この世とは別の、最も幸せな世界
『隆くんって、普段喋らない割に人のボケに対してキラーフレーズでツッコミしようとしてるよね』
うわ、なんだ!?なんで俺が中三の時にクラスの女子から言われたトラウマ台詞が聞こえてくるんだ!?
『隆くんがちょくちょく言うネットの用語みたいなの、みんなよく分からないから愛想笑いしてるの気づいてる?』
は!?今度は高一の6月に言われて学校を退学しようか本気で迷った台詞じゃん!こんな事クラスの人に言うかな!?
『隆くんって声かけられたとき絶対気づいてても一回無視して二回目で反応するよね。どうしてー?』
おい!そんなことに気づくな!!見て見ぬふりしろ!あんまり声かけられないから、一回目で返事するのリスクあるんだよ!!
そうだった。現実ってのはいつも俺に対して当たりが強い。だから現実の女子からは距離を置いていたんだ。
女子の世界に入ってしまっては、その世界が壊れてしまう。俺がいない世界で、美しい心を持った女子同士が仲良くする。それを見届けるのが1番なんだよな。
そう気づかせてくれたリアルの女子たちよ、感謝するぜ。俺を【聖の花束】という作品に出会わせてくれたからな。
【聖の花束】の魅力の全てを言葉で表すことは不可能だがーーー敢えて言うならばひたすら美しい心を持った女子たちが自身の持つ深い苦しみや悲しみを乗り越え誰にも切ることのできない深い愛を育み合う青春恋愛百合漫画なのである。
ーーーおっと、早口になってしまったね。
とにかく、そんな百合漫画を俺は愛しているんだ。
どうやらこれは夢のようだが、久々に俺のトラウマを思い出させてくれたおかげで、【聖の花束】への愛情を再確認できたよ。
ありがとうーーー
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………ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ
「ーーーんぁ……うるせー……」
朝から騒々しいアラームの音で目が覚める。
目を瞑ったまま自分のスマホを探してアラームを止める。
………
………
………
………
………
………
………っは!また寝るとこだった!
多分このアラームは念のためにかけてある5回目くらいのアラームだろう。感覚でわかる。4回目までは寝たまま止めたはずだ。
「うっし、起きるぞ!」
寝起きの喉で気合いを入れたから、変な声が出たが、俺は声と一緒に体を起き上がらせた。
ぼーっとする頭のまま、頭を掻く。
もふ。
ふわふわの髪が触れた。
……なんかめっちゃ髪の毛跳ねてるなー。
とか思いつつ。
徐々に冴えていく意識と共に、もう一度寝てしまおうかとも思えるような気持ちになってしまうほどの違和感に襲われる。
「……んー?あれー?ここ、えー?」
ふへっ、と俺特有の乾いた笑いが漏れるのも無理はない。
部屋が可愛くなっているのである。
「俺、の部屋じゃないよな?」
部屋を見回すと、誰しもがイメージするような平均的な女子の部屋という様子であった。
女子の部屋の概念そのものと言えるような部屋を見ていると、壁にかかっている制服に気がつく。
「って、あれは……!」
間違えようもない。【聖の花束】の舞台である、私立シェルノ女学院の制服だった。
「こんな精巧な制服、グッズとか出てたんだ!!すげぇ、本物みたいだ……!!」
制服に触れてみると確かな質感が本物のような生々しさを俺の脳に刻みつけてきた。
なんてリアリティだ……
「すげぇ、ここ、もしかして【聖の花束】の世界をイメージした場所だったりするのかな?そういう夢か?それにしては現実的すぎる気もするけど。もう一回寝てみるかーーー」
と布団に向かおうとした矢先。
「夢じゃないわー!!!」
「うわぁあぁああっっっ!?!?」
部屋のドアがドーンっ!と開いた。
「夢、じゃ、ない!てかお主今寝たら入学式遅刻するぞ!!」
「え!?は!?ま、な、え、なに!?!?」
バクバクの心臓を抑えながら、なんとか声を絞り出す。
誰だこいつ!?なんだこの状況!?
「混乱してるとは思うが我の説明を聞け!我は人々の【聖の花束】への想いから生まれた作品に宿る神である。お主の作品への愛を認め、この世界のモブの少女として、物語を目の前で見ることができる特等席を用意してやったのだ!」
「え、え!?なに、言って……」
「白咲夢、お主の名だ。今お主は原作漫画第1話の時間軸にいる。【聖の花束】を愛するお主なら今なにをすべきかわかるだろう?」
問いかけてきているが、何を言ってるんだ?状況が掴めないけど……でも言葉の意味は理解できる。もしも、もしも万が一、億が一にでもあり得るとするならば、今俺がすべきことはーーー
「着替えて入学式に出る?」
「そうじゃ!」
俺が言うと自称神様は、満足げにそう言った。
「我はお主の母の設定の者の体を間借りしておる。用があったらまた出てくるからな。では、存分にモブLIFEを楽しむんだぞ!」
「ちょっと、もう帰りそうな雰囲気出してる!?」
「もう帰るぞ」
「いや、答えてほしいことがまだーーー」
「帰るぞ」
スウーッと帰って行った。多分。
そしたらお母さんらしき元の人格が帰ってきたみたいだった。
「あれ、アンタなにしてんのー?もう8時よー?いくら近いからって、うかうかしてたら遅刻するわよー?早く着替えなさい!」
バタン!とドアを閉めて行った。
は?は?は?は?
怒涛すぎるんですが?
自称神の人格だろうが母の人格だろうが、勝手なことには変わらないんだな……
とか思ってる場合じゃない!
この状況のことを深く考える……のは、とりあえず後にしよう。
もし、あの神様の言葉を信じるなら……とても大チャンスであることには変わりない。
俺に対する大ドッキリかもしれないが、そんなことをしてくれるような人たちがいるなら乗ってあげる方が正解だろう!
決意しました!
俺は制服を、あの憧れていた漫画の世界の制服を、体に着用することにした。
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着てみると、驚くほどにぴったりサイズだった。
いや、制服ってそういうものだ。
そして着替えた後鏡を見ると、普通な雰囲気の少女が映っていた。
素朴な感じの、絶対に優しいだろって雰囲気の、ふわふわした少女。
でも、これが今自分の体だからか、不思議と興奮するとかはなかった。
ずっと人生を共にしてきた実家を見るような、ほっとする気持ちが芽生えるほどだった。
と、そんなことをしていると、すでに8時10分。
俺の知識は確かなので、入学式が始まるのは8時30分。
地図アプリで調べると、本当に漫画の世界の通りの地図がスマホに入っていて、この家は学校から歩いて20分くらいの場所にあるようだった。
近いって言ってたけど、そんな近くないじゃん!!
そう思ってしまうのは欲張りなんだろうか。
自分の部屋を出て一階に降りていくと、母親がリビングにいて、同様に準備をしているようだった。
「アンタやっと準備終わったのー?母さんは式典が始まるタイミングで行くから、先行ってなさいー」
そう言われて、家を出ることにした。
「えっと、自転車とかは……ないですよね?」
「近いんだから、いらないでしょー?」
そういう家庭か!……まあ、妥当だわな!
「そうだよね!いってきます!」
だとしたら急がないとやばいよねってことで、俺は走って家を飛び出した。
原作漫画の巻末のコラムを読みながら俺も学校生活を送るイメージをすることで学校周辺の地図を頭に叩き込んでいる俺は、地図を見ることなくシェルノ女学院に行くことができる。
……我ながらキモいな。
そう思いながら、駆け足で、でもところどころ疲れて歩きながら、通学する。
体には違和感はなかったが、格好にはめちゃくちゃ違和感があった。スカートだもの。履いたこと無かったんだもの。
多分女子高生とは思えない裾の長さで走る。
そして15分くらい経ったころ。
ようやくシェルノ女学院が見えてきた。
そうしてたどり着こうとして、まっすぐシェルノ女学院に向かおうとして、初めて、視界の端の方にいる、学校とは反対の道を行こうとしている少女の姿が見える。
とあるゲームならハートの器があるくらいの隠し要素的な距離感で、俺は少女を見つけた。
彼女は、自分と同じ制服を着ていた。
スマホを見ると8時25分。このままだと彼女も遅刻してしまうだろうと感じた俺は、周りに人がいないことを入念に確認してから、大声を出した。
「おーい!そこのお姉さん!学校はこっちですよ!」
遠くの方にいるけどギリギリ聞こえるか聞こえないかのボリュームで叫ぶのが限界だった俺は、聞こえたか不安になりながらも待っていると、少女はこちらに気がついて駆け寄ってきた。
徐々に大きくなる人影。
そうして近づいてきて、姿形が明瞭に判断できるようになって、彼女が誰であるかに気がついた。
「ありがとう、ございます!」
息があがりながら、俺の元に駆け寄ってきて感謝を伝えたその少女。
その少女の名は桜燈。この世界の主人公2人のうちの、1人。
名前の通りの桜色の艶やかな髪を蓄えた彼女は、その育ちの良さから世間知らずな一面もあり、危うさを兼ね備えながらも正しい心を持ったお嬢様である。
「私、これからの学校生活のために初めて1人で通学するもので、道に迷ってしまいました!」
自然に作られた笑顔は、日陰で育ってきた俺にはとても眩しかった。
そんな彼女の光をたくさん浴びて、俺の頭まで浄化されてしまいそうだったが、正気を取り戻す。
「……あ!時間、やばいですよ!」
「そうでした!連れて行ってくれますか……?」
おそらく平均女子くらいの身長の俺よりも少し背の低い彼女からの上目遣いのお願いである。
どうやっても断れるわけなどなかった。
「もちろん!」
そうしてシェルノ女学院に向かって走り出した。
1つの懸念を胸に抱えながら。
そう。
桜燈は、本来入学式に遅刻してくるのである。
そして、その遅刻が、後にもう1人の主人公の少女との出会いを生み出すのである。
しかし俺たちは、ギリギリ間に合うタイミングで、入学式へと出席するのであった。