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落語【声劇台本書き起こし】

古典落語「三枚起請」

作者: 霧夜シオン


原作:古典落語「三枚起請さんまいきしょう


台本化:霧夜シオン


所要時間:約40分


必要演者数:最低4名

      (0:0:4)

      (3:1:0)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


●登場人物


の:唐物屋とうぶつや若旦那わかだんな

   喜瀬川きせがわから起請文きしょうもんをもらって浮かれていたが、棟梁とうりゅうも同じのを

   持っていると知り、だまされていた事に気づく。

   喜瀬川きせがわ起請文きしょうもん被害者の会その1。


棟梁とうりゅう:大工の棟梁とうりゅう。【ここでは江戸弁読みで全て通します】

   名前はない。

   同じく喜瀬川きせがわからこの中では一番最初に起請文きしょうもんをもらっていたので

   あろうがそのぶん長く、来年三月来年三月とだまされていた。

   喜瀬川きせがわ起請文きしょうもん被害者の会その2。


清公せいこう:通称、おしゃべりの清公せいこう異名いみょうを持つ。

   経師屋きょうじやの職人さん。

   三人の中では最も多くの金銭的被害にあっている。

   その額20円以上。

   アレです、江戸が東京になって以降のはなしだと思ってもらえれば。

   喜瀬川きせがわ起請文きしょうもん被害者の会その3。


喜瀬川きせがわ仲見世なかみせの遊女。元は品川にいたらしいが、住み替えてきた。

    非常にしたたかな性格で、複数人の男に起請文きしょうもんは書くわ、清公せいこう

    だましてお金を詐取さしゅするわとやりたい放題。


女将おかみ:茶屋、井筒屋いづつや女将おかみ

   棟梁とうりゅうから話を聞き、自分も喜瀬川きせがわだまされていたと知って、

   三人を二階へ通す。



●配役

亥の:

棟梁:

清公:

喜瀬川・女将・枕:




枕:「あざの付くほどつねっておくれ、それを惚気のろけのタネにする」という

  都都逸どどいつがありまして。

  ぎゅーっとつねるってぇと、そこへずっとあざができる。

  それを、あたしはあの人にこんな乱暴な事されてる、

  だけどそういう事を許してる、どうですか?

  ってなことを惚気のろけようってんですね。

  男と女が互いに好き合ったりすると愛を確かめ合うもんですが、

  しかし口約束くちやくそくと言うのはどうも信用ならないてんで、

  それを確かな証拠しょうことして残そう、神にちかおうという形でもって、

  起請文きしょうもんと言うのをたがいに書き、血判けっぱんして取りわしたわけです。

  この起請文きしょうもんに登場するのが熊野権現くまのごんげん様でございまして、

  昔はそこのおやしろでもって起請文きしょうもんの用紙を売っていたんですな。

  ちなみに起請文きしょうもん一枚を書くと、熊野権現くまのごんげん様の所のカラスが三羽さんば死ぬと

  言われてます。なぜ死ぬかはよく分かってないです。

  ですがそう言い伝えられてきている。だから大変に霊験れいけんあらたかであ

  るのでむやみに破ってはいけないと、そう言われるもんですから、

  書く方もかなり厳粛げんしゅく心持こころもちでもって起請文きしょうもんに書いた約束を守ってい

  たそうです。

  この風習ふうしゅうは明治のころまで残りまして、主に遊郭ゆうかくさかんに行われてい

  たんだとか。

  またその頃の東京には、カラスがずいぶん多かったそうです。

  右を向いても左を向いても、視界のどっかにはカラスがいたとか。

  とにかくそこらじゅうにいるもんだから、朝なんかうるさくて寝てら

  れない。

  「三千世界さんぜんせかいからすを殺し、ぬしと朝寝あさねがしてみたい」

  という都都逸どどいつがありますが、そこらの事情を端的たんてきあらわしてると、

  そう言えるでしょうな。 

  同時に若い連中の廓通くるわかよいもさかんだったそうで。


棟梁:おうい、そこへ行くのはのじゃねえかい!

   のなんだろ!?


亥の:あぁ棟梁とうりゅう、しばらくご無沙汰ぶさたして。


棟梁:ちいと寄ってかないか?


亥の:いや、あのね、行くところがあるんだよ。


棟梁:まあいいからさ、寄ってきなよ。

   いいじゃねえか。

   ちょいと話があるんだからよ。


亥の:えぇ…急いでるんだよ。

   また来るからさ。


棟梁:いいからこっち上がりなって。

   そんなとこで突っ立ってねえでさ。

   話があるんだよ。


亥の:話ぃ…?

   手短てみじかに頼むよ。

   で、何の話だい?


棟梁:なんの話じゃねえよ。

   こないだおっさんが来てこぼしてったぜ?

   おめえ、近ごろ夜遊びしてるってんじゃねえか。

   しょうがねえな。


亥の:あたしが?冗談言っちゃいけないよ棟梁とうりゅう

   あたしが夜遊び火遊びなんてね、そんな事はしないよ。


棟梁:そうかい?


亥の:あたしのはね、棟梁とうりゅうの前ですけど、昼間はうちで遊んでるんですよ。

   で、夜になるとおもてへ出るんです。


棟梁:それが夜遊び火遊びてんだよ、ええ?

   夜遅くなかなか帰って来ねえって言うじゃねえか。

   何してるんだ?なんか悪い事でもしてるんじゃねえのかい?


亥の:悪い事って言うと?


棟梁:色々あるよ。

   座布団ざぶとんなんぞこう置いてさ、みんなで丸く輪になって座って、

   ふだをこう、ちゃっちゃっちゃっちゃっやって、

   よっ、とこうめくったりとかさ、してるんじゃねえのかい?


亥の:そりゃあ棟梁とうりゅう博打ばくちじゃないかい。


棟梁:そうだよ。


亥の:えぇ、博打ばくちなんかーー、


棟梁:嫌いかい?


亥の:好きだよ。


棟梁:なんだよおい。

   ちるというくらいだ。

   あんなもんに夢中になってるってえと、ろくなことは無いよ。

   せっかくの信頼つぶしちまうぞ。


亥の:大丈夫だよ棟梁とうりゅう

   ホントの事言っちゃうとね、実はここんところずーっと、

   色っぽい事になってんだよ。


棟梁:へええ、女かい?なるほどね。

   まぁおめえの年頃じゃしょうがねえな。

   女ができるのも無理はねえけどもな、あんまり深みにハマっちゃ

   いけねえよ。

   なんでも夢中になるのがいけねえからな。

   で、その相手の女ってのはシロかい?それともクロかい?


亥の:ブチなんだよ。


棟梁:犬だよそりゃ。


亥の:だって、白か黒かって言うから。


棟梁:そうじゃねえよ!

   俺の言ってんのはな、素人しろうと玄人くろうとかってんだよ。


亥の:あぁ~そうかそうか!

   えぇとね、吉原よしわらの女なんだよ。


棟梁:じゃぁクロじゃねえか。


亥の:そうなんだよ。

   真っ黒なんだよ。


棟梁:何だよ真っ黒って。

   で、その女はお前にトンときてんのかい?


亥の:むふふ、トーンとね、きてるから弱っちゃうんだよぅ。

   トントーンと来てるんだ。

   スッと合わせるとぶるぶるって上がってくるんだ。


棟梁:ハゼだなまるで。

   しかし、そんなにかい。


亥の:そんなにかって言ったってね…、

   とにかくね…もう、たまんないんだよ。

   棟梁とうりゅうの前だけどもさ、のはん、のはんてんで

   大変な騒ぎだよ。

   もうどうもね、顔を見せるってえと攻めるんだよこれがまた。

   弱っちゃってね。


喜瀬川:来年三月、年季が明けたらどうしたっておまはんのとこ行くよ。

    おまはんと夫婦になるんだよ。


亥の:ってね、あんまり言う事が可愛いもんだからさ、

   毎晩のようにかよってると、こういうわけなんだよ。


棟梁:ほお、なるほど。

   ねんが明けたら夫婦になると、そう言われたからかよってんのかい。

   いいねぇ若いもんは、ほんと。

   でもね、ああいうとこの女の言う事は、あんまりに受けちゃいけ

   ねぇよ。

   「ねんが明けたらお前のそばに、きっと行きます断りに」

   ていう都都逸どどいつがあるんだ。

   そん時になって断わられたってな、ケンカにならねえよ?


亥の:大丈夫、大丈夫だよォ!

   また棟梁とうりゅうは心配性だね、そんなことはないよ。

   ちゃんとその女からね、確かなものもらってんだよ。

   サラサラっと書いたものなんかをね。


棟梁:書いたもの?

   あぁ、起請きしょうかい?


亥の:嬉しいね、やっぱり棟梁とうりゅうは遊び人だよ。

   そうなんだ、起請きしょうもらっちゃってんの。

   だからさ、大丈夫だよ。


棟梁:そうかい、ああいう所の女にもらったってんなら、

   こいつは本物かもしれんよな。

   ちょいとその起請きしょうを見せてくれよ。


亥の:いやぁ、見せられねえんだよ。

   女が言ってたんだ。


喜瀬川:どんなことがあっても他の人に見せちゃ嫌だよ。

    おまはんだけにあげたんだ、大事にしまっといて。


亥の:なんて言ってんだよ。だから見せられないね。


棟梁:なに言ってんだよ。

   いいから見せろ。俺がちゃんと見てやるからよ。


亥の:なんだい、見てやるからってこたぁないよ。

   まぁいいや、ほかならない棟梁とうりゅうだからね、見せるよ。

   他の人には見せねえんだから。

   こないだおふくろがのぞいたから蹴倒けたおしてやったんだ。


棟梁:おいおい、乱暴なことしちゃいけねえ。

   どれ、こっち貸してみな。


亥の:うん、これがね、その起請文きしょうもんなんだ。

   きちんと丁寧ていねいあつかっておくれよ。

   手を洗ってね、口をゆすいでさ。


棟梁:なにを言ってんだ。

   ほれ、もったいつけてねえで、早く見せな。


   あー、なるほど、確かに起請文きしょうもんだ。

   ひとつ、起請文きしょうもんのことなり、ね。

   だいたい起請文きしょうもんの文句ってのは決まってんだ。

   えーと、わたくしこと来年三月、ねんが明けそうらえば、

   あなた様と夫婦になること実証じっしょうなり。

   新吉原しんよしわら江戸町えどちょう二丁目、朝日楼あさひろう…へえ、んなとこに行くのかい。

   朝日楼あさひろうのうち、喜瀬川きせがわこと、本名ほんみょう中山なかやま、みつ…。

   喜瀬川きせがわこと本名ほんみょう中山なかやまみつ………。


   …おい、の。

   これァ何かい?

   おめえこれ、本当に書いてもらったのか?


亥の:そうだよ。


棟梁:どっかで拾ったんじゃねえのか?


亥の:拾わないよ。

   紙くず拾いじゃないんだから。


棟梁:あそう…。

   この女、もと品川しながわにいたんじゃねえか?


亥の:そうそう、よく知ってるねえ。


棟梁:で、去年になかへ住み替えてきたんだ。


亥の:そうそうそう。


棟梁:としころは二十五・六でもって色の白い、ちょいと小太りの女で、

   目のわきにほくろがありゃしねえかい?


亥の:あるある、んで両方に耳があってーー


棟梁:当たり前だよ。

   で、その女が、おめえにこれ書いてくれたのか?


亥の:そうなんだよ。


棟梁:…へっ、いいやな、若い時分じぶんはこんなものもらって喜んでんだ。

   罪がなくっていいやね!

   ッ、ふっ!【起請文を叩きつけて息を吹きかけて返す】


亥の:ちょちょ、何するんだい!

   だからあたしは見せんの嫌だって言ったんだ。

   なんだい棟梁とうりゅう、あたしが大事にしてるものを叩きつけて、

   ふっと吹くこたぁないだろ!

   本当に…なんてことするんだ。


棟梁:そんなに大事なのかい?欲しいのか?

   欲しけりゃやるよ。

   俺も一枚持ってるから。


亥の:えっ…、どうして棟梁とうりょうが持ってるんだい?


棟梁:【ふところから起請文きしょうもんを取り出して】

   こんちきしょう、冗談じゃねえや…ッ!

   いいか、さ、見ろ、これだ。


亥の:なに言ってんだい棟梁とうりゅう、そんな人をからかうような事言って、

   そんな…、…。

   【棟梁の起請文を呼んで青ざめていく】

   あ、あれ…ほ、本当だ…ちょっ…やだな…。

   なんで棟梁とうりゅうがこれを持ってるんです?


棟梁:冗談言っちゃいけねえよ、の。

   この女に関してはね、おめえより俺の方が先なんだよ。

   なに言ってやんでェべらぼうめ、こっちは品川しながわにいるうちから

   かよってんだよ。俺がこのとしになるまで一人でいるのは何のためだと

   思ってんだ。

   あのアマが、


喜瀬川:棟梁とうりゅう、来年三月にねんが明けたらおまはんのところ行くから、

    待ってておくれよ。


棟梁:また来年になると、来年三月、来年三月って、

   こっちはずっと来年三月に引かされて、いまだに一人でいるのは

   その為だ!


亥の:っじゃ、じゃああたしはだまされたんで?


棟梁:お前だけじゃねえ、俺もだまされたんだよ!


亥の:ちくしょう~くやしいね、ええ!?

   どうしてやろうか!


棟梁:どうしてやろうかったってな、

   そんな事は俺だって分からねえよ、ちきしょう!

   冗談じゃねえよ、ほんとに…っ!

   !おい、なんか言っちゃいけねえぞ。


亥の:え?どうしたんだい棟梁とうりゅう


棟梁:おしゃべりの清公せいこうが来たぞ。

   余計よけいなこと言っちゃなんねえ。


清公:おい、なんだよ棟梁とうりゅう、ええ?

   言っていい事と悪い事ってのはあるもんだよ。

   冗談じゃねえや本当に。

   なんでぇおしゃべりの清公せいこうってな。


棟梁:何がだよ。


清公:何がじゃねえ。

   あっしァね、これを言ってもらっちゃ困るよって言われりゃあね、

   背中をなたたたき割られてなまりの熱湯をそそぎこまれたって

   こっちは口を割らねえんだ!


棟梁:なに言ってやんでぇ、

   相変あいかわらず大袈裟おおげさなこと言ってやんなおめえは。

   何をそんなに怒ってやがんだ?


清公:人の顔見て何でぇ、おしゃべりの清公せいこうたぁ。


棟梁:誰がそんなこと言った?


清公:いま棟梁とうりゅうが言ったじゃねえか。


棟梁:言わねえよ。


清公:言った!


棟梁:言わねえよ!

   ったくなんだい、おめえは本当にそそっかしいな。

   そうじゃねえんだよ。

   こののがな、女の事でもってちょいとゴタゴタがある、

   って言うからよ、んな事はみっともねえから

   脇へ行っておしゃべりするんじゃねえよって意見しようとしたら、

   おめえの顔がすっと見えたもんだから、おしゃべり、あぁ清公せいこうが来た、

   と、こうなったんだよ。


清公:…本当かい?

   あ、そう…そう言うんだったらまあいいんだけどよ。

   それでどうしたんだい、ゴタゴタってな。


棟梁:ああ、こいつがな、女から起請文きしょうもんをもらったんだよ。


清公:へえ、のがかい?

   ついこないだまで餅竿もちざお持ってさ、

   とんぼ追っかけまわしてたってのがなぁ、そぉかい。

   その起請文きしょうもんってやつを見せなよ。

   どれどれ…へえ、なるほど、本物だよ。

   ひとつ、起請文きしょうもんのことなり、ってな、へへ。

   たいがい起請文きしょうもんの文句ってのは決まってるもんだ。

   えーなんだって…ふんふん…ほうほう…、

   で、ところは…、新吉原しんよしわら江戸町えどちょう二丁目、朝日楼あさひろう

   のうち…喜瀬川きせがわこと、本名ほんみょう中山なかやま、みつ…。

   ふーん………

   おい、これァ何かい?

   その女が、本当におめえに書いてくれたのかい?


亥の:そう、すらすら、ささっ、と。


清公:この女、もとは品川しながわにいたんじゃねえか?


亥の:ええ、そうです。


清公:で、去年になかへ住み替えてきたんだ。


亥の:そう、そうなんだよ。

   【棟梁に向けて囁くように】

   棟梁とうりゅう、おんなじこと言ってるよ。


棟梁:ちっ…。


清公:としころは二十五だよ。

   色が白くって小太りで、

   目のわきにほくろのある女だ。


亥の:へへ…もう一枚出るな。


清公:なに言ってやんでェこんちきしょう。

   っも、もしかして…棟梁とうりゅうももらってんのか!?


   …まさかあの女に限ってこんなことする奴じゃねえと思ったんだが

   、もう勘弁できねえ!

   【家の奥へ駆け出す】


棟梁:おっおいッちょちょちょっ待ちな待ちな!おいッ待ちなよおいッ!

   血のが多い奴だよしょうがねえな!

   おいの、ぼんやりして笑ってちゃダメだろ!

   台所に飛び込んでいったから出刃包丁でばぼうちょう持って来るといけねえ。

   止めてやんな止めてやんな!


亥の:しょうがないねえ本当に…。

   せいさん、あのですねーー

   【二拍】

   【くすくす笑いながら】

   棟梁とうりゅう、大丈夫です、出刃包丁でばぼうちょう持って来ませんよ。


棟梁:そうか?


亥の:ええ、大根おろしを振り回してますから。


棟梁:大根おろし?ああ本当だ。

   おいおいおい、そんなもの振り回して何しようってんだ?


清公:何って、これから行ってね、あの女の顔をこれでもって

   下ろしちゃおうかと思ってさ!


棟梁:バカな事言ってんじゃねえよ、くだらねえことは止しな。

   いや、分からねえことはねえけどな。

   俺ものも二人して起請文きしょうもんもらってんだ。

   けどしょうがねえ、だまされるのは客の方が悪いんだ。

   だから我慢しようってんだからさ、

   おめえ一人でそんなにイキったってしょうがねえだろ。

   よしなよしな、我慢しな我慢しな、あきらめろあんなもの。


清公:冗談言っちゃいけねえ…冗談言っちゃいけねえよ。

   そりゃあね、お前さんがたのもらった起請きしょうとあっしのもらった起請きしょう

   同じかもしれねえ。

   けどな、はばかりながらもらい方が違うんだ。

   もらい方が違うんだよ!


棟梁:ほう、どう違うんだい?


清公:どう違うじゃねえよ、冗談言っちゃいけねえ。

   黙って聞いてもらおうじゃねえか………うっ、ぐすっ、ヒック…


棟梁:泣かなくったっていいんだよ。

   で、どう違うんだ?

   言ってみな。


清公:…忘れもしないよ、去年の11月のなかばだ。

   俺ァ山谷さんやの方に仕事があったんでな、出かけたよ。

   仕事が終わって帰りに給金もらってよ、ふところがあったまったから

   わきでもってちょいと一杯やったんだよ。

   場所が山谷さんやだ、一杯入ってそのまま帰るってこたぁねえ。

   なかへスーッと入って行った。

   あっちこっちぐるぐるほうぼう冷やかして、ふっと登楼あがったのが

   朝日楼あさひろうよ。

   で、出てきたのが喜瀬川きせがわだ。


喜瀬川:まぁおまはんて人はなんて様子ようすのいい人だろうね、

    私の好みの器量きりょうにぴったりだよ。


清公:なんて言ってよ、何を言いやがんでぇこのアマ、

   調子ちょうしの良い事ぬかしやがってと、あっしァそう思ってたんだ。

   けどあんまり扱いがいいもんだからすぐに裏を返したんだ。

   そしたらまた扱いが変わらねえ。こいつは嬉しいやと馴染なじみになっ

   てね、トントントントンと遊びに行ってたらね、暮れの28日に

   女の所から手紙が来たんだ。

   ぜひとも相談したい事があるって言うから飛んでいったよ。

   そしたらこう言うんだ。


喜瀬川:私には義理の悪い借金が20円ばかりあって、

    何としてもそれを返さないって事にはこの年は越せないんだよ。

    他のお客様で何とか出してやろうって言う人がいるんだけれども

    、そんな人に出してもらったりなんかしたら、

    年が明けておまはんと所帯しょたいを持つ時にそれが何かの災いになると

    嫌だから、できる事だったらおまはんに出してもらいたいんだよ。


清公:と、こういう事だ。

   嬉しいじゃねえか、ええ?

   あっしァすっかり気に入って、よしわかった、他の者にびた一文いちもん

   出してもらうんじゃねえぞ、俺がなんとかするってんで、

   急いで家に帰って来たんだが、20円の金はさておいてよ、

   5円の金も、ありゃあしねえ。


棟梁:バカだねこいつは。

   まあ分かった、それでどうしたんだ?


清公:妹が日本橋に奉公してっからそこへ行ったよ。

   女の所に持ってくなんて言うわけにはいかねえから、

   おふくろの具合が悪くなっちゃって、20円ねえと薬を飲ませる事

   ができねえんだ、何とかならねえかって言ったんだ。

   そしたら妹はいったん奥へ引っ込んで、次に出て来た時にはこんな

   大きな風呂敷包ふろしきづつみをもって出てきて、

   兄さん、この中に私の夏冬なつふゆのものが入ってるから、これ持ってって

   何とかしてちょうだいって言うもんだから、礼を言ってすぐに

   やしちさんとこへ行ったんだ。


棟梁:なんでェやしちさんてな?


清公:質屋しちやさんを逆さまにしたんだ。


棟梁:逆さまにするなよ。

   それで、どうしたんだ。


清公:開けてみたら木綿もめんものばかり、たったの6円にしかならねえんだ。

   だからまた妹の所へ行ってな、これこれこういうわけで6円だった

   、なんとかならねえかって言ったら、

   しょうがない、それじゃお給金きゅうきん前借まえがりをしましょってんで、

   そこの旦那だんなから給金きゅうきん前借まえがりをしてくれてやっと20円の金をこしら

   えた。

   そいつを持ってすぐになかへ飛んでって喜瀬川きせがわに渡したよ。

   その時のザマったらねえよ。


喜瀬川:まぁおまはんはなんて親切な人なんだろう。

    親切の国から親切を広めに来たような人だよ。

    私はどんなことがあったっておまはんと一緒になるよ。


清公:って俺のほっぺたにかじりつきながら書いてくれたの

   が、あっしの起請文きしょうもんだよ。

   あっしがだまされるのは仕方ねえとしても、

   妹が暑いにつけ寒いにつけ不自由な思いをするかと思うと…

   あっしぁ、妹が…かわいそうでならねえッ…!


棟梁:そうだろう。


清公;あっしァ、妹が不憫ふびんでならねぇ…!


棟梁:もっともだ!


清公:あっしァ、くやしい…!


亥の:チチン♪【三味線のマネ】


棟梁:なんだチチンてな。


亥の:へへ、あんまりトントンとくるから思わず三味線しゃみせん入れちまった。


棟梁:そんな三味線しゃみせんなんか入れんな!


清公:ぐすっ、冗談じゃねえよ棟梁とうりゅう

   分かるだろ、あっしの気持ちが!

   どうしても我慢がならねえんだ!


棟梁:まぁまぁまぁ、わかったわかったわかった。

   俺だってな、くやしくねえなんて事はねえ。

   けれどもな、さっき言った通り、向こうは客をだますのが商売、

   こっちはそれを承知で遊びに行くんだ。

   いざだまされたとなってカーッと頭に血がのぼって、

   拳固げんこを振り回したりなんかしてみろ。

   あぁなんて野暮やぼな野郎だろって笑われんのはこっちだぞ。


   だけど、だけどもな、かたきは取りたいよな。


清公:取りてぇ、取りてぇよ!

   何とかならねえかな!?


棟梁:まぁ落ち着け。

   よし、これからひとつ、三人で出かけようじゃねえか。

   向こう行ってよ、喜瀬川きせがわを呼び出してさんざん嫌味いやみを言ってやろう

   じゃねえか。

   そのほうがよっぽどあの女には響くんだ。


清公:なるほどね!

   じゃ、ぜひ一つ頼むよ棟梁とうりゅう


棟梁:よしわかった!

   じゃ、行こうか。


   【二拍】


亥の:それにしても棟梁とうりゅうの前だけどさ、いつもはこの辺りを歩いてる時

   は、これから女のところへ会いに行くんだなと思うとこう、

   気分が浮いてくるもんだけどね。

   これから三人で掛け合いに行くんだと思うと、なんだか気分が重く

   なるね。


棟梁:そりゃしょうがねえよ、だまされたんだから。


亥の:棟梁とうりゅう、あそこをご覧なよ。

   犬が三匹歩いてるね。アレは雄犬おすいぬだよ。

   その先に一匹離れて歩いてる、アレは雌犬めすいぬだね。

   あの三匹の雄犬おすいぬも前の雌犬めすいぬから起請文きしょうもんをもらったのかな?


棟梁:呑気のんきなこと言ってんじゃねえ、バカだな。

   よし、茶屋に着いたぞ。

   ちょいとそこで待ってな。


   こんばんは!


女将:はぁい!

   あらまぁ棟梁とうりゅうじゃないか、どうしたの?

   本当にちっとも顔を見せないんだから。

   まぁまぁこっち上がって。


棟梁:はは、どうもこらぁすんません、ご無沙汰ぶさたしちまって。


女将:ご無沙汰ぶさたじゃないよ本当に、ええ?

   忙しいのは分かるけどもさ、たまには顔を見せてやんなきゃ

   あの子が可哀想かわいそうじゃないかね。


棟梁:それがね、あの子もかの子もないんだよ。


女将:どういうことだい?


棟梁:こちとらすっかりだまされちまってね。


女将:だまされた?バカなこと言っちゃいけませんよ。

   あたしが付いてんだからそんなことは無いよ。

   だいいちね、あの子は大変なれよだよお前さんに。

   足駄あしだいて首ったけなんてもんじゃないんだから。


棟梁:どうだかね。


女将:お前さんもうたぐぶかいねぇ。

   あの子から固いものもらってんじゃないかい?


棟梁:俺も固いもんだと思ってたんだけどよ、固くねえんだそれが。

   ぐにゃぐにゃなんだよ。


女将:何を証拠にそんなことを言うんだい。

   一方的にうたがったりなんかして…可哀想かわいそうだよあの子が。

   きっと思い過ごしだよ。


棟梁:証拠ならあるよ。


女将:あるの!?


棟梁:俺の他にな、あと二人は確実に同じもんもらってんだ。


女将:あら、ほんとに!?

   間違いないの!?


棟梁:ああ、この目でちゃんと見てんだ。


女将:あらあらあら…!

   うんうん…あらまぁ…!


棟梁:あとの二人ってのは、唐物屋とうぶつやのと経師屋きょうじや清公せいこうだ。


女将:え、そんな、あらやだ…!


棟梁:三枚も同じ起請文きしょうもんが並ぶってのはなかなかねえよ?


女将:【だんだん強調していく】

   うん…うん…うん…!!


棟梁:おい、ちゃんとわかってるのかい?


女将:わかってるよくやしいねえ。

   あたしだってだまされちゃったんだよ。

   そんな子には見えないけどねえ…そう…。


棟梁:それで、その二人が連れで来てるんだけどよ。


女将:え、おもてにいるのかい?

   いけないよ、おもてなんぞに待たしといちゃ。

   【表へ向かって】

   どうぞ、お連れさん、こちらへお入りくださいまし。


清公:こんばんは。


亥の:こんばんは、だまされ連中が参りました。


女将:そんなこと言っちゃいけませんよ。

   あなた方別々に来るからだまされるんです。

   今度ご一緒にいらしてくださいまし。


亥の:ええ、そしてまた一緒にだまされると。


女将:そんなことありませんよ。

   どうぞお上がりくださいまし。


棟梁:女将おかみ、向こうには俺一人で来たってことで。


女将:はいはい、分かりました。

   じゃ、お二階へ。

   すぐに呼んで参りますから。


棟梁:じゃ、上がろうか。

   【二拍】

   なかなかのもんだろ?

   いいうちだよ。


清公:いいね。

   いいけども、いま下でもってしゃべってたの、ここの女将おかみかい?


棟梁:そうだよ。


清公:いい女だね。


棟梁:そらァいい女だよ。

   元は出てたんだ。


清公:日なたに?


棟梁:亀の子じゃないよ。

   出てたって言いや分かるだろうが。

   左褄ひだりづまをとってたんだよ。

   なかの芸者、吉原よしわらの芸者というものはまたなかなか腕が達者たっしゃでな。

   芸達者げいたっしゃ器量きりょうの良いおつな者がいっぱいいるんだ。

   その中でも腕が際立きわだっててな、旦那だんながついて落籍ひかされてね、

   このうちを買ってもらったんだが、その途端とたん旦那だんながぽっくり

   っちまった。

   だから今このうちはあの女将おかみのもんさ。


亥の:え、するってえと何、じゃあの女、いま一人?ひとり者?

   そらぁ勿体もったいないなあ…勿体もったいない…。

   あのさ、棟梁とうりょう、あたしはもう喜瀬川きせがわって女はいいや。


棟梁:してどうするんだよ。


亥の:このうち養子ようしに入るよ。


棟梁:図々しい事を言うんじゃねえ!

   だれがおめえなんぞ養子ようしにするかよ。

   それよりいいか。

   あの喜瀬川きせがわはああ言う女だ。

   三人でそろってるってえと頭がパッと働いて、うまい具合ぐあい誤魔化ごまか

   をするかもしれねえ。

   だからハナは俺が一人でもってトーンと掛け合う。

   当然スッとたいかわしにかかるだろうよ。

   そしたら一人出す。

   またたいかわそうとするだろうから、そしたらもう一人出す。

   どうにも逃げようのない、言いのがれのできねえようにして

   とっちめてやんなくちゃいけねえからな。

   ハナのうちは二人ともどっかに隠れてるんだ。

   の、おめえはそっちの戸棚とだなの中に入ってるんだ。

   そうそう、ぴたっと閉めてな。

   それから清公せいこう、おめえは…そうだ、ここに衝立ついたてがある。

   この裏に隠れてるんだ。

   おめえは背がたけえから、ぐーっとしゃがんでな。


清公:と、棟梁とうりゅう、これ結構辛いね…。


棟梁:我慢しろ、少しの辛抱しんぼうだ。

   とにかく頭が見えねえようにな…っておいおいの!

   戸棚とだなの中でタバコ吸っちゃダメだろ!

   危ねえな…しばらくの間我慢しなよ。

   いいかい、俺が出ろって言うまで出ちゃいけねえよ!


亥の:あのね、棟梁とうりゅう


棟梁:なんでェ、出ろって言うまで出ちゃいけねえって言っただろ。


亥の:そうはおっしゃるけどね、あの女は口がうまいだろ。

   そこへもって棟梁とうりゅうが女には甘いんだよね。

   もうこれっきりだから棟梁とうりゅう勘弁かんべんしておくれよ、なんて言われると

   うん、しょうがねえな、今度から気を付けろなんてんでね、

   二人が隠れてんのを忘れて急に仲良くなっちまったりしないよね?

   ほっぺたをきゅーっと落っつけっこなんかしたりしてると、

   こっちはいつまでもこんなとこに隠れていられないからね。

   飛び出してってひどいことするよ。


棟梁:っ大丈夫だよ、そんな裏切りはしねえから。

   そこピタッと閉めて隠れてな。


清公:棟梁とうりゅう


棟梁:今度はおめえか、なんだい?


清公:あのね、あの女に口でいったら負けちまうよ。

   構わねえから入ってきたら五つ六つ張り倒しといて、

   向こうが気を飲まれたとこをね掛け合った方がいいよ。

   そうするとこっちが勝つよ。


棟梁:わかったわかった、いいから引っ込んでな。


亥の:棟梁とうりゅうー。


棟梁:忙しいな、今度は何だよ。


亥の:あのね、いま聞いてたけど、ポカポカ、アレはいけませんや。

   相手はか弱い女ですから、アレをぶつならあたしをぶって。


棟梁:何しに来たんだよおめえは!

   おめえ達は本当に危なくてしょうがねえや。

   いいからピタッと閉めときな!


喜瀬川:【遠くから】

    どうもお母さん、あいすいません。

    ここんところすっかり風邪を引いちゃいましてね。

    今朝やっと起きられたんですよ。

    で、ほうぼう掃除をしてね、神棚かみだなにおあがりを上げたら

    スッと丁子ちょうじが立ったから、あ、これは待ちびとが来るんだから

    棟梁とうりゅうが来てくれるのねと思って楽しみに待ってたら、

    やっぱり来てくれたのね。


亥の:…棟梁とうりゅう


棟梁:なんだ。


亥の:いま言った事、聞きました?

   おあがり上げたらスッと丁子ちょうじが立ったってさ。

   丁子ちょうじが三本立ったのかね?


棟梁:【声を押し殺して】

   ばかっ、早く閉めろ!


喜瀬川:まあ本当におまはん、どうしたの?

    ちっとも来てくれないんだから…何してたのさ。

    たまには顔を出してさ、もう少しなんだから辛抱しろくらいの事

    、言ってくれたらいいじゃないか。

    そしたらあたしだってね、辛い務めも楽になるんだよ。

    おまはんはもう自分の方ばっかりなんだから。

    本当に冷たいわねえ。


棟梁:…。


喜瀬川:…ちょいと、どうしたの、ねえ?

    またなんか機嫌きげんが悪いんだね、嫌だよ本当にこの人は。

    そんな顔してちゃ嫌だよ。

    久方ひさかたぶりに会ったってんだから笑っとくれよ。


棟梁:【喜瀬川を睨みながら煙草を飲み始めるが、

   時々おかしい吸い方になっている】

   …ッ。


喜瀬川:どうしたのよ、そんな変な顔して…。


棟梁:変な顔で悪かったな!!


喜瀬川:ッやだよこの人は。

    またケンカしてきたね?

    おまはんはほんとのべつなんだよ、気が短いんだから。

    ケンカするのはいいけど、怪我けがでもしたらどうすんの。

    おまはん一人の身体じゃないんだよ。

    ちっともあたしの事なんざ思っちゃくれないんだから。

    おまはんがいなくなっちゃったりしたら、あたしはどうすれば

    いいんだい?    

    もう、本当にそういう所まで気を配ってくれないんだから。

    ケンカするなとは言わないけどさ、気を付けなさいよ。

    おまはんはなんか面白くないことがあるとあたしん所に来る。

    あたしがおまはんの機嫌きげんを取らなきゃいけない事もあるだろうけ

    どさ、あたしだってたまにおまはんに機嫌きげん取ってもらいたい時が

    あるんだよ。

    もう、ちっともあたしのことなんか構ってくれないんだから…

    なんだい、自分ばっかりタバコ吸って。

    あたしだって吸いたいよ。


棟梁:…ふん。

   【キセルを叩いて煙草の灰を落とすと喜瀬川の方へ放り出す】

   ほらっ。


喜瀬川:ほらじゃないよ。こっち貸しとくれよ。

    【キセルに煙草を詰めて火を付けながら】

    …機嫌きげんが悪くなっちゃうっていうと本当に…っ?

    【二、三度吸って】

    けむが来ないじゃないか。

    よくこんなので吸ってられるね。気持ち悪くないのかい?

    こんなにヤニで一杯に詰まっちゃってるじゃないか。

    何か通すもの無いのかい?


棟梁:ふん……ほらよ。


喜瀬川:ほらよじゃないよ。

    本当にあたしがいなきゃ何一つできないんだから…

    これからは本当にね…

    あら、本紙ほんかみ使ってんの?偉いね。

    あたしのとこへハナで来た時にはおまはん、半紙はんしだったんだよね

    。

    下駄げたに付いてる泥をくのだってなんだってみんな半紙はんしなんだか

    ら、こんな人と所帯しょたいもって上手うまくやってかれるだろうかって

    たいそう心配したんだよ?

    それをこうやって本紙ほんかみ使ってくれるようになってさ、本当に嬉し

    いよ…って、え…?


    っな、何これおまはん、あたしが書いてあげた起請きしょうじゃないか!


棟梁:ああ、起請きしょうか?

   俺ァ広告かと思った。


喜瀬川:広告!?

    ちきしょう、なんてことすんだよ本当に!

    ケンカ売りに来やがったね!

    わきにいいのができやがったんだろ!それに違いないよ!

    なんだってそうならそうだってはっきり言わないんだい!

    あたしはハナからこういうところにいる女だからね。

    いつ何どき、おまはんの方に誰か人の世話でもってこういう女が

    できたって言われた時にはね、黙って我慢してあと退こうと

    いつだってその覚悟がついてたんだよ?

    それを、あたしが書いた起請きしょうをあたしに破らせやがって、

    何てことすんだ!嫌なことしやがって!

    朋輩ほうばいが言ってたよ。

    おまはんとこの棟梁とうりゅうって人は様子ようすがいいんだから、

    女がうっちゃっとくわけがないんだ。

    女がかないっていうのは刺身さしみにわさびを付けないような、

    西洋館せいようかんに窓の無いような、なんか物足りないもんなんだから、

    少しは焼きもちを焼いた方がいいよって言われたんだ。

    だけどあたしがいたりなんかしておまはんに嫌われるといけな

    いと思うから今まで我慢してたのに、ちきしょう、こんなことし

    てェェェ…【泣き崩れる】


棟梁:おぅおぅよしなよしな、もったいないもったいないね。

   こんなところで涙こぼしたって、一文いちもんにもならねえよ。

   わき行って使えわきで。

   もったいねえ。無駄遣むだづかいすんな。


   ところでおめえに聞くがな、起請きしょうってのはいったい何枚書いたら

   気の済むもんだ?


喜瀬川:何を言ってんだい!

    この人はと思えばこそ書くんじゃないか!

    一枚きりに決まってるだろ!


棟梁:ああそうかい、確かに一枚だろうよ。

   おめえんとこに来る唐物屋とうぶつや若旦那わかだんなで、のってのがいるだろ。

   あの人に一枚、書いてやったろ!


喜瀬川:えっ、な、な…そんな人いないよ。

    え、なに、唐物屋とうぶつやのさん…?

    そんな人いたかね…?


    あぁ、分かったよ!

    あの小僧で、色が白くてぶくぶく太って、水瓶みずがめっこった

    おまんまつぶみたいなのだろ?

    やだねおまはん、あたし何の事かと思って心配しちゃったよ。

    子供だからね、あんな事してやると喜ぶから書いてやるんだよ。

    バカだね気にして…やだよもう。


棟梁:おう、水瓶みずがめっこったおまんまつぶ、出てこい。


亥の:なんだい、水瓶みずがめっこったおまんまつぶってのは!


喜瀬川:!あらまあいたの?

    まあ白くって綺麗きれいだね。


亥の:なに言ってやんでェ!


棟梁:まぁまぁまぁ。


   まだあるぞ。経師屋きょうじやの職人で清公せいこうってのだな。

   そいつにも書いてやったろ!


喜瀬川:もういないったらさ、もう、そんなことないよ。

    他にいるわけないよ。

    な、なんての、経師屋きょうじやの、せいさん…?

    せいさん…せいさん…。


    ああ、分かった!

    あのひょろひょろっと高い日陰ひかげの桃の木みたいなの?

    あんな嫌な奴は無いの!

    そういう事してやると喜ぶんだよ。

    いやに江戸っ子ぶりやがってさ、嫌なんだよ。

    キザったらしいったらありゃしない。


棟梁:あそう。

   おーい、日陰ひかげの桃の木、出てこい。


清公:なんでェ日陰ひかげの桃の木とは、こんちきしょう!!


喜瀬川:あらいたの!?

    まあスラっとして様子がいい。


清公:なに言ってやがんでェこんちきしょう!


喜瀬川:ちょっ、なんだね三人して…ねぇちょっと待って、

    ちょっと待っておくれよ。


    …え、なに、なんだい?

    三人そろってだまされたのはくやしいってんで、掛け合いに来たの。


    ふん、冗談言っちゃいけないよ。

    あたしは女郎じょろうだよ。女郎じょろうは客をだますのが商売なんだ。

    だまされたからって三人でもって仕返しに来たってのかい?

    するんだったら気持ちよくあたしを身請みうけしてから、

    つなりるなりしな!

    さぁどうすんだい!?


清公:別に…どうしようってわけじゃねえや…!


喜瀬川:じゃあなんだい、その拳固げんこは!


清公:~~~ッッ…!【固めた拳を扱いかねている】

   このくらいのがしら、いくらする?


喜瀬川:なに言ってんだい!


棟梁:いいいい、俺が掛け合うよ。

   おう、綺麗きれい啖呵たんかだな。結構だ結構だ。

   そりゃあ女郎じょろうは客をだますのが商売だからな。

   けどな、同じだますんだったらおめえだって吉原よしわら女郎じょろうだ。

   汚ねえ真似まねするんじゃねえよ。

   起請文きしょうもん書くなんてしねえで、もっと綺麗きれいな手を使え。

   嫌で起請文きしょうもんを書く時は、熊野くまのでカラスが三羽死ぬってんだぞ。


喜瀬川:あぁそうかい、ならあたしは嫌な起請文きしょうもんをどっさり書いてね、

    世界中のカラスを殺したいね。


棟梁:カラス殺してどうすんだよ。


喜瀬川:朝寝あさねがしたいんだよ。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


古今亭志ん朝(三代目)



●用語解説


登楼とうろう遊廓ゆうかくに上がる事。最初の遊びを「初回(会)」。

   同じ相方に二度目の登楼をするのを「裏を返す」。

   三度目になると「馴染み」と言う。


棟梁とうりょう:大工のかしら。江戸弁でとうりゅう。


山谷さんや:江戸時代には、江戸浅草山谷に仮営業の遊郭が置かれており、

   「山谷通ひ」と呼ばれていた。また、山谷堀には遊客を乗せて

   新吉原遊郭へ運ぶ猪牙舟ちょきぶねが運航されていた。


新吉原:吉原は江戸初期の元和3年(1617)に各地に散在していた

    遊女屋を一箇所にまとめた遊廓に始まり、明暦3年(1657)

    の大火後、幕府の要請で移転後は新吉原と呼ばれた。

    江戸後期には三千人にのぼる遊女が抱えられていたという。

    江戸の街に馴染んでくると、新がとれて吉原と呼ばれるように

    なった。


喜瀬川:落語の世界で悪役として登場する遊女。

    古典落語「五人廻し」「お見立て」などでも

    わりと悪行三昧。


経師屋 (きょうじや):巻物、掛物、和本、屛風、ふすまなどの表装を

    する職人。


唐物屋とうぶつや:中国または他の諸外国から渡来した品物。

    主として衣料その他の雑貨。舶来品。洋品。

    平安時代には「からもの」といい、次いで「とうもつ」から

    「とうぶつ」に変った。


左褄ひだりづま:芸者を指す。


落籍ひかされる:芸者や遊女を身請けすること。


丁子ちょうじが立つ:丁子という植物の果実が、灯心の燃えさしにできる塊と

      形が似ており、俗にこれを油の中に入れれば財貨を得る

      と言う。これを丁子が立つと言い、同じ縁起を担ぐ言葉に

      「茶柱が立つ」がある。


朋輩ほうばい:仲間、友達のこと。


がしら:サトイモの一種で、親芋と子芋が分かれず塊状になるのが特徴。

    縁起物としておせち料理によく使われる。



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