波乱の予感
一方その頃、冥界では冥府神霊のヨッタとフェムトが給仕として食事を作っていた。
「ヨッタさん、こんなんでいいですか?」
フェムトはニヤニヤ笑いながら鎌を振り回して食材を切り刻んでいた。
「昴様の御食事だろう?そんな雑に作ったら駄目じゃないか」
「いや〜、現世の食材は切り心地が違うなぁ…」
お調子者のフェムトと異なりヨッタは比較的真面目な方だった。
「今日は鍋なのか、しかし肉系のものがほとんどない…」
ヨッタは鍋に食材を放り込むとため息をついた。
「いい肉なら…、ここにあるじゃないですか」
フェムトがヨッタの方を見て笑うと、鎌をヨッタの剥き出しになっている臓物に突き刺し、そのまま引き抜いた。
「あっ!」
「これでこそモツ鍋じゃないですかね?」
「上司のモツを誰か入れろと?!」
フェムトはそれを切り刻み、鍋の中に放り込んで煮ると、昴の元へ持っていった。
「うっ、まさかあいつ昴様に…」
ヨッタは立ち上がろうとしたが、力尽きそのまま倒れてしまった。
「昴様〜」
執務室で仕事をしている昴にフェムトは駆け寄り、そのまま食堂に連れて来た。
「もう夕飯が出来たのか」
「はい!自信作でごさいます!」
「みんな呼んできて食べようぜ、きっと腹空かせてるだろうからな」
「分かりました!」
フェムトは倒れているヨッタ以外の冥府神霊を呼び、食堂に集まらせた。
「さて、どんなものか…」
昴は、肉ともつかない妙なものを箸でつまむと、何の躊躇いもなく口に入れた。
「うっ…!」
不味いというよりも、食べてはならないものを口にしてしまったと思った昴は、思わず箸と茶碗を落としてしまった。
「昴様?!」
「フェムト!お前…、何入れたんだよ?!」
「あっ、そ、それは…」
「あの…」
食堂の扉が開くと、倒れていたはずのヨッタが、足を引きずりながら入って来た。
「ヨッタ?!お前、何か足りないぞ…?!」
「それは…」
ヨッタは震える手で鍋を指差した。
「ま、まさか…!」
昴はフェムトを睨みつけ、怒鳴りつけた。
「お前、なんというものを口に入れてくれるんだ!」
「あっ、申し訳ありません!」
「全く…」
昴はそれっきり今日の鍋には口をつけなかった。
「もったいないですね、こんなに美味しいのに」
ヨッタ以外の冥府神霊は美味しそうにそれを食べている。
「俺、怪の味覚が分からなくなってきた…」
ヨッタは腹の穴を押さえてため息をついた。
「俺、胃と小腸が剥き出しで、それを振り回して戦ってるんです。喰われる事なんてしょっちゅうですよ」
「あれは腹巻きじゃなくて腹綿か、それは元々なのか?」
「いや…、大昔にグルーチョと戦って、その結果こうなってしまい…」
ヨッタは、他の冥府神霊に混じってモツ鍋を食べているグルーチョを睨みつけた。
「ただ、このままじゃ俺が食べるものがない…」
「作りましょうか?いずれにしろ俺は消化器官が無いんで食べれませんが…」
「いや、いい」
昴はそのまま厨房に行くと、残りの食材を使って料理し始めた。
「昴様、料理出来るのですか?」
「お前らに頼まなくても大抵の事は出来るぞ?まぁ、杏やお前らが居るとどうしても頼んでしまうけどな」
「はぁ…」
そして、つくね汁を完成させた昴は一人厨房でそれを啜っていた。
「たまには…、いいかもな」
「昴様ってよく現世で食材を調達してきますよね?やっぱり…、現世が恋しいんですか?」
「たまにはそう思う事もあるさ、ただ…俺がここを離れる訳にもいかないからな」
「そうですか…」
ヨッタは腹を押さえて仲間の元へ戻っていった。
「現世が恋しい、か…」
昴はため息をついて食器を片付けると自分の部屋に戻り、妻の杏の写真を眺めた。
「長らく会ってないな…、幾ら俺が冥王という立場だとしても、杏の人生を邪魔する事はしない。だから…、こうした方が良いんだろうな…」
昴は杏と結婚してから王宮の庭に杏の木を植えた。杏はいつも杏の花の髪飾りをしていたので、それを思い出す為だった。他には華玄の封印に使われた蓮華の花や、現世に咲く桜など、昴が来てから王宮の庭には植物が次々と増えていったのだ。
「そうだ、あいつは何してるんだろうな」
昴が部屋から庭に出たその時、突然目の前に赤髪の鬼が現れた。
「随分と暇そうじゃないか、冥王様」
昴はそれに動じる事はなく普段通りの口調で話しだした。
「蘇芳、俺に何の用だよ、まさか例の鬼の落し子か?」
「そんなのに俺は興味ないさ、それよりも俺は強い奴と戦いたいのさ」
「それで俺にか?」
「今すぐにとは言わないがな、いい答えを期待してるよ」
蘇芳は笑ってそのまま何処かに行ってしまった。
「鬼の落し子か…、全く、お前は何というものを拾ってしまったんだよ」
「昴様…」
ヨッタがか細い声でそう呟き、部屋の中に入って来た。
「どうした?」
「お腹が寒いです…」
「そりゃ中身が無いからな、ちゃんと暖かくして寝ろよ?」
昴は引き出しから布団を取り出すと、ヨッタに手渡した。
「はい…」
ヨッタは布団を持って部屋から出ていった。
「太一、大変なのはこれからだぞ…?」
夜はすっかり更けてしまった。昴は広い部屋の中で一人、天蓋付きのベッドに寝転び、何かを見据えるように天井を見上げていた。