初めてできた彼女は、魔王の一人娘でした
「ねえ、秀ちゃん」
彼女が僕の傍らで声を出す。
「なんだい、マコ」
しなだれかかるその体温を感じながら、僕はそう返事をした。
マコはむずかゆくなるくらいの子猫のような動きで体勢を変えると、じぃっと目を見つめてくる。
大きくて真ん丸の目。
「そろそろ家に挨拶に来て欲しいの。プロポーズから一週間たつし……ね?」
「ああ、そうか。そうだよね」
両親への挨拶か。このところプロポーズが成功したことで放心状態で、そんなところまで頭が回っていなかった。
「わかったよ。来週行こう」
いつまでも後回しにしていいものでもない。
覚悟を決めなきゃな。
……でも、不安っちゃ不安だ。
マコは一人娘だし、普段の行いからも親から人一倍大事に育てられたのは伝わってくる。
もし反対されたらどうしようという、そんな気持ちがないでもない。
「秀ちゃん、大丈夫だよ。お父さんもお母さんも優しいから、秀ちゃんのこと認めてくれるって」
「だといいんだけど……」
「それに、わたしも付いてるから。頼もしいでしょ? えへんっ」
どやっ。そんな擬音が聞こえてきそうなほどのドヤ顔に、俺は思わず吹き出してしまう。
「あ、笑わないでよう」と頬を膨らませるマコを見ながら、たしかに彼女が付いているなら安心だと、そう思った。
そして、一週間後。魔王城の前。
「お父さんとお母さん、中で待ってるってさ」
何気ない様子でマコが告げる。
俺はそれに対し、返答することができなかった。
「……」
「……秀ちゃん? だいじょぶ?」
「……マコさんマコさん」
「ふふふっ。その『マコさん』って呼び方、出会ってすぐの頃みたいだね」
たしかにそうかもしれませんが、今はそれどころではなくてですね。
あなたの可憐な笑顔に見とれる余裕もないくらいなのです。
理由としては、主に目の前の魔王城のせいで。
「マコ。ここってさ、もしかしなくても……」
「うん、魔王城。わたし、魔王の一人娘なんだ」
衝撃の事実。齢二十五歳で初めてできた彼女は、魔王の一人娘でした。
ちょっと待って。一旦落ち着かせて。
魔王、魔人。
彼らが人間の前に姿を現したのは、ほんの十数年前のことだ。
地球に突如として現れた知的生命体。魔法というファンタジー溢れる力を使いこなす彼らは、自らを魔人と名乗った。そしてその魔人たちを束ねる長が、魔人の王――すなわち魔王である。
当時まだ物心ついたばかりだった僕にはぼんやりとした記憶しかないが、国会議員だった父さんが恐ろしく忙しそうにしていたのは覚えている。
世界各国の長による度重なる会合の結果、魔人たちが最初に姿を現した日本に暫定的な魔人領を作るということで国際的に同意した。魔人たちはあっという間に領外からも視認できるほど立派な魔王城を造り、魔王はそこに住みついた。
魔王城の建設が終わると、魔人たちの何割かは地球の文化を知ろうとし、魔人関連の法律を整え終えた日本やその他各国に移住した。ちなみに、マコもその中の一人だ。
「地球人の中にはわたしたちを見ただけで逃げちゃう人もいるから、今更だけど、秀ちゃんが魔人に偏見がなくて本当によかった」
嬉しそうにブンブンと尻尾を振り回しながら、彼女はそう告げる。
かすっただけで血が出るであろう刺々しい尾は、しかし器用に動かされていて危険はない。
鮮やかな緑色の目に、滑らかな青い肌。人間の髪を何度脱色したところであり得ないほどの真っ白い髪。
彼女が魔人であることは出会った時から知っていた。でも気にしたことはなかった。
そもそも僕は男と女は別の生き物だと思っていたし、意思疎通ができるならあとは性格が合うかどうか、一緒にいて楽しいかどうかの問題だ。
彼女は今まで出会った女性の中で最も魅力的だった。だからプロポーズした。それだけの話だ。
それでもさすがに、魔王の一人娘というのは予想外。
『魔』人の『子』でマコ。
魔人の中ではありふれた名前だから気にしてなかったけど……そういえば魔王が自分の娘につけてから爆発的に広まった名前だったんだっけ。
「……ごめんね? 親が魔王って、やっぱりちょっと言いにくくって」
「いや、大丈夫。問題ないよ。僕がやることに変わりはないしね」
親のことを直前まで伝えられなかったマコの気持ちは、それこそ痛いほどよくわかる。僕はそれを責めない。
そう、相手が魔王だって誰だって、僕がやることは同じだ。精一杯気持ちを伝えて、結婚の了承を得ること。
「秀ちゃんは優しいなあ。やっぱり大好きだ」
「僕も大好きだよ、マコ」
マコの横顔に、チクリと軽く胸が痛む。
もちろん彼女のことを思って常日頃から優しく務めてきたつもりではあるけれど、今回俺がマコを責めないのは決して優しさからだけじゃない。やましさもある。
そんな気持ちに蓋をして、抑え込む。今は関係ない。ご両親への挨拶だけに集中しよう。
「……よし、もう行ける」
「じゃあ、行こっか」
そして、僕は魔王城へと足を踏み入れた。
気分はさながら勇者のようだ。
「初めまして。マコさんとお付き合いをさせていただいております、伊勢秀二と申します。本日はお忙しいところ、お時間をお作りいただきましてありがとうございます」
立派な部屋の真ん中で、僕はマコのご両親に挨拶をする。
緊張で顔のこわばっている僕を見て、お義母さんは微笑ましそうに笑った。
「マコの母です。魔王城は魔人領の一番奥にあるし、遠かったでしょう? 疲れなかったかしら?」
「はい、大丈夫です。お気づかいありがとうございます」
その人のよさそうな笑みに、緊張もいくらか緩和される。
ただ、問題はお義母さんよりむしろ――
「マコの父だ。魔王をやっている。……よく来たな」
「ご、ご丁寧にどうも!」
怖えええ!
お義父さんの顔は新聞やテレビで何度も見たことがあったけど、生で見ると一層厳つい顔だ。
身に纏う雰囲気が凄すぎて、『よく来たな』が『よくもまあのこのこやって来れたもんだな?』に聞こえたよ。雰囲気に呑まれるというのはこういうことをいうのか。勉強になった。
マコがバレないように軽く背中に触れてくれなきゃ錯乱状態になってたかもな。
ありがとうマコ。おかげで僕はもう平気だ。最初さえ乗り越えれば、あとは時間とともに慣れていける。
「こちら、和菓子です。美味しいと評判なので、是非召し上がってみてください」
「あらあら、わざわざありがとうねぇ。お父さん、和菓子だって!」
「おう、そうか」
朗らかなお義母さんとは対照的に、お義父さんはぶっきらぼうだ。
やはり俺との結婚を認めたくないのだろうか……と思う俺の前で、お義母さんが口を開く。
「なに仏頂面してるんですかお父さん。お父さん和菓子好きでしょ?」
「ん? なに? 和菓子? おお、和菓子か。和菓子は好きだ」
「ごめんねぇ秀二さん。家の人、緊張しちゃってて」
どうやら碌に話の内容を理解できていなかったようだ。
そうだよな、緊張しているのは俺だけじゃない。皆同じなんだ。
「それにしても、マコがこんな素敵な人を連れてくるなんてねぇ。お母さんビックリ」
「えへへ、でしょー? 秀ちゃん……秀二さんはとっても素敵なんだから」
……いや、やっぱり女性陣はそれほど緊張していないかもしれない。
こういう時は女の方が強いのは人間も魔人も同じなのかもなと、頭のどこかでふと思う。
「まどろっこしい話は後だ。まずは家に来た用件を言ってくれないか」
お義父さんの低い声が部屋に響いた。
それに続くのは、お義母さんのため息。
「んもう……。ごめんなさいね、秀二さん。この人口下手なのよ」
「いえいえ。では、早速本題に入らせていただきます」
もう少し世間話をして雰囲気を整えてからだと思っていたが、こういう流れになったからには無理に逆らわずそのままいってしまった方がよいだろう。
俺はお義父さんとお義母さんの前で姿勢を正す。
「僕には魔人の方々のような戦う力はありません。でも、マコさんを守るためならなんだってする覚悟があります。マコさんを泣かせたりしないと誓います」
そして頭を下げた。
ゴン、と床に頭を打つ。痛いけど、無視だ。
「お義父さん、お義母さん。――娘さんを、僕にください」
そのまま数秒。
これまでの人生で、もっとも長い数秒の沈黙。
そして。
「……大事な一人娘なんだ。幸せにしてやって欲しい」
頭の上から聞こえてきたのは、お義父さんのそんな声だった。
「約束します。絶対に、絶対に幸せにします」
マコを想う気持ちは誰にも負けない。目があった瞬間、目線でそう語る。
それが通じたのかは定かでないが、お義父さんはコクリと小さく頷いた。ような気がした。
「よかったわねぇ、マコ」
「うん、お母さん……っ」
お義母さんとマコの目尻には涙が溜まっていた。
そんな二人を視界の端に捉えながら、お義父さんは僕に言う。
「目を見てわかったぞ。秀二くん、君はやる男だ。まあ、俺には及ばないがな」
「よく言いますよ、今日は朝からずっとそわそわそわそわしてたくせに」
「そ、それは言わない約束だろう!?」
「へー、お父さんでも緊張するんだ」
「そうよ? あなたの運動会とか受験とか、あなたの何倍も緊張してたんだから」
「それ以上は止めろ。頼むから止めてくれ」
……なんか、お義父さんの魔王感がどんどん薄れていくなぁ。
「あ、おいっ! 秀二君、今笑っただろ! 酷いぞ秀二君!」
「え、あ、す、すみません! ……ぷふっ」
「秀二君!? 秀二君っ!?」
「す、すみませんっ、ごめんなさいっ!」
思わず笑ってしまった俺を見て、お義母さんとマコは大笑いしていた。
お義父さんだけは苦々しい顔をしていたが、ペコペコ謝る俺を最後には笑って許してくれた。
マコがどうしてこんなに優しく育ったのかわかる、優しいご両親だった。
「いやぁ、無事に終わって一安心っ」
「僕もだよ。笑っちゃったときは心臓が止まるかと思った……」
自宅へと帰ってきた俺たちは、見慣れた部屋でそんな感想を口にする。
最初にお義父さんの顔を見たときはどうなるかと思ったけど、なんだかんだ優しい人で良かった。
「今度は僕の両親に君を紹介しに行かなきゃね」
「うん、そうだねぇ」
ベッドの上で脚をブラブラさせながら、マコは心底リラックスした様子だ。
尻尾がぴょこぴょこ動き回るのが愛おしい。
「父さん、マコに会うの楽しみにしてたからなぁ。僕も一応一人息子だしね。でもこのところ結構仕事が忙しくて時間が取れないらしくって『こんなことなら総理大臣になんかなるんじゃなかった』って冗談交じりに愚痴ってるよ」
「……え?」
マコがガバッと身体を起こす。
そして緑の目を丸くして俺を見つめた。
「しゅ、秀ちゃんのお父さんって、もしかして……」
「うん、総理大臣だよ。伊勢重蔵総理大臣」
「え、ええーっ!?」
マコの驚いた声に、僕は少し申し訳なく思う。
マコが親のことをギリギリまで言えなかったように、僕も親のことはずっと明かせずにいたのだ。そしてそれにやましさを感じたりもしたが……こうして打ち明けてみれば何のことはない。
とてもスッキリと晴れ晴れした気持ちだ。いや、一人だけ肩の重荷を下ろしちゃってマコには悪いと思うけどさ。
「ど、どどどうしよう! 大丈夫かなわたし、秀ちゃんにふさわしくないって反対されたりするんじゃないかな!?」
さきほどまでの様子はどこへやら、打って変わってあたふたと慌てだすマコ。
不安でしょうがないという様子だ。きっと魔王城に入る直前の僕も同じ顔をしていたんだろうなぁ。
そう思うと少し笑えて来てしまう。
「大丈夫だよマコ。父さんも母さんも優しいし、マコのこと認めてくれるって。それに……」
ドヤ顔を浮かべ、マコを見る。
「僕が付いてるし。頼もしいでしょ?」
「……むぅ~。秀ちゃん、それ私の真似!」
「あはは、ごめんごめん」
膨らんだ青い頬をつつく。
ぷひゅっと空気が漏れて、その音の間抜けさに、僕らは二人で笑った。