その1:彼が友人に会いたくないらしいんだけど、どうしたらいいのかわからない。
友人が数年振りに彼に連絡を取りたがっているらしい、と彼から聞いた。
「なんか、元いた会社の同僚からメールが来てさ……『お前のメールアドレス教えてもいいか』って」
「何か問題があるの?」
アイスクリームのカップに張り付いた部分をスプーンでこそげながら、わたしは問う。数年振りの連絡という割に、彼の表情が決して嬉しそうには見えなかったから。
ひょっとして、その『友人』とやらは女性で、実は『友人』ではなく『元彼女』だったりするのだろうか……そんな一抹の不安を抱える。
「いや、問題っていうか、そいつ自体が問題で」
「……どういうこと?」
「うーん……説明するのが難しいんだけどさ」
なんでも、彼の友人W氏は、ちょっと変わっているらしい。
彼曰く、W氏は元会社の同僚で友人、だから当時はそれなりに交流もあったのだという。
でもある時突然、「俺はデイトレイダーになる」と言って、一週間後に会社を辞めたらしい。
そこの会社の社長もおおらかなもので「じゃあ頑張って」と送り出し、いくつかアドバイスまでしたというのだ。
その後もしばらく、W氏が担当していた仕事を外注として回したりなどもしていたというから、随分お人好しな気がする。
「まぁ、仕事はそれなりにできるやつだったんだけど、なんか、会社に通うのが段々面倒になって来たとかで……」
「面倒なのはわかるけどね」と、わたしは相槌を打つ。
どうしても出掛けなきゃいけない用事でもない限り、わたしもなるべく家にいたいタイプだから。
「面倒ってのが、並のレベルじゃなくてさ。自分の煙草を買いに行くのも、母親にやらせるようなやつで」
……それはさすがに、どうかと思うなぁ。
「それで、そのWさんはデイトレイダーになったの?」
ネットトレイダーに対するわたしのイメージは、モニタを何台も設置してそれぞれのグラフを逐一確認して……というものだった。
「なんか、最初の頃はちょっとやってたらしいんだけど、すぐに飽きてやめたらしいよ」と彼。
わたしは驚いてしまった。だってそれじゃあただの無職になってしまう。
ならば再就職したのか、それとも起業でもしたのか……と訊いてみるも、「ん~。多分無職のままなんじゃないの?」というこたえ。
「だから、最近どうしてるかって話もしたいから飲みに行きたいとかでさ。それで連絡先を教えて欲しいってことらしいんだよ」
なるほど、そこで最初のひとことに繋がるわけね。
「じゃあ教えてあげればいいじゃん。何か問題があるの?」
彼は一体何故、あんな言い方をしたのだろう?
もしも本当は連絡を取りたくないのだとしたら、わたしに話したりなどせず、そっと音信不通を貫けばいいだけではないんだろうか。
「んん……会うのが面倒なんだよね。帰りのこと考えたら、向こうの近場まで出なきゃいけないだろうし。あとそいつ、酒癖が悪いんだよなぁ」
呆れた。
連絡を取るのは会う……というか、飲みに行く前提ということだったのね。
その日は、直後にサッカーの中継が始まったので、W氏の話題はそこで打ち切りとなった。
アイスも溶ける前に食べなきゃいけないし。
* * *
次の週末、彼はふと思い出したように話し始めた。
「そういやこないだWの話をしたじゃん」
「ああ、連絡を取りたがってるっていう……」
と、相槌を打つには打ったけど、わたしの方はもう忘れ掛けていた話題だった。
でも彼にしてみれば元同僚で数年振りの再会になるかも知れない話。だからどうしても慎重にならざるを得ないのかも知れない。
「そうそう。そいつから急にメールが届いたんだよ」
彼はそう言いながら二本目のビールのタブを開けた。
「メールが? 来たの?」
結局相手がメールアドレスを知っていた、というオチかと思ったらそうではなかった。
W氏と連絡を取り合っていた元同僚が勝手に教えて「もうWがしつこくて相手するのが面倒臭くなったから教えた」と言って来たのだという。
「あなたの知り合いって、めんどくさがりやが多いのね」
思わず苦笑してしまった。
* * *
「Wと飲みに行くことになっちゃったよ」
「なっちゃった、ってどういうことよ」
わたしは、彼がお好み焼きを見事にひっくり返す様子をぼんやりと眺める。
折角のデートだというのに、またW氏の話か……と少しだけうんざりしたのは内緒だった。
「メールアドレスわかったら、数分おきにメール寄越して来たりしてさ。『お前は暇だからいいかも知れないけど、俺は仕事中なんだから、勤務時間内には送って来るな』って怒ったんだけど」
「うん」
「そしたら『じゃあ飲み会の日程だけでも決めてくれ』って」
「……うん?」
『決めてくれ』とはどういうことだろう。
飲みに行きたがってたのはW氏の方ではなかったんだろうか?
「そうなんだけど『俺はいつでもいいけど、Nは仕事があるんだから、Nの都合のいい時でいいよ』って……ぶっちゃけ、都合とかより飲み会自体が面倒なんだけど、それも言い出せなくて」
Nとはわたしの彼のことだ。
「友だちなんだよね?」
「友だちってか、元ツレ」
どう違うのかわたしには理解できなかったが、追求する気にもなれなかった。
とりあえずわたしは、お好み焼きにソースを塗ることにした。
* * *
「来週の土曜に飲みに行って来るよ」
『飲みに行く』ではなく『行って来る?』……言われた時にはなんの話なのかわからず、訊き返した。
「ああ、あのWさんの……」
彼から改めて説明されて思い出す。結局あの後、彼が予定を決めたらしい。
「そそ。んで、サシ飲みとかカンベンなんで、どうせなら当時の同僚を集めようって話になって。連絡はSにぶん投げてさ」
「Sさんって確か――」
「うん、Wに俺のメアドをバラしたやつ。だから投げ返した形で」
彼はそう言ってカレーを頬張る。
「Wのやつに『仕事中にメールするな』って言ったら、今度は早朝とか夜中に送って来るんだよ。『常識で考えろ』って怒ったんだけどさ、『でもNの仕事って残業も結構あるから、確実に仕事以外の時間はこれくらいしか思い付かない』だとさ。でもそんな時間にメールが来ても、他のやつらに連絡なんてできないし」
彼は眉間に皺を寄せた。
仲がいいのか悪いのかわからないけど、友だちがそれほど多くはない彼の『付き合い』は大切なんじゃないかと思う。
わたしはS氏にも会ったことはないのだけど、未だに公私共に連絡を取り合う相手のひとりだということは知っていた。
「だから、来週はここに来るのが遅くなるけど……」
「別に無理してまで来なくてもいいよ? そのままオールってこともあるかも知れないじゃない?」
『オール』とは、二次会、三次会などを経て朝まで飲み明かしたりすることだ。わたしも彼も、以前は時々そんな集まりを経験していた。
「さすがにもう若くないし、オールはきついよ。それに、約束してるって言えばWも無理に引き留めないだろうから」
最後のひと粒までスプーンで器用にまとめて、彼はカレーライスを食べ終わった。
そうまでして――離脱する口実を準備して――参加しなければならない飲み会、というのは、わたしには理解しがたい。
でもW氏以外にも数人振りという元同僚が来るらしく、彼はそれも楽しみにしている様子だった。
「楽しい飲み会になるといいね」と、わたしが言うと、彼は複雑そうな表情になる。
「でもなぁ……あいつ、酒癖悪いからなぁ」
そんなに何度も口に出るということは、よほど酒癖が悪い人なのだろう。
わたしには想像できないけど。