その4:彼の友人からまたメールが来たんだけど、どうしたらいいのかわからない。
* * *
その後しばらく、彼の口からはW氏の名前は出て来なかった。
喪中なのだから当然のこととは思うけど、それ以外にもW氏の話が出て来ないとも限らない。でもわたしはなるべくなら聞きたくなかった。
彼が楽しんで話しているとも思えなかったから。
約一ヶ月後の週末、わたしと彼が夕食用の買い物をしている時のこと。
彼がポケットからスマートフォンを取り出し、画面を見て小さく舌打ちをした。
「またかよ」
小声で呟くと、そのままポケットにしまう。
スパムメールでも来ているのかしら、とその時はあまり気にしなかった。
わたしの携帯にもたまに来るものだから。『Re:初めまして』とか『あいつ、絶対働いてないよな?』とか『そろそろお金返してほしいんだけど』とか。
会計をしている間にまた彼の携帯の振動音が聞こえた。チラリと彼の横顔を見上げると、何やら不機嫌そう。
なんのメールが来ているのか、彼には見なくてもわかっていた様子。
だから『また』だったのかも。
ひょっとしたら、仕事で何かあったのかも知れない……そう思って、帰り道に訊いてみた。
「夕飯、食べてから帰れるの?」
「なんで? 食べるつもりだから買い物に行ったんだろ?」
「それはそうだけど……あの、仕事で何かあったのかと思って」
彼は不審げな表情でわたしを見て首を傾げた。その時、またも彼の携帯が振動した。思わずビクリと反応してしまう。
彼は、わたしの表情を見て納得したようだった。
「メールのことか。それならそう言えよ」
「ごめん……あの、なんか機嫌悪そうだったから」
彼はため息をつく。
「そりゃぁ機嫌悪くもなるよな。Wからだし」
「あぁ……そうだったのね」
触れたくない話題に自ら触れてしまったせいで、わたしも気分はよくなかった。
でも彼はその話を続けなかったので、そこまでにしておいた。
夕食のメニューは彼のリクエストでパエリア。当然パエリア用の鍋などないので、フライパンで。
サフランはわたしが苦手なので入れないけど、充分美味しいものができる。お米はつい洗いたくなってしまうので、洗わずに済む無洗米も買って来た。
実は彼の方が料理は上手い。だから今日は彼が主導でわたしはお手伝いをする。
食べに出るのもいいけど、こうやって二人で料理をして食べるというのもまた楽しいよね。
食事を終えると、彼が洗い物を手伝ってくれた。
「飲んでてもいいんだよ?」と言いながら、でも嬉しくも感じていた。
特にフライパンなどを力強くごしごし洗ってくれるのは、とても助かる。
「こないだ、俺が帰ってから洗い物してるって言ってただろう」
ぼそりと彼が言った。
そういえばそんなことをメールで送ったっけ。でももうひと月くらい前の話だったような。
その次の週からならまだわかるけど……なんにせよ、折角手伝ってくれている彼の機嫌を損ねたくはなかったので、曖昧に相槌を打っていた。
洗い物が終わってから改めてビールの缶を開ける。
バラエティを興味なさそうに眺めていた彼が、ふと話し始めた。
「メールのことなんだけど……」
「メール? 何の?」
「Wからの。さっき何度も来てたやつ」と、彼は言いにくそうな表情になる。
あぁ、どうしても彼は聞いてもらいたいんだ。
それで洗い物を先に終えたのかしら……
「なんか、食事中に話すと機嫌悪いみたいだったからさ」
え、いや、あれはそういうことじゃなかったんだけど。
でも彼なりに精一杯気を遣っていたつもりらしいので、今更違うとも言えない雰囲気。
買い物の途中で受信したメールはW氏からのもので、その後会計の時だけではなく、帰り道でも何通か受信していたらしい。
でもわたしが食事中にW氏の話をされるのを嫌う――と、彼は思っていた――ので、食事が終わってからしようと思っていた、ということらしい。
内容は、『一ヶ月経って諸々の手続きも終わりそうだし、そろそろ飲み会やらない?』という話。
元同僚やその上司がよく使っていた店を使えるように、彼の元同僚のS氏に連絡したのだという。
『そこなら、Sの奢りにできるだろ? あいつ今一応取締役だから。俺、頭いいなあ』
「よくわからないけど、Sさんってお金持ちなの?」
「金持ちっていうか、Sに経費として落とさせるつもりなんじゃないかな」
「……普通の飲み会なんじゃなかったの?」
飲み会っていうのは、割り勘が基本だと思っていたのだけど。
「Wはいつも金がないからな。使いたくないんだろ」
「言い出しっぺだよね?」
世の中には色んな人がいるものだと思った。
「それだけのことなのに、何度もメールして来たの?」
「……説明するのめんどくさいから、ここから見て」と彼は携帯をわたしに押し付けた。
わたしは戸惑ったが、とりあえず読んでと再度言われたので読み始める。
一通目は彼が言ったような内容だった。
でもそれだけではなく、W氏の母親の葬儀やその時の兄弟の態度、遺産の相続が面倒であることなどをつらつらと書いてある。
これを親戚でもない彼に送って来るのも不思議な気がしたけど、更に赤の他人であるわたしが読んでいるというのも、筋違いなような気がする。
まぁ、W氏が彼に送ったのは、とにかく誰かに聞いて欲しかったという理由も考えられるのだけど。
二通目は『奢らせる』予定のS氏と連絡がついたという内容だった。
それは別に急いで伝えることでもないような……と思ったけど、そこは彼らの関係がどうなのかわからないので、わたしにはなんとも言えない。
『ところで、Sに連絡したらC子さんが出しゃばって来るんだけど。
なんであの人に仕切られなきゃいけないんだ?』
W氏はそんな風にメールを締めくくっていた。
「SさんとC子さんって知り合い?」と彼に訊ねると、彼は「ああ」とうなずいた。
「Sは会社の取締役で、C子さんは副社長だけど、事実上の社長だね」
「元社員の飲み会で、そんな偉い人が出て来るの?」
「まぁ、SとC子さんは仲がいいから。社長も顔を出すかも知れないけど、あの人はお酒飲まないからなぁ」
そういえば、社長さんというのはお人好しだという話だったっけ。
アットホームな会社だったのかも知れない。
「いや、別に。普通の会社だったと思うよ?」
普通の会社って、元社員が絡む飲み会をわざわざ副社長が仕切ったりしないと思うの。
とりあえず話は一段落ついたのかな、と思って彼に携帯を返そうとすると、彼は「まだ続きがあるから」と押し留める。
もういいんだけど……と思いながら、『Re:』が付いた同じタイトルの三通目を開く。
するとそこには『おーい、読んでる?』とひと言だけ書いてある。
顔を上げて彼に向かって首を傾げると、彼は顎をくっと動かした。まだ続きがあるらしい。
四通目。
『おーい。』
五通目。
『おーーーーい。』
……この人は何がしたいんだろう。
そのうち、お茶か何かが出て来そうな気がする。
「それ最初のメールが買い物行ってる間でさ、二通目が会計している時に来たんだよ」と、彼は眉間に皺を寄せながら言った。
だから会計の時には確認もしなかったのね、と合点がいった。ということは、三通目は帰り道で受信したんだろうか。
「でさ、三通目と四通目は帰り道。五通目はうちに戻って来て靴を脱いだ時に来たんだよ……あいつ、メールはタイムラグなしに開かれなきゃいけないとでも思ってるんだろうか?」
わたしは、曖昧な笑顔を浮かべることしかできなかった。




