらったってんなら、

   こいつは本物かもしれんよな。

   ちょいとその起請(きしょう)を見せてくれよ。


亥の:いやぁ、見せられねえんだよ。

   女が言ってたんだ。


喜瀬川:どんなことがあっても他の人に見せちゃ嫌だよ。

    おまはんだけにあげたんだ、大事にしまっといて。


亥の:なんて言ってんだよ。だから見せられないね。


棟梁:なに言ってんだよ。

   いいから見せろ。俺がちゃんと見てやるからよ。


亥の:なんだい、見てやるからってこたぁないよ。

   まぁいいや、他(ほか)ならない棟梁(とうりゅう)だからね、見せるよ。

   他の人には見せねえんだから。

   こないだおふくろがのぞいたから蹴倒(けたお)してやったんだ。


棟梁:おいおい、乱暴なことしちゃいけねえ。

   どれ、こっち貸してみな。


亥の:うん、これがね、その起請文(きしょうもん)なんだ。

   きちんと丁寧(ていねい)に扱(あつか)っておくれよ。

   手を洗ってね、口をゆすいでさ。


棟梁:なにを言ってんだ。

   ほれ、もったいつけてねえで、早く見せな。


   あー、なるほど、確かに起請文(きしょうもん)だ。

   ひとつ、起請文(きしょうもん)のことなり、ね。

   だいたい起請文(きしょうもん)の文句ってのは決まってんだ。

   えーと、わたくしこと来年三月、年(ねん)が明けそうらえば、

   あなた様と夫婦になること実証(じっしょう)なり。

   新吉原(しんよしわら)江戸町(えどちょう)二丁目、朝日楼(あさひろう)…へえ、んなとこに行くのかい。

   朝日楼(あさひろう)のうち、喜瀬川(きせがわ)こと、本名(ほんみょう)中山(なかやま)、みつ…。

   喜瀬川(きせがわ)こと本名(ほんみょう)、中山(なかやま)みつ………。


   …おい、亥(い)の。

   これァ何かい?

   おめえこれ、本当に書いてもらったのか?


亥の:そうだよ。


棟梁:どっかで拾ったんじゃねえのか?


亥の:拾わないよ。

   紙くず拾いじゃないんだから。


棟梁:あそう…。

   この女、もと品川(しながわ)にいたんじゃねえか?


亥の:そうそう、よく知ってるねえ。


棟梁:で、去年に仲(なか)へ住み替えてきたんだ。


亥の:そうそうそう。


棟梁:年(とし)の頃(ころ)は二十五・六でもって色の白い、ちょいと小太りの女で、

   目の脇(わき)にほくろがありゃしねえかい?


亥の:あるある、んで両方に耳があってーー


棟梁:当たり前だよ。

   で、その女が、おめえにこれ書いてくれたのか?


亥の:そうなんだよ。


棟梁:…へっ、いいやな、若い時分(じぶん)はこんなものもらって喜んでんだ。

   罪がなくっていいやね!

   ッ、ふっ!【起請文を叩きつけて息を吹きかけて返す】


亥の:ちょちょ、何するんだい!

   だからあたしは見せんの嫌だって言ったんだ。

   なんだい棟梁(とうりゅう)、あたしが大事にしてるものを叩きつけて、

   ふっと吹くこたぁないだろ!

   本当に…なんてことするんだ。


棟梁:そんなに大事なのかい?欲しいのか?

   欲しけりゃやるよ。

   俺も一枚持ってるから。


亥の:えっ…、どうして棟梁(とうりょう)が持ってるんだい?


棟梁:【懐(ふところ)から起請文(きしょうもん)を取り出して】

   こんちきしょう、冗談じゃねえや…ッ!

   いいか、さ、見ろ、これだ。


亥の:なに言ってんだい棟梁(とうりゅう)、そんな人をからかうような事言って、

   そんな…、…。

   【棟梁の起請文を呼んで青ざめていく】

   あ、あれ…ほ、本当だ…ちょっ…やだな…。

   なんで棟梁(とうりゅう)がこれを持ってるんです?


棟梁:冗談言っちゃいけねえよ、亥(い)の。

   この女に関してはね、おめえより俺の方が先なんだよ。

   なに言ってやんでェべらぼうめ、こっちは品川(しながわ)にいるうちから

   通(かよ)ってんだよ。俺がこの年(とし)になるまで一人でいるのは何のためだと

   思ってんだ。

   あのアマが、


喜瀬川:棟梁(とうりゅう)、来年三月に年(ねん)が明けたらおまはんのところ行くから、

    待ってておくれよ。


棟梁:また来年になると、来年三月、来年三月って、

   こっちはずっと来年三月に引かされて、いまだに一人でいるのは

   その為だ!


亥の:っじゃ、じゃああたしは騙(だま)されたんで?


棟梁:お前だけじゃねえ、俺も騙(だま)されたんだよ!


亥の:ちくしょう~悔(くや)しいね、ええ!?

   どうしてやろうか!


棟梁:どうしてやろうかったってな、

   そんな事は俺だって分からねえよ、ちきしょう!

   冗談じゃねえよ、ほんとに…っ!

   !おい、なんか言っちゃいけねえぞ。


亥の:え?どうしたんだい棟梁(とうりゅう)。


棟梁:お喋(しゃべ)りの清公(せいこう)が来たぞ。

   余計(よけい)なこと言っちゃなんねえ。


清公:おい、なんだよ棟梁(とうりゅう)、ええ?

   言っていい事と悪い事ってのはあるもんだよ。

   冗談じゃねえや本当に。

   なんでぇお喋(しゃべ)りの清公(せいこう)ってな。


棟梁:何がだよ。


清公:何がじゃねえ。

   あっしァね、これを言ってもらっちゃ困るよって言われりゃあね、

   背中を鉈(なた)で叩(たた)き割られて鉛(なまり)の熱湯を注(そそ)ぎこまれたって

   こっちは口を割らねえんだ!


棟梁:なに言ってやんでぇ、

   相変(あいか)わらず大袈裟(おおげさ)なこと言ってやんなおめえは。

   何をそんなに怒ってやがんだ?


清公:人の顔見て何でぇ、お喋(しゃべ)りの清公(せいこう)たぁ。


棟梁:誰がそんなこと言った?


清公:いま棟梁(とうりゅう)が言ったじゃねえか。


棟梁:言わねえよ。


清公:言った!


棟梁:言わねえよ!

   ったくなんだい、おめえは本当にそそっかしいな。

   そうじゃねえんだよ。

   この亥(い)のがな、女の事でもってちょいとゴタゴタがある、

   って言うからよ、んな事はみっともねえから

   脇へ行ってお喋(しゃべ)りするんじゃねえよって意見しようとしたら、

   おめえの顔がすっと見えたもんだから、お喋(しゃべ)り、あぁ清公(せいこう)が来た、

   と、こうなったんだよ。


清公:…本当かい?

   あ、そう…そう言うんだったらまあいいんだけどよ。

   それでどうしたんだい、ゴタゴタってな。


棟梁:ああ、こいつがな、女から起請文(きしょうもん)をもらったんだよ。


清公:へえ、亥(い)のがかい?

   ついこないだまで餅竿(もちざお)持ってさ、

   とんぼ追っかけまわしてたってのがなぁ、そぉかい。

   その起請文(きしょうもん)ってやつを見せなよ。

   どれどれ…へえ、なるほど、本物だよ。

   ひとつ、起請文(きしょうもん)のことなり、ってな、へへ。

   たいがい起請文(きしょうもん)の文句ってのは決まってるもんだ。

   えーなんだって…ふんふん…ほうほう…、

   で、ところは…、新吉原(しんよしわら)江戸町(えどちょう)二丁目、朝日楼(あさひろう)

   のうち…喜瀬川(きせがわ)こと、本名(ほんみょう)中山(なかやま)、みつ…。

   ふーん………

   おい、これァ何かい?

   その女が、本当におめえに書いてくれたのかい?


亥の:そう、すらすら、ささっ、と。


清公:この女、もとは品川(しながわ)にいたんじゃねえか?


亥の:ええ、そうです。


清公:で、去年に仲(なか)へ住み替えてきたんだ。


亥の:そう、そうなんだよ。

   【棟梁に向けて囁くように】

   棟梁(とうりゅう)、おんなじこと言ってるよ。


棟梁:ちっ…。


清公:年(とし)の頃(ころ)は二十五だよ。

   色が白くって小太りで、

   目の脇(わき)にほくろのある女だ。


亥の:へへ…もう一枚出るな。


清公:なに言ってやんでェこんちきしょう。

   っも、もしかして…棟梁(とうりゅう)ももらってんのか!?


   …まさかあの女に限ってこんなことする奴じゃねえと思ったんだが

   、もう勘弁できねえ!

   【家の奥へ駆け出す】


棟梁:おっおいッちょちょちょっ待ちな待ちな!おいッ待ちなよおいッ!

   血の気(け)が多い奴だよしょうがねえな!

   おい亥(い)の、ぼんやりして笑ってちゃダメだろ!

   台所に飛び込んでいったから出刃包丁(でばぼうちょう)持って来るといけねえ。

   止めてやんな止めてやんな!


亥の:しょうがないねえ本当に…。

   清(せい)さん、あのですねーー

   【二拍】

   【くすくす笑いながら】

   棟梁(とうりゅう)、大丈夫です、出刃包丁(でばぼうちょう)持って来ませんよ。


棟梁:そうか?


亥の:ええ、大根おろしを振り回してますから。


棟梁:大根おろし?ああ本当だ。

   おいおいおい、そんなもの振り回して何しようってんだ?


清公:何って、これから行ってね、あの女の顔をこれでもって

   下ろしちゃおうかと思ってさ!


棟梁:バカな事言ってんじゃねえよ、くだらねえことは止しな。

   いや、分からねえことはねえけどな。

   俺も亥(い)のも二人して起請文(きしょうもん)もらってんだ。

   けどしょうがねえ、騙(だま)されるのは客の方が悪いんだ。

   だから我慢しようってんだからさ、

   おめえ一人でそんなにイキったってしょうがねえだろ。

   よしなよしな、我慢しな我慢しな、諦(あきら)めろあんなもの。


清公:冗談言っちゃいけねえ…冗談言っちゃいけねえよ。

   そりゃあね、お前さん方(がた)のもらった起請(きしょう)とあっしのもらった起請(きしょう)は

   同じかもしれねえ。

   けどな、はばかりながらもらい方が違うんだ。

   もらい方が違うんだよ!


棟梁:ほう、どう違うんだい?


清公:どう違うじゃねえよ、冗談言っちゃいけねえ。

   黙って聞いてもらおうじゃねえか………うっ、ぐすっ、ヒック…


棟梁:泣かなくったっていいんだよ。

   で、どう違うんだ?

   言ってみな。


清公:…忘れもしないよ、去年の11月の半(なか)ばだ。

   俺ァ山谷(さんや)の方に仕事があったんでな、出かけたよ。

   仕事が終わって帰りに給金もらってよ、懐(ふところ)があったまったから

   脇(わき)でもってちょいと一杯やったんだよ。

   場所が山谷(さんや)だ、一杯入ってそのまま帰るってこたぁねえ。

   仲(なか)へスーッと入って行った。

   あっちこっちぐるぐるほうぼう冷やかして、ふっと登楼(あが)ったのが

   朝日楼(あさひろう)よ。

   で、出てきたのが喜瀬川(きせがわ)だ。


喜瀬川:まぁおまはんて人はなんて様子(ようす)のいい人だろうね、

    私の好みの器量(きりょう)にぴったりだよ。


清公:なんて言ってよ、何を言いやがんでぇこのアマ、

   調子(ちょうし)の良い事ぬかしやがってと、あっしァそう思ってたんだ。

   けどあんまり扱いがいいもんだからすぐに裏を返したんだ。

   そしたらまた扱いが変わらねえ。こいつは嬉しいやと馴染(なじ)みになっ

   てね、トントントントンと遊びに行ってたらね、暮れの28日に

   女の所から手紙が来たんだ。

   ぜひとも相談したい事があるって言うから飛んでいったよ。

   そしたらこう言うんだ。


喜瀬川:私には義理の悪い借金が20円ばかりあって、

    何としてもそれを返さないって事にはこの年は越せないんだよ。

    他のお客様で何とか出してやろうって言う人がいるんだけれども

    、そんな人に出してもらったりなんかしたら、

    年が明けておまはんと所帯(しょたい)を持つ時にそれが何かの災いになると

    嫌だから、できる事だったらおまはんに出してもらいたいんだよ。


清公:と、こういう事だ。

   嬉しいじゃねえか、ええ?

   あっしァすっかり気に入って、よしわかった、他の者にびた一文(いちもん)

   出してもらうんじゃねえぞ、俺がなんとかするってんで、

   急いで家に帰って来たんだが、20円の金はさておいてよ、

   5円の金も、ありゃあしねえ。


棟梁:バカだねこいつは。

   まあ分かった、それでどうしたんだ?


清公:妹が日本橋に奉公してっからそこへ行ったよ。

   女の所に持ってくなんて言うわけにはいかねえから、

   おふくろの具合が悪くなっちゃって、20円ねえと薬を飲ませる事

   ができねえんだ、何とかならねえかって言ったんだ。

   そしたら妹はいったん奥へ引っ込んで、次に出て来た時にはこんな

   大きな風呂敷包(ふろしきづつ)みをもって出てきて、

   兄さん、この中に私の夏冬(なつふゆ)のものが入ってるから、これ持ってって

   何とかしてちょうだいって言うもんだから、礼を言ってすぐに

   やしちさんとこへ行ったんだ。


棟梁:なんでェやしちさんてな?


清公:質屋(しちや)さんを逆さまにしたんだ。


棟梁:逆さまにするなよ。

   それで、どうしたんだ。


清公:開けてみたら木綿(もめん)ものばかり、たったの6円にしかならねえんだ。

   だからまた妹の所へ行ってな、これこれこういうわけで6円だった

   、なんとかならねえかって言ったら、

   しょうがない、それじゃお給金(きゅうきん)の前借(まえがり)をしましょってんで、

   そこの旦那(だんな)から給金(きゅうきん)の前借(まえがり)をしてくれてやっと20円の金をこしら

   えた。

   そいつを持ってすぐに仲(なか)へ飛んでって喜瀬川(きせがわ)に渡したよ。

   その時のザマったらねえよ。


喜瀬川:まぁおまはんはなんて親切な人なんだろう。

    親切の国から親切を広めに来たような人だよ。

    私はどんなことがあったっておまはんと一緒になるよ。


清公:って俺のほっぺたにかじりつきながら書いてくれたの

   が、あっしの起請文(きしょうもん)だよ。

   あっしが騙(だま)されるのは仕方ねえとしても、

   妹が暑いにつけ寒いにつけ不自由な思いをするかと思うと…

   あっしぁ、妹が…かわいそうでならねえッ…!


棟梁:そうだろう。


清公;あっしァ、妹が不憫(ふびん)でならねぇ…!


棟梁:もっともだ!


清公:あっしァ、悔(くや)しい…!


亥の:チチン♪【三味線のマネ】


棟梁:なんだチチンてな。


亥の:へへ、あんまりトントンとくるから思わず三味線(しゃみせん)入れちまった。


棟梁:そんな三味線(しゃみせん)なんか入れんな!


清公:ぐすっ、冗談じゃねえよ棟梁(とうりゅう)。

   分かるだろ、あっしの気持ちが!

   どうしても我慢がならねえんだ!


棟梁:まぁまぁまぁ、わかったわかったわかった。

   俺だってな、悔(くや)しくねえなんて事はねえ。

   けれどもな、さっき言った通り、向こうは客を騙(だま)すのが商売、

   こっちはそれを承知で遊びに行くんだ。

   いざ騙(だま)されたとなってカーッと頭に血がのぼって、

   拳固(げんこ)を振り回したりなんかしてみろ。

   あぁなんて野暮(やぼ)な野郎だろって笑われんのはこっちだぞ。


   だけど、だけどもな、かたきは取りたいよな。


清公:取りてぇ、取りてぇよ!

   何とかならねえかな!?


棟梁:まぁ落ち着け。

   よし、これからひとつ、三人で出かけようじゃねえか。

   向こう行ってよ、喜瀬川(きせがわ)を呼び出してさんざん嫌味(いやみ)を言ってやろう

   じゃねえか。

   そのほうがよっぽどあの女には響くんだ。


清公:なるほどね!

   じゃ、ぜひ一つ頼むよ棟梁(とうりゅう)!


棟梁:よしわかった!

   じゃ、行こうか。


   【二拍】


亥の:それにしても棟梁(とうりゅう)の前だけどさ、いつもはこの辺りを歩いてる時

   は、これから女のところへ会いに行くんだなと思うとこう、

   気分が浮いてくるもんだけどね。

   これから三人で掛け合いに行くんだと思うと、なんだか気分が重く

   なるね。


棟梁:そりゃしょうがねえよ、騙(だま)されたんだから。


亥の:棟梁(とうりゅう)、あそこをご覧なよ。

   犬が三匹歩いてるね。アレは雄犬(おすいぬ)だよ。

   その先に一匹離れて歩いてる、アレは雌犬(めすいぬ)だね。

   あの三匹の雄犬(おすいぬ)も前の雌犬(めすいぬ)から起請文(きしょうもん)をもらったのかな?


棟梁:呑気(のんき)なこと言ってんじゃねえ、バカだな。

   よし、茶屋に着いたぞ。

   ちょいとそこで待ってな。


   こんばんは!


女将:はぁい!

   あらまぁ棟梁(とうりゅう)じゃないか、どうしたの?

   本当にちっとも顔を見せないんだから。

   まぁまぁこっち上がって。


棟梁:はは、どうもこらぁすんません、ご無沙汰(ぶさた)しちまって。


女将:ご無沙汰(ぶさた)じゃないよ本当に、ええ?

   忙しいのは分かるけどもさ、たまには顔を見せてやんなきゃ

   あの子が可哀想(かわいそう)じゃないかね。


棟梁:それがね、あの子もかの子もないんだよ。


女将:どういうことだい?


棟梁:こちとらすっかり騙(だま)されちまってね。


女将:騙(だま)された?バカなこと言っちゃいけませんよ。

   あたしが付いてんだからそんなことは無いよ。

   だいいちね、あの子は大変な惚(ほ)れよだよお前さんに。

   足駄(あしだ)を履(は)いて首ったけなんてもんじゃないんだから。


棟梁:どうだかね。


女将:お前さんも疑(うたぐ)り深(ぶか)いねぇ。

   あの子から固いものもらってんじゃないかい?


棟梁:俺も固いもんだと思ってたんだけどよ、固くねえんだそれが。

   ぐにゃぐにゃなんだよ。


女将:何を証拠にそんなことを言うんだい。

   一方的に疑(うたが)ったりなんかして…可哀想(かわいそう)だよあの子が。

   きっと思い過ごしだよ。


棟梁:証拠ならあるよ。


女将:あるの!?


棟梁:俺の他にな、あと二人は確実に同じもんもらってんだ。


女将:あら、ほんとに!?

   間違いないの!?


棟梁:ああ、この目でちゃんと見てんだ。


女将:あらあらあら…!

   うんうん…あらまぁ…!


棟梁:あとの二人ってのは、唐物屋(とうぶつや)の亥(い)のと経師屋(きょうじや)の清公(せいこう)だ。


女将:え、そんな、あらやだ…!


棟梁:三枚も同じ起請文(きしょうもん)が並ぶってのはなかなかねえよ?


女将:【だんだん強調していく】

   うん…うん…うん…!!


棟梁:おい、ちゃんとわかってるのかい?


女将:わかってるよ悔(くや)しいねえ。

   あたしだって騙(だま)されちゃったんだよ。

   そんな子には見えないけどねえ…そう…。


棟梁:それで、その二人が連れで来てるんだけどよ。


女将:え、表(おもて)にいるのかい?

   いけないよ、表(おもて)なんぞに待たしといちゃ。

   【表へ向かって】

   どうぞ、お連れさん、こちらへお入りくださいまし。


清公:こんばんは。


亥の:こんばんは、騙(だま)され連中が参りました。


女将:そんなこと言っちゃいけませんよ。

   あなた方別々に来るから騙(だま)されるんです。

   今度ご一緒にいらしてくださいまし。


亥の:ええ、そしてまた一緒に騙(だま)されると。


女将:そんなことありませんよ。

   どうぞお上がりくださいまし。


棟梁:女将(おかみ)、向こうには俺一人で来たってことで。


女将:はいはい、分かりました。

   じゃ、お二階へ。

   すぐに呼んで参りますから。


棟梁:じゃ、上がろうか。

   【二拍】

   なかなかのもんだろ?

   いい家(うち)だよ。


清公:いいね。

   いいけども、いま下でもって喋(しゃべ)ってたの、ここの女将(おかみ)かい?


棟梁:そうだよ。


清公:いい女だね。


棟梁:そらァいい女だよ。

   元は出てたんだ。


清公:日なたに?


棟梁:亀の子じゃないよ。

   出てたって言いや分かるだろうが。

   左褄(ひだりづま)をとってたんだよ。

   仲(なか)の芸者、吉原(よしわら)の芸者というものはまたなかなか腕が達者(たっしゃ)でな。

   芸達者(げいたっしゃ)、器量(きりょう)の良い乙(おつ)な者がいっぱいいるんだ。

   その中でも腕が際立(きわだ)っててな、旦那(だんな)がついて落籍(ひか)されてね、

   この家(うち)を買ってもらったんだが、その途端(とたん)に旦那(だんな)がぽっくり

   逝(い)っちまった。

   だから今この家(うち)はあの女将(おかみ)のもんさ。


亥の:え、するってえと何、じゃあの女、いま一人?独(ひと)り者?

   そらぁ勿体(もったい)ないなあ…勿体(もったい)ない…。

   あのさ、棟梁(とうりょう)、あたしはもう喜瀬川(きせがわ)って女はいいや。


棟梁:止(よ)してどうするんだよ。


亥の:この家(うち)の養子(ようし)に入るよ。


棟梁:図々しい事を言うんじゃねえ!

   だれがおめえなんぞ養子(ようし)にするかよ。

   それよりいいか。

   あの喜瀬川(きせがわ)はああ言う女だ。

   三人で揃(そろ)ってるってえと頭がパッと働いて、うまい具合(ぐあい)に誤魔化(ごまか)し

   をするかもしれねえ。

   だからハナは俺が一人でもってトーンと掛け合う。

   当然スッと体(たい)を躱(かわ)しにかかるだろうよ。

   そしたら一人出す。

   また体(たい)を躱(かわ)そうとするだろうから、そしたらもう一人出す。

   どうにも逃げようのない、言い逃(のが)れのできねえようにして

   とっちめてやんなくちゃいけねえからな。

   ハナのうちは二人ともどっかに隠れてるんだ。

   亥(い)の、おめえはそっちの戸棚(とだな)の中に入ってるんだ。

   そうそう、ぴたっと閉めてな。

   それから清公(せいこう)、おめえは…そうだ、ここに衝立(ついたて)がある。

   この裏に隠れてるんだ。

   おめえは背がたけえから、ぐーっとしゃがんでな。


清公:と、棟梁(とうりゅう)、これ結構辛いね…。


棟梁:我慢しろ、少しの辛抱(しんぼう)だ。

   とにかく頭が見えねえようにな…っておいおい亥(い)の!

   戸棚(とだな)の中でタバコ吸っちゃダメだろ!

   危ねえな…しばらくの間我慢しなよ。

   いいかい、俺が出ろって言うまで出ちゃいけねえよ!


亥の:あのね、棟梁(とうりゅう)。


棟梁:なんでェ、出ろって言うまで出ちゃいけねえって言っただろ。


亥の:そうはおっしゃるけどね、あの女は口がうまいだろ。

   そこへもって棟梁(とうりゅう)が女には甘いんだよね。

   もうこれっきりだから棟梁(とうりゅう)、勘弁(かんべん)しておくれよ、なんて言われると

   うん、しょうがねえな、今度から気を付けろなんてんでね、

   二人が隠れてんのを忘れて急に仲良くなっちまったりしないよね?

   ほっぺたをきゅーっと落っつけっこなんかしたりしてると、

   こっちはいつまでもこんなとこに隠れていられないからね。

   飛び出してって酷(ひど)いことするよ。


棟梁:っ大丈夫だよ、そんな裏切りはしねえから。

   そこピタッと閉めて隠れてな。


清公:棟梁(とうりゅう)。


棟梁:今度はおめえか、なんだい?


清公:あのね、あの女に口でいったら負けちまうよ。

   構わねえから入ってきたら五つ六つ張り倒しといて、

   向こうが気を飲まれたとこをね掛け合った方がいいよ。

   そうするとこっちが勝つよ。


棟梁:わかったわかった、いいから引っ込んでな。


亥の:棟梁(とうりゅう)ー。


棟梁:忙しいな、今度は何だよ。


亥の:あのね、いま聞いてたけど、ポカポカ、アレはいけませんや。

   相手はか弱い女ですから、アレをぶつならあたしをぶって。


棟梁:何しに来たんだよおめえは!

   おめえ達は本当に危なくてしょうがねえや。

   いいからピタッと閉めときな!


喜瀬川:【遠くから】

    どうもお母さん、相(あい)すいません。

    ここんところすっかり風邪を引いちゃいましてね。

    今朝やっと起きられたんですよ。

    で、ほうぼう掃除をしてね、神棚(かみだな)におあがりを上げたら

    スッと丁子(ちょうじ)が立ったから、あ、これは待ち人(びと)が来るんだから

    棟梁(とうりゅう)が来てくれるのねと思って楽しみに待ってたら、

    やっぱり来てくれたのね。


亥の:…棟梁(とうりゅう)。


棟梁:なんだ。


亥の:いま言った事、聞きました?

   おあがり上げたらスッと丁子(ちょうじ)が立ったってさ。

   丁子(ちょうじ)が三本立ったのかね?


棟梁:【声を押し殺して】

   ばかっ、早く閉めろ!


喜瀬川:まあ本当におまはん、どうしたの?

    ちっとも来てくれないんだから…何してたのさ。

    たまには顔を出してさ、もう少しなんだから辛抱しろくらいの事

    、言ってくれたらいいじゃないか。

    そしたらあたしだってね、辛い務めも楽になるんだよ。

    おまはんはもう自分の方ばっかりなんだから。

    本当に冷たいわねえ。


棟梁:…。


喜瀬川:…ちょいと、どうしたの、ねえ?

    またなんか機嫌(きげん)が悪いんだね、嫌だよ本当にこの人は。

    そんな顔してちゃ嫌だよ。

    久方(ひさかた)ぶりに会ったってんだから笑っとくれよ。


棟梁:【喜瀬川を睨みながら煙草を飲み始めるが、

   時々おかしい吸い方になっている】

   …ッ。


喜瀬川:どうしたのよ、そんな変な顔して…。


棟梁:変な顔で悪かったな!!


喜瀬川:ッやだよこの人は。

    またケンカしてきたね?

    おまはんはほんとのべつなんだよ、気が短いんだから。

    ケンカするのはいいけど、怪我(けが)でもしたらどうすんの。

    おまはん一人の身体じゃないんだよ。

    ちっともあたしの事なんざ思っちゃくれないんだから。

    おまはんがいなくなっちゃったりしたら、あたしはどうすれば

    いいんだい?    

    もう、本当にそういう所まで気を配ってくれないんだから。

    ケンカするなとは言わないけどさ、気を付けなさいよ。

    おまはんはなんか面白くないことがあるとあたしん所に来る。

    あたしがおまはんの機嫌(きげん)を取らなきゃいけない事もあるだろうけ

    どさ、あたしだってたまにおまはんに機嫌(きげん)取ってもらいたい時が

    あるんだよ。

    もう、ちっともあたしのことなんか構ってくれないんだから…

    なんだい、自分ばっかりタバコ吸って。

    あたしだって吸いたいよ。


棟梁:…ふん。

   【キセルを叩いて煙草の灰を落とすと喜瀬川の方へ放り出す】

   ほらっ。


喜瀬川:ほらじゃないよ。こっち貸しとくれよ。

    【キセルに煙草を詰めて火を付けながら】

    …機嫌(きげん)が悪くなっちゃうっていうと本当に…っ?

    【二、三度吸って】

    煙(けむ)が来ないじゃないか。

    よくこんなので吸ってられるね。気持ち悪くないのかい?

    こんなにヤニで一杯に詰まっちゃってるじゃないか。

    何か通すもの無いのかい?


棟梁:ふん……ほらよ。


喜瀬川:ほらよじゃないよ。

    本当にあたしがいなきゃ何一つできないんだから…

    これからは本当にね…

    あら、本紙(ほんかみ)使ってんの?偉いね。

    あたしのとこへハナで来た時にはおまはん、半紙(はんし)だったんだよね

    。

    下駄(げた)に付いてる泥を拭(ふ)くのだってなんだってみんな半紙(はんし)なんだか

    ら、こんな人と所帯(しょたい)もって上手(うま)くやってかれるだろうかって

    たいそう心配したんだよ?

    それをこうやって本紙(ほんかみ)使ってくれるようになってさ、本当に嬉し

    いよ…って、え…?


    っな、何これおまはん、あたしが書いてあげた起請(きしょう)じゃないか!


棟梁:ああ、起請(きしょう)か?

   俺ァ広告かと思った。


喜瀬川:広告!?

    ちきしょう、なんてことすんだよ本当に!

    ケンカ売りに来やがったね!

    脇(わき)にいいのができやがったんだろ!それに違いないよ!

    なんだってそうならそうだってはっきり言わないんだい!

    あたしはハナからこういうところにいる女だからね。

    いつ何どき、おまはんの方に誰か人の世話でもってこういう女が

    できたって言われた時にはね、黙って我慢して後(あと)へ退(ひ)こうと

    いつだってその覚悟がついてたんだよ?

    それを、あたしが書いた起請(きしょう)をあたしに破らせやがって、

    何てことすんだ!嫌なことしやがって!

    朋輩(ほうばい)が言ってたよ。

    おまはんとこの棟梁(とうりゅう)って人は様子(ようす)がいいんだから、

    女がうっちゃっとくわけがないんだ。

    女が妬(や)かないっていうのは刺身(さしみ)にわさびを付けないような、

    西洋館(せいようかん)に窓の無いような、なんか物足りないもんなんだから、

    少しは焼きもちを焼いた方がいいよって言われたんだ。

    だけどあたしが妬(や)いたりなんかしておまはんに嫌われるといけな

    いと思うから今まで我慢してたのに、ちきしょう、こんなことし

    てェェェ…【泣き崩れる】


棟梁:おぅおぅよしなよしな、もったいないもったいないね。

   こんなところで涙こぼしたって、一文(いちもん)にもならねえよ。

   脇(わき)行って使え脇(わき)で。

   もったいねえ。無駄遣(むだづか)いすんな。


   ところでおめえに聞くがな、起請(きしょう)ってのはいったい何枚書いたら

   気の済むもんだ?


喜瀬川:何を言ってんだい!

    この人はと思えばこそ書くんじゃないか!

    一枚きりに決まってるだろ!


棟梁:ああそうかい、確かに一枚だろうよ。

   おめえんとこに来る唐物屋(とうぶつや)の若旦那(わかだんな)で、亥(い)のってのがいるだろ。

   あの人に一枚、書いてやったろ!


喜瀬川:えっ、な、な…そんな人いないよ。

    え、なに、唐物屋(とうぶつや)の亥(い)のさん…?

    そんな人いたかね…?


    あぁ、分かったよ!

    あの小僧で、色が白くてぶくぶく太って、水瓶(みずがめ)に落(お)っこった

    おまんま粒(つぶ)みたいなのだろ?

    やだねおまはん、あたし何の事かと思って心配しちゃったよ。

    子供だからね、あんな事してやると喜ぶから書いてやるんだよ。

    バカだね気にして…やだよもう。


棟梁:おう、水瓶(みずがめ)に落(お)っこったおまんま粒(つぶ)、出てこい。


亥の:なんだい、水瓶(みずがめ)に落(お)っこったおまんま粒(つぶ)ってのは!


喜瀬川:!あらまあいたの?

    まあ白くって綺麗(きれい)だね。


亥の:なに言ってやんでェ!


棟梁:まぁまぁまぁ。


   まだあるぞ。経師屋(きょうじや)の職人で清公(せいこう)ってのだな。

   そいつにも書いてやったろ!


喜瀬川:もういないったらさ、もう、そんなことないよ。

    他にいるわけないよ。

    な、なんての、経師屋(きょうじや)の、清(せい)さん…?

    清(せい)さん…清(せい)さん…。


    ああ、分かった!

    あのひょろひょろっと高い日陰(ひかげ)の桃の木みたいなの?

    あんな嫌な奴は無いの!

    そういう事してやると喜ぶんだよ。

    いやに江戸っ子ぶりやがってさ、嫌なんだよ。

    キザったらしいったらありゃしない。


棟梁:あそう。

   おーい、日陰(ひかげ)の桃の木、出てこい。


清公:なんでェ日陰(ひかげ)の桃の木とは、こんちきしょう!!


喜瀬川:あらいたの!?

    まあスラっとして様子がいい。


清公:なに言ってやがんでェこんちきしょう!


喜瀬川:ちょっ、なんだね三人して…ねぇちょっと待って、

    ちょっと待っておくれよ。


    …え、なに、なんだい?

    三人そろって騙(だま)されたのは悔(くや)しいってんで、掛け合いに来たの。


    ふん、冗談言っちゃいけないよ。

    あたしは女郎(じょろう)だよ。女郎(じょろう)は客を騙(だま)すのが商売なんだ。

    騙(だま)されたからって三人でもって仕返しに来たってのかい?

    するんだったら気持ちよくあたしを身請(みう)けしてから、

    打(ぶ)つなり蹴(け)るなりしな!

    さぁどうすんだい!?


清公:別に…どうしようってわけじゃねえや…!


喜瀬川:じゃあなんだい、その拳固(げんこ)は!


清公:~~~ッッ…!【固めた拳を扱いかねている】

   このくらいの八(や)つ頭(がしら)、いくらする?


喜瀬川:なに言ってんだい!


棟梁:いいいい、俺が掛け合うよ。

   おう、綺麗(きれい)な啖呵(たんか)だな。結構だ結構だ。

   そりゃあ女郎(じょろう)は客を騙(だま)すのが商売だからな。

   けどな、同じ騙(だま)すんだったらおめえだって吉原(よしわら)の女郎(じょろう)だ。

   汚ねえ真似(まね)するんじゃねえよ。

   起請文(きしょうもん)書くなんてしねえで、もっと綺麗(きれい)な手を使え。

   嫌で起請文(きしょうもん)を書く時は、熊野(くまの)でカラスが三羽死ぬってんだぞ。


喜瀬川:あぁそうかい、ならあたしは嫌な起請文(きしょうもん)をどっさり書いてね、

    世界中のカラスを殺したいね。


棟梁:カラス殺してどうすんだよ。


喜瀬川:朝寝(あさね)がしたいんだよ。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


古今亭志ん朝(三代目)



●用語解説


登楼(とうろう):遊廓(ゆうかく)に上がる事。最初の遊びを「初回(会)」。

   同じ相方に二度目の登楼をするのを「裏を返す」。

   三度目になると「馴染み」と言う。


棟梁(とうりょう):大工のかしら。江戸弁でとうりゅう。


山谷(さんや):江戸時代には、江戸浅草山谷に仮営業の遊郭が置かれており、

   「山谷通ひ」と呼ばれていた。また、山谷堀には遊客を乗せて

   新吉原遊郭へ運ぶ猪牙舟(ちょきぶね)が運航されていた。


新吉原:吉原は江戸初期の元和3年(1617)に各地に散在していた

    遊女屋を一箇所にまとめた遊廓に始まり、明暦3年(1657)

    の大火後、幕府の要請で移転後は新吉原と呼ばれた。

    江戸後期には三千人にのぼる遊女が抱えられていたという。

    江戸の街に馴染んでくると、新がとれて吉原と呼ばれるように

    なった。


喜瀬川:落語の世界で悪役として登場する遊女。

    古典落語「五人廻し」「お見立て」などでも

    わりと悪行三昧。


経師屋 (きょうじや):巻物、掛物、和本、屛風、ふすまなどの表装を

    する職人。


唐物屋(とうぶつや):中国または他の諸外国から渡来した品物。

    主として衣料その他の雑貨。舶来品。洋品。

    平安時代には「からもの」といい、次いで「とうもつ」から

    「とうぶつ」に変った。


左褄(ひだりづま):芸者を指す。


落籍(ひか)される:芸者や遊女を身請けすること。


丁子(ちょうじ)が立つ:丁子という植物の果実が、灯心の燃えさしにできる塊と

      形が似ており、俗にこれを油の中に入れれば財貨を得る

      と言う。これを丁子が立つと言い、同じ縁起を担ぐ言葉に

      「茶柱が立つ」がある。


朋輩(ほうばい):仲間、友達のこと。


八(や)つ頭(がしら):サトイモの一種で、親芋と子芋が分かれず塊状になるのが特徴。

    縁起物としておせち料理によく使われる。



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