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お兄さまとポピーの話
呪いをうけてから10年。
この呪いは国の魔法使いの元へ話をおろし、研究してもらっている。
しかしこの10年で大きな変化はない。呪いが作られたであろう100年前は魔法使いが多く存在していた。現在と違って国に魔法使いとして活動する登録義務がなかったからだ。
なので、この手鏡の呪いがどのように作られたのか、解読が難航している。
婚約者となったタイラーとは、学院を卒業すれば結婚となる。今16歳。卒業まであと2年である。
ことあるごとに婚約の見直しをすべきだと両家に申し上げても、認められることはなかった。
一体呪われた容姿の自分に何の期待をされているのか。
ピーコック公爵家の皆が優しいことは重々承知していた。
ポピーがタイラーのことを庇って代わりに呪いを受けてしまったことを、今でも悔やんでいるのだろう。申し訳ないと思っているのだろう。
一人の令嬢の人生の歯車を狂わせてしまっているのだ。ならば公爵家で責任を負うことは最低限の責務だろう。
ポピーはそう思うことで、この婚約の意味を無理やり納得させようとしていた。
手元できらきら輝く、金の細工の美しい手鏡。
これがすべての元凶ではあるが、今のポピーをありのままに映してくれる貴重な鏡だ。
さすが視覚の呪い。
自分が映るすべての媒体は、醜悪な姿となってしまうのだが、この手鏡だけは、年相応に美しく成長したポピーが映る。
それはなぜか。
呪った魔女にしか真実はわからない。
「ポピー、入るぞ」
「どうぞ」
ポピーの返事を待って自室のドアを開けてきたのは、兄のデルトだった。
ポピーと同じ濃紺の髪は綺麗に整えられている。兄妹で違うのは瞳の色だけだ。ポピーは碧、デルトは橙。
すでに成人しているデルトは、幼い頃からポピーの呪いに興味を示し、いまだ侯爵の父の跡を継がずに王宮で魔法の歴史を調べる仕事についている。
ポピーを案ずる気持ち故か、と周囲から言われいるが、実のところ視覚に干渉する魔法に興味があるのだと、ポピーは知っている。
デルトは椅子に座るポピーの頭をふわりと撫で、そのままソファーに腰かけた。
「タイラーから聞いたと思うけど、呪いの魔女がどこの娘だったか、詳細がわかってきたようだ」
「そのようですね」
「あまり嬉しくなさそうだな」
デルトは、うつむく妹の頭に手を伸ばそうとして、やめた。
代わりに呪いのかかったままのポピーを見やる。
彼女の一部に触れれば本来のポピーの姿が見えることは重々承知だが、長年一緒に暮らせば醜悪と呼ばれる容姿にだって愛着がわきつつある。
別にそこまで醜悪でもない。醜悪と思い込んでいるから余計な偏見で見てしまうのだ。
「アイビーさん、とおっしゃるようで」
「ああ。何せ100年も前の魔女だ。アイビーという名の魔女は当時この国に何人かいたようだな。彼女の身内もいない。彼女を直接知る人も、もういない」
「名前を知った所で、解呪する方法などありません」
「ポピー、お前卑屈になりすぎ。何をそんなに守ろうとしている?この先本当に解呪できなくとも、家族は傍にいるんだぞ。父上も母上もそう話していただろ」
「そこに関しては心配などしていないです」
そう、家族には愛されている。
だけど、自分が卑屈になってしまうのは、自分の心を護りたいからだ、とポピーは思う。
脅威の視線、興味の視線、哀れみの視線、視線に限らずさまざな言葉がポピーの周りを飛び交う。直接言われないのは、ポピーが侯爵令嬢であるのと、婚約者にタイラーがいるからであろう。
学院でも有名な婚約者がポピーの傍にいれば、直接辛辣な言葉を投げてくる人はいない。
しかし陰口ではよく言われているのだ。
『なぜポピーなんかと』
と。そんなのポピーだってどうにかしてほしい。
こんな呪い付きの婚約者など、何の役にも立たない。
タイラーは公爵家で爵位は長兄が継ぐが、貴族としての務めは果たさないといけない。
夜会であったり、茶会であったり。そこにこんな呪いのかかった女が登場すれば、一気に公爵家の品位は急落だ。
自分が求められてタイラーの婚約者になったとは微塵も思っていない。タイラーを庇ったから、その負い目で婚約したのだと強く思い込む。
そうでなければ、大好きな幼馴染と婚約できたことに喜びを感じてしまうのだ。
ポピーはタイラーが大好きだった。
彼の纏う穏やかな雰囲気
亜麻色の髪も、
琥珀の瞳も
彼がポピーと名を呼ぶのも。
だから、錯覚してしまう。
彼が本来のポピー見たさに触れることを。
壊れ物のように、そっと、優しく触れることを。
その、ポピーを見る琥珀の瞳に、自分だけが映りこんでいることを。
いつか、しかるべき時がきたらこの婚約を解消しなければならないと考えている。
彼は呪いつきの自分に囚われていてはいけない。
その時、あまり傷つかずに済む方法を模索中だ。
卑屈と思われてもかまわない。
でも、自分の心だけは、自分でしっかり守りたいのだ。
ポピーは手にしていた手鏡を、じっと見つめた。
鏡のなかには、目の前に座る兄と同じような顔をした貴族の令嬢が映っている。
「お兄さま」
「どうした?」
「なぜ、この鏡はピーコック家の書庫にあって、タイラー様が触れた瞬間に呪いが発動したのでしょうか」
「さあ、何度も議論しているが、はっきりわかっていない。呪いの鏡のことは知っていたが、おとぎ話の一つだと思っていた。公爵家にあったことも謎だ。ポピーの前に同じように鏡で呪いを受けた人物を探ったが、これも呪いの影響なのか、真実にたどり着かない」
「そうですか」
「手鏡と公爵家の関係は慎重に調べられている」
「そうですね」
10年だ。
10年もの間、この呪いについて調べていて、ようやく魔女の名前が判明。
国でも解呪について研究してくれてはいるが、その仕事がすべてではない。
きっと世の中には自分より酷い呪いに悩まされている人だっているだろうし、今は人数が少なくなったという魔法使いだって万能ではないのだ。名前をつきとめてくれただけでも十分な進歩である。
10年かけて知ることができたということは、魔女は自分に関して「詮索回避の魔法」でもかけていたのだろうか。
まあ、そんな魔法あるのかわからないが。
ポピーは気長にこの呪いと付き合っていく心構えはできている。
しかし、できることがあるなら一人だけでも最後まであがきたい。
それがポピー・プルシア侯爵令嬢である。
タイラーや兄には虚勢を張って卑屈な態度をとってしまったが、名前を知ることができたのは本当に運が良い。
兄が部屋をあとにしたのを見届け、ポピーは侍女に図書館へお使いを頼んだ。
ポピー付き侍女①
『まあ…またお嬢様が百面相されているわ』
ポピー付き侍女②
『大方タイラー様とのことを悶々を考えておられるのでしょうね』