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とりあえず、塩か?〜大なめくじ〜その5

お待たせいたしました。


楽しんで頂ければ幸いです。


 建物中は気不味い沈黙に覆われていた。大なめくじを前にアレクトラとローガンは落ち込んだ様子で座らされており、その正面で仁王立ちをしているのは目に涙を溜めたユーリエだった。


「信じられません!信じられません!信じられません!!」


 きっ!とこちらを睨む様子は、年齢よりも幼く彼女を見せていた。

 アレクトラは彼女の表情を瞳にうつしながら、子供の頃に好きになった女の子に悪戯した時のことを思い出していた。


(そう、あれは確か木の枝に引っ掛けた毛虫を突き出して追っかんだった。私が王族というのをいいことにまあ何とやりたい放題だったなあ。そういえば、あの時の女中はどうなったんだったか、確か・・・・・・)


「聞いてるんですか!?アレクトラ様!!」


「うっ、うむ。」


 ユーリエはアレクトラに詰め寄った。普段見せない彼女の様子に、現実逃避することを許されず、アレクトラはたじろいで返事をすることしか出来なかった。


「あんなものを食べようとするなんて、正気ですか?いくら好奇心が強いからって、二人とも行き過ぎです!」


 ユーリエは続いてローガンへと矛先を向けた。ローガンは眉尻を下げながら、両手を上げた。


「ああ、悪かった嬢ちゃん。だが聞いてくれ。あれは旦那があんたの為に頑張って狩った獲物なんだ。」


「えっ?」


 思いがけないローガンの言葉にユーリエは目を見開いた。

 そして、アレクトラも同じく目を見開いていた。


「あんたが元気になるように、携行食じゃダメだって。少しでも元気になるかもしれないと、あの大なめくじと大立ち回りを演じた時は、俺は痺れたね。」


(ローガンよ、なんのつもりだ?)


「アレクトラ様が、わざわざ私の為に?」


「おうよ!そりゃあすげえ気迫だった、強敵だったんだ。」


 不意に、ローガンはアレクトラに視線を向けて、目配せをした。

 アレクトラは悩んだが、早く味を知りたいというのもある。ここはローガンの策に乗ることにした。


「ああ、わしは正直石を投げるだけで一杯一杯だった。ローガンが切り捨ててくれなかったらと思うと・・・・・・。」


 アレクトラはその時の様子を思い出すふりをして大袈裟に身体を震わせた。

 ローガンは瞳に笑いを浮かべ、さらに乗っかって話をしていく。


「いや、いやいやいや!あれは旦那が命懸けで身体を張ってくれたからこそだ。俺じゃあそこまでの覚悟はねえよ。」


 言いながらも、ユーリエの表情を、盗み見る。自分のために頑張ってくれたということに感動しているユーリエは満更でもなさそうだ。


 よくよく考えれば冒険者であるローガンに覚悟がない筈がない。

 だがユーリエ嬉しさから、気付かずに僅かに頬を赤らめている。


(あと一押しだな。)


 ローガンはさらに同情を引くようにたたみかけた。


「悪気はなかったんだ。俺らはただ嬢ちゃんのために良かれと思って。な、旦那?」


「あ。ああ。その、君に、早く元気になって欲しくて。」


 ユーリエは折れた。少しばかり頬を赤くしたままそっぽを向きながら二人に早口で話し出した。


「も、もう!そんなに頑張ってくださったんならその、私も怒るのは申し訳ないというか、私としても嬉しいと言いますか・・・・・・次は、ちゃんと何を持って来たか事前に仰ってくださいね?」


「ああ、わかったよ。悪かった。」


「うむ、約束しよう。」


 こちらにユーリエが背中を向けた瞬間、二人は彼女から見えないように握り拳を作った。

 互いに健闘を讃えたい気持ちになるが踏み止まる。


「?どうかしましたか??」


「何でもないよ。それより、これをどうするか考えよう。ユーリエ嬢は・・・・・・うん、今日はわしらが調理をしよう。」


 慌てて誤魔化したアレクトラは誤魔化しついでに調理を頼もうとするが、即座にユーリエの冷え切った目を向けられ引き下がった。


「新たな彼女の一面だな。今後はなるべく怒らせないようにしよう。」


「だな。思わずブルっちまうほどの威圧感だ・・・・・・それで、どうする?生は・・・・・・ちょっとやめて置いた方がいいな。」


「うむ、茹でるか焼くじゃないか?」


「味付けは?」


「ほれ、前に言っていたではないか。」


「あん?」


 身体を寄せ合って作戦を練る男二人の会話はリズミカルだ。

 大なめくじを切り分けつつアレクトラは楽しげに微笑んだ。


「冒険者といえば?」


「なるほどね。とりあえずは、塩か。」


「それだ。どのみち大したことなどわしらには出来るわけがないからな。」


「ちげぇねえ。」


 二人かっかっと笑い合うとアレクトラは茹で、ローガンはは焼きものの準備に取り掛かった。


 


 ユーリエは机に腰かけながら、二人の作業を見守っている。大なめくじは細かく切り分けられ、当初のような嫌悪感はもはやなかった。


 慣れないながらもああだこうだと楽しそうに調理をしている二人を見て、彼女は知らず微笑みを浮かべていた。

 思い返せば、今日のことはきっとしばらく忘れられない記憶の一つになるだろう。

 

 夢で見た婚約者が頭の片隅をよぎり、チクリと胸を突き刺した。

 アレクトラとローガンの表情を見た。


 

 痛みは自然と薄れて行き、心の中が温かくなる。婚約者とは関係は違うが、ユーリエにとってこの二人はそれなり以上に大事な存在となっていたらしい。


 だが、とユーリエは頭を振った。二人を見ているようで、どうしても瞳はアレクトラを映してしまう。

 彼の仕草や挙動、表情を気がつけば目で追っていた。


 今も、鍋に水を溜め、大なめくじををそこに放り込みながら瞳をキラキラさせている。

 元、国王――――これまでの想像の中のアレクトラは、今や幻だと気付かされた。

 それは悪い意味ではなく、ユーリエにとっては良い要素としての気付きであった。


 何かきっかけがあったわけではなかった。あったとすれば、あの日、いつもと違うアレクトラを見てしまったことだろう。

 

(ふとした時に、新しい一面をお見せになる。だから、気になってつい目で追ってしまうのだわ。)


 さっきの件もそうだ。こちらを見てまるで悪戯小僧のように笑う表情や、怒られてしゅんと項垂れる姿も、それまでのアレクトラからは想像がつかなかった。


 今はまだ儚い灯火のような、好奇心と変わらないこの感情を、育てていったとしたら、どうなってしまうのだろう。ユーリエは答えのわからない己への問いかけに恐怖を覚えた。





「っしゃ、出来たぞ!」


「うむ、こっちも多分大丈夫だ。」


 満足そうに互いに頷き合った二人はユーリエの元へと料理を持っていった。


 アレクトラが持つのは鍋で茹でられた大なめくじ、ローガンは串にさして焼いたそれだ。


「へえ、これがさっきのあれですか?」


 ユーリエはぼうっとしていたように見えたが、二人の持ってきた料理を見て興味深そうに目を見開かせた。


「そうだ。火を通すと随分と縮んだよ。」


 いつも持ち歩いている銅の皿にローガンは串を並べた。

 焦げ目のついた大なめくじは、火が通ったことできゅっと反り返り、色も元の紫と灰色の中間くらいの色から薄いピンク色に染まっていた。


 目の粗い塩も相まって、見た目は悪くないように思えた。


「アレクトラ様の方はどうですか?」


「ううむ、こちらはなんというか予想がつかないというか。」


 答えるアレクトラは少し歯切れが悪かった。ユーリエはローガンと顔を見合わせると、互いに首をかしげあった。


「どういうことだ?旦那。」


「とりあえず見たほうが早いな。」


 アレクトラはそういうと鍋の中身が見えるように二人へと傾けた。


「んん?」


「あら?」


 鍋の中には薄ピンク色の物体が浮かんでいた。だがその大きさは余りにも小さい。拳大よりは少し小さい塊を入れた筈なのだ。だが鍋の中にあるのは親指の先ほどの大きさしかなかった。


「何でこんなになっちまったんだ??」


 首を傾げる三人だったが、ユーリエがぽんと手を鳴らした。


「塩ではないでしょうか?」


「塩でこうなるってか?でも俺の焼いたのはちゃんと大きいぞ?」


「確かになめくじに塩をかけると水分が抜けて縮むとは聞いたことはあるが、茹でると焼くとでこんなにも違うとは。」


 うーん、と眉をを寄せて考え込む一同だったが、わかったところで味が変わるわけではない。

 仕切り直して食べようということになった。



「じゃあ俺はまずは鍋から行こうか。旦那の手作り、どんな味がするのかねっと。」


「頂きます。」


「どれ、わしも。」


 三者三様に身を乗り出して薄いピンクのぷるぷるとした肉をスプーンで掬うとそれぞれが口の中に放り込んだ。


「はふっ、はふっ。これは何というか面白い食感だな。」


 熱そうな息を溢しながらローガンは楽しそうな表情を浮かべた。

 ついでユーリエとアレクトラも似たような顔になった。


「ええ、まるでとろとろに煮込んだ貝のような三者・・・。」


「独特の臭みがいいアクセントになっているな。酒が欲しくなる。」


「もしかしたら、赤辛子のようなもので似ても良いかもしれませんね。」


「それは美味そうだ!くそう、持っていないことが悔やまれるな。」


「まあ大人しいし狩るのは簡単だから、また来れば良かろう?」


 悔しがるローガンにアレクトラは宥めるように言葉をかけた。だがその瞬間ローガンが苦虫を噛み潰したような顔になる。


「ん、どうした、ローガン。」


「・・・・・・へえ、大人しい魔物なんですね。」


「へっ?」


 思わず呆けた声をあげてアレクトラが振り返ると、満面の笑みを張り付けたユーリエがいた。だがその目の奥は全くといっていいほど笑っていない。


「先程は死闘繰り広げたと仰っていなかったですか?」


「うっ。」


「ほ、ほらお嬢ちゃん。こっちの焼きも早く食べよう。」


 青褪めるアレクトラだったがそこにローガンが串を手に取り助け舟を出した。


 ユーリエは仕方ない、と溜め息をついてローガンから串を受け取った。


「ローガン、助かった。」


「しっかりしてくれ。肝が冷えましたよ。」


 謝るアレクトラにも串を渡すと、ローガン達は思い切りよく焼き串に噛みついた。


「おおお!!!」


「なんとぉっ!!」


「はあああああ!!!」


 三人は揃って盛大な歓声を上げた。その表情は緩み、目尻もあまりの美味さに垂れ下がっていた。

 三人とも、すぐに一切れを飲み込み、次の一切れを口に入れ、またしても感動の溜息をついた。


「これは、すごいな。」


「ああ、すげえ。」


「私、これなら毎日でも食べられるかも知れません・・・・・・。」


 最後に飲み込んだユーリエが顔を蕩けさせながらも幸せそうな顔で呟いた。


「食感が、特にパリッとした周りの食感と、噛むと滲み出すとろっとした新しい感触、それでいて中心に残る固めの食感。ああ、食材全てが口の中で遊び回って、喉を通り過ぎてもまだ楽しそうな余韻が残っています。」


「詩人だな、嬢ちゃん。だが、たしかにそうだ。肉の脂身のように口の中で消えていくが、脂ほどくどくない。」


「うむ、それでいて中心には貝のような食感もあって、充分に食べ応えもある。味付けが塩というのも逆にいい。外側から染み渡った塩気が全体に広がっていて、食感ごとに味を楽しめる構造とは・・・・・・。」



 三人はその後もああだ、こうだと料理を楽しんだ。

 程なくして、料理は綺麗に平らげられて、三人の前には汁が残った鍋だけが残された。中の肉は綺麗になくなり、僅かな色味を帯びた水だけが残っている。


 

「ふう。これはびっくりだった。絶対また食べたいな。」


「ええ、次はもっと色んな味を試した見ても良いかもしれません。」


「おや、嬢ちゃんはえらく気に入ったみたいだな。最初の反応とはえらい違いだ。」



 アレクトラと大なめくじについて語るユーリエを見て、ローガンは楽しそうに茶化した。

 言われて、ユーリエの頬も薄いピンク色に染まった。


「その、何というか、お二人とも、申し訳ありませんでした。」


 もじもじと手を膝の上に乗せて上目遣いに二人の顔を見上げるユーリエの表情はいつもよりも幼い。

 アレクトラは思わず手を口に当てて、目を逸らしてしまった。


「旦那、良かったな?」


「あ、ああ。」


 アレクトラを肘で突きながらローガンは破顔した。


「あの、アレクトラ様?お気を悪くされましたか?」


 アレクトラの様子を不安に思い、ユーリエは更に近づいて彼を見上げた。

 嫌われてしまったのかと眉を下げるその姿は小動物を連想させた。


「いや、違う。」


「えっ?」


 未だこちらを見ようとしないアレクトラは、絞り出すように声を出した。その頬は僅かに赤く染まっていた。


「その、ユーリエ嬢、なんというかその目はダメだ。」


「えっ?」


 アレクトラの言葉の意味が分からず首を傾げるユーリエに、ローガンは笑いを含んだ声で揶揄った。


「旦那は嬢ちゃんが可愛くてまともに見れないって言ってんのさ。」


「えっ?」


 驚き再びアレクトラの顔を覗き込むユーリエの目の前で、アレクトラの頬はみるみるうちに赤くなっていった。


「・・・・・・。」


「あっ・・・・・・。」



 ローガンの言うことが本当だとわかったユーリエの顔も、恥ずかしさで真っ赤に染まっていった。


 けたけたと笑い声を上げるローガンと、互いに顔を赤くする二人。


 そのように思われたという恥ずかしさで俯きながらも、心の中に浮かび始めた答えの見えない好奇心を、少しは育ててみても良いかもしれない、そんなことをユーリエは考えていた。

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