その2:彼の飲み会が中止になったんだけど、どう過ごしたらいいのかわからない。
* * *
水曜の夜、彼からメールが届いた。
わたしは外食中だったので、一緒にいる相手に断ってからメールを確認しなければならなかった。
『土曜日の飲み会だけど、とりあえず中止ってか延期になった
だから金曜の夜そっちに行ってもいい?』
今週末は、久し振りにおひとりさま満喫デイにしようかと計画していたところだったのだけど……
まぁいいか、と思いながら返信する。
『土曜日は、美容院に行ってから映画を観に行こうかと思ってたけど
まぁ、あなたが来るなら美容院はまた今度でもいいし』
『映画かぁ。何観る予定だった?
一緒に観れるやつ?』
彼と一緒に観る時はいつも、わたしの近場ではなく街の中心の大きい映画館に行っていた。
でも、もうネットでチケットを購入してしまったので、わたしは困ってしまう。
『いつものとこじゃなくて、うちの近くのちょっと小さいとこだよ?いいの?
映画の内容は、どうかなぁ……アニメの実写版なんだけど
アニメも原作漫画があるから、どっちか知らないと難しいんじゃないかな』
『ああ、じゃあいいよ
ひとりで映画も美容室も行っておいでよ
俺はテレビでも観て暇潰してるし』
遠回しに断ったのが通じたのか、彼は映画を諦めてくれたらしい。
でもテレビって……わたしの家にいて観るという意味だよね。
そうまでして、うちに来なければならない理由もないと思うのだけど。
* * *
映画を観終わった彼は、案の定、設定に口を出して来た。
非現実的過ぎるというのだ。
だから、あらかじめ遠回しに断っていたのに……そう思いながら、わたしは説明する。
「そんなこと言ったってさ、原作がそうなっているんだから、多少の非現実的な部分はしょうがないよ」
「俺、原作読んだことないし」と彼は口を尖らせる。
「わたしの家にあるでしょ。っていうかゆうべ、観に行くなら読んでおいた方がいいよ、って言ったじゃない?」
「わざわざそんなことしなきゃいけないの、面倒じゃん」
また彼の『面倒』が出た。ならば映画を観に出るのは面倒じゃないんだろうか。
「面倒って……それじゃあ、わからなかった部分があってもしょうがないじゃない。別に漫画原作じゃなくたって、海外の映画の設定にもあり得ることだし」
「でもそこは、実写化する時につじつまが合うようにシナリオを変えてもいいんじゃないかと思うんだが?」
「だからこれは、原作ファンが観たら『ここがこうなるのかぁ』って面白い部分であって――」
「原作を知らない人が観ても面白くなきゃ、本当の映画とは言えないだろう?」
別にわたしはこの作品に『本当の映画』とやらを期待していたわけじゃない。
原作のファンだったから、それが映画化されたので観に来ただけだ。
漫画がアニメ化された時も観たし、映画になる時も期待と不安で落ち着かなかった。そういう『映画』があったって、いいじゃないの。
わたしは面白く観賞していたのに、折角の楽しみを害されてしまった気分。
週末は無理だろうから仕事帰りでも行けないか、スケジュール調整までして、観に行こうと考えていた作品だったというのに。
これ以上話しても平行線にしかならないので、わたしはその話題を切り上げる。
今度もう一度、ひとりで観に行こう……
こんな気分にさせられるなら、わたしの家で留守番していてくれてもよかったのに。一緒について来て欲しいなんて、ひと言も言っていないのだから。
金曜の夜になって「やっぱり一緒に映画に行くわ」と彼が突然言い出して、わたしは困惑したくらいだったのだし。
「よく考えたら、なんで俺が一日中留守番してなきゃいけないのか、っていうね」
「だから、無理して来なくてもよかったんじゃないかと思ったんだけど」
「でもそんなこと、ひと言も言わなかったよね?」
「言わなかったけどさ……」
しかも、休日の朝はゆっくり寝ていたいと彼が言うから、映画の前に美容院へ行きたかったのを後にずらしたのに。
何故こんな状況になっているんだろう。
「何食べるか決めた? 俺はなんでもいいよ」
わたしが話を切り上げたのを察したのか、彼は話題を変えた。
でも映画が始まる前から「映画終わったら何喰う?」と何度も訊いて来たので、単純にお腹が減っているだけなのかも知れない。
映画が終わる前に何か考えておけ、という意味だったのだろう。
「じゃあ、そこのビルのパスタ屋さんに行きたいんだけど」
「パスタぁ? それだけじゃすぐ腹減るじゃん。せめてラーメンとかさぁ。そうでなきゃ定食屋とか……あ、焼肉行こうか、焼肉。確かこの辺に旨い店があったんだよ」
「わたし、あと一時間ちょっとで美容院の予約時間になっちゃうから、焼肉はちょっと……」
なんでもいいって言ったのに、なんでパスタは却下されるの?
それに、彼が食べたい物があったのなら、先に何か提案してくれてもよかったのに。
美容院の時間をずらせないかスマートフォンで確認していると、その画面を覗き込んだ彼がため息をついた。
「じゃあパスタでいいよ。ってかさ、なんで今日みたいな日に美容院なんか予約するかなぁ」
……なんだか胃が痛いような気がして来たけど、きっとお腹が空き過ぎてるんだと思う。
* * *
「そうそう、延期になった理由なんだけどさぁ」
朝食を摂りながら、彼が切り出した。
突然のことで、何が延期になったのかすぐには思い付かなかった。
「何が?」と訊き返すと、何度も説明させるなよな、ということを遠回しに言われ、W氏の件だと改めて説明された。
でもわたしとしては、日曜の朝から聞きたい話題ではなかった。
彼自身のことならまだしも、彼の友人にはそれほど興味がなかったし、特にW氏には一連の話からあまり良い印象を持てなかったので。
それから今は、南フランスの風景と、美味しそうな料理が並ぶ旅番組を観ている最中だったから。
「あ、これ美味しそう」
咄嗟に話を遮ると、彼はちらりとテレビ画面に視線を向けた。
これからいくつかのメニューを調理する過程が流れるコーナーになる。
彼も、わたしが毎週これを楽しみにしていることは知っているはずだった。
「俺はパエリアの方が好きだな……それより、延期になった理由なんだけどさ」
「パエリアはスペイン料理でしょ? これは南フランスだから、そっちの料理で」
「どうでもいいよ。そんなことより――」
「ねえ、今でなきゃ駄目なの? その話」
しつこく話を続けようとする彼に、思わず言い返してしまう。
途端に彼はむっとした。
「俺の話よりテレビの方がいいなら、テレビと付き合えよ」
……子どもみたいなことを言うんだから。
ため息が出たけど、そのまま番組を観続ける。でも内容はまったく頭に入らないし、彼のせいで重い空気になってしまった。
テレビ番組は今しか流れないんだし、話は後でもできるじゃない。
そう思ったけど、言い返したところで今より機嫌が悪くなるだけなのはわかっていた。
今朝のわたしの言葉を不承不承ながらも聞き入れてくれたのか、彼からはその後W氏の話題は出て来なかった。
機嫌が悪かったのも朝食の時だけで、それもテレビを観ている間に治まっていたみたい。少しほっとした。
でも、いつまた彼が切り出すのかと思うと、気が休まらなかった。
彼がどうしても話したいのなら聞かないわけではないけど、せめてタイミングも少しは考えて欲しい。
いい話ではないことがわかっているものを聞かなければいけない、こっちの気持ちを少しだけでいいから考えて欲しいのだけど。
ただそれだけなのに……