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猫が出てくるお話

シオン

作者: ちくわぶ(まるどらむぎ)




私には人生から消したい人間がいる。



だから私は、秋になるとおはぎを作る。


秋のお彼岸シーズン。

私はどんなに忙しくてもおはぎを作る。


買うのではない。

丁寧に自分で作るのだ。


そのあと全部たべて

そして言う。


「さあ、地獄へ行きやがれ」




とんでもない馬鹿だったと自分でも思う。

ヤツの良くない噂は山のように聞いていたのに。


素敵なデート、センスの良いプレゼント。喜ばせてくれる優しい言葉。行動。

歩けば女性が振り返るほど整った顔をしたヤツといれば皆から羨ましがられ。


恋愛経験の少なかった私はヤツに夢中になった。


……ほんと、馬鹿だったわ。


素敵なデート、センスの良いプレゼント。喜ばせてくれる優しい言葉。行動。

全部、女慣れしていたからできたことだったのに。


「女の子とこんなに長く続いたことないんだ」と言われれば有頂天になった。

女の子と遊んでは捨てていたと言う意味だったんだよ。気付けよ、私!


「今は君だけだよ」と言われれば泣くほど嬉しかった。

今は、だよ。今は!今じゃない時は何人もいたけどねって言ってたんだよ。

何故、気が付かなかった!過去の私!



あんなヤツはやめておきなさいと忠告してくれる人もいた。

でもその好意を私は悪意ととった。


「確かに今まで彼には数多の女性がいたのでしょう。

だけどそんな女性たちと私は違うわ。

私は彼にとって《特別な女性》なんだから」


言い切ったな。

どっからきてたのかなあ、あの自信。


やがて妊娠を告げ喜ばせようとサプライズでヤツの部屋に行った私が見たものは

別の女とお楽しみ中のヤツの姿だった。


あとでヤツには認知しているだけでも三人子どもがいることを知った。

三人が全員腹違いの子どもであることも知った。



そして私は遠くの街へ引っ越した。


《婚約者》は亡くなったことにして、一人で子どもを産んだ。



そしてヤツが嫌いだった猫を飼った。


猫にはヤツより上等な名前をつけた。

ヤツの名前に《青》が入っていたからそれより高貴な色の名前で《紫苑》。


シオンはビロードのようなグレーの被毛に、緑色の瞳を持った美しい猫だった。

鳴き声が間の抜けたような《きゃあ》だったのはご愛嬌。


少しツンとして見えるが、生まれたばかりの娘にそっと寄り添い眠るような。

娘が泣けば私を呼びにくるような。

外出から帰れば玄関まで迎えに来てくれるような。


とても愛情深い猫だった。



貯金が尽きる前に運良く仕事が見つかって。

私と、娘と、シオン。

二人と一匹は、その街で暮らしていくことになった。


何年たっても秋がくれば、私はおはぎを作った。


私の人生から退場させた

二度と会わずに済むように、お亡くなりいただいたヤツのために。


ただし、おはぎを作って成長した娘と食べるだけになった。

「地獄に行け!」と呪いの言葉は吐かなくなったのだ。


私には人生から消したい人間だ。

けれど娘にとっては……あんな男でも父親なのだから。



娘は父親がどんな人間だか知っていた。

言って聞かせたのではない。


母親と祖母――私と母が、ヤツの話をしていたのを聞かれてしまったのだ。


娘は取り乱したりはしなかったけれど、それはショックだったのだろう。

ヤツの話を聞いたあと、シオンと部屋に閉じこもった。


夜になりそっと見に行くと……娘はシオンを抱えて眠っていた。

涙の跡がくっきり残っている。


酷く傷付けてしまった。

どうしたら良いかと途方に暮れていたらシオンが起きた。


シオンは私の方を見ると、くい、とアゴをあげてみせた。


緑色の瞳と、特有の笑って見える口角がまるで

「この子には自分がついているから大丈夫だ」

と言っているように感じた。


私はそのまま黙ってドアを閉めた。



シオンは娘にとって父親であったのかもしれない。


私に叱られればシオンの後ろに隠れ(隠れてないけど)、

母親の私に言えないことをシオンには打ち明け(だいたい知ってたけど)、

夜はシオンと一緒に眠る。


そこには確かに強い絆があった。


しかし猫の老いは人間のそれよりずっと早い。


娘が瑞々しく成長していくのとは逆に、

シオンは痩せて毛艶がなくなり、

寝ていることが多くなり。


ある日、動かなくなった。


娘の嘆きは凄まじいものだった。


冷たく固くなったシオンの亡骸を離さず泣き叫んだ。


それではシオンが可哀想だと何とか言い聞かせてシオンの亡骸を荼毘に付した。

が、今度は眠れない、眠りたくないと言って泣いた。


生まれてからずっと一緒だったシオンのぬくもりを忘れてしまうと泣いた。


目を腫らし泣き疲れて眠る娘を見てため息を吐いてから、私はひとりキッチンに立った。


秋だった。

もうおはぎの材料は揃えてある。


けれど。


私は材料を捨てた。

捨てたゴミ箱の前で――泣いた。


見送りたくなんかなかった小さな命を想う。


知らない街に来て子どもを産んで、一人育てて。

何度も挫けそうになった時に救ってくれたのは小さな猫だった。


生まれたばかりの娘にそっと寄り添い眠る。

娘が泣けば私を呼びにくる。

外出から帰れば玄関まで迎えに来てくれる。


一匹の猫、だった。


娘にとって父親であっただけじゃない。

私たちは家族だったのだ―――――



一年がたった頃。


どこで知ったのかヤツに娘の存在がバレた。

何を考えたのか「会いたい」と言ってきた。


ふざけるな、と言いたいのを我慢して娘の意思を尊重すると言った。

そして娘に聞いてみた。父親に会いたいか、と。


「魚になんて会いたくない」


それが娘の答えだった。


「魚?」


「そうでしょう。子種をばら撒くだけの魚じゃないの」


―――魚


呆気にとられた。

なんて痛烈な……誰に似たんだろう。


娘は私の呆けた顔を見て、笑うと

次に悪戯っぽく言った。


「そういえば……シオンは魚が大好物だったわね。残さず綺麗に食べてたわ」


ヤツは猫に負けたらしい。


二人して大笑いした。


足元で、娘が連れてきたサビ猫のおはぎが《きゃあ》とないた。




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