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話がうごきます。
魔女アイビーの呪いと知って、半年。
ポピーの生活は変わらない。しかし、本を読む時間が大幅に増えた。
その本というのも、魔女に関する文献であったり、魔女や魔法使いが関係する書簡。
時間があればいつも本に向かうポピーは学院に行くことも惜しむようになった。
授業日数は十分足りているし、いざとなれば両親に頼み込んで家庭教師をつけて補習というかたちをとっても良いかもしれない。
むしろ、家にいる方が正直楽であった。ポピーにふりかかる視線のストレスがないからだ。
しかし、そうもいかない。
ポピーを心配した婚約者が、頻繁にプルシア邸に来るようになったのだ。学校にいる時よりか会う時間が長いではないか。
だが、タイラーはさすがピーコック公爵家とあって、魔法史に関する本も多く所有していた。過去を辿れば公爵家に魔法使いがいたのだろうか。
「ポピー」
「なにかしら」
「君さえよければ、なんだけど…僕の家の書庫には、持ち出し不可の本も多くあるんだ。君さえよければ…」
珍しくタイラーが緊張している。君さえよければ、と二回続けた。
きっと、公爵家の書庫に呼びたいのだろう。しかしそこはポピーにとって良い記憶の場所ではない、そう思っているようだ。
「いいわ。伺います」
「えっ、いいのかい?あそこは…僕の家は君にとって良い思い出ばかりではなかっただろうし」
「大丈夫。気にしないで」
実際、事件があってからは手紙だけのやりとりで、婚約者になった後もタイラーは3日に一度はプルシア邸へ足を運んでいた。
あれから一度も、ポピーはピーコック邸へ伺ったことはない。別に行きたくないわけではなかった。機会がなかったのだ。そして、あまりこの姿で外をうろつきたくなかった。
だから、この誘いはいいきっかけだ。
幼い頃に遊んだ記憶は残っているし、呪いという偏見のないただのポピーと、幼馴染のタイラーという、綺麗な思い出に、久しぶりに浸りたいと思う。
その数日後、ピーコック家へと足を運んだ。出迎えてくれたのは、公爵夫人。公爵は仕事で登城している。
夫人は相変わらず美しい。タイラーの容姿は夫人そっくりである。夫人のような気の強い性格にはならなかったようだが。
夫人はポピーの手を握り、そのまま優しく抱きしめてくれた。夫人に会うのは久しぶりだ。
挨拶を済ませるとそのまま王城へ向かってしまった。女王主催のお茶会があったようだ。
ポピーはわざわざ出迎えてもらって申し訳ない気持ちになる。
「さあ、どうぞポピー」
「ええ」
エスコートのために差し出された手。その手にそっと自分の手を添える。外出なので手袋をしているが、本当に釣り合わない見た目だ、と。
手袋越しに触れるくらいでは、ポピーの本来の姿は見えない。
彼は今、何を思っているのだろうか。微笑みの裏で、ポピーにどんな感情を向けているのだろうか。
公爵邸の使用人は、さすが教育が行き届いており、ポピーが廊下を歩いていてもその容姿に驚く素振りすらもない。
ひそひそ話す様子もない。ありがたいばかりだ。あとで夫人にお礼のお手紙を書かねば、とポピーは思う。
「さあ、着いて早々だけど書庫へ向かっていいかな」
「もちろん」
10年ぶりに入る書庫は、当時のままだった。
所どころ本棚の一角の本が抜かれて机に山積みになっている。きっとタイラーが調べものでもした後だろう。
ポピーが本を読むのために手袋を外した途端、するりと大きな手にからめとられる。
「タイラー?」
「うん、ちょっと、このままでいいかな」
にっこり微笑まれ、ポピーは思わず顔を逸らした。
なんだか心臓に悪いわ、と鼓動が早くなるのを感じ、ポピーはそれをごまかすようにその手から逃れ、本を探しに足を踏み出す。
ポピーの反応に満足したのか、タイラーも梯子を使って本の山からめぼしい本を探し、パラパラと読み進めた。
あ。
と、目に止まったのは、魔女の生活について書かれた本だった。簡単な文法なので、子ども向けに書かれた本だろう。
この呪いを作り出したアイビーは、どんな生活をし、人を呪うまでに至ったのだろうか。
それにしてもこの本はわりと興味深い。魔女は薬草の知識にも長けており、治癒魔法と一緒に薬も煎じていたと。
薬草…とまではいかないけど、ポピーもハーブティを淹れるのが好きでよく様々なブレンド茶を家族にふるまっていた。
いつか、彼との婚約を破棄して領地の家に移り住めたら、自分は姿を隠して、使用人が表に立ちハーブティを販売する仕事で資産を増やす、という計画もあるのだ。
そろそろ準備をするべきか、と思案していると、本に影が差す。
「何を真剣に見ているかと思えば」
「魔女の生活について書かれた子ども向けの本よ」
「へえ、薬草を煎じて治癒魔法まで」
「プルシアの領地で、質の良いハーブを育てている園地があるの」
「それは初耳だな」
「お母さまの趣味の一つよ。今は違う趣味に移ってしまったから、ハーブに関してはわたしが使いを通して管理しているわ」
「趣味程度なのに、君が園地を管理しているの…?」
これはまずい、とポピーは思った。
タイラーとの婚約を破棄して領地へ戻ろうなんて、まだ誰にも話していない。
聡い彼は、いまのやりとりでうっすら気づいてしまっただろう。琥珀の瞳が揺れている。ごまかそうとして本を閉じたポピーの手を、タイラーは握った。
いつもより、強く。
「タ、タイラー…?」
「まさかとは思うけど、君と僕は、学院を卒業したら結婚する。で間違いないよね」
「その予定でいるわ」
「予定じゃない、決定事項だろう」
休日だからと、長い前髪を編み込んで視界良好にしたのが悪かった。視界を遮るものがない。
ポピーはタイラーから視線を外して言葉に詰まった。
この際だから、結婚したくないってことを告げてしまえばいいのか。
ズキリと痛む胸。自分を叱咤し、タイラーへ向かう。
「わたし、あなたとの婚約はいずれ破棄しようと思っているわ」
「…なぜ?」
握られた手が、少し緩んだ。
「再三告げているけど、こんな呪われたわたしを公爵家に迎え入れるメリットって何かある?視覚の呪いのせいで、周囲から蔑みや憐れみの視線しかもらえない、こんなわたしに需要なんかないわ。社交界に行っても、醜悪な見た目のわたしが一緒で、恥をかくのはあなたよ」
ああ、なんだか言っててむなしくなってくる。
「そもそも、どうしてわたしを婚約者に選んだの?呪いを庇ったから?その償い?結局タイラーもわたしをかわいそうな女として接しているのでしょう」
タイラー
違う、と否定して。
「視覚の呪いに蝕まれて、周囲の視線や陰口に疲弊する毎日よ。そしてあなたが婚約者?何もしらない人たちは、あなたとわたしを見比べて辛辣な言葉を吐くのよ。それも、もう、うんざり」
それでも一緒にいたいと願ってしまうの。
「あなたの婚約者でいることに、もう耐えられない。こんな呪いにも耐えられない。誰にも干渉されない世界で生きたい…」
ぼろぼろと、涙があふれた。何に対してか。自分の言葉で傷ついてしまうなんて元も子もないし、その言葉で悲しそうな顔をするタイラーを見ていられない。
ああ、本当に消えてしまいたい。
ポピーの言葉を受けて、身動き一つしないタイラーの手を、乱暴に振りほどく。その拍子に机に積み重なっていた本がバラバラと落ちた。
その中で、本ではない何かが落ちる音。
「うそ…」
鏡だ。
金の細工が美しい、呪いの鏡。なぜ。これは置いてきたはず。
ポピーは震える手で鏡に触れる。
鏡に映りこむのは、いつものポピー。ただのポピー。
鏡に涙がぽとりと落ちて、姿がゆがむ。その視界の隅で、言葉を失っていたタイラーが動くのが見えた。
ああ、呪いの鏡よ、まだ魔力があるのなら、わたしをどこかに連れ去って。
ここではない、どこか。
すると、あの時と同じように、鏡が鈍色に光った。
「ポピー!」
ポピーの侍女
「書庫の中静かですね」
タイラーの側近
「まあ、聞き耳たてていても、タイラー様なら一切心配いりませんよ」