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自動車で目指す『異世界“峠”最速プロジェクト』  作者: さけとみりん
異世界から来た男
3/16

スタートラインが出来た日

 ハルギ峠は街と空港をつなぐ空港道路である。



 標高1700mのハルギ山ふもとの空港から反対側の街までのびる馬車で約20分の峠道だ。なら早馬で10分かというとそうではない。

 道はひたすら曲がりくねっていて、減速が間に合わなければ崖下に転落してしまう。下り勾配も急でブレーキ操作に気を抜けない。


 スピードを上げすぎると馬でもコースアウトしてしまうほどキツい峠道なのだ。


 ただ、道路の設計として登坂区間が各コーナーに設けられているため走行ラインの選択肢は広い。

 また、空港道路だから飛竜発着の合間の時間に対向車はほぼない。


 これらの要素により、ハルギ峠は奇しくも異世界峠のテクニカルコースと言えるのである。

 


 そして今、異世界に似つかわしくないエキゾーストを響かせて一台の軽自動車が猛アタックを仕掛けていた。



「SUZUKI DA64V」


  通称「エブリイ」である。



 ボディは真四角の箱でずんぐりむっくり、車体横には会社名が書かれた商用バンである。

 酒屋が荷台にビールケースを詰めたりバイク屋が原付乗せたり大工が工具を一杯乗せてたりするアレである。


 一見すると排気量、車高、馬力すべてが峠を攻めるに向かない車がハルギのコーナーを果敢に攻める。


 ハルギに直線は少ない。ほとんどのシーンで緩やかな曲線を描きつつ360度の急激なコーナーが連続して続いているのだ。

 エブリイはわずかな直線で加速し、一瞬のブレーキ操作の後コーナーに突入、タイヤがスリップする限界までアクセルを踏み、車体を揺らしながらコーナーを脱出する。


 車高が高い車は重心が揺れやすく安定性を欠き、コーナー脱出時の姿勢制御ひいてはライン維持が難しくなるのだ。しかしながらスズキの駆るエブリイは走行ラインに一切のブレがなく、コーナーのインからアウトまでを綺麗なRを描いて加速していく。



「ス、スズキ!間に合いそうになかったらスピードを緩めてもいいんだぞ!?」


「下りなら50馬力でもスポーツカーにだって負けやしねぇさ!黙って見てろ!」



 ちなみにスポーツカーなら馬力はエブリイの5倍以上ある。つまりエブリイは5倍くらい無理のある限界走行をしている。


 後部座席のアントンはもはや喋る余裕もなくなり逆流しそうな胃液を必死に抑えるしかない。

 しかしながら運転席のスズキはどこ吹く風、この程度の走行は当たり前と言わんばかりの余裕でハンドルを握っている。



 スズキは異世界召喚された社会人である。

 美容品販売業者に勤める24歳。仕事は箱バンに乗って県内各地の美容院に美容品を届けることだ。


 朝9時から仕事が終わるまで、みっちりと箱バンで走りまわる。高速道路に乗る余裕はないので走るのはずっと下道だ。だが、早く届け終わればそのまま帰宅できる。

 最初のうちは早く終わらせたい一心でアクセルを踏み続けた。しかし荒い運転では繊細な化粧品の品質が落ちてしまう。だから荷物があるうちは丁寧に走り、荷を降したら最速で帰る。

 丁寧に走る上り坂と、最速で走る下り坂。

 長年を費やしたスズキの走りはもはや熟練の域に達していた。


 スズキは箱バンで峠を攻めるスペシャリストとなっていたのである。


 仮に異世界召喚時、名高いスポーツカーが一緒についてきていたらスズキはハルギ峠を十分に駆けることはできなかっただろう。

 長年走り込み、手足のように操れる箱バンだからこそポテンシャルを十二分に発揮できるのだ。



 ハルギに少ない直線のうち一つ、下りの100mストレートでエブリイはさらに加速する。この先は右左と蛇行する逆S字コーナーが続いていて、通常のドライブシーンでは直線で十分な減速をとった後コーナーへ突入するのがセオリーだ。

 もし減速が上手く出来なかった場合の未来は想像に難くない。良くて右の崖面に衝突、悪ければ左の崖下に真っ逆さまである。


 しかし、熟練者スズキのドライビングテクニックをもってすれば第三の未来が現れる。


 ストレート終盤まで加速し、コーナーに入る寸前の絶妙なタイミングでハードブレーキングを仕掛けるスズキ。エブリイの4つのタイヤがスキール音を奏でながら荷重を前輪に、車体が前のめりに沈み込む。ステアリングを迫るコーナーに向けてわずかに右へ切りながら、フットブレーキは緩めて少しだけ残す。

 必要十分の最小舵角しかないステアリング操作が、いとも簡単に、しかして誰にも真似することのできない挙動でエブリイを逆S字の右から脱出させる。そして迫る左カーブにスズキは減速することなく、素早く切り返したステアリングとアクセル操作で対応する。


 逆S字の終盤、破綻寸前の速度域においてこの車は加速しているのだ。


 右フロントガラスから一気に迫る崖面にアントンの顔から血の気が引く。エブリイの走行ラインが道路いっぱいに広がり、反対車線はおろか車線の外、崖面スレスレを走っている。

 迫る崖面。アントンがぶつかる!と思った刹那、スズキのアクセル操作で響くスキール音が止み、さらに加速力を増したエブリイの車体はロケットのように逆S字を飛び出していった。


 アントンはスズキに非難の目を向ける。

 こんなキチガイじみた運転、冗談じゃないと思っているからだ。それもそのはず、じつは先ほどの走り方はもう一度や二度ではなく、この峠の全てのシーンで味合わされている。だけど途中で降りるわけにもいかず、声を出すこともできないわけで、そうなると目で訴えかけるしか方法はない。が、走り屋の集中力たるや、後部座席からの目線など気づく由もない。


 結果、アントンはひっくり返りそうな胃袋を抑えながら耐えるしかなかった。それももう限界である。

 本当はもっと前から吐きたくてたまらなかったのだが、ゲロ袋はとっくの昔に座席の後ろに飛んでいってしまっている。広い荷室の端のほうにいってしまうと走行中はもうどうしょうもない。しょうもないから窓から吐こうというわけだ。

 仮にも走行中に窓から首を出そうものなら一瞬で立木に首を持っていかれるのだが、吐き気を抑えるのにかなり限界なアントンにはそれがよくわかっていなかった。



 あらかじめ開いていた窓に手をかけいよいよ吐こうと外を覗き込む。ふと道の先が目に入ったアントンは、続く道にとんでもないものが転がっていることに気がついた。



「おいスズキ! 今すぐ車を止めろ!今すぐうぉえぇぇ」


「吐くんなら袋か外にしてくれ!それから車もノンストップだ!」


「んぐぐ…おごぁー! 吐いてないわ! いいから止めろ!4つ曲がった先の直線で土砂崩れだ!」



 アントンが見たもの、それは道幅4分の3を埋める土砂崩れだった。ハルギ峠は切り立った山の斜面を這うように進む。すると当然山側は岩肌が露出しているものだが…。



「昨晩の雨が原因んんん!速度を落とせぇなんで加速するんだぁ!」


「ノンストップって言ったろ!それより状況を詳しく教えろ!4つ先で土砂は道路いっぱい広がってんのか!」


「もう3つ先だよ馬鹿野郎!この馬車が通れる幅なんかないわ!」



 スズキが大きく舌打ちする。続くヘアピンを強烈な横Gに反抗しながら走り抜ける。



「あと2つゥ!」


「泣くな!…あぁアレか」



 運転席から道路下を覗き見る。土砂の様子を視界の端に収めたスズキは唇の端をニヤリと持ち上げた。



「…シートに体を押し付けて姿勢を低くしろ!」


「しーとって何⁉︎あとのんすとっぷも何ィィィ⁉︎もう1つゥゥゥ‼︎」


「席に浅く座ってしがみつけ!このまま突っ込むんだよォ!」



 最後のコーナーを抜けたエブリイがストレートに姿を見せる。続く道路には土砂が崖面から崩れ落ち、無事な路面は右端約1メートル半しか残っていなかった。

 さらに土砂崩れまでの道路上にも小さい岩がいくつも転がり状況は最悪だ。もし一つでも乗り上げれば横転は必死だろう。


 そんな状況にもかかわらず、スズキはエブリイを落石地帯へと加速させる。


 アクセルを抜かないスズキを見てアントンは身をすくめ、シートに体を埋めた。

 一方スズキは、この大破必至の状況で冷静に右手をハンドル下のスイッチに伸ばし



 ESPを切る。



 ESPとはSUZUKIの安全運転技術の総称である。

 SUZUKI車に限らず、現代の車には共通して装備されている装置がある。それはトラクションコントロール、スタビリティコントロール、車両安定制御などと呼ばれる『車を安定して走らせる』装置だ。

 この装置によって凍結した路面や急ハンドルを切った場合でも機械制御された4つのタイヤはグリップ力を保ち、車は安定して走り続けることができる。

 スズキが先ほどまで行っていたグリップ走行も実際のところESPの力によるところが大きいと言えるのだが、



 それを切るということはつまり安定しなくなる、ということである。



 切ったとたん、限界走行中の4つのタイヤが意思を持ったかのように暴れ始める。修正舵が多くなり車体は小刻みに揺れる。

 しかしスズキは踏んだアクセルを抜く挙動は一切見せない。




 この瞬間、車内がスローモーションになった。



 車体左前方に小さな岩が迫る。

 後部座席から呻くような叫びが聞こえる。

 小さな岩の先には土砂崩れが、土砂の右側にはエブリィの通る隙間はなく。

 ブレーキも間に合わない距離で、絶体絶命の状況で、ハンドルを握る男は



嗤っていた。




 エブリィの左前タイヤが小さな岩を駆け上がり、車体が大きく右に傾いた。


 すぐさまスズキがハンドルを切り、エブリイは傾いた姿勢を維持したまま土砂崩れ右横のわずかな隙間に飛び込んでいく。


 これは右前後輪のみを使った曲芸、片輪走行だ。


 45度に傾いたエブリイはわずかな隙間を縫って崩落地帯を一瞬のうちに通り過ぎた。


 直後に急激な右コーナーが迫る。スズキは素早くハンドルを切り返し、車体を4輪走行にもどしてアクセルを大きく踏み込んだ。後輪タイヤが空転し車体が右に曲がり始める。

 アントンの三半規管に警報が鳴り響く。車体の向く方と進む方向が合わない。つまり横滑りしている。


 スズキがESPを切った理由はここにある。ESPは高度な安全技術だが、全てのドライビングシーンに適応するものではない。例えば、小岩を駆け上る時に必要なトラクションはESPが不要と判断するとカットされてしまう。さらに、落石地帯をクリアーした後の右のヘアピンをドリフトで抜けるためには、安全技術は邪魔なのだ。


 そう、エブリイは今ドリフト走行に突入した。

 タイヤのグリップが失われ、横滑り状態で道路外側に迫る。しかして制御が失われたわけではない。巧みなハンドリングにより前輪がコーナー出口へ向かう。

 絶対の喪失感に支配された横Gの中でスズキの運転技術だけが細い糸を手繰るように路面を掴み、前へ進む力をタイヤに与える。


  崩落を抜けヘアピンをかわし、エブリイは危険地帯を飛び出した。車体をふらつかせながら短い直線でまた加速し、そして躊躇なく次のコーナーに飛び込んでいく。


 飛び出したエブリイの前に障害はもう何もない。ESPを入れ直し残りの道のりを力強く走り抜けていく。



 エブリイは一見すると商用車で実用性一辺倒な車である。

 しかしスペックをスポーツカーと比べるとその差は驚くほど少ない。ホイールベースと車体重量は言うまでもないが、他にもトレッド、エンジンの位置、そして後輪駆動であることはスポーツカーと同等かそれ以上の性能を誇るのだ。

 ただしこれらの条件を活かすことができる者は少ない。スポーツカーとは違う次元の運転技術をもってしてようやく発揮することができる。


 つまりスズキの技術をもってしてエブリイは120%の能力で峠を駆け抜けているのである!



「っしゃぁ!やったぜアントン!空港でミルクを楽しむ余裕ができたぞ!」


「冗談じゃない… ゲロ掃除したくないならもうやめてくれぇ!」



 もちろんスズキはペースを落とすつもりは全くない。むしろ速度を増しながら、二人を乗せたエブリイは空港に向かっていった。



 その後のアントンがどうなったかは語るまでもない。

 ひとつだけ語るとするならば『間に合った』という事だけだ。

 20分かかる道を半分の時間で駆け抜けた。如何なる乗り物より早いかもしれない『自動車』なるものが現れた。

 『間に合った』という事実はただそれだけで全てを雄弁に語っている。


 事実は時をおかず国中に広がっていく。


 それを聞いた異世界人たちは、想像出来ないスピードに様々な想いを馳せる。


 白銀の騎士は嫉妬した。わが愛馬こそ最速だと。

 孤高の魔法使いは探究心に火がついた。速さの深淵こそ望まんと。

 頂に立つ王はほくそ笑んだ。頂に挑む者が現れたと。


 事実は多くの異世界人たちに知れ渡り、やがて各地の峠に走り屋が現れる。


 異世界に今まで自動車はなかった。馬か馬車、魔法具が移動手段の世界で、長距離移動の「早さ」以外にはスポットが当たらなかった。興味がなかったとすら言っていい。

 峠道ひとつを速く走り抜けることは重要ではなかったのだ。それはスズキが走り抜けた今でも同じである。

 だが、異世界人たちは愛するマシンと共に駆け抜け、その速さに興奮し、興奮は大きなうねりとなって国中を飲み込んでいった。


 何かが彼らを駆り立てている。

 決して必要ではないものを求めて、

 そして峠を走る


 最速の称号、それだけを目指して

〜あいまいモコなヨーゴかいせつ〜


『峠』

山のてっぺんからふもとの街まで続く道。曲がりくねっていて走ると楽しい

『エキゾースト』

排気音のこと。夜中に響かせるのはダメ

『ヘアピン』

髪に刺すヘアピンみたいに曲がってるコーナー。ほぼ360度のやべーやつ

『走行ライン』

車の動線のこと。「アウトインアウト」って聞いたことない?ないの……

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