その3:彼からメールが何通も来るんだけど、どう返したらいいのかわからない。
※事故などの表現があります。
苦手なかたは、読まないようお願いします。
* * *
いつも彼は、日曜の夕飯を食べてから帰って行く。
わたしは彼が帰宅してから、食器や衣類の後片付けをする。
でも片付けは苦手な方なので、現実逃避でつい手が伸びるスマートフォンや、つい足が止まるテレビなどはなるべく遠ざけて、音楽を掛けながらこなしていた。
やっと終わり、ノンカフェインのコーヒーを用意してソファに倒れ込んだ時、
携帯がチカチカ光っていることに気付いた。
彼からメールが届いていたようだ。
一覧を見て驚いてしまった。
『そういえば、話ができなかった件なんだけど』
『これからのこと考えておかなきゃいけないな』
『メール読んでる?もう寝た?』
『いくらなんでも寝るの早くないか?』
『ひょっとしてテレビの件で怒ってる?』
『いい加減返事しろよ』
わたしの家から駅までは徒歩十分ほどで、彼はそこから四十分くらい電車に乗ることになる。
これらのメールはすべて、彼が電車に乗っている時間帯に書いたものらしい。
多分電車に乗って少ししてから最初のメールを書いたのだと思う。うちを出てから二十分ほど経った時刻になっていたから。
二通目はそれから約十分後だった。
多分、一通目を送ってからまた読み返すなどして考え、書き足したつもりかも知れない。
三通目はその五分後だった。
本文は短く、『読んでたら何か返信して』というもの。
四通目からの三通はその三分後、ほとんど時間差なく送って来ている。しかもタイトルのみのメールだった。
呆れながら目を通している間に七通目が来た。
『電車降りるから、今返信来ても読めない』
別に急ぐ話題でもないのに、彼は何を伝えようとして七通目を送って来たのか不思議だった。
彼の最寄駅から彼の家までは、徒歩で二十分ほど掛かる。
……でもこれは、あまり正確な言い方ではないかも知れない。
彼の家と駅の距離は、実際は徒歩十分ほど。でも彼は朝の通勤時以外はあちこち寄り道しながら帰宅するので早くても二十分、途中で書店などに立ち寄ったりごはんを食べたりするとそれ以上の時間を掛けて帰宅するのだから。
日曜日はわたしの家で食事を済ませるので大した寄り道ネタもなさそうなものだけど、それでもコンビニへ寄ったりする。
なので、七通目は『これから少なくとも二十分間は音信不通になる』という意味があるのかも知れない。
改めて彼のメール――その一通目――を読んだ。
W氏の母親が亡くなったという内容だった。
なんでも、W氏と二人暮らしをしているが、だいぶ前に離婚してからはずっと、精神状態がよくなかったのだという話。
更に数年前、W氏の他の兄弟が独立してからは、近所付き合いもほとんどなくなったらしい。
わたしは驚きと同時に、あの時話を遮ってよかったと思った。
ただでさえ気が重くなるW氏の件で、更にこんな衝撃的な出来事を、日曜の朝から聞く気にはなれなかったと思う。W氏のお母さんには申し訳ないけど。
それに彼がこの連絡をW氏から受けたのは先週の水曜日とのこと。斎場に行くような間柄でもない限り、今更急ぐ話ではない。
以下、W氏のメールからほぼ転載された形で説明が続く。
最近は特に精神状態がよくなく、W氏は医者からは『お母さんから目を離さないように』と言われていたという。W氏は医者に『自宅で仕事をしている』と説明していたので、そのような流れになったらしい。
だけど彼からの情報によると、W氏は普段から飲み歩くような人とのこと。
おまけに、毎日起きたらコーヒー代わりに酒を飲むような生活をしているはずだ、という。まさかW氏は一日中酒浸りなのかしら。
そんな状態で仕事などできるはずもないと思うんだけど……さすがに、病院に付き添う時には飲まずに行ったのかも知れない。
その日もW氏は夕方から飲みに出て、日が変わった頃に帰宅し自室で寝ていたらしい。
明け方頃にばたばた物音がして、母親が起きたのだと思ったが、特にどうと思うこともなく寝続けていたという。
そのすぐ後に、玄関のドアの音が聞こえた。
さすがにW氏も様子を見るため起きる。サンダルがなくなっていたので母親がどこかへ行ったことがわかった。
多分卵かパンを買いにコンビニへ行ったのだろう、と考えて寝直すことにしたらしい。
自室に戻る時に、居間のテーブルに財布が置きっぱなしになっていることに気付いたけど、「どうせ取りに戻って来る」と、あまり気にせず、その後も夕方頃まで寝ていたのだという。
その日の夜、近所の人が訪ねて来て初めて、W氏は母親が事故に遭ったことを知ったらしい。
つまり、朝から夜までずっと母親が留守だったということになる。
精神状態がよくない、と言われている人が出掛けてしまったというのに、何故夜まで放置していたのか理解できなかった。
彼もそこは疑問に思ったが、面倒なので訊かなかったという。
とにかく、W氏の母親は朝早くサンダルのまま家を出て、近所の幹線道路に向かい、車の前に身を投げた――これは事実らしい。
離婚して他県にいる父親や今はそれぞれで生活している兄弟たちも、W氏からの連絡で慌てて戻って来たのだという。それは当然だと思う。
彼宛てのメールには『おふくろ、ニュースになってたわw』と笑う記号付きで書かれていて、彼もさすがに『笑い事じゃないだろう』と送り返したという。
つまり飲み会延期の理由は、W氏の母親の葬儀などの都合により――ということらしい。
読み終わった時わたしの気分は沈んでいた。
W氏に対してはもはや嫌悪感しか感じられなかったし、そんな人と交流を続けている彼にも呆れてしまう。
だけどW氏から連絡が来たのはつい最近の話で、それ以前はもう五年くらいは音信不通だったらしいから、多分その当時にも一度、連絡を避けるような出来事があったんじゃないかと予想する。
わたしは伸びをひとつしてから、彼にメールを返信した。
いつも彼が帰ってから食器や週末の洗濯――その中には彼の衣類も含まれている――をしていること。その間はテレビもつけないし、スマートフォンも見ないからメールに気付かなかったこと。
それだけ書いて、W氏に関しては触れずに送った。
彼からの返信はあっさりしたもので、音信不通の理由は理解したこと、帰り途中で購入した漫画が面白かったから、来週持って行こうかと思う、というようなことが書いてあった。
* * *
彼からまた水曜日にメールが来た。
水曜日はお互い定時退社日なので、早い時間にメールが来ることもある。
でもわたしにはわたしの都合がある。なるべく邪魔されたくなかった。
わたしの好きなものを食べに出掛け、好きなように過ごす曜日と決めているのだから。
彼が水曜の夜をどう過ごしているかは知らないけど、メールを無視するとまた連投して来そうな予感がした。
そのため、またしても中座して返信しなければいけなかった。
『Wが来月飲み会をやろうって言ってるんだけど、どうしたらいいと思う?』
来月ってどういうことだろう。
母親の四十九日が過ぎてからという意味なのかしら。
でも、彼のメールから漂って来る困惑は、そういう話ではなさそうな雰囲気。
赤の他人の都合なので、わたしが判断できるような問題ではないけれど。
『他にも集まるっていう話だったよね?じゃあその人たちにも訊いてみたら?
……もちろん、四十九日が過ぎてからだよね?』
「ごめんね、何度も」と、席に戻って謝罪する。
「いいよ。気にしてないから」
わたしは小さくため息をついてから、食事を再開した。