その5:彼の友人のメールが転送されたんだけど、どうこたえたらいいのかわからない。
彼はため息をついた。
「Wは昔から、他人の都合はお構いなしなんだ。昔、まだ違う携帯を使っていた頃は、同僚だった時に教えた電話番号も知ってたから、『連絡はメールでしろ』って言ってるのに四六時中電話を掛けて来やがって――」
彼は割と短気な性格で、人でもなんでも好き嫌いが多い方だと思う。
だけどW氏に関する彼の感情は単なる好き嫌いでは表現しきれない、複雑なものがあるらしいのが見て取れた。
「Wさんには悪いけど、このまま予定を流しちゃったら?」
「それであいつが納得するわけない。もうメールアドレスもバレてるし……何よりあいつは元ツレだから」
その『元ツレ』という基準がわからないので困っているんだけど。
「そういえば、わたしは今の携帯の番号しか知らないけど」と、話題を変えてみる。
「ああ、買い替えたのはもう五年くらい前の話だからな。買い替えたというより、携帯が水没しちゃって……まぁ、いい機会だなと思ってさ。当時は仕事では仕事用の携帯もあったし」
「そうだったんだ」
わたしが彼と出会ったのはそれ以降のこと。W氏とはそれで音信不通になっていたということなのかも知れない。
「メールだから、読まれているかどうか不安になるんじゃない? メッセージアプリもあるから、それを――」
「四六時中あいつからの通知が鳴るのは勘弁だな」
彼は歪んだ笑いを浮かべた。
「まさかぁ……」
わたしは笑い飛ばそうとしたけど、W氏のことをよく知っている彼がどんな状況を想像しているのか考えると笑えなかった。
「だからメッセージアプリを使ってないの?」
「Wのことだけじゃないけどな。俺は好きじゃないんだ。ああいうのは」
「アプリなら、通知を切っておくこともできるのよ」
「そういう問題じゃないんだ……メールの勢いでもわかるだろ?」
「……そうね」
そこは同意せざるを得ない。
わたしたちが付き合うようになってから今まで、アプリが便利だと何度勧めても頑なに断られていたけど、こんなところに原因の一端があったとは。
「『週末は返信が遅くなるから催促するな』って送っておくよ」
言うが早いか、彼は手早くメールを送った。
一分も経たないうちにスマートフォンが振動する。
「『了解』だってさ」
彼はため息をついてからビールを飲み干した。
* * *
月曜の夜、彼からメールが来た。
彼は特に用事がない時、チャットのようなメールをするような人ではない。
『どう思う?これ』というタイトルで、一体何があったのかと思って開くと、それはW氏のメールを転送したものだった。
W氏の返信メールは少し読みにくい。何故なら、彼が携帯なのに対し、W氏はおそらくPCのメールを使用しているから。
PC同士ならありがたいはずの引用も、携帯の場合は変な所に改行が入ったりする。しかも一文や重要な部分だけを引用するのではなく、彼が送ったメールの大部分に引用返信をつけてるらしい。
おそらくやりとりを繰り返すほどに、引用記号は増え続け本文は長くなり、読みにくさが倍増していくような気がする。
「要点を教えてくれるだけでもいいんだけど……いや、別に何も教えてくれなくてもいいんだけど」
ぶつぶつ呟きながら読み進める。
どうやら、W氏は母親名義の公営住宅から退居しなければいけなくなる事態を憂いて、ネットで婚活を始めたらしい。
つまり、彼女というか奥さんの家へ転がり込もうという魂胆らしかった。
それと同時に、病院で何かしらの診断名をもらって、退居しなくてもよくなるように画策しているという。
文中には『○○の患者を装って診断をもらう』などと書いてあるけど、素人目にもわざわざ『装う』必要はなさそうな気が……まぁ、その判断は専門家が下すものなので、うっかりしたことは言えないけど。
でも、そういった診断を下された人とわざわざ結婚したいなんていう女性が現われるのかしら?
W氏の行動は、既にこの段階で矛盾があるような気がしてならないけど。
それよりも引っ掛かったのはメールの冒頭部分にある、前回彼が嫌味半分で送ったらしい文章に対するやりとり。
『どうしてそんなに急かす必要がある?
メールの返信がすぐ来ないと体内のアンモニアが溜まって死んでしまう病気か何かになったのか?
俺だって一応人並みに週末の予定があるんだから、少しは気を遣ってくれ』
『体の方は大丈夫だ。肝臓以外はね。まぁ、悪いといっても脂肪肝程度。
精神的なやつは来週診断を受けてみようと思っている。
○○○とか××とアル中とか色々あるかも知れないけど、やってみないとわからないな。
いい返事がもらえなかったら、二、三軒回ってみようかとも考えてる。
そうそう。検査ついでに断酒してみたら今度はニコチン中毒になりかけたw』
彼は時々、こういった独特で嫌味な言い方をする。
それはそれで問題があるといつも思ってるけど、対するW氏の返答も少し『ずれている』ような気がした。
本気で身体のことを訊かれているわけじゃないのに、何故病気や中毒などの話に持って行くのかしら。
この後に住居の話が続くので、ひょっとしたらその伏線なのかも知れない。
むしろW氏にとって住居の話は死活問題のため、それに関して診断を受けなければという懸念がいつも頭の中にあって、うっかりメールがそういう流れになったという可能性もある。
『明日、明後日や次の週末に飲み会を開くわけでもないんだろう?
もう少し落ち着いてくれないか』
『さすがにそんな急ではない。
しかも俺、今週も来週も他の飲み会入ってるしw
あと水曜には毎週診察が入ってるからな。
本当は月曜か木曜がいいと言われてるんだが、月曜診察なら日曜には酒を抜かなければいけないし。
木曜診察もしかり。水曜は定退日で飲むことが多いから困る。』
読み掛けのミステリーより難解な暗号文を読まされているような気分になる。
断酒したのはだいぶ前の話らしい、というのは理解できたけど。
ひょっとして、引用が短いというだけで、彼のメールはもっと長かったのかしら。でもわたしの目の前で打っていた様子では、数行程度の時間しか掛かっていなかったような気がするけど。
もしくは、あの後また彼がメールを送っていて、このW氏のメールはその返信だったとか。
それにしても、引用に対しては不要な情報が多過ぎる。
それに、彼はこれをわたしに見せて何を訊きたいのか、何に関しての『どう思う?』なのか、読んだだけでは全然見当がつかない。
迷ったあげく、短い文章を書いて送ってみた。
『Wさんって、長文送って来るんだね』
的外れという気がするけどしょうがない。
もしも彼が何か訴えたいのなら、返信が来ると思う。
携帯を置いて、中断していた本を手に取る。
このミステリーシリーズの中でも、別格の異常犯罪者が出て来る作品だった。そのせいでなかなか読み進められないでいたというのに、余計に読む気分ではなくなってしまった。
「何か甘いものが欲しくなっちゃった」
わたしは冷蔵庫からチョコレート菓子を探し、コーヒーを淹れて軽めの恋愛小説を取りに本棚へ向かった。
少しして彼からまたメールが届く。
『長文っていうか、どうして俺のメールにこんな返信をつけるのか、理解不能じゃないか?』
あぁ……
わたしの違和感は間違っていなかったらしい。でもそう伝えたいなら、最初から書いてくれてもいいのになぁ。