忍を探して
気がつくと、太一は見知らぬ川辺で倒れていた。空は朝焼けと夕焼けが混じったような色をしていて、足元には彼岸花が生えている。
「参ったな…、こんな所通って生きた人間が来るとは…」
そう言って太一の顔を覗きこんできたのは魚とも人間とも似つかない生物だった。
「あっ…!ま、まさか僕を食べる…」
「食べねぇよ、オイラはそんな趣味悪くねぇ」
魚人は太一を座らせると傷口に粘液を着けた。
「凄い傷だな…、なにしてたんだ?」
「あっ、いつの間に…、っていうかここは何処なんですか?!」
「オイラは魚人族のカイル、そしてここは冥界だ。お前が三途の川に沈んでたから助けてやったんだ。この粘液は傷を治す力があるからな」
「へぇ…、って冥界?!」
太一は驚きの余り、頭が真っ白になった。
「おっと、でもお前はまだ死んではいない、たまたま冥界に行き着いただけだ」
「たまたまって…」
「で、お前は何してたんだ?」
太一は落ち着きを取り戻し、さっきまでの事を振り返った。
「霊を助けようとして…、川に飛び込んで、そのまま…。あっ!そういえば男の子の霊を見ませんでしたか?!黒い影に攫われて、川に沈んだんです」
カイルは首を振った。
「さぁ、少なくともオイラは川に沈んでいるお前を拾っただけだからな」
「そうですか…」
「しかし、迷い込んだのなら現世に帰さなきゃな…、ただ、オイラは地上に十分間しか居られない」
「そうですか…」
カイルは川に飛び込み、何処かに行ってしまった。露頭に迷った太一は、川をなぞるように歩いていった。三途の川は長く、何処に繋がっているかも見えない。
「どうしよう…」
不安を紛らわす為に写真を撮ろうとしたが、水没したカメラは動きそうにない。太一は落ち込み、川辺の石に座った。
「帰るには、どうしたらいい?それと、忍は何処に…」
すると、向こう側から舟が近づき、太一の目の前に止まった。
「よっ、客か?それとも迷い子か?」
舟に乗っていた人物は、海兵のような帽子と青いパーカーを着て、腰に鎖を巻いており、手には錨を持っていた。
「あっ、えっと…、迷子ですが…」
「おお、そっか、俺は死神のラメル、ここの船頭やってるんだ。とりあえず乗れ、話はここで聞く」
太一は舟に乗り込むと、恐る恐る前に乗り出した。
「安心しろ、無理矢理向こう側に送るような事はしないよ、ただ、帰るんだったら一度舟泊めてからじゃないとな」
ラメルは慣れた手付きで舟を漕ぎ、流れに逆らって進んで行った。
「あっ、ありがとうございます…、僕は風見太一、たまたま迷い込んでしまって…」
「へぇ…、風見、か…ひょっとして、風見の一族のか?」
「いや、それかどうかは分からないんですが…」
太一は一瞬言葉に詰まったが、今までの事を話す事にした。
「僕、高田忍っていう霊と一緒に居たんです。僕はあの子の未練を何とかしたくて、霊を退治してたんですが、その最中に何かに攫われて…、それを追ったら…、ここに着いてました。」
「なるほどな…、降りたらちょっと調べるか…」
船着き場に着くと、ラメルは隣の小さな建物に行き、一冊の本を取り出した。それは青色の表紙をしており、鎖で留められていた。
「これ、現世の言葉じゃ鬼籍っていうのかもな…、俺達は死神の書って呼んでる。ここには死んだ人間と生きている人間を間違えないように、死の予定とか死んだ人のリストなんかが載ってるんだ。まぁ、膨大過ぎるからそれぞれの活動範囲だけなんだけどな。」
「へぇ…」
「太一、お前の名前は載ってはなかったぞ、えっと…、高田忍だったっけな…」
ラメルは電話帳かそれ以上に膨大なそれを、慣れた手付きで捲ると、あるところで止めた。
「あった、高田忍、去年亡くなってるな…、死因は交通事故か…」
「やっぱり、そうなんですね」
太一が忍の名前が書かれているページを覗き込んで見ると、忍の所にだけ印が押されている事に気づいた。
「これはなんですか?」
「あっ、これは…、冥府のお尋ね者リストに載せられてるって事だな」
太一は忍がそんな事を言っていた事を思い出した。
「どうして…、載ってるんですか?」
「それは俺には分からん、で、お前は現世に帰りたいのか?それとも、忍を探しに行くのか?」
太一は迷わずにこう答えた。
「探します!何としてでも忍を助けなきゃいけないんです!」
するとラメルは急に厳しい顔つきになった。
「危険を冒しても、か?」
「はい!」
「…そうか、」
ラメルは太一の横に来て、前を向いた。
「俺も付いて行くよ」
「あっ、ありがとうございます!」
二人は船着き場から離れると、首無し馬の馬車に乗って、冥界を回ることにした。
馬車に乗ってる間、ふと太一はこんな事を言った。
「死神ってこんなに大勢居るんですね」
街は中華風の赤い屋根の家や、楼閣、商店街には現世でも見るような食材の店の他に鎌を売ってる店もあり、何処を見ても人々が集まっていた。
「俺達にだって生活があるからな、それに、死神だからといって魂の循環に関わる訳でもないし」
「僕、この前朝日さんに出会ったんですが、ひょっとしてご存知だったりしますか?」
「ああ…、知ってるよ。朝日さんの曾祖父さんとお父さんが親友で、二人で人間の扱い方に関してかなり扱かれたよ」
「へぇ…」
「俺は最初、人間と死神は根本的に違うものだって思ってたんだ。だけど、智さん、朝日さんの曾祖父さんがその名前なんだけどな、生きてる人を助けるのも死神の役目って言ってたんだ。その時俺は、生きてても、死んでても、その人がその人である事には変わりないんだって思ったよ。生死関係なく、目の前に居る人と向き合う事が死神にとって大切だと思ってる。」
「そうなんですか、僕も忍と向き合わなきゃ」
「それと…、死神は、神であり、人なんだとも思ったよ。人生の中で様々な人と関わって、色んな事を考えて、強い信条をもって生きる。それは人間でも、死神でもあんまり変わらないんじゃないか?」
「あっ…」
何家を見つけたラメルは、馬車をを降りると、笹団子を二つ買い、一つ太一に渡した。
「食べるか?」
「あっ、いただきます」
「街には居ないみたいだな…」
二人は馬車に座ると、一緒に包みを開いて、笹団子を食べた。
街を抜けると一気に手付かずの自然が広がる風景になった。広い草原を抜け、荒れ地を超え、雪原を馬車は駆けて行く。だが、忍の気配も姿も無かった。
「ひょっとして…、冥界には居ないのかもな、お尋ね者扱いされてるから、見つけたら誰かが冥府に通告して、連絡が来るはずなんだよ…」
「そうなんですか?」
「冥府の方に行ってみるか…、だが、俺の権限だけで何処まで話つけれるか…」
ラメルは馬車の向きを帰ると、来た道を戻り、街を抜けで王宮に向かった。
王宮は、街と比べ物にならないくらい豪奢で多くの建物の他に何重にもの壁があった。それを取り囲む水路には蓮が浮かび、庭には蓮華や桜や彼岸花といった花が、季節に関係なく一斉に咲いていた。
「凄いですね…」
「ここまで近づいたのは俺も初めてだけど…」
すると、堅牢な門の前に門番らしき少年が立った。身長は幼稚園児並に小さく、髪の毛は癖がついた白髪で、手には三叉鉾を持っていた。
「お前ら、何故ここに近づいた?」
「あの、冥府とお話がしたくて…、来ましたが…」
「冥府の役人は今とても忙しくて話はつけられない、それに、昴様は留守にしている、とても中に入れる状況じゃないよ」
「そうか…、太一、ここは諦めよう」
「でも、忍の手掛かりを掴めそうなのに…」
「俺の権限じゃどうする事も出来ない、冥府の役人と話をするのも、冥王様に顔を向ける事もな。智さんとかだったら少しは行けるんだが…」
「そんな…」
手掛かりも可能性も失った太一は酷く落ち込み、項垂れた。
「それなら、智さんを呼ぶ事は…」
「あのお方は俺なんかよりも忙しいんだ、会わせる事も出来ないよ」
「それなら、どうすれば…」
太一が諦め、馬車に戻ろうとしたその時、天上から声が聞こえた。
「おい、そこの命知らずの少年」
それは、太一が川で溺れていた時に聞いたものと同じだった。
「あっ、あなたは…」
「アト、あいつらを通してやれ、俺はあいつと話をしなきゃいけないんた」
「でも…」
アトも天上を見上げ、その声と話していた。
「これは俺からの命令だ、嫌でも通してもらうぞ」
「…はい、」
アトは仕方なく門を開き、太一達を中に入れた。
王宮の中は庭よりも更に綺羅びやかで、水路には水晶の飾りが施された橋が架けられ、壁には月と太陽と星といった宇宙を模した壁画がある。
「俺が産まれる前は、ここは冥王様がご不在だったんだ。王宮はあまり使われなくて荒れ放題だったらしい。ところが、冥王様が即位されてから、王宮も、霊廟も、街も整備されていったんだ。」
「へぇ…」
しばらく歩いていると、中庭に着いた。色とりどりの花が咲いており、その中央には光の柱が立っていた。
「太一、ここに来いよ」
再びその声が太一を呼んだ。
「あっ…」
太一はゆっくりと歩き光の柱の中に入った。すると、目の前が真っ白になり、何処かに吸い込まれてしまった。
「やっとここに来たか」
太一が目を覚ますと、そこはさっきまでの王宮ではなく、
地面がガラスのように透けていて、上も下も、右も左も澄み渡るような青空が広がっている世界だった。太一は恐る恐る一歩を踏み出すと、床には鏡のように自分の姿が映っていて、光は何処からか射しているはずなのに影が何処にも見えなかった。
「ここは…、何処なんだろ…」
「ようやく会えたな、太一」
旋風が目の前で吹いたと思うと、見知らぬ青年が姿を現した。紅い花と蒼い星が描かれた赤い衣を纏い、頭には金色の冠を被り、首や腕には水晶で出来た装飾を付けていた。
「あなたは…、一体…」
「俺は風見昴、冥府の王さ。太一、お前の事はずっと見てたぜ」
「風見、また風見だ。僕と同じ名字…、偶然、ですよね?」
「偶然な訳ないだろ?」
「えっ…?」
「お前、俺の妻や息子に会ってただろ?」
太一は全く身に覚えがなかった。
「朝日と、後…、さっき杏と靖と喋ってただろ?」
太一は頭をひねって、二人の人と喋ってた事を思い出した。
「あっ…、朝日さんのお父さんだったんですか、確かに目元が似てますね…。そして、男の人の能力持ちの友達ってあなたの事だったんですね、そして、女の人が言ってためちゃくちゃなヤツって…」
すると昴は大声で笑った。
「へぇ…、杏俺の居ないところでそんな事言ってたのか」
「でも、一途な人とも言ってましたよ」
「そうか…」
昴は遠い目をすると、何かを思い出したように太一の方を見た。
「まぁ、そんな話は置いといて。太一、お前は自分の力で忍を助けたいんだろ?」
太一は拳を握りしめ、真っ直ぐな目で昴を見た。
「はい!」
それに昴は鋭い眼差しで答えた。
「…危険を冒しても、か…?」
「そのつもりです!」
昴はため息をつくと、頭を抱え、考え込んでいた。
「そうか…、そんなに忍の事を助けたいのか…」
「それが…、どうしたのですか?」
「あぁ…、これを言うべきか…、言わないでおくべきか…」
「なんですか?」
昴は腕を組み、眉をしかめた。
「太一、今のままじゃ、お前は死ぬ」
「えっ…!?」
太一は、今までの強い態度とは打って変わって弱気になってしまった。
「お前は、その命を賭けてまでも守りたいものがあるか?」
「それは…」
太一は胸を抑え、目を閉じた。すると、大切な家族や友達の駆や早苗、そして忍の顔が浮かんでくる。それを思うと、ここでじっとしている訳にはいかない。そして決心を決めた太一は、目をもう一度開き、前を向いた。
「僕は、何としてでも大切な人を守りたい!」
「…分かった」
昴は何処からか大鎌を取り出すと、太一に向かって放り投げた。
「太一、ここは神界だ、普通は人間は近寄る事も出来ない場所。そして、忍は今鬼界に居る。」
太一はそれを受け取った。
「キカイ…?それってこことは違うんですか?」
「ああ、ここと違って禍々しく、入ったら最後出られないような場所だ。それに、怪や鬼が大勢居る。」
「なんで、そんな所に忍が…?」
「さぁな…、ただ、お前は忍を助けたいんだろ?」
昴は、太一を地面の縁に立たせると、後ろについた。そこから先は地面が無く、何処までも空が広がっていた。
「ここから下に降りたら鬼界だ、目閉じとけよ?」
「えっ…?」
太一が目を閉じると、昴に背中を押された。そして、地面が無くなり、太一は何処までも何処までも落ちていった。