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自分新聞

作者: 村崎羯諦

『あなたのことについて、あなたに代わってニュースをお届けします』


 偶然見かけたネット広告。その魅力的な誘い文句に心惹かれた僕は、自分新聞という記事配信サービスへの登録をしてしまった。自分がないことが悩みだった僕としては、お金を払ってでも自分のことを知りたかったから。


 スマホでサイトにアクセスし、新妻剛という自分の名前や住所、クレジットカード情報を入力して、登録は完了。自己啓発系の胡散臭い情報収集サービスでしかないのかもしれないけど、それでも自分の悩みを少しでも解消してくれるのであれば何でも良かった。子供の頃から周りの人間に合わせてばかりで、対人関係でも相手が気に入ってくれるようなキャラを演じるようなずるい人間。自分の意志なんてものはないし、本当の自分とは何かを考えるたびに、空っぽな自分にただただ自己嫌悪しか感じなかった。その一方で、本当の自分というものがきっとどこかにあるという確信だけは持っていた。自分がまだ見つけられていないだけの、本当の自分が。


 正直なところそこまで自分新聞というサービスに期待しているわけではなかった。登録完了を済ませて一時間後にはもう、早めに解約したほうがいいのでは? と思い始めていた。だからこそ、初めて配信された自分新聞の記事を見た時、そこに自分しか知らない情報が書かれていたことに、僕はとても驚いた。先週の金曜日に訪れた中華料理屋のこと、そして選んだメニュー。それにプラスして、自分が悩みに悩んで結局選ばなかったメニューの詳しいレポが記載されていた。


 人によってはストーカーみたいで気持ち悪いと思うかもしれないけれど、僕は配信されたその記事を読んで、むしろわくわくした。この記事を執筆している人がどうやって取材とかをしているのかは謎だったけれど、嫌になったらやめればいいやと思って、購読を続けた。


 配信される情報は様々だった。行ったことのない近所のお店の情報だったり、あるいは自分の嗜好に合うだろうファッションや趣味の特集なんかもあった。自分に似合うものとか、そもそも自分はどんなものが好きなのかさえわかっていない僕にとっては、それらは大変助かる情報だった。特集された内容は確かに自分が気にいるものだったし、あなたはそれがきっと好きなはずだと断言してもらえたら、何だかそれだけで安心してしまう。キャッチセールスにあった「自分のこと」について教えてくれるというのは、確かにその通りだと思ったし、配信された記事を読んでいるだけで、自分のことが少しだけ理解できるような気がした。そして、購読を始めて数ヶ月後、突然配信された速報に、僕は自分の目を疑った。


『スクープ! 新妻剛は、新妻幸太郎および新妻美春の実子ではなく、養子だった!!』


 少し前の僕だったら、そんな馬鹿なと一蹴して終わっていたかもしれない。それでも、僕は自分新聞の取材力を信用しきっていたし、記事の中では事実を裏付けする証拠が数多く記載されていた。僕は数日悩んだ後、思い切って実家の両親に真偽を尋ねてみることにした。その記事がフェイクニュースだと信じたかったし、両親にそんなのは嘘だと言って欲しかった。だけど、電話越しに両親の口から出てきたのは、僕が期待していた言葉とは真逆のことだった。


「……どうしてそのことを知ってるんだ」


 両親の戸惑いと驚きが混じった言葉を聞き、僕は頭の中が真っ白になる。自分が養子だったということ。そんな重大なことがずっと隠されてきて、それを購読したニュースサイトを通じて知ったということ。すべてが僕にとっては受け入れ難い事実で、気がつけば僕は、感情に駆られるまま電話の向こうの両親へ聞くに耐えない罵声を放っていた。


 激しい口論の後、親と喧嘩別れのような形で僕は電話を切った。そんな大事なことを隠し続けてきた親はもう信頼できない。自分が信頼できるのは、自分新聞だけだった。自分新聞の記事に書かれていることは全部真実だし、書かれていることに従ってさえいればいい。僕は日々の生活の中で、次第にそう思うようになった。おすすめの店について特集されたら、迷わずにそこへ行ったし、転職特集が組まれた時は、翌日すぐに会社へ辞表を出した。ある日の自分新聞の記事では、今までの自分のおとなしい性格は生育環境上そうなってしまっただけで、本当の自分はアグレッシブな性格なのだと書かれていた。僕は確かにその通りだと思って、自分の行動を改め、何事にもアグレッシブに振る舞うようになった。周りの人間は僕の突然の変化に戸惑っていたけれど、むしろ今までの生き方よりもずっと、自分らしさというものを感られるような気がした。


『スクープ! 新妻剛は、人間ではなく、生物学上はオットセイに分類される生き物だった!』


 配信された自分新聞の速報を読み、僕は言葉を失った。慌てて家の鏡で自分の身体を確認してみたけれど、二足歩行で手足があり、どこからどう見ても僕は人間の姿をしていた。しかし、自分の判断と自分新聞に書かれていることのどちらが信用できるかと言われたら、迷うことなく自分新聞の方が信用できた。


 僕は今までの人生を振り返ってみる。ずっと息苦しさみたいなものを感じていたし、自分が人間には向いてないということはずっと前から考えていたことだった。人間として生きているというよりはむしろ、人間の皮を被った別の生き物なんじゃないかという感覚には、すごく心当たりがあった。僕は人間ではなく、オットセイ。言葉にして呟くと、自分がオットセイであるという実感が沸々と湧いてくるのがわかった。そしてそれと同時に感情が昂って、僕はその場で泣き崩れた。生きづらさの原因がわかったことへの嬉しさもあったし、これまで自分を人間だと勘違いして暮らしてきたことに対する後悔もあった。僕は部屋で一人、泣き続ける。狭いワンルームに響く僕の嗚咽は、確かにオットセイの鳴き声に似ているような気がした。


 これからは本当の自分として生きよう。人間ではなくオットセイとして。僕は自分の胸にそう誓い、すぐさま近くにある一番大きな水族館へと向かった。受付の女性にオットセイとしてこの水族館で働きたいということを伝え、今すぐに水族館の館長さんとお会いしたいと言った。受付の人は困惑した表情で僕を見返す。それから僕の真剣な表情をじっと観察した後で、少々お待ちくださいと手元にあった受話器を取り、電話をかけ始める。


 僕は館長さんが現れるまでの間、僕がこの水族館で働くイメージを膨らませていた。他のオットセイたちと仲良くなれるだろうかという不安や、トレーナーは優しい人だろうかという不安もあった。それでも、これからはきっと自分らしい生き方ができるだろうという希望だけは持っていた。僕は期待に胸を躍らせながら、近くのベンチに腰掛け、館長さんを待つ。しかし、しばらくして僕の前に現れたのは、警備会社の制服に身を包んだ警備員二人組だった。受付の女性が僕を指差すと、警備員は僕の方へと近づいてきて、ちょっとお話をお伺いできますかと丁寧な口調で聞いてくる。話がうまく伝わってないと考え、僕は改めてこの水族館にやってきた理由を繰り返す。


 二人の警備員がお互いに顔を見合わせる。きっと彼らは僕がこの水族館にいるオットセイとは少し外見が異なっていることに困惑してるんだろう。僕は彼らに自分がオットセイであることをきちんと理解させるため、その場でうつ伏せになり、オットセイのように鳴いてみる。警備員が腰をかがめ、とりあえず事務室へ行きましょうと僕に優しく語りかけてくる。僕がオウオウとオットセイの鳴き声で返事を返すと、二人の警備員は僕の両腕を持ち抱え、そのまま受付奥の部屋へと僕を連れて行くのだった。



*****



「自分新聞なんて得体のしれないものを信じるのはやめなさい」


 水族館で事務室へと連れて行かれた後、僕の両親が水族館に呼び出され、そのまま僕は精神病院へと直行することになった。医者はこれまでの出来事と僕の主張にじっと耳を傾けた後で、そのように僕に伝えた。でも、そこには本当の自分について書かれてるんです。僕が絞り出すようにそう反論すると、医者は僕の目をじっと覗き込んだ後でことばを続けた。


「あなたがどのような人間なのかについて、あなた以外の人間が決めることはできないし、誰かに教えてもらおうとすることも間違ってます。誰かからあなたはこういう人間なんですと決めてもらうのは簡単で楽ですが、本当の自分というものはそんな楽に理解できるものではないんですよ」


 医者が穏やかな口調で僕にそう諭す。自分をオットセイだと信じ、水族館へ向かった時とは打って変わって、今の僕は冷静さを取り戻していた。だから、自分新聞を信頼していたとはいえ、どうして自分がオットセイなんて信じていたんだろうと不思議に思うくらいだった。


 だからこそ、医者の言葉が僕の胸に深く響いた。自分がないことが僕のコンプレックスで、ただただそれを何とかしたかった。だけど、僕は焦るあまり、目の前に提示されたお手軽な方法に手を伸ばしていただけなのかも知れない。僕は医者の言葉に頷き、その場で自分新聞が配信するニュースは金輪際見ないようにすると約束した。医者も僕の決意に賛同してくれて、色んなところに旅行に行ったり、ボランティアで色んな人と触れ合うことを勧めてくれた。


 それから僕は、自分新聞に頼らずに自分自身で自分のことを知るための旅、いわゆる自分探しの旅を始めた。僕はその旅の中で色んな場所を訪れた。色んな名所を巡ったり、旅先で色んな人と出会うのは確かに楽しかった。みんなが言うような旅の素晴らしさが少しだけ理解できたような気もする。それでも。肝心の自分探しができたのかと聞かれると、僕は自信を持ってそうだと答えることはできなかった。どこに行っても、誰と話しても、本当の自分を見つけることはできなかった。自分らしくあろうと意識しようとしてみても、どのように振る舞えば自分らしいのかなんてわからなかったし、頑張れば頑張るだけ、空回りしてしまう自分がいた。


 本当の自分というものはそんな簡単に見つけられるものではない。それはわかっていた。それでも、自分と向き合い続けるのはとても辛いことだったし、頑張ってる中でふと、ひょっとして本当の自分なんて存在しないんじゃないかという虚無感に苛まれてしまうことが度々あった。


 旅行を終えても、人と交流しても、その苦しみから解放されることはなかった。僕は答えが欲しかった。間違っているとか、正しい過程を踏んでいないとか、そういうものはどうでもよかった。本当の自分がわからないというこの苦しみから、一刻でも早く解き放たれたかった。


 部屋に引きこもりがちになり、人と会うのすら怖くなっていった。その時ふと、僕の視線が机の上に置かれたスマホへ向かった。以前は、配信されていた自分新聞の記事をスマホで読んでいた。毎日ニュースが配信されるわけではなかったが、そういう日でも既読の記事を何度も何度も読み返していた。自分新聞はもう読まない。医者との約束が僕の脳裏をよぎる。それでも、約束を交わした時の覚悟が自分の中で小さくなっていることに気がつく。


 確かに医者の言っていることは正論だった。しかし、正論を貫けるほど僕は強い人間ではなかった。約束を破るのは心苦しいし、自分新聞のせいで痛い目にあったことも事実だ。それでも……自分新聞に書かれていることにも正しいことはたくさんあったし、信じすぎないように気をつけていれば大丈夫なんじゃないだろうか。自分を知るためのちょっとしたヒント。それくらい誰かに教えてもらったっていいんじゃないだろうか?


 僕は生唾を飲み込む。そしてスマホを手に取り、自分新聞の購読再開手続きを始めるのだった。

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