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「ポピー、ポピー!」
身体をゆすられる感覚で、ポピーは目を覚ました。ここは…。
そして、目の前にはタイラー。今の今でなんとも言えない気持ちになるが、当の本人は全く気にしていないように見える。
「あの、タイラー…」
「ポピー、ここは公爵邸ではない。どこだ?」
「え?」
言われて辺りを見渡せば、ここが今まで自分がいた世界とは違う場所だということがわかる。
世界がセピア色なのだ。木々も、空も、家も。
そこで異質な存在かのように、ポピーとタイラーだけが色鮮やかにそのままの姿で存在していた。
「これは一体…」
「鏡の魔法かしら」
「そうかもしれない。君は、僕が触れていなくても、ただのポピーだ」
え…このタイミングで解呪になったというのか。しかし、ポピーには確かめる術がない。
それにしても、だ。
ここは大きな町なのだろう。賑やかで人の通りもある。しかし、誰もポピーとタイラーを気に留めない。見えていないのだ。
どうしよう、そう思った瞬間だった。
『アイビー!』
アイビー、その名前にどきんと心臓が鳴る。
思わず声の主を探した。
『ウェルド!』
二人は恋人同士なのだろう。ぎゅうと抱きしめあって、穏やかにほほ笑んだ。手をつないで歩き出す。
その姿を追いかけないといけないと思い、ポピーとタイラーも続いた。
アイビーと呼ばれた女性は、二人が想像していた通り、探し求めていた魔女アイビーだった。
彼女は魔女の傍ら、恋人と逢瀬を重ね、魔女としての仕事もこなし、順風満帆の生活を送っているようだ。
『アイビー、今日は君の18歳の誕生日だ。受け取ってくれないか』
『まあ、これは手鏡?こんな繊細な細工、とても素晴らしいわ。ありがとう。一生大切にする』
アイビーが恋人から受け取ったのは、あの鏡だった。
これは、アイビーと鏡の記憶なのだろうか。
アイビーと鏡の記憶は、早回しのように進んでいった。そして幸せな恋人との生活を映し出す。町では数いる名のしれた魔法使いの一人だったようで、町の人の信頼も厚いようだ。
そんな彼女に、これから何が起きるのだろう。
すると、ある時から恋人のウェルドがアイビーの元を訪れなくなった。
その日から、アイビーは恋人に囁くように、鏡に語り掛ける。
『鏡よ鏡、鏡さん。聞いてくれる?彼は今日も来てくれなかったわ。
きっと彼女の元へ行ったのね。彼女はね、最近町に越してきたの。領主さまの末娘なんですって。
彼は町の大きな商家の息子だし、きっとお世話係みたくなっているのよ。彼は優しいから』
『鏡さん、聞いて。今日町に薬を卸しに行ったの。
彼と彼女が噴水広場のベンチに座っているのを見かけたわ。
声をかけようと思ったけど、声は出ないし、足も動かないの。
不思議ね。わたしは魔女なのに』
『鏡さん、今日はね、彼が久しぶりに家に来てくれたのよ。彼女と一緒に。
でも彼女、近くの森の広場で転んで足を捻ってしまったみたいでね、彼に背負われてきたのよ。
顔を真っ赤にした彼女は、とても恥ずかしそうにしていたわ。
処置をしたわたしに、優しく笑ってお礼を言ってくださったの』
『鏡さん、今日彼にお別れを言ってきたわ。すぐに承諾してくれたの。
だってね、彼、結婚するんですって。笑ってお祝いの言葉を言えたわ。偉いわよね』
『鏡さん、今日ね例の彼女にお会いしたの。
彼女から声をかけてくれて、結婚の話をされたから、お祝いを述べたの。
するとね、彼女、お腹に新しい命が宿っていたの。
彼女は彼の子だって、幸せそうに話していたけど…』
『魔女アイビー!』
『まあ、先日はどうも。あら、何か気分がすぐれませんか?
顔色がよろしくないようですが…』
『貴女、魔女なのよね。医者が話していたわ。
魔女は新しい命に宿る生命エネルギーを感知することができるって。性別もわかるって』
『そんな万能なものではありませんよ。
微々たる魔力を感じ取って、少しでも健やかに産まれる日が来ますように、と微力ながら…』
『じゃあ、貴女はすぐにわかったのではなくって?』
『何を…』
『この子の父親よ』
『ウェルドさんではないということでしょうか』
『やっぱり知っていたのね。何が目的?お金?地位?名誉?』
『わたしは、何も望みません。今の生活が守られればそれで』
『なんでよ!わたしは貴女の恋人を奪って、父親を偽って子どもを産もうとしているのよ。
何で何も言わないのよ!』
『…生まれてくる命に、罪はありません。
わたしは他言いたしませんし、望むのであればこの町から出ていきます』
『…そう、じゃあさっさと消えて』
『鏡さん、やっと荷物をまとめ終わったわ。どこへ行こうかしら。
彼がよく、王都の話をしていたのを思い出したの。
心機一転王都に行ってみようかしら』
『鏡さん、同じ魔女の伝手で王都でもお仕事ができそうよ』
『ふふ、鏡さん、今日は驚いたことばかりだったわね。
道に迷っていたのが公爵家のご令嬢だったなんて。驚きの人助けよ。
お礼にってお茶会に呼ばれてしまったのだけど、何を着て行けばよいのかしら…』
『鏡さん、公爵家のご令嬢…サファイア様はわたしより3つ年下なのに、もうご結婚なさるんですって。
お相手は侯爵家のルアン様って言ってたわ。
サファイア様が婿を取る形になるんですって。
あーあ、わたしも誰かいい出会いがないかなあ』
『ねえねえ鏡さん、今日ね、お花屋さんのエペルに、花をもらったの。
可愛いでしょう。花をもらうなんて、とても久しぶり。
そういえば、彼と彼女の子どもも、そろそろ生まれた頃ね。
健やかに育ちますように』
『たいへん、どうしよう!エペルに交際を申し込まれたの!
あなたの笑顔は花のようだって…嬉しくって、困っちゃって…逃げ出してしまったの。
やっぱりだめよね。ちゃんとお話しないと…』
『鏡さん、今日エペルと二人でお出かけするの。
どう?変じゃない?』
『鏡さん、今日サファイア様とお会いしたの。
わたしが毎日鏡に話かけているって話したら、とっても笑うのよ。失礼しちゃうわ。
そしてエペルのこと、話したの。
とても喜んでくださって…わたしも嬉しかった』
『聞いて鏡さん、サファイア様ったら、お忍びで出かけたいから姿を変える魔法をかけて、っていうの。
わたし、姿を変える魔法って使ったことないわ。
練習してもいい?鏡さんを媒体にすればうまくいきそう』
『鏡さん、今日はエペルと会ってくるわね。
…あら?誰かしら…はい、アイビーはわたしです。
ええ。え?ウェルドさんと夫人が近くまで?
わかりました。今晩宿泊先へ伺うとお伝えください。
…一体何の用かしらね』
『あーあ、あの魔女、こんなところに住んでいたのね。
王都に住んでるくせに、地味な家。
まあ、もうどうせ帰ることなんてないでしょうけど。
あいつだけ幸せになろうだなんて、虫唾が走るわ。
善人面して、子どもの父親のことだってあいつがウェルドにリークしたにきまってる。
ああ、憎い。ん?この手鏡見覚えがあるわね。
ウェルドが魔女に贈ったっていう鏡?
品はよさそうね。
この細工。せっかくだから私がもらってあげる』
『なによ!なによこの姿!!
わたしはこんなイボだらけの醜悪な顔じゃないわ!
なんなのこの鏡!呪われているんじゃない!?』
『アイビー…?………そうよね。呼んでも返事をするはずないわ。
どうしてわたくしを置いて先に逝ってしまったの?
エペルさんも悲しんで…あなたを追いかけたわ。
あなたを死に追いやったあの女性も、酷い容姿になり果てて亡くなったみたい。
あら、この手鏡は…アイビーの宝物じゃない。
あなたは無事だったのね。ふふ。あなた、ですって。
だってアイビーが毎日鏡に話しかけてるって話していたもの。
鏡だって…物だって大切にされていると命が宿るって聞いたわ。
昔のおとぎ話よ。あなたもそうなの?命が宿っているの?』
『まあ!これはアイビーの魔法??
いやだ…アイビーったら、わたしのわがままを叶えようとしてくれたのね。
公爵令嬢とばれずに出かけたい、だなんて。
ふふ、もう…アイビー…この容姿じゃ絶対に私だってわからないわよ
そもそも、こんな容姿じゃ誰もわたくしに近寄らないじゃない。
魔法の解き方、一緒に考えておいてよかったわ。
ねえ、ルアン!うふふ、そんな驚かないで。
ほら、わたしよ。サファイアよ。手を握って。ね、わたしでしょう。
これ、アイビーの魔法なの。わたしのわがままをかなえてくれたのよ。
ちょっと容姿に難ありだと思わない?これじゃあ一緒に歩くあなたが好奇の目に晒されるわ。
逆に目立つと思わない?
ええ、この魔法の解き方知っているの。だって一緒に考えたから。
簡単よ。おとぎ話にもあるでしょう。
魔女による魔法は…』
アイビーーー!!!